ニホンオオカミは消え、ツキノワグマは残った
去年、クマのニュースをかなり見た。
住宅地に現れるツキノワグマ。
学校周辺への出没。
人身事故。
駆除への賛否。
おそらく今年も、秋になればまた同じ話題が出てくるのだろう。
もちろん、人命は重要だし、実際に危険な場面もある。
ただ、あのニュース群を見ていると、ふと別の動物のことを考えてしまう。
すでに絶滅してしまった、ニホンオオカミである。
おそらく当時の日本では、
「山で出会いたくない野生動物」の代表格が、この2種だったのだと思う。
同じように危険性を持つ大型野生動物でありながら、
先に絶滅したニホンオオカミと、現在も残っているツキノワグマには、
どんな違いがあったのだろうか?
そんなところから、比較して整理してみることにした。
ニホンオオカミは1905年頃に絶滅したとされる。
つまり、神話上の生き物ではなく、近代日本と地続きの時代に消えた大型哺乳類だ。
しかも面白いのは、今問題になっているツキノワグマとは、人間との距離感が少し違っていたらしいことである。
僕自身、最初はニホンオオカミを「完全に山奥に住む生き物」のようにイメージしていた。しかし調べていくと、どうも実際には、現在の感覚で思うほど人間社会から切り離された存在ではなかったらしい。
そこには、山・村・農地が連続していた里山構造がかなり関係していたように見える。
今回考えたいのは、
「里山という“中間領域”の変化によって、人間と大型野生動物の関係はどう変わったのか」
という点である。
■野生動物との共生を考える(ニホンオオカミとツキノワグマを比較して)
① 概念定義
・里山
人間の生活圏と山林の中間に存在し、薪採取・炭焼き・農業など、人間活動によって維持されていた半自然環境。
・ニホンオオカミ
1905年頃に絶滅した日本固有のオオカミ。山岳地帯だけでなく、里山近辺とも関係を持っていたとされる。
・ツキノワグマ
現在も日本に生息する大型哺乳類。基本的には森林寄りの生態を持つが、近年は人里への出没が増加している。
・里山崩壊
過疎化・山仕事減少・エネルギー転換などによって、人間による中間地帯管理が弱体化した状態。
② 事実整理
・江戸期まで
- 人間は山へ頻繁に入っていた
- 薪採取、炭焼き、落葉利用などが存在
- 山・村・農地が連続構造を持っていた
・ニホンオオカミ
- 「山の神」として扱われる地域も存在
- シカ・イノシシ抑制役とも考えられていた
- 明治期に急減
- 当時、狂犬病、駆除、報奨金制度などが影響
・ツキノワグマ
- 基本的には森林寄り
- 現在は本州各地で出没増加
- 近年、人身事故・住宅地侵入が社会問題化
・戦後以降
- 薪・炭利用減少
- 過疎化
- 山仕事減少
- 放棄果樹増加
- 里山管理弱体化
③ 因果構造
【系統①:ニホンオオカミ絶滅構造】
里山近辺にもオオカミが生息
→ 人・家畜との接触・被害が日常的に発生
→ 害獣としての認識が形成(近代化による思想変化含む)
→ 近代化に伴い報奨金制度等で駆除が制度化・加速
→ 個体数減少
+里山の犬を介した狂犬病流行
→【a】感染による直接的な個体数減少
【b】狂犬病オオカミの人畜被害
→ 害獣認識のさらなる強化 → 駆除圧加速
→ 絶滅
【系統②:ツキノワグマ出没構造】
過疎化・山利用減少
→ 里山管理弱体化
→ 山と人里の境界曖昧化
→ クマが人里近くへ接近
→ 出没・事故増加
→ 駆除圧増加
【系統③:里山構造変化】
薪・炭文化消失
→ 人が山へ入らなくなる
→ 中間地帯消失
→ 人間と野生動物の距離感変化
→ 野生動物問題の構造変化
④ 対立軸
・「人命安全」 vs 「大型野生動物との共存」
・「自然を排除して管理する」 vs 「中間地帯を維持して共存する」
・「野生動物問題」 vs 「人間社会構造問題」
⑤ 例外・未検証
・ニホンオオカミの生態には未解明部分が多い
・オオカミ絶滅と現在の獣害問題を直接結びつけるのは単純化の可能性がある
・ツキノワグマ増加には、ドングリ豊凶や気候変動など複数要因が存在
・地域差も大きく、一律構造では整理できない可能性がある
⑥ 暫定仮説
現在のクマ問題は、「クマが増えた」という単一要因ではなく、人間側が維持していた里山という中間地帯の喪失による境界構造の変化として捉えうる。
また、里山と接続していたニホンオオカミが先に絶滅し、森林寄りだったツキノワグマが人里へ現れるようになった構図は、日本社会と自然との距離感変化を象徴している可能性がある。
ただし、両種の生態差・絶滅要因の複合性・地域差を踏まえれば、この整理はあくまで一つの見方にとどまる。
■今回の整理
今回整理してみて面白かったのは、クマ問題が単なる「危険動物対策」だけではなく、里山という中間地帯の変化とかなり深く結びついて見えてきたことである。
もちろん、かなり単純化した整理ではある。
実際には、
ニホンオオカミとツキノワグマでは生態も違えば、
絶滅・残存の要因も単一ではない。
ただ、それでも少し象徴的に見えてしまう。
里山近くの“中間地帯”とも接続していたニホンオオカミは絶滅し、
どちらかといえば人間との距離を取っていたツキノワグマは残った。そしてその後、今度は人間側の里山構造が崩れていった。
結果として、
かつては森林寄りだったツキノワグマが、
人里近くへ現れる時代になった。
もちろん、「だからオオカミが必要だった」という単純な話ではない。
ただ、
人間と自然の“境界の作り方”そのものが変化した、
という感覚は少しある。
熊を駆除するべきか、保護するべきか。
SNS上では、その二元論に終始しがちである。
しかし、本当に大事なのは、この“境界の作り方”であることは間違いない。
いや、その二元論に終始する人達もそれはわかっているに違いない。
ただ、それをゆっくりと考える時間はあまり残されていないのかもしれない。
とりあえず、今年も秋はやってくる。
夏のうちにしかできないこと、それを今考えるべきなのだろう。
街中でもこれが必要になるのか…そこまで降りてきてしまった熊には効かないのか…
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