1999年から2003年までの阪神タイガース その㊾
2001年7月19日の事だ。
軍団の一人がこう言い出した事がある。
「次期監督は
長嶋監督にやってもらいたい」
みな、彼を指差し笑った。
そんな訳ないだろうと。
彼は真剣だった。
阪急東通りの酔虎伝。
金曜の夜の人通りは賑わっていた。
生ビールのジョッキを強く握り締めるその眼差しは鋼のように強く、鋭い。
ここまで低迷した球団を救えるのは長嶋さんしかいないと。
「タイガースは、きっと強くなるよ」
讀賣は、長嶋はヒールだった。
世間から罵られ、馬鹿にされ、阪神を応援する事は変わり者である風潮があったあの頃。
木陰で過ごす僕たちはスポットライトを浴び続ける東京の球団が殺したいぐらい憎かった。
僕らは二次会で長嶋を何百回、何千回、
いや、何万回と揶揄した。
長嶋のスリーコールは数え切れない。
2001年7月16日〜7月19日の巨人戦は
ホームで阪神が3タテを喰らわせる
稀有な試合結果となった。
弱者が強者を倒す。
これほどの高揚感は無かった。
二次会の盛り上がりは最高潮だった。
アイパーのリードは冴えた。
21号門前からホワイティ、阪急東通りまで。
僕らは、声が枯れるまで叫び続けた。
東通りへ向かう道中のセコムの看板。
二次会の終着点には
いつも長嶋がいた。
看板の前で線香を炊き上げ、
葬式のオマージュで
二次会は終着する。
二次会に葬式を取り入れたのはアイパーだった。
アイパーは葬式のパイオニアだ。
どうやったら強い讀賣を引き摺り下ろせるか。
覇気のないチームと選手では到底勝てない。
僕らには試合前に直接ヤジを浴びせ続けるしか無かった。
そんな事では到底強い讀賣を倒せない。
分かっていたが、
やるしか無かった。
長嶋さんは僕らの憎悪を全て受け入れてくれた。
いつ何時も、どんな状況でも。
長嶋さんがいなかったら
あれだけ声を張り上げる事も無かった。
長嶋さんがいなかったら闘志を剥き出しにする事も無かった。
そう、人生において。
二次会の根源。
そして終着点。
軍団のみんな、元気ですか?
生きてるかなぁ。
あれから随分時間が経ちましたね。
あの頃みんなで長嶋を馬鹿にしてたけどさ、
今度は真剣に線香あげに行こうよ。
メガホンじゃなくて、
両手を合わせてさ!
長嶋さん、野村さん。
おれらがそっちに行ったら
あの頃の阪神巨人戦を観せてよ。
長嶋さん、3つとももってくのは勘弁して。
負け越しでいいからさ、
一試合ぐらい勝たせてよ。
二次会はアイパーが仕切ってさ。
21号門前も、阪神電車直通特急梅田行きも、
ホワイティも阪急東通りもやろう!!
「タイガースは、きっと強くなるよ」
タイガースは二年後に優勝。
軍団の一員が発したその言葉は本当だった。
しかし、長嶋は讀賣を貫いた。
僕らの予想は外れた。
いつまでも、
長嶋は僕らのヒールでいてくれた。
自らアンチの的になり、
ネタとなり、ヤジをスコールのように浴び続けた。
僕らのヒールは、
僕らのヒーローだったのかもしれない。
続く
