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スマナサーラ長老 我――人類への挑戦状

2時間半

無我――人類への挑戦状|スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会(24 Jun 2011 代々木NYC)

出典: 日本テーラワーダ仏教協会 公式チャンネル さん、ありがとうございます。


2011年6月24日(金)に国立オリンピック記念青少年総合センターで開かれた初期仏教月例講演会『「無我」について――自分がいるのに、ブッダはなぜ「無我」と言うのか?』(講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老)を配信します。
ライブ収録のため、一部画面の乱れ、音声の聞き取りにくい箇所があります。予めご了承ください。 チャンネル登録と🔔オン、👍ボタン&コメントを頂けると励みになります。
ビデオ撮影と編集:川元信泰さん 日本語字幕とチャプター作成:菊池まどかさん@字幕制作班 概要:

一般の社会では、仕事や勉強、スポーツなどに「無我夢中」で取り組んで欲しいものです。それは真剣に仕事にとりかかっているという意味です。無心になることは日本文化でも美徳とされています。
とりあえず、無我夢中、無心で仕事をこなすことができればありがたいことです。ストレスも溜まらないでしょう。仕事も楽しくなるでしょう。では簡単に私たちが無心になれる方法はあるのでしょうか。

一方で「自分探し」「アイデンティティの確立」「自己主張」などは高く評価されています。言葉には乗せられていますが、その言葉の本当の意味はよく分かっていないのです。

他方で、自我を張ること、エゴ、わがままなどはひどく嫌われています。いったい私たちは、自分を捨てて無心で仕事に取り組むべきでしょうか、自分探しをしたり自己主張したりするべきでしょうか。自我を張らないとは、曖昧に生きることでしょうか。こういう疑問点を明確にしたいのです。 お釈迦様の教えになると、「無我」という概念が核心になっています。生命を構成している五蘊(色受想行識)は無我であると発見することが悟りなのです。
仏教学者のなかには、この事実をもって、「お釈迦様はアートマン(我)を否定しなかった。
五蘊という構成要素はアートマンではないと述べただけだ」と主張する人もいます。
また、大乗仏教は、「無我」ではなく「空」を説くのです。初期仏教の教えから、「無我」とはどういうものか、それを学ぶことは我々にとってどのように役に立つのかと、学んでみましょう。

0:00:00 イントロダクション
0:02:30 「我」アートマンの定義
0:23:05 歴史は長い

0:41:07 無我は認識できない
0:58:14 自我の錯覚

1:13:55 新しいアプローチ
1:20:34 五蘊・五取蘊
1:23:56 六感・六対象
1:27:58 無常・無我・因縁

1:37:22 因縁
1:43:59 私はいませんか?
1:51:41 自我の錯覚で困る
1:58:50 流れの意味

2:04:12 自分という流れを汚さないこと
2:09:31 無我と解脱 2:12:25 無我を認識する瞬間
2:14:57 ブッダの教え
2:16:36 Q&A 空と無我の関係は?
2:18:42 Q&A なぜ無常、苦、無我と三つにわけたのですか?
2:22:01 Q&A 無常、苦、無我の関係は?
2:24:07 Q&A 無我論と因果法則は関係がありますか?
2:26:48 Q&A 私のアイデンティティはありますか?
2:29:16 廻向の文





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