祖母菓子で育った私と、母ちゃんの命日
アメトーークを見ていた。
「昭和お菓子大好き芸人」の回。
そこで、ロバート秋山さんが言っていた。
「おばあちゃんの家に必ずある、祖母菓子」
その瞬間、何かがつながった。
あれ?
うちの母ちゃん、それ、日常だったわ。
今の40代ママって、若い。
見た目も、感覚も、ほんとに若い。
でも、私が小学生だった昭和の時代。
うちの母ちゃんは、すでに戦前生まれだった。
40歳の時に産まれた子供が、私。
だからなのか。
まわりのお母さんと、なんか違う。
子供心に、そこは確実に感じていた。
たぶん、当時の40代の「貫禄」は、今とは桁違いだったんだと思う。
そして、その貫禄は。
お菓子の趣味にも、しっかり出ていた。
金城製菓のミックスゼリー。
プルプルゼリーの口のつもりで食べると、
「あれ?」
となるやつ。
藤田製菓の巻き五家宝。
子どもには、だいぶ渋すぎるやつ。
それを母ちゃんは、日常的にすすめてくる。
大和製菓の、やまとの栗ぼうろ。
この3つが、うちのスタンダードだった。
チョコでもなく。
スナックでもなく。
キラキラしたお菓子でもなく。
祖母菓子界のビッグスリー。
それが、我が家では日常茶飯事だった。

でも私には、救世主がいた。
8個上のお姉ちゃん。
さすがに、お姉ちゃんも母ちゃんの祖母菓子ラインナップに、何か思うところがあったのだろう。
チョコチップクッキー。
チーズビット。
カール。

そういう、ちゃんと子どもが「わーい!」となるお菓子を、自分のお小遣いでこっそり買ってきてくれた。
私はその両方が、大好きだった。
母ちゃんが出してくれる、渋いお菓子も。
お姉ちゃんが買ってきてくれる、今どきのお菓子も。
どっちも好きだった。
つまり私は。
祖母菓子と現代お菓子の、二刀流で育った子供だった。
この記事は、7月11日に投稿するつもりです。
母ちゃんの命日です。
正直、うっかり忘れかけていた。
でも、秋山さんが「祖母菓子」って言ってくれたおかげで、思い出せた。
ああ、そうだ。
母ちゃんの日だ。
そう思った。
今年もちゃんと、お供えしました。
母ちゃん、ありがとう。
秋山さんも、ありがとう。
祖母菓子って、すごい。
忘れかけていた記憶まで、ちゃんと連れて帰ってくる。
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