最後の「ママ見て」を逃さないために(フロリダDay150)
深夜にふと、SNSを眺めていたら、「子育てを終えた人たちが、後悔していること」という投稿が流れてきて、何気なくタップしてしまった。
そこには、何千というコメントがついていて、いろんな声が並んでいた。
もっと抱っこしてあげればよかった
「早くして」と言いすぎた
子どもの話をちゃんと聞いてあげればよかった
怒りすぎた
完璧な親になろうとしすぎた
深夜にSNSを読みふけるなんて、あまり褒められた習慣じゃない気がしてやめたい気持ちも半分あったけれど、どれも胸にくる言葉ばかりで、スクロールする手が止まらなかった。
その中でも、特に心の奥にズドンときた一文があった。
「ちょっと待って」と言わずに、
「ママ見て」にこたえてあげればよかった
だって、
「ちょっと待って」は、
私が毎日のように口にしている言葉だったから。
子どもたちの「ママ見て!」の先にあるものは大抵、大人の世界では取るに足らないようなことばかりだ。
例えば、今日の我が家の「ママ見て」の先にあったのは、
トムとジェリーのジェリーが作っている「チーズジュース」。
ジェリーのチーズジュースより、目の前の料理を焦がさないようにするほうが大事だから、「ちょっと待ってね」と言ってしまうのも無理はない。そう思っていた。
でも、本当にそうだろうか?
ジェリーがチーズジュースを作っているだけで、ママを呼んでくれる時期って、いったいあとどれくらい続くんだろう。
だって、子育てを卒業した大先輩たちは言う。
子育ての“最初”は覚えているけれど、“最後”は思い出せない。
最後の手つなぎも、最後の抱っこも、最後のお風呂も。子育ての最後は、いつも気づかないうちにやってくるのだと。
最後の「ママ見て」だって、きっと意外と早くやってくるのかもしれない。そんなことを思ったら、急にセンチメンタルになってしまった。
私はまだ子育てど真ん中にいるから、正直「ちょっと待ってくれ、今それどころじゃないわい!」と叫びたくなる瞬間も多い。でも、ど真ん中にいる今だからこそ、後で後悔しないように「ママ見て」に寄り添える機会が、まだたくさんあるはずなのでは。
よし。
先達の言葉を噛みしめて、明日からの生活に取り入れてみよう。
その夜は、明日から「ちょっと待って」はしばらく封印だと静かに誓いながらベッドに入った。
でも、次の日。
料理中に「ママ見て!」という言葉を掛けられた私は、やっぱりまた「ちょっと待って」と言ってしまった。
反射で出てしまう言葉は、そう簡単には変えられないのだ。
だけど、その瞬間の私は、昨日までの私とは少し違っていた。
言ってしまった自分に気づいて、「今火消すから、10秒でいくね」と、いつもよりやさしい続きを紡ぐことができた。
完璧にはできないけれど、気づけたことで、ほんの少しだけ変われた気がした。
ちなみに、今回の「ママ見て」の先にあったのは、
おせんべいをかじる瞬間でした。
ごちそうさまです。
