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第13話 古代史 邪馬台国の読み方から分かる?!邪馬台国はどこにあったか!

今回も前回の続きとして、古代史について考えていきたいと思います。
今回は邪馬台国についてです。

卑弥呼や邪馬台国というテーマから、「国内史」の話だと思われるかもしれませんが、私自身は「東アジアにおける日本列島」という広い視点で捉えたほうが、より多くの示唆が見えてくるのではないかと感じています。

世界四大文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明(黄河文明))の中で、最古の文明がメソポタミア文明であり、最も新しい文明が中国文明であると言われており、世界四大文明の中では東アジア地域の中国文明が最も遅くに始まったということになりますが、「国家」というものも文明がなせる業(わざ)、文明のレベルがある程度の基準に達した時に人類が発明したものであり、東アジアの片隅にある日本列島においても、卑弥呼の時代、つまり、2世紀から3世紀には本格的な古代国家と言うことができるものが誕生したのだと言えると思います。

中華の史書「魏志倭人伝」には、倭国の女王卑弥呼が都を置いていた国の名として「邪馬台国」という国名が記されています。
そして、この国名である「邪馬台」の読み方については諸説あって、
一般的に知られている「ヤマタイ」という読み方は、江戸時代に新井白石が通詞の発音する当時の中国(清国)語に基づいて「ヤマタイ」と音読したことが始まりであり、つまり、「ヤマタイ」という読み方は後世の解釈の一つとして世に広まっているのですが、
「魏志倭人伝」に卑弥呼の後継者とされる女王の名として「台与」という人物名が記され、この「台与」の読み方については一般的に「トヨ」と読まれており、「台与」を「トヨ」と読むならば、「邪馬台」も「ヤマト」と読むのが自然と思われ、「邪馬台」という表記自体が本来「ヤマト」を表そうとしたものと捉えることができ、「邪馬台」の読み方については、私は「ヤマト」と読む説に大きく賛同したいと思います。

また、邪馬台国は九州の日向国で発祥し、日向国を起点として成立していったと考える説がありますが、私はこの説に賛同いたします。
そして、卑弥呼の時代には、中華の史書に記録されるほどの存在感を持つ国となっていたことを踏まえると、「邪馬台国」という名称は、単なる一地域を指すものではなく、次第に関東以西の日本列島全体を含む政治的枠組みを示す呼称へと広がっていった可能性があると思われます。

そのように考えると、地政学的な観点から見れば、畿内は関東以西の日本列島を統治する上で重要な位置であったと考えられるため、邪馬台国は畿内にも重要な拠点を持っていたと想定することができ、また、当時の関東以西には出雲などの有力な諸勢力が存在していたことが知られており、卑弥呼の本拠とされる邪馬台国は、そうした諸勢力と姻戚関係を結ぶなど、関係性に配慮しながら統治を行っていたと思われます。

「邪馬台国」とは関東以西の日本列島全体を含む政治的枠組みであり、関東以西の日本列島全体が邪馬台国の勢力圏であったと捉えられ、こうした視点に立つと、「邪馬台国はどこにあったのか?」という問いについては、「邪馬台国は関東以西の日本列島の至る所にあった」と言えると思います。
つまり、当時の関東以西の日本列島に対する中華側からの呼称である「倭国」と卑弥呼ら自身が国の名として用いた「ヤマト」は卑弥呼の時代から同義的に使われるようになったのだろうと思われます。

卑弥呼の時代において、

「倭国」=「邪馬台国」

というように「倭国」と「邪馬台国」が重なり合う概念として認識されるようになったのだろうと思われ、これこそが「日本」という国の開闢(始まり)であったと思われます。

そして、その女王であった卑弥呼は、その時々の情勢や必要に応じて、関東以西の日本列島各地を移動しながら統治を行っていたのではないかと思われます。

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