仕事も人も「うまい!」を目指して
老舗トンカツ屋を継承し確実に成功への歩みを進めてこられた、株式会社ポークウィンの芦田社長。
誰もが「うまい!」とうなるトンカツを探求しつづける一方で、居酒屋や牧場経営など多角的に事業を拡大してこられた秘訣をうかがった。
※これは模擬インタビューであり、会社名、人物名は全て架空のものです。
芦田社長略歴
株式会社ポークウィン 代表取締役社長
芦田 治
栃木県出身
千葉県内の大学を卒業後、精肉会社ピーマートに入社
市川市本八幡のトンカツ屋「ロッソ亭」の継承をきっかけに飲食店の経営に乗り出す。
現在は「とんかつ あしだ」5店舗、居酒屋「酒と豚肉と米」12店舗、栃木県那須塩原市の轟山牧場と多角的な経営で成功をおさめている。
毎日食べたいトンカツとの出会い
──まずトンカツ屋をやりたいと思ったきっかけを教えていただけますか?
ロッソ亭というトンカツ屋が千葉県市川市本八幡にあったんですが、学生時代に週5回のペースで通ったのがトンカツとの出会いですね。
気に入ってひたすら通い続けるなかで、大学3年生になって就職を意識したときにトンカツ屋をやりたいと思いはじめました。
──ホームページには【この感動を広めたい】と書かれていますが、ロッソ亭ではどんな感動がありましたか。
海鮮も豚肉以外の肉も好きな自分が、トンカツにはまるとは夢にも思いませんでした。
ロッソ亭の毎日食べても飽きない、また食べたいと思わせる味に感動して惚れ込みました。
全国のまだ見ぬトンカツ好きの人に美味しいトンカツを食べたときの感動を届けたいと思って【この感動を広めたい】としました。
──なぜそこまでロッソ亭にはまったのでしょうか。
ロッソ亭はたたずまいやお店の雰囲気も全部含めて、すごく特別な場所でした。
毎日店主夫妻の顔を見てトンカツを食べて帰ってくるのが、心地よく感じました。
──中でも好きだったメニューはなんですか?
ロッソ亭は、ロースカツとヒレカツの定食しかないシンプルなお店です。
どちらもおいしいんですが、ロースカツの方が少しだけ安かったのでよく食べていました。
会社員から経営者へ
──大学卒業されてからすぐ起業されたのでしょうか。
新卒でピーマートという精肉会社に勤めてルート営業をしていました。
小売店に肉を卸すほか、お客様と精肉工場とのパイプ役が主な業務です。
──当時から「いつか自分でお店を」という野望はお持ちでしたか。
いずれやりたいなと思って大学3年生ぐらいからアルバイトを増やして開業資金を貯めることにしました。
恥ずかしい話ですが、当時は風呂なしアパートだったので銭湯の回数を週2回に減らして貯金額を増やすしかありませんでした。
節約しているなかでもトンカツを食べたくてやりくりに苦労されられましたね。
一緒に事業をやろうと言っていた友人に開業資金300万円を持ち逃げされて、大学卒業してすぐの起業は諦めて就職を決めました。
ショックから立ち直るまで2年を費やしましたが、どうにか立ち直れました。
──つらい経験を乗り越えて数年後にロッソ亭を引き継がれますが、どのような流れでしたか。
高齢のオーナー夫妻が引退すると聞いて「それなら俺が引き継ぐよ」と申し出ました。
最初は半信半疑だったようですが、何回か通って話をするうちに「このまま潰すくらいならやってみれば」と言ってくれました。
土地や店舗はオーナー夫妻の持ち物なので賃料は格安。
設備も仕入れのルートもそのまま譲ってもらえたので、開業資金をかなり抑えられて助かりました。
──芦田さんが惚れこまれたロッソ亭の味やたたずまい、雰囲気はどう引き継いでいこうと考えましたか。
毎日の仕事が終わってからロッソ亭に行き、揚げ方を教わって練習する日々でした。
たたずまいや雰囲気に関しては正直出たとこ勝負でしたが、常連さんにもすんなり受け入れてもらえてありがたかったですね。
──起業して数年でロッソ亭から【とんかつ あしだ】というご自分のブランドに切り替えたのは大きな決断だったと思います。ご自分の名前を冠した店舗を出したいと思われた心境をお聞かせください。
ロッソ亭のころは雇われではないけれども、オーナーの下駄を履かせてもらっている状態でした。
客層も店舗も引き継いでるので大きな苦労がない代わりに、自分の手で経営をしている実感が湧きにくいと感じることもありました。
日々働くなかで自分の店を持ちたいと野心を抱くようになったことをきっかけに、新規ブランドの立ち上げを真剣に考えるようになります。
新規ブランドへの挑戦
── 【とんかつ あしだ】の開業はあえてロッソ亭の良いところと決別する決断ととらえていいのでしょうか。
ロッソ亭は住宅街の食事処で、お客様も近所の方が多い店でした。
しかし【とんかつ あしだ】は駅の利用者や会社員など、様々なお客様に利用していただける店にしたいと思っていました。
万人受けする店を目指すとファストフード化してしまうのではないかと恐れる気持ちもありましたが、チャレンジしようと決断できて結果は良好でした。
──順調に店舗数を増やしていますが、スタートから順調だったのでしょうか。
メニューはロッソ亭から変わらず、ロースカツとヒレカツの2大看板です。
多くのお客様に受け入れてもらえた自信があったので、特に商品開発などの苦労もなく滑り出しは上々でした。
今までと全く違うコンセプトで成功できたのは味が良かったことが第一だと思いますが、立地にも恵まれたとおもいます。
東京都葛飾区の新小岩という場所は、北口がビジネス街で南口には住宅街が広がっているので、休日は家族連れ、平日は会社員のランチと異なる客層にアプローチできたのも大きいですね。
相棒に店舗を丸ごと任せた社長の決断
──【とんかつ あしだ】の出店から法人化までの流れを教えていただけますか。
1店舗目を出したあとで、ピーマートの同期の本吉(もとよし)が【とんかつ あしだ】の手伝ってくれていました。
本吉は会社を退職してうちで働きたいと言ってくれましたが、本吉はトンカツ屋の従業員で終わらせるにはもったいない優秀な男でした。
本吉の才覚を発揮する場所を作りたくて2店舗目の出店を決断しました。
──店舗が増えるとお店の味や接客のクオリティが落ちてしまう側面もあります。どのように解決されたのでしょう。
2店舗目も【とんかつ あしだ】ですが、本吉にすべてを任せて私は一切口を出さないと決めていました。
基本的な方針はうちのやり方を踏襲してくれたので、クオリティは維持しつつ本吉らしい店作りをしてくれています。
──本吉さんが加わってから法人化して店舗数を増やすまでは自然な流れでしたか。
不動産屋の方から新宿西口に50席ぐらいの物件が出たと持ちかけられたのをきっかけに、大きな物件でやってみたいと欲が出てきました。
しかし個人では大きすぎるし、融資を受ける必要があったので本吉と話して法人化しました。
本吉なしには決断できなかったでしょうね。
──トンカツ一筋から、居酒屋や牧場へと発展し企業規模も一気に大きくなった時期ですよね。居酒屋でもトンカツを出していらっしゃるんですか。
【酒と豚肉と米】という居酒屋では、トンカツは扱っていません。
味に自信のある【轟山豚】をお客様が焼く過程も楽しんで食べていただく形にしました。
豚肉と米を食べながら酒を楽しみたいお客様にも、ご家族連れにもご好評をいただいています。
──栃木県那須塩原市の「轟山牧場」をM&Aされた経緯をうかがえますか。
ロッソ亭時代から付き合いがある精肉店が廃業して、 肉の仕入れルートを新規開拓する必要がありました。
せっかく新規開拓するなら、自分たちのこだわりを反映させた肉を作りたくて、地元で協力してくださる牧場を探しました。
牧場の皆さんのおかげで【轟山豚】は文句のない仕上がりになったと自負しています。
うまいもんとつくる未来へ
──芦田さんが大切にされている経営哲学とはなんでしょう。
私の経営哲学はやはり「人とのつながり」ですね。
ロッソ亭のオーナー夫妻や本吉をはじめ、ピーマート時代の同僚やずっと付き合いのある不動産屋などたくさんの方に支えられて今があると思っています。
過去には裏切られた苦い経験や失敗もありますが、圧倒的にプラスの出会いばかりです。
人のご縁に恵まれなかったら物事も事業も動かなかった場面が多いので、感謝しかありません。
──飲食店の起業を目指す読者の方々へ、起業に成功した先輩としてメッセージをいただけますか。
【とんかつ あしだ】が多くのお客様に受け入れていただけた1番の理由は、トンカツが美味しいからだと思います。
どんなに見た目を綺麗にしても、宣伝に力を入れても、まずい店にお客様はきてくれません。
飲食店をやるなら絶対味の追求に手を抜いてはいけません。
しかし同じくらい人とのつながりや出会いを大切にしてください。
私が起業して得たものは、お客様や友人、仲間などたくさんのご縁だったと胸を張って言えます。
人も味も「うまいもん」を手にしたものが最後に笑うと信じてがんばりましょう。
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