マルクス プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解
この論考においてマルクスは、プロイセン政府が1841年末に出した新しい検閲訓令を詳細に検討し、その欺瞞性と検閲制度そのものの本質的な矛盾を鋭く批判しています。
主要な論点は以下の通りです。
1. 制度の欠陥を個人に転嫁する欺瞞
政府は新訓令において、これまでの不当な制約から出版を解放すると称し、1819年の古い検閲令を改めて遵守するよう命じました,。
歴史的矛盾: マルクスは、20年以上も法律が無視されてきたのであれば、それは検閲官が不当であったか、あるいは法律そのものが無用であったかのどちらかであると指摘します,。
偽の自由主義: 政府が制度の客観的な欠陥を「個人の過失」にすり替え、人を代えることで事態を改善したと思わせる手法を、マルクスは「偽の自由主義」であると断じました。
2. 「真理」と「分体(スタイル)」への不当な強制
訓令は、検閲が「真理の真面目な健常な研究」を妨げてはならないとする一方で、執筆者に「真面目さ」や「健常さ」といった特定の態度を要求しています,。
真理の性格: マルクスは、**「真理は光と同じように謙虚ではない」**と述べ、外部から「謙虚であれ」と命じることは真理の探求そのものを歪めることだと批判しました。
個性の否定: 「文は人を表す(分体は人である)」にもかかわらず、政府が定めた特定の分体でのみ書くことを強いるのは、精神の多様性を否定し、一色(政府の色)に塗りつぶす行為であると攻撃しました。
3. 「傾向(意図)」を取り締まる恐怖政治
新訓令の最も危険な点として、マルクスは「傾向(Gesinnung:心情・意図)」を基準とした取り締まりを挙げます。
客観的基準の欠如: 法律が「行為」ではなく、その背後にある「悪意」や「傾向」を裁くようになると、それは客観的な法ではなく**「恐怖政治の法律」**へと変貌します。
主観的支配: 執筆者の「信念」を検閲官が恣意的に判断するこの制度は、公民の権利を侵害し、検閲官を「心の裁判官」や「スパイ」に仕立て上げるものです,,。
4. 「キリスト教国家」という概念の混乱
旧検閲令が「宗教一般」を対象としていたのに対し、新訓令が「キリスト教」や「一定の教義」を保護の対象としたことを批判しています,。
政治と宗教の混同: 国家を特定の宗教(キリスト教)の上に築こうとすることは、法的・理性的存在であるべき国家の本質を損ない、概念的な混乱を招くと指摘しました,。
5. 編集者と検閲官に求められる資質の矛盾
政府は編集者に対し、「地位」や「品性」による保証を求めました,。
地位による選別: 「地位」を適格性の基準とすることは、学問や品性が地位に付随するという特権的な発想であり、不当な制限であると説きました,。
検閲官の万能視: 検閲官には、あらゆる学問を判別できる「才能」があることが前提とされていますが、そのような**「万能の天才」を官僚機構に求めることの滑稽さ**を皮肉っています,。
結論
マルクスは、検閲官が「判事、検事、弁護士」の一人三役を兼ねるという構造的な矛盾を指摘し、**「検閲制度の真の根本的治療は、その廃止にある」**と結論づけています,。制度そのものが悪である以上、人間や運用を変えても解決にはならず、自由な出版こそが唯一の道であると主張しました。
