バラはなぜ赤いのですか
今家にバラの花が一本ある。撮影のための小道具として購入したものなのだが、僕には花を買う習慣がなく、なんとなく珍しい心持ちだ。
バラがあろうがなかろうが僕の生活は全く持って変わらないのだが、バラがあった方が心が豊かな気がする。なんせ赤いのだから。
ソファや机なんかの家具には鮮やかな色が使われにくい。これはリラックスするためである。反対に、お菓子や食材のパッケージには派手な色が使われやすい。売り場で目立つからである。
しかし、バラはそんな人間の都合とは関係なく、赤い。競合他社との争いに勝つため、購買意欲をそそるよう最適化されたデザインの製品が蔓延るこの家の中で、バラはただ赤いのである。誰に頼まれたわけでもなく、ただ赤く、咲いている。その姿勢は凛としていてとても好ましく思われた。
しかし、こんな考えがよぎった。
このバラの赤さが、「赤くあれ」という人の思想のもとに誕生したものだったら?つまり、より赤いバラを目指した品種改良の結果として出力されたのがこのバラだったらどうしよう、ということだ。
そうするとつまり、僕が抱いたバラの赤さに対する感動さえも、デザインされた社会の一部になってしまう。
こんなことがあって良いものか。僕はザマアミロと言ってやるためにバラの花を食べてしまおうかとすら思った。しかし、食用でないためやめておいた。
