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精神疾患の私が内定を取るまで1

こんにちは。メルです。
突然ではありますが、精神疾患を患った経緯と内定を取るまでのことを
つらつらと書こうと思います。
現在精神疾患で休職中の方にはぜひ読んでもらいたい内容ですので、
よければ参考に。


0.精神疾患を患った経緯

まず、私の病名は「統合失調症」です。
ネットだと「犯罪者予備軍」とか、「統失」って略されますよね。
主な症状としては「幻聴」または「幻覚」です。

わたしはどちらか、と言うと「幻聴」が聞こえます。
いちばん症状が酷い時は、大学の誰もいないはずの教室で
自分を責めるような暴言が聞こえました。

発症したのは大学生1年の夏でした。
当時塾の事務のアルバイト先で幻聴が聞こえ始めました。
加えてその塾はとても忙しく、保護者のからの電話で
クレーム対応をしていると塾を出るのが夜の11時をまわることも。

その塾は何故か塾長が不在で、なんでも急に辞めてしまったとのこと。
代わりに隣の地域の塾長が対応をしていましたが、業務を捌ききれないため
私を事務員としてアルバイト採用してくれました。

今考えれば少し色々やばめの塾だったと思いますが、
ここでは詳細を省きます。

大学の夏休みをほとんど塾のアルバイトで過ごした後、
すぐに大学1年の秋学期が始まりました。
幻聴はずっと聞こえていましたが、
辛くても「気のせいだ」と思うようにしていました。

そして、当時まだコロナ禍でオンライン授業を受けていて
さあ、問題を解こうと教科書を開き、
教授の指示に従って問題を解こうとしたその時、


読めない。


文字を追っているはずなのに、文字が読めない。
そして私は英語専攻だったため、英語の長文をいつものように
目で追う。それでも、読めるはずの英語が、文字が、読めない。
わからない。


急に極端に教科書のレベルが上がったわけでもない。
分かるはず、見たことあるはずの英単語と英文法が
分からなくなってしまったんです。

私は教授に指名されても解答が答えられず無言になってしまう。
今まで勉強をずっと頑張ってきた私にとっては
物凄くショックでした。

英語が分からなくなった原因もその時は分からず、
体調も悪くなるばかり。
授業の欠席は徐々に増え、ついに大学1年の秋口に不登校に
なりました。

その後、冬までずっと不登校でしたが、
一念発起して再び大学2年から通い直すも、症状や体調は
よくならずでした。成績もずっとよくない。
それでも私は通い続けましたが限界がきてしまい、
大学の側のメンタルクリニックを受診しました。

結果は統合失調症

服薬を始め、薬を飲みながら大学に通いましたが、
薬の副作用が酷くてうまく立って歩けず、
どんどん成績も落ち、大学3年の春からまた不登校になりました。

幻聴が聞こえる、「それ」は私を責め続ける成績は落ちていく
勉強はできない外にも出れない何もできない。

ずっと子供部屋でほぼ寝るだけの生活になり、
大学3年の1年間が過ぎていきました。





1.主治医H先生との出会い

薬には副作用があります。
実は薬局で売っていて普段処方されるような風邪薬でも、
副作用が出ることはあり得るんです。

私が大学の側のメンタルクリニックで処方されている薬は
かなり副作用が酷かった。
しかし、主治医に相談しても
「うーん、でもこれ飲まないと治らないよ?」
と言われ、いつもの様にいつもの薬を処方されます。

そんな様子を見ていた母親が、
別のクリニックを受診してみよう、と
探して見つかったのが今もお世話になっているクリニックです。
つまりセカンドオピニオンというわけです。

ここでは名前を伏せて「H先生」としますが、
H先生の診察を受けたらすぐに薬を変えてくれました。

とてもハキハキとした先生です。
悩み事を相談すると、一言で端的にアドバイスをくれるような
そんな先生です。

私はとてもH先生と相性がよく、
何事も話せました。

体調とメンタルが少し上向きになってきたころ、
H先生が「デイケアに参加してみませんか。」
と言ってくれました。

デイケアとは、あくまで私の解釈になりますが
精神的なリハビリをする場所」と言う感じです。
引きこもりでしばらく誰とも話してこなかった方などが、
他人ともコミュニケーションが取れるように訓練する場所です。

曜日ごとにプログラムが決まっており、
月曜日は農作業
火曜日はストレッチ
水曜日は料理...
など、体を少し動かしながらかつ、他の方との他愛ないコミュニケーション
ができるようなプログラムです。

私はまさか料理ができるとは思っておらず、
興味があったので参加することにしました。



2.デイケアに通う日々と自立の芽生え

デイケアでは年齢性別問わずいろんな方がいらっしゃいます。
そしてデイケアに参加するクリニックの患者の皆が共通しているのは、
なんらかの精神疾患を患っている。ということ。
しかし不思議と不安はなく、むしろワクワクしていました。
「新しい友達もできるかもしれない。」
そんなことを密かに思いながら参加してみました。

デイケアに参加している方々は、見た目も、接していても、
健常者となんら変わりない方ばかり。
落ち着いていて、穏やかで、優しい。
そんな方ばかりでした。

H先生がデイケア参加者を選定しているとはいえ、
本当にまともな人ばかりです。

私が一番仲良くなれたと感じるのは、
70代のAさんです。
Aさんはもうお年を召していますし、背中を圧迫骨折してしまい
いつも外を歩くときは杖を突いています。
それでも、毎日デイケアに参加して、いつもおだやかに
楽しそうに他の方とも話されています。

世代を超えた交流ができ、私もいつもAさんには感謝です。

週に3日しか参加できなかったデイケアも、
徐々4日、5日と増え、体力もついてきたころ、
私はとある大きな決断をしたのです。



大学を辞めて働いて、自立を目指そう。


大学不登校の際の文章では省いていましたが、
一念発起して行った大学2年生の間の1年間、
精神疾患の症状が影響して人間関係でたくさんつまずいたせいで、
私の学校での居場所はもうありませんでした。

詳しくは書けませんが、ある人にたくさん傷つけられ、
悲しみのあまりに、どんどん狂っていってしまったのです。
その時点でもう大学に戻るのは無理だと思っていたので、
辞める決断をしました。



3.大学中退、そして就労移行に通所

私は大学4年になる直前に大学を中退しました。
そして私は、以前からネットサーフィンをしていて見つけた
就労移行支援所に行きたいと、H先生に相談しました。
就労移行支援所とは、身体・精神問わず、何らかの障害を持っている方の
就職活動をサポートしてくれる機関です。

私は大学を辞めるなら絶対に働こう、と思っていました。
そして「特例子会社に就職することをめざそう」と。

私はオープン就労を目指そうと決めていました。
「オープン就労」とは、障害を開示して就職活動をすることです。
反対に、「クローズ就労」とは、障害を開示せずに就職活動をすること。
オープン就労ならば特例子会社や一般企業の障害者雇用枠を目指しますし、
クローズ就労ならば一般企業を目指すことになります。

そして先ほどから出てくる「特例子会社」とは、
健常者が運営していて、社員の殆どは精神障害者である会社です。

障害を最初からオープンにしていた方が、もし働いている中で体調を
崩しても、少しは理解が得られるかもしれない。
そう考えてオープン就労を目指しました。

次の記事では、就活についてまとめていこうと思います。
ここまで見てくださり、ありがとうございました。


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