私の家族の話 2
まとめたマガジンはコチラです。
興味がありましたらよろしくお願いします✨
又、りょーやんさんが2/29に「私の家族の話1」のnoteを紹介して下さっています。
おかげで書き上げるモチベーションが復活しました✨感謝です✨
今回こそは、前回お伝えしたこの話を書き出すきっかけになった、りょーやんさんのnoteの内容と関連がある話となっております。
私の父の話
子供の頃、父の実家に行った回数は少なかった。
おじいちゃんは変わった感じの人だけど、私はまぁ嫌いじゃなかった。
おばあちゃんはちょっと記憶に薄い。いつもベッドにいた気はする。
父のきょうだいは何だか世界が違うにおいがした。
私が恋人との結婚話をきりだした時、母が話してくれた事はまだある。
父は18歳ですぐに家を出て自活していた。
自分の父親と、その再婚相手とも折が悪く、家を出ていく形だったようだ。
子供(私達)が産まれて、顔を見せる義理は通すけど出来れば行きたくない。
そんな葛藤が父の中にあったようだ。
父を初めて激怒させた話
一度だけ父を激怒させた事がある。
彼氏と遊んでいる時に終電を逃してしまった。
『友達』と遊んでいたら。と言って家に連絡して、母方のおばあちゃんの家に泊めてもらった。 (因みに、この彼氏が旦那だ)
翌日、家に帰って親のお叱りを受けるのだが。
父が、口を開くより先にプラスチックのごみ箱をよそに投げて始まった。
怒鳴り散らされる事はなく、感情を抑え込もうとしている口調。
門限を過ぎ、終電を逃し、心配と迷惑をかけるな。
という叱りの言葉の間にも、最初のごみ箱が頭をよぎる。
「カッとなると、手を挙げてしまいそうになるから。もうこんな事はしないでくれ」
父自身が保護者から受けた過去の仕打ちと共に、自分の子供には絶対にしたくないのだという決意を言われた時の私の感情は
『こんなに父を悲しませて悪いことしたな』だった。
ごみ箱を投げられて怖かったのもあるけど、何より、父が“ナニカ”を我慢しているのがとても痛々しかった。
父から言われた言葉
子供の時からずっと、父親に言われていた言葉がある。
「泣くんやったら二階へ行け!」
自分の目の前では泣くな。と。
二階へ行って、それでも狭い家だから泣き声を漏らさないようにひっそりと泣いていた。
二階へ行けない時は泣くのを我慢していた。
ずっと、素直に泣けない悔しさと共に泣いていた。
子供が泣き出した時に、自身の暴力的な衝動を抑える為に子供を遠ざけたかったんだ。
そう気づいたのは、私が子供に怒って、子供が泣き出した時に「何とか従わせたい」と言う暴力的な気持ちが溢れ出した時だった。
手は出していない。
けれど親からそんな仕打ちされたことなかったのに、私が自分の子供に手を挙げそうになって、ショックだった。
必死に、父は耐えててくれた。
感情を抑えきれずに「泣くんやったらあっちへ行って」と子供に言ってしまっていた。
自分が言われて嫌だったのに。
言った自分にショックを受けて、最初に言ってしまって以降、なるべく言わない様にしている。
でも正直、余裕がない時は言ってしまった。
これに関しては「じゃあどうすれば良いのか」ともがいている。
もがきっぱなしで、子供達に申し訳なく思っている。
泣いている人を見る父の反応
「そんなんで泣くなんて」
「何を泣く事がある」
スポーツ、記者会見、果ては映画を見ての感想を言っている人にまで
“泣く”という他人の反応を見て父が良くボヤいていた。
泣く事に嫌悪感があるのは単純に世代かと思っていたのだけれど、ひょっとして保護者からも言われていたのだろうか。
これに関しては「感動して泣いたっていいじゃんか!」という反骨心が私自身にはあって
感動して、心を動かされて泣くことに関してはどんどん経験すればいい
と私の子供たちには共感して寄り添っている。私が感動やさんなので一緒に寄り添いたいのもあるのだけれど。
父との関係
私と父の関係は泣く事に関して以外は普通だったと思う。
黒一点家族だったので、野球中継も一緒に見ていたし(当時私は古田さんからのスワローズファンだった)大人になってからは競馬の話もしていた(三連単がわかる程度には知ってる)。
「雑談はするけど面と向かってちゃんとした話をするのはなんだか気恥ずかしい」
という感じなので父が“泣く”という行動に対してどういう思いなのかなんて、聞ける事はないんだろう。
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