俺の前でだけ元気で柔らかい幼馴染
「〇〇〜! おはようっ!」
ドサッと、背中に柔らかな重みが降ってきた。
登校風景が広がるいつもの通学路。高校二年生の〇〇は、背中に押し付けられた温かく包み込むような感触に、朝から深く溜息をついた。
「ぐはっ……奈央、重い。朝から抱きついてくるな」
「え〜? 重いとは失礼な! 女の子に対して重いなんて言っちゃいけないんだよ?」

〇〇の肩に顎を乗せ、むにっと頬を寄せてくるのは、幼馴染の奈央だ。
ショートボブの黒髪を揺らし、天真爛漫な笑顔を浮かべている。そして何より、同年代の女子と比べても明らかに肉付きが良く、全体的に柔らかな体つきをしている。本人はまったく無自覚なのだろうが、こうして距離感ゼロで抱きつかれるたびに、男子高校生である〇〇の理性は猛烈な試練に晒されていた。
「重いものは重いんだよ。ほら、離れろ。人目があるだろ」
「やーだ。〇〇の背中は落ち着くんだもん。それに、誰も見てないよ?」
「見てるよ! ほら、同じ学校の奴らが遠巻きに見ながらコソコソ言ってる!」
〇〇は奈央の額を指でぺしっと弾き、強引に背中から引き剥がした。
奈央は「あいた」と両手で額を押さえ見上げてくる。少し丸みを帯びたモチモチの頬を膨らませて、不満そうに唇を尖らせた。
「ふんだ、相変わらず冷たいんだから。〇〇のケチ、意地悪、冷血人間!」
「うるさい。歩くぞ」
スタスタと歩を進める〇〇。奈央は「あ、待ってよ〜!」と慌ててその隣に並び、ごく自然に〇〇の制服のブレザーの裾をギュッと掴んだ。
〇〇は素っ気ない態度を取りつつも、奈央が歩幅を合わせやすいように、こっそり歩く速度を落とした。
奈央は、〇〇の前ではこのように天真爛漫で、甘えん坊で、図々しいほどに距離が近い。
……だが、それは「〇〇の前限定」の姿だった。
昇降口を抜け、教室に入る。
「おはよう、〇〇!」とクラスの男子が声をかけてくる。〇〇が「おう、おはよう」と返すと、〇〇の背後に隠れるようにして、奈央の体がキュッと強張った。
「あ……えっと……お、おはよう……ございます……」
奈央はペコリと頭を下げ、顔を引きつらせて愛想笑いを浮かべた。
声は蚊の泣くように小さく、視線は彷徨い、あからさまにオドオドしている。さっきまで〇〇に抱きついてギャーギャー騒いでいた少女と同一人物とは思えないほどの縮こまりようだ。
「おう、奈央ちゃんもおはよ」
男子生徒は特に気にした様子もなく席を離れていったが、奈央はハァと安堵の溜息をつき、冷や汗を拭った。
奈央は、極度の人見知りだった。
幼い頃から人付き合いが壊滅的に苦手で、親兄弟と〇〇以外の人間とはまともに会話すらできない。友達もおらず、クラスではいつもポツンと一人でいて、話しかけられても愛想笑いを浮かべて頷くことしかできないのだ。
だからこそ、奈央にとって自分の素を出せる人間は、世界でただ一人、〇〇だけだった。
「……大丈夫か?」
〇〇が呆れ半分、心配半分で声をかけると、奈央はフニャッと情けない顔をして〇〇の袖を引いた。
「うぅ……緊張したぁ……。やっぱり〇〇以外の人と話すの、心臓がバクバクして破裂しそうになるよ……」
「ただの挨拶だろ……。もう高二なんだから、ちょっとは慣れろよな」
「無理だもん……。私、〇〇がいればそれでいいんだもん……」
「いいわけないだろ。俺がずっと一緒にいられるわけじゃないんだから」
「え〜! なんでそんな酷いこと言うの!? ずっと一緒にいてよ〜!」
再び〇〇の腕にムギュッと抱きついて甘えてくる奈央。胸が腕に押し当てられ、〇〇は「っ……!」と顔を赤くして必死に押し戻した。
「分かった、分かったから離れろ! 席につけ!」
「はーい……」
自分の席へと向かう奈央の後ろ姿を見送りながら、〇〇は深く息を吐いた。
(まったく……対応に困るんだよな、本当)
周囲からは「幼馴染の美少女に甘えられて羨ましい」などと言われることもあるが、当事者の〇〇からすればヒヤヒヤの連続だ。奈央の不器用さを知っているからこそ邪険にもできず、かといってこの距離感を受け入れ続けるのも精神衛生上よろしくない。
だが、この時の〇〇も、そして奈央自身も、この「居心地の良い歪な関係」が終わりを告げようとしていることに、まだ気づいていなかった。
「〇〇〜! 遊ぼ〜!」
日曜日の午前十時。
〇〇の部屋のドアが、ノックもなしに盛大に開いた。
「……お前なぁ、幼馴染だからってノックくらいしろよ。俺が着替えてたらどうするんだ」
ベッドで漫画を読んでいた〇〇が呆れ顔で吐き捨てると、私服姿の奈央が「えへへ」と笑いながら室内へ侵入してきた。
休日の奈央は、フリルがついたオフショルダーのニットにショートパンツという、これまた彼女のスタイルを強調するような格好をしていた。ニットの胸元は柔らかそうな膨らみを隠しきれておらず、太ももは健康的でむっちりとしている。
「着替えてたらラッキーじゃん? 〇〇の裸見放題!」
「見せるかバカ。つか、親父とお袋は?」
「おばさんたちなら『〇〇をよろしくね』って言って、買い物に出て行ったよ〜」

当然のように〇〇のベッドへと上がり込み、〇〇の隣にスッと滑り込んでくる奈央。そのまま〇〇の肩に頭を乗せ、自分のスマホを操作し始めた。
ふわりと漂う、甘いシャンプーの匂い。
触れ合う太ももの柔らかい感触と、体温。
(……だから、距離が近すぎるんだって……)
〇〇は内心で頭を抱えつつも、もう半ば諦めていた。追い出そうとしても「やだやだ!」と泣きつかれるのが目に見えているからだ。
「ねえねえ〇〇、このゲームのこのステージ、クリアできないの。やって〜」
「どれ……またこんな単純なやつか。貸してみろ」
〇〇がスマホを受け取り、画面を操作し始める。奈央はその横顔を、至近距離からじーっと見つめていた。
「……ん? 何だよ」
「んー? 別に〜? 〇〇って、真剣な顔してるとちょっとだけカッコいいなって思って」
「……余計なお世話だ」
照れ隠しに冷たく返すと、奈央は「照れてる〜! かわいい〜!」と嬉しそうに〇〇の腹をポカポカと叩いてきた。
「痛い痛い、やめろって! 操作ミスるだろ!」
「あはは! ごめんごめん!」
こんな風に、休日はいつも二人で過ごしていた。
ゲームをしたり、くだらないテレビを見たり、奈央が買ってきたお菓子を二人で分け合ったり。
学校では誰とも話せず、縮こまっている奈央にとって、〇〇の部屋は世界で一番安全で、落ち着ける場所だった。〇〇が自分のどんな我儘も、素っ気ない態度を取りつつ受け止めてくれることを知っていたからだ。
「ねえ、〇〇」
「ん?」
「私ね、〇〇とこうやって過ごしてる時間が、一番好きなんだ」
奈央は〇〇の腕にぎゅっと抱きつき、幸せそうに目を細めた。
「〇〇さえいれば、私、他に何もいらないよ。友達がいなくても、話せる人がいなくても、〇〇が私を見ててくれれば、それでいいの」
その言葉は、純粋で、どこまでも重かった。
〇〇はゲーム画面から目を離し、奈央の丸い頭をぽんと軽く叩いた。
「バカ言え。ずっと俺に依存してたら、お前将来苦労するぞ」
「いいもん。ずっと〇〇の隣にいるから、苦労しないもん」

無邪気に笑う奈央。
〇〇は溜息をつきながらも、その柔らかい頭を撫で続けた。
奈央にとって、この関係は永遠に続くものだと信じて疑っていなかった。
〇〇は自分の世界で唯一の存在であり、〇〇にとっても自分が特別な存在であるはずだと。
——あの出来事が起きるまでは。
異変が起きたのは、週が明けた火曜日の昼休みだった。
奈央はいつものように、自分の席で〇〇がやってくるのを待っていた。
いつもなら、昼休みになると〇〇が自分の席までやってきて、「ほら、昼飯食べるぞ」と声をかけてくれる。そして二人で机を向かい合わせ、弁当を食べるのが日課だった。
(あれ……〇〇、遅いな……)
お弁当箱を抱えた奈央は、教室を見渡した。
すると、教室の後ろ、窓際のスペースに〇〇の姿があった。
しかし、〇〇は一人ではなかった。
「あはは! マジで? 〇〇くんって意外とドジなんだね〜!」
楽しそうな女子生徒の笑い声が聞こえてきた。
クラスでも明るくて人気のある女子生徒数人が、〇〇のデスクを囲んで楽しそうに話している。〇〇も、いつも奈央に見せる素っ気ない顔とは少し違う、年相応の爽やかな苦笑いを浮かべながら会話に応じていた。
「いや、ドジっていうか、あの時は慌ててたからさ……」
「絶対ウソだ〜! 今度その話、もっと詳しく教えてよ!」
「はいはい、機会があればな」
会話が弾んでいる。
〇〇は、楽しそうに笑っていた。
その光景を見た瞬間、奈央の胸の奥が、ドクンと嫌な音を立てた。
(……え?)
息が、うまく吸えない。
胸の真ん中が、まるで冷たい氷の刃で刺されたかのように、激しく痛み出した。
〇〇が、私以外の女の子と話している。
〇〇が、私以外の女の子に向けて笑っている。
いつも私に向けられているはずの〇〇の意識が、時間がいま、完全に他の女子へと奪われている。
「あ……ぅ……」
奈央は立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。
行かなきゃ。〇〇のところに行って、「私の〇〇なんだから取らないで」って言わなきゃ。
そう思うのに、極度の人見知りと恐怖心が奈央の体を金縛りにする。あの輪の中に入っていくなんて、奈央には絶対に不可能だった。
愛想笑いすら浮かべられず、奈央はただ青ざめた顔で、お弁当箱をギュッと抱きしめることしかできなかった。
数分後、女子生徒たちが離れていき、〇〇が奈央の席へと歩いてきた。
「おい奈央、待たせたな。委員会の日程のことで話しかけられてさ……って、どうした? 顔色悪いぞ」
〇〇が心配そうに顔を覗き込んでくる。
いつもなら、この距離感で覗き込まれたら「〇〇〜!」と抱きつくところだ。
けれど、今の奈央は、どうしても〇〇の顔を見ることができなかった。
「……なんでも、ない……」
「なんでもないって顔じゃないだろ。体調悪いのか? 保健室行くか?」
〇〇が優しく奈央の額に手をかざそうとする。
その手を、奈央はパシッと弾いてしまった。
「……っ!」
自分でも驚くほど強い拒絶。〇〇は手をとめたまま、目を丸くした。
「……奈央?」
「ご、ごめんなさい……! 私、ちょっと……食欲ないから、トイレ行ってくる……!」
奈央はお弁当箱を机に置き、逃げるように教室を飛び出した。
「おい、奈央!?」
後ろから〇〇の呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることができなかった。
手洗い場に駆け込み、鏡を見る。
鏡に映った自分の顔は、ひどくブサイクに歪んでいた。涙がボロボロと溢れて止まらない。
(なんなの……これ……? なんでこんなに胸が苦しいの……?)
胸を強く掻きむしる。
〇〇が他の女の子と楽しそうに話していただけ。ただそれだけなのに、世界が崩れ去ってしまうかのような絶望感と、激しい怒りと、悲しみが波のように押し寄せてくる。
(嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! 〇〇が他の女の子を見るなんて嫌! 〇〇の笑顔は、私のものなのに! 私だけのものなのに……っ!)
その時、奈央は雷に打たれたかのように、自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
今まで「幼馴染だから」「唯一の理解者だから」という言葉で誤魔化してきた自分の感情。
〇〇の背中に抱きつくのが好きだった理由。
〇〇の部屋で一緒に過ごすのが幸せだった理由。
〇〇に甘えて、我儘を聞いてもらうのが心地よかった理由。
それは全部、〇〇を「一人の男性」として愛していたからだ。
「私……〇〇のことが……好きなんだ……」
ポツリと漏れ出た言葉が、洗面所に虚しく響く。
幼馴染という安全な立場に甘えて、〇〇の優しさに寄りかかっていただけだった。
〇〇は普通の男の子で、いつか他の女の子を好きになって、自分の元から去っていってしまうかもしれないのだという現実に、今更になって気づいてしまったのだ。
「嫌だよぉ……〇〇……」
奈央は冷たい洗面台に突っ伏し、一人で声を殺して泣き続けた。
その日以来、奈央の様子は明らかに可笑しかった。
登校時、いつもなら〇〇の背中に飛びついてくるはずの奈央が、一定の距離を保ってトボトボと歩いている。
「……奈央、お前本当に体調悪いんじゃないのか? 病院行くか?」
〇〇が心配して顔を覗き込むと、奈央はビクッと体を跳ねさせ、顔を真っ赤にして後ずさりした。
「だい、大丈夫! 全然体調悪くないから!」
「じゃあなんでそんな離れて歩いてんだよ。いつもみたいに引っ付いてこないし」
「つ、いつも引っ付いてなんか……! 私だって、少しは分別くらいあるもん!」
「……は?」
〇〇は首をかしげた。
学校に着いてからも、奈央は〇〇と目を合わせようとしない。話しかければ返事はするものの、以前のような無邪気な甘えや我儘は鳴りを潜め、どこか余計にギクシャクしていた。
(俺、何か怒らせるようなことしたか……?)
〇〇は頭を悩ませた。
火曜日にクラスの女子と話していたのが原因かとも考えたが、なぜそれで奈央が不機嫌になるのかが分からない。奈央は人付き合いが苦手だから、〇〇が取られたような気がして拗ねているのだろうか、程度にしか思えなかった。
そして、運命の金曜日。
放課後、〇〇は担任から頼まれたプリントの整理をするため、教室に残っていた。
奈央は自分の席で、〇〇が終わるのをじっと待っていた。他の生徒たちはすでに下校しており、教室には二人きりだった。
「よし、これで終わりっと」
〇〇が作業を終え、息を吐く。
「待たせたな、奈央。帰る……」
そこまで言ったところで、教室の扉がガラッと開いた。
「あ、〇〇くん! まだいた!」
入ってきたのは、火曜日に〇〇と話していたあの女子生徒だった。
「あれ、どうしたの?」
「あのね、さっきの委員会の資料、先生に渡しておいてくれないかなって思って! 私これから部活で忙しくて……お願いできる?」
女子生徒はそう言って、可愛らしく手を合わせた。距離が近い。
「あ、ああ、いいよ。職員室に持っていけばいいんだな?」
「うん! 助かる〜! 〇〇くんって本当に頼りになるね! じゃあね!」
女子生徒はひらひらと手を振り、教室を去っていった。
ほんの数十秒のやり取り。
だが、その一部始終を見ていた奈央の中で、何かがプツリと切れた。
「……〇〇のバカ」
小さく、掠れた声が聞こえた。
〇〇が振り向くと、奈央が激しく肩を震わせて立っていた。
その瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
「奈央……?」
「バカ! 鼻下伸ばしちゃってバカ! 誰にでも優しくしてバカ!」
「な、何言ってるんだよ、急に……!」
「〇〇の意気地なし! 私の気持ちも知らないで……他の女の子に鼻下伸ばして……っ!」
「鼻下なんて伸ばしてねぇよ! ただ頼まれごとをされただけで——」
「そういうのが嫌なの!!」
奈央の絶叫が、夕暮れの教室に響き渡った。
「私が……私がどれだけ〇〇のこと好きなのかも知らないで! 他の女の子と楽しそうに話さないでよ! 私だけを見てよ! 私だけの〇〇でいてよぁぁぁん!」
「っ……!!」
〇〇は息を呑んだ。
涙をポロポロとこぼしながら、顔を真っ赤にして叫ぶ奈央。
人前では話すことすらできず、愛想笑いしかできなかったあの奈央が、感情を爆発させて自分に叫んでいる。
そして——「好き」という言葉。
「奈央……お前……」
「……うぁぁぁん! もう嫌い! 〇〇なんて大嫌い!」
自分の口から飛び出した告白に自分自身でショックを受けたのか、奈央は顔を両手で覆うと、鞄を掴んで教室を飛び出していった。
「あ! 待て、奈央!!」
〇〇は弾かれたように追いかけようとしたが、廊下に躍り出た時には、奈央の走っていく後ろ姿が遠ざかっていくところだった。
「クソッ……!」
夕陽が差し込む廊下で、〇〇は一人立ち尽くした。
奈央の叫びが、耳から離れない。
『私がどれだけ〇〇のこと好きなのかも知らないで!』
『私だけを見てよ! 私だけの〇〇でいてよ!』
(奈央が……俺を……?)
〇〇の胸が、激しく高鳴り始めた。
今まで「対応に困る幼馴染」「放っておけない妹みたいな存在」だと思っていた。
肉付きが良い体を押し付けられるたびに意識しつつも、「奈央は無自覚だから」と自分に言い聞かせて感情に蓋をしてきた。
けれど、違っていたのだ。
奈央は無自覚なんかじゃなかった。
そして自分自身も——奈央が他の男と話すのを想像しただけでイラッとしていたこと、奈央の笑顔を守りたいと思っていたこと。
(俺も……ずっと、奈央のことが……)
〇〇は拳を強く握りしめた。
「逃がすかよ、バカ……!」
〇〇は階段を駆け下りた。
奈央は、学校近くの小さな公園のブランコに座っていた。
夕陽が公園全体をオレンジ色に染めている。
ブランコをゆらゆらと揺らしながら、奈央は自分の膝の上に涙をぽたぽたと落としていた。
(言っちゃった……言っちゃった……)
言ってしまった。長年の幼馴染という関係を壊す、最低で最高のわがままを。
(あんなこと言われたら、〇〇困っちゃうよね……。私なんかが彼女になれるわけないのに……。もう、〇〇の部屋にも行けないのかな……。背中に抱きつくこともできないのかな……)
後悔と恐怖で、胸が押し潰されそうだった。
〇〇に嫌われたかもしれない。明日から、〇〇すら自分と口をきいてくれなくなったら、自分には本当に何も残らない。
「うぅ……うっ……〇〇……ごめんなさい……」
小さな肩を縮こませ、子供のように泣きじゃくる。
その時。
「ハァ……ハァ……! つけた……!」
荒い息遣いと共に、公園の入口に影が落ちた。
奈央が弾かれたように顔を上げると、そこには息をゼーゼーと切らせ、汗だくになった〇〇が立っていた。
「〇……〇……?」
なぜ、ここに。
逃げてきた自分を、追いかけてきてくれたのか。
〇〇は膝に手をついて息を整えると、ゆっくりと奈央の方へ歩み寄ってきた。その目は、今までに見たことがないほど真剣で、まっすぐに奈央を見つめている。
「ひっ……!」
奈央は怖くなって、ブランコから立ち上がり、後ずさりしようとした。
「来ないで! ごめんなさい! さっきのは……さっきのは全部忘れて! 私の頭がおかしかったの! だから……だから嫌いにならないで……!」
泣き叫ぶ奈央。
だが、〇〇はその言葉を無視して歩みを進め、逃げようとした奈央の手首をガシッと掴んだ。
「きゃっ……!」
そのまま引き寄せられ、奈央の体は〇〇の胸の中にすっぽりと収まった。
むにゅ、と奈央の胸が〇〇の胸板に押し当てられる。
いつもなら〇〇が焦って押し戻すような体制。けれど、今の〇〇は奈央を離そうとせず、むしろその背中に腕を回し、強く強く抱きしめた。
「うおっ……相変わらず柔らかいな、お前……」
「へ……? 〇〇……?」
頭上から聞こえる〇〇の声。
そして、自分の耳に直接届く、〇〇の激しい鼓動の音。
ドクン、ドクン、ドクン、と、ものすごい速さで打ち鳴らされている。
「〇〇……心臓、すごく速いよ……?」
「誰のせいだと思ってんだよ、バカ」
〇〇は奈央の頭に顎を乗せ、深く息を吐いた。
「お前が急に飛び出していくから……必死で探したんだぞ。走って、学校の周り全部探して……」
「あ……ごめんなさい……」
「謝るな。……謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」
〇〇はゆっくりと体を離し、奈央の両肩を掴んだ。
夕陽を背にした〇〇の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。
「俺、鈍感だった。お前が人付き合い苦手だから、俺に依存してるだけだと思ってた。……でも、違ったんだな」
「〇〇……」
「お前が他の女子に嫉妬して泣いた時……俺、本当はすごく嬉しかったんだ。……俺さ、お前が他の男と話すのも、お前が俺以外の奴に甘えるのも、昔から絶対嫌だった」
〇〇のまっすぐな言葉が、奈央の心に直接響いていく。
「素っ気ない態度取ってたのは、お前が急に抱きついてきたりするから……理性が保てなくなりそうだったからだよ。お前のこと、ずっと一人の女子として意識してたんだ」
「え……? 意識……って……?」
奈央は目を見開いた。信じられないというように、呼吸を忘れて〇〇を見つめる。

〇〇は深呼吸をし、奈央の目を逃さずに見つめた。
「奈央。俺はお前が好きだ。幼馴染としてじゃなくて、一人の女の子として」
「っ……!」
「お前が人付き合い苦手でも、友達がいなくても関係ない。俺が一生、お前の面倒を見る。俺だけのものになってくれ。……俺と、付き合ってください」
夕空の下で紡がれた、あまりにもまっすぐで、完璧な求愛。
奈央の頭の中が真っ白になった。
夢だろうか。自分が一番望んでいた、けれど絶対に叶わないと思っていた奇跡が、今目の前で起きている。
「う……あ……」
声にならない声が漏れる。
涙が、再び溢れ出してきた。けれど今度の涙は、悲しい涙でも、苦しい涙でもなかった。
胸の奥から溢れ出てくる、温かくて甘い幸福感。
「〇〇ぉぉぉ……っ!」
奈央は叫ぶと、自分から〇〇の首に抱きついた。
ドスンと、いつものような、いや、いつも以上の力で〇〇に体当たりする。
「ぐおっ……! だから重いって……!」
「重くないもん! 私の愛の重さだもん!!」
奈央は〇〇の胸に顔を押し付け、声を上げて泣きじゃくった。
「好き……! 好き好き大好き! 〇〇が大好き……っ! 私の私だけの〇〇にしてくれてありがとう……っ!」
「はいはい、分かったから。泣くなって……」
〇〇は困ったように笑いながらも、奈央の背中を優しく撫でた。
その柔らかくて温かい感触を、今度は包み隠さずに愛おしいと感じながら。
それから、一ヶ月が経った。
二人の関係は、周りから見れば「何も変わっていない」ように見えた。
登校中、相変わらず奈央は〇〇の背中にムギュッと抱きつき、〇〇は「重い、離れろ」と文句を言っている。
だが、決定的な違いが一つだけあった。
「〇〇〜! 今日のお弁当、〇〇の好きな唐揚げ入れてきたよ!」
昼休み。奈央は自分の机を〇〇の机にくっつけ、嬉しそうにお弁当箱を開けた。
「お、マジで? サンキュ」
〇〇が唐揚げを一つ摘んで口に運ぶ。
「美味い」
「ほんと!? えへへ、頑張って作った甲斐があったなぁ〜!」

奈央は満面の笑みを浮かべ、〇〇の腕にすりすりと頬を寄せた。
「おい、奈央。クラスの奴らが見てるぞ」
「いいの! だって私たち、付き合ってるんだもん! 堂々としてればいいの!」
そう、二人は「恋人」になったのだ。
まだ奈央の人見知りは直っておらず、他のクラスメイトと話す時はオドオドして愛想笑いを浮かべてしまう。友達も相変わらず〇〇しかいない。
けれど、奈央の表情から「寂しさ」や「不安」は完全に消えていた。
自分が〇〇にとって特別な存在であり、〇〇が自分だけのものになってくれたという絶対的な安心感が、彼女を内側から輝かせていた。
「ねえねえ〇〇、今日の放課後、〇〇の家行っていい?」
「いいけど……何するんだよ」
「んーとね……ひざまくらしてあげる!」
「なんでお前が上から目線なんだよ」
「いいでしょ〜? 私の太もも、柔らかくて気持ちいいよ?」
奈央は自分のむっちりとした太ももをポンポンと叩いてみせた。〇〇は顔を赤くして「バカ言え」と頭を突っついたが、拒絶はしなかった。
「……じゃあ、放課後な」
「うんっ! 約束!」
二人は顔を見合わせ、照れくさそうに笑い合った。
相変わらず対応には困るし、距離感は近すぎるし、我儘ばかり言われる。
けれど、〇〇にとってその「困りごと」は、世界で一番愛おしい幸せの形だった。
不器用で、甘えん坊で、自分しか見えない天真爛漫な彼女。
二人だけの特別な時間は、これからもずっと、ずっと続いていく。
