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「ペニーレインでバーボン」に見る言葉狩り

 3年前の暮れの話。
一応決着がついたといえば、ついた。
2025年12月


 よしだたくろうのアルバムの中で『よしだたくろうオンステージ ともだち』(1971)がある。
「私は狂っている」という歌に入る前のMCで
「先日精密検査を受けまして、脳波が異常だと言われました(笑) 私は愕然といたしまして、医者に、それってキチガイってことかよ~?って聞きましたら、「それもある」と言われました。(中略)それも、ということは皆さんは今、キチガイを見てるわけで・・・(笑)」
 このMCが収録されたCDは普通に販売されている。ツンボもキチガイも放送自粛には変わらないと思うが、「ペニーレインでバーボン」はツンボではなくツンボ桟敷。くだらない言葉狩りで長いこと地下に埋もれていた。

 聾桟敷(つんぼさじき)と聾(つんぼ)は全く意味が違う。
聾桟敷とは江戸時代の劇場。2階正面の最後方の席のことで、舞台から遠く演者のセリフが良く通らなかったこと。これに乗じて関係者でありながら情報や事情を聞かされていないところに意訳された。だから、「聾桟敷」で一つの言葉である。
もちろん語源の「聾」が問題視されたのだろうが、そもそも誰のジャッジで捌いていたのだろうか?
 この言葉のせいで昭和の名盤『今はまだ人生を語らず』(1974)が世間から長い間抹殺されていたが、ようやく令和4年の暮れにその閉ざされていた扉が再発という形で開くことになった。
 この名盤1曲目に収録された「聾桟敷」と言う言葉を使った歌「ペニーレインでバーボン」は吉田拓郎の1974年の叫びであった。

テレビは一体誰のための物 観ている者はいつも聾桟敷
気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って
時には無関心なこの僕でさえが 腹をたてたり、怒ったり
そんな時僕はバーボンを抱いている

 その叫びは、その一つの「言葉」により名盤『今はまだ人生を語らず』は発売中止となり(アナログ盤ではなくCD盤)、「ペニーレインでバーボン」を収録したライブアルバムやビデオはその部分だけカットされた不細工な形で出荷された。
 1979年篠島コンサートでのハイライトの一つ、間奏でのギターとキーボードの激しいバトル。
拓郎の「青山徹だ!」とギターソロを弾く青山を紹介し、立て続けに「松任谷だ!松任谷だ!」と叫んでキーボード奏者の松任谷正隆をアジる。
そんな名場面もアルバム『TOUR79』(1979)やライブビデオから外された。

1979篠島

 言葉狩りともいえるレコード会社や放送局の偏執的な神経質さがこの異常事態を産んでいた。
 もともと放送禁止の楽曲など日本では存在しないという。レコード会社や放送局が作り手の事情も一切無視して勝手に自粛してしまうのだ。
警察沙汰になったミュージシャンのレコードやCDが出荷停止になる事はあるが、あの行為も何の意味があるのか。ほとぼりが冷めたらしれっと販売するが、拓郎のそれは、警察沙汰のミュージシャンより重いことなのか?
 私の中学高校時代(1980年前後)、先の「ペニーレインでバーボン」はもちろん、部落差別を唄った岡林信康の「手紙」や同じく部落の表現があると言われた赤い鳥の「竹田の子守歌」など普通にラジオから流れていた。しかし、いつの頃かそれらの唄はメディアから抹殺され始める。そしてレコードからCDへの転換期。
それに呼応するように1990年前後から言葉狩りが始まった。一時はオリジナル盤でCD販売された作品も問題の曲だけ省かれたり、発売中止の憂き目にあう。『今はまだ人生を語らず』もその良い例だ。
 妙な左翼を恐れて及び腰になるレコード会社や放送局。しかし、そういった言葉狩りで素晴らしい作品に蓋をしてしまう事自体が差別行為だという事を以前、同和問題を扱う人権主張団体の代表が話していた。送り手の勝手な解釈が逆に傷付けている現実。作り手の作品に対する愛情や主張するピューリタニズムは無視されているのだ。

 歌はミュージシャンの表現手段である。
特に自作自演であれば、そこに作り手のイズムやメッセージが加わる。
自慢の喉を披露したり、ミュージカルのように物語性を追求するような類の音楽ではない吉田拓郎は、その時々の想いや叫びが音となっていたので、まさに主張を潰された形となっていた。
 拓郎は1984年のツアーで久々に「ペニーレインでバーボン」をステージで歌った。そしてその年に発表されたアルバム『FOREVER YOUNG』(1984)に収録されていた「大阪行きは何番ホーム」と「ペニーレインには行かない」を立て続けに歌った。
この3曲で青春を過ごした原宿やペニーレインというスナックに別れを告げている。歌は絵のようにそのシーンを再現する。

「ペニーレインで仲間と賑やかに過ごした時間。バーボンを煽って現実逃避。それでも前に進んでいる力強さ・・・。」(ペニーレインでバーボン)

「日々の忙しさで余裕も無くなり、愛して一緒になったはずの女。結婚し、子供が出来て幸せなはずが、どこか生きる事へのもどかしさや、人生のはかなさ。それでも生きていかなければならない自分への叱咤。」(大阪行きは何番ホーム)

「あの時の風景はもう今は無い。空虚に満ちたペニーレインのカウンター。歳を取るということの儚さ。別れの時。」(ペニーレインには行かない)

 1984年のツアーは、「拓郎引退」という噂が流れた時に始まっている。
翌年に開催される「ONE LAST NIGHT in つま恋」で引退するのではないか、と実しやかにメディアは報じた。その予兆としてこの3曲の並びは感傷的に強く印象付けられた。
純粋に歌を作る行為。しかし、言いたいことを伝えられないもどかしさ。

1984 武道館

 2006年のつま恋コンサート。かぐや姫とのジョイントコンサート。かつての少年少女35000人が集まり、年寄りの集会として話題となった。そのコンサートをNHKは大々的に生中継した。
 吉田拓郎はソロステージの1曲目に「ペニーレインでバーボン」を選んだ。
そして、問題の箇所。観客はその言葉を聞き漏らすまいと神経を集中した。その言葉がNHKから流れるならば、発売元のCBSソニーに直談判でもしてCD再発を嘆願しようと思っていたファンは私だけでは無かったはず。
しかし、「聾桟敷」を「蚊帳の外」と変えて歌う拓郎。
観客からは明らかに残念などよめきが上がった。拓郎も無念そうに歌っているように見えた。
自分で書いた歌詞が自分の想いとは違うところで捻じ曲げられている。

2006年つま恋

 拓郎は最近のラジオでこの「ペニーレインでバーボン」の扱いについては、思うところが多くあり、いつかちゃんと話したいと言っていた。しかし、拓郎の思いは聞けずに2022年12月を迎えてしまった。
 今年いっぱいで引退を噂されている拓郎。
その置き土産のつもりか発売中止になっていた「ペニーレインでバーボン」が収録された『今はまだ人生を語らず』や『TOUR79』を2022年12月に再発させた。
「再発したから・・・もういいんじゃないか」というようなトーンで多くを語らずに拓郎のラジオ番組は終了した。
CD再発は喜ばしいことだが、なんだかなぁ、という感情しかない。
拓郎の大切な1曲が長年無下に扱われていたという感情はずっと心の中にある。
 吉田拓郎のロック魂を表現する歌としては、「ペニーレインでバーボン」は最高の作品だ。拓郎の特長であるビートの効いた字余りソングは、彼の真骨頂である。拓郎しか歌えない彼の魂の歌だ。その作品を長らく抹殺していた放送局とレコード会社。
しかし、そんな世界の中で活動していた吉田拓郎。
やっぱりなんだかなぁ、という感情しか湧かない。

 引退なんてしている場合じゃない。
今まで歌えなかった分、思いの丈を叫んでくれよ。
「LOVE2愛してる」でテレビ、「オールナイトニッポンGOLD」でラジオに別れを告げたみたいになっているが、まだまだやれることは残っている気がする。
例えばあなたは言うだろう。
「実はそんなにメッセージなんて無かったんだよ。俺は愛のある歌が歌いたかったんだけど、何故かみんなが俺を勝手に祭りあげたんだよ」と。
いやいや、あなたの音楽的主張も分かるけど、正直言ってあなたの歌だけに賛同してきた50年ではないのよ。吉田拓郎という存在が示すもの、それは、ザ・芸能界も凌駕し、音楽業界の既成の概念をことごとく変えて行ったあなただから、お笑い芸人や多人数で踊り狂うアイドルに占拠された日本の音楽界に何か一撃を喰らわして欲しいんだよね。
何か流行ると一斉にたなびく生温い音楽業界にあなたのような力がまだまだ必要なんだよね。
別に内田裕也的なご意見番になる必要は無いんだけどさ…。
とにかくどんな形でもいい。
ただただ音楽人として「ペニーレインでバーボン」のような歌を発表して欲しい。「人生を語らず」なんて言ってないで、もうそろそろ語ってくれよ。

それが吉田拓郎という存在の責任の取り方だと思うがね。

 湾岸スタジオで歌う『ah-面白かった』(2022)の楽曲。スタジオ録音は正直苦笑いだったけど、ライブのあなたは同じ歌に聴こえないほど素敵だった。ライブできるじゃない?
 篠島ライブの「ペニーレインでバーボン」を聴きながら、なんだかなぁ、と思い耽る
2022年の暮。

2022年12月29日
花形

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