第8話 アトランティスは本当にサントリーニ島?!地形から見える本当の歴史!
前回、超古代大陸とされる「アトランティス」はエーゲ海に浮かぶサントリーニ島のことを表現しているとお話ししましたが、
プラトンの著書「クリティアス」には「アトランティス」の都についての地形の記述があり、今回はそのプラトンの記述を基に、「アトランティス」の都の地形とサントリーニ島の地形を照合をすることで見えて来る「アトランティス大陸」の正体についてお話しをしたいと思います。
プラトンの著書「クリティアス」にある「アトランティス」の都の地形は、中央の島にアクロポリスがあり、その中央の島を環状島が二重に取り囲んでいるように記述されています。
つまり、「アトランティス」の都の地形はまるで弓の的やダーツボードのような形状だったということですが、もし「アトランティス」の都が人工の地形ではなかった場合、パッと思い浮かぶのはカルデラ地形です。
では、プラトンの記述による「アトランティス」の都の地形と現在のサントリーニ島の地形を照合するとどうなるでしょうか?
下のサントリーニ島の衛星写真からも分かるとおり、
・サントリーニ島はカルデラ地形で、内海の中央にネア・カメニ島があり、そのネア・カメニ島の周りをサントリーニ島の本島とティラシア島が取り囲み、これがプラトンが記述する「アトランティス」の都の地形の「第一の環状島」に相当する
・現在の地形で言う場合、このサントリーニ島群をギリシャ本土やトルコ本土やクレタ島が取り囲み、サントリーニ島群はギリシャ本土やトルコ本土やクレタ島が形成する内海(エーゲ海の南部半分)のほぼ中央に位置することから、ギリシャ本土やトルコ本土やクレタ島がプラトンが記述する「アトランティス」の都の地形の「第二の環状島」に相当する
という見方ができるのです。

ここで私たちが知っている本当の歴史、真の歴史を一つお伝えします。
「アトランティス」という表現は、その都だけを示すのではなく、「アトランティス」の領域全体を示していますので、「アトランティス」とはサントリーニ島群やギリシャ本土やトルコ本土やクレタ島が形成する地域全体を表しており、つまり、「アトランティス大陸」とはミノア文明圏全域のことだったのです。
かつて、クレタ島やサントリーニ島ではヨーロッパ最古の文明と言われるミノア文明が栄えていました。
ミノア文明は、アテナやスパルタなどの都市国家やソクラテスやプラトンなどの哲学者よりもさらに古く、クレタ島やサントリーニ島には、そうした古代ギリシャ世界や古代地中海世界の基となる、ヨーロッパ最古の文明が栄えていたのです。
つまり、「まず、ギリシャ世界には最古の文明があった」ということが「アトランティス大陸」の伝承としてプラトンの時代にまで伝わっていて、知られていたということなのです。
そして、サントリーニ島が「アトランティス」の都に相当するかどうか、つまり、ミノア文明の都に相当するかどうかということについてですが、
もちろん、クレタ島だけではなく、サントリーニ島にもミノア文明圏における何かしらの重要な拠点らしきものがあったとは思われますが、ミノア文明圏の都がサントリーニ島にあったというよりは、ミノア文明は紀元前1525年頃にサントリーニ島が噴火した時の津波によって打撃を受け、その約50年後に滅んだという事実があって、そのことが伝承の中で象徴的に表現されていく過程で噴火したサントリーニ島自体がヨーロッパ最古の文明の都であったかのように話が置き換わっていったのだと思われます。
次回は、超古代大陸「ムー大陸」のお話しです!
※本投稿のヘッダー画像の引用:
Athanasius Kircher: Mundus subterraneus, vol. 1. Amsterdam 1664
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