見出し画像

1999年から2003年までの阪神タイガース その⑥②

私は片道二時間半、
往復五時間かけ甲子園に通っていた。

JRは1,620円(片道)
阪神電車は230円(片道)
チケット代はライトで1,700円
レフト自由席で1,400円

高校生にとっては大金だ
私は長期休暇に入ると肉体労働に励み僅かながらの金を必死で稼いだ

全ては阪神、そして二次会の為だった


二次会が白熱し最寄り駅までの終電を逃し、
30kmの道のりを朝までかけて帰宅した事も何度もある。

しかし道中で疲れたり辞めようと思った事は一度も無い

いつも希望に満ちた高揚感で溢れていた。


10代半ば〜後半だった私は球場でいつもお腹を空かせていたが、食べ物に困った事は一度も無かった。
お腹が空くとアイパー軍団がいつもご馳走をしてくれ、フジ君はいつだってどんな時だって嫌な顔一つせず実家に泊めてくれた。



阪神住吉。
寂れた古い銭湯に通い、
湯船に浸かりながら二人で夢を語った。




『昨日の二次会は燃えたな。石毛のスリーコール、呼吸困難になるかと思った。この高揚感を得れるのはきっと阪神だけ』


『ずっと阪神を 好きでいような』



今思うと、軍団員は不器用ながら何とか生業を持ち生計を立てていた。
低学歴、低収入。
目を背けたくなるような外見。
皆、口にはしないが辛い過去を持っていた。

高給を貰っていた人間など一人もいない。
みんな生きる為肉体労働に必死だった。

タイガースは彼らの心の支えだった。

彼らから見るときっと私は幼く、子供だったのだろう。



甲子園に行くと皆、
私の頭を撫で物凄く可愛がってくれた。
不器用な大人は皆、
心が綺麗で一本筋が通っていた。

汗を流しながら現場仕事をし、
ボロボロの身体を引き摺りながら甲子園に通うフジ君が初任給でご馳走してくれた500円の甲子園カレー。そして一本350円の焼き鳥にさざえ

軍団員の集合場所は
いつもダイエー3Fのフードコート


『やんやん、食うか?』


軍団員が食券を買ってくれ、
薄味のラーメンとチャーハンをキンキンに冷えた水で流し込む。

あの時に食した味を越えるフードは無い
皆が社会の不条理に耐え、
汗を流し稼いだ美しい金でご馳走してくれたんだ



『お前は、次の世代を背負う大切な男だ』



私は軍団員のお陰であの非日常な空間を体験する事が出来た。
軍団員のお陰で後世に残る試合を観戦でき、
二次会でスリーコールを発し、
阪神電車でこれ以上無い高揚感を得る事が出来た

そして何より
2003年9月15日を現地で経験
道頓堀で朝まで騒いだ


軍団員と出会っていなかったら
全て経験出来なかった
もしかしたら私はあの田舎で人生を捨てていたかもしれない




『ずっと阪神を 好きでいよう』



私たちはそう誓ったが、
暗黒時代脱出と共に公権力が阪神、そしてプロ野球を襲う。

プロが野球場から消えた

二次会は衰退した

私たちは球場に通うのが嫌になり、
辛くなり、悲しくなり
話題にも出さなくなった。
ロゴを見るのも怖くなった。

私は04以降、
一般社会で阪神ファンである事を隠して生きてきた

何故って?


戻りたくなるんだよ。
みんなで窒息死する位笑い、
大騒ぎしたあの頃に。

軍団員は徐々に、
徐々に行方が分からなくなった。




あれから23年が経った


私はこのnoteを書籍化し、
当時お世話になった軍団員に感謝を述べ一人一人直接その手で渡したい。

みんなのお陰で今呼吸をし
毎日何とか生きている
40を超えいい歳のおじさんになったよ。

色んな事したね!
言えない事だらけ!!
讀賣の選手、何人目の前で怒らせた?

頭撫でてもらってさ。
飯奢ってもらってさ。
フジ君の自宅に80泊以上泊めてもらった。

試合より皆と過ごす時間の方が楽しかったし幸せだったよ。



アイパー、みんな!
23年振りにフードコート行こうよ!



きっとみんなこう言ってくれるよね
『やんやん、食うか?』


『ありがと、食うよ!でもさ!今度はおれに奢らせて!』



続く

いいなと思ったら応援しよう!