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なんにもないとこって、ない

こんばんは。

みーちゃんPです。

熊本へ行くかどうかで、
二週間、迷いました。

今日は、その話です。

行ってきたよ、という自慢でもないし、

みんなも行こうよ、という呼びかけでもありません。

ただ、迷って、確かめて、行って、帰ってきた。

その間に見たものを、書いておきたいのです。

※見出しの画像は、華子さんの「小さな一歩 熊本応援プロジェクト」からお借りしました。

熊本のために、それぞれができる小さな一歩を持ち寄る企画です。

▷ 華子さんの記事はこちら

楽しみにしていた旅でした

八月に、旅行の予定がありました。

熊本の、天草。

旦那と、ふたり。

クロコ(クロードコード)というAIの道具で、
生まれてはじめて、自分で旅のしおりアプリを作りました。

持ち物を書いて、行きたいお店を並べて、

出発の日を、指折り数えていました。

七月二十八日。

地震が来ました。

震度七。

旅の、十日前でした。

焦って、キャンセルしました

テレビをつければ、崩れた家が映っていました。

スマホを開けば、揺れる映像が流れてきました。

こんなときに、旅行なんて。

そう思って、宿に電話をしました。

キャンセルの、電話です。

でも、電話に出たご主人は、こう言いました。

「うちは普通に営業してます。道だって大丈夫なのに」

そのあとに、ぽつりと。

「また、キャンセルだ」

——これは、私が勝手に想像しただけなんですけど。

ちゃんと営業できているのに、

悔しそうな感じが、しました。

胸が、痛みました。

私は「大丈夫ですか」とは聞いたけれど、

「営業していますか」とは、聞いていなかった。

危ないと思い込んで、確かめもしないで、
キャンセルの電話をかけていました。

「普通に営業できているのに」

その言葉が、なんだか、ざわざわしました。

引っかかった、というか。

でも。

その感じに引っぱられるまま、
「やっぱり行きます」と決めるのも、違うと思いました。

そこから、確かめはじめました

テレビでもなく、SNSでもなく。

自分で、聞いてみることにしました。

熊本空港は、地震の日に一度閉まって、その夜に再開して、
翌日にはほとんどの便が飛んでいました。

予約していたお寿司屋さんにも、電話をしました。

大将は、こう言いました。

「うちも普通に営業しています。
高速の一部がだめなので、下道になります。混むかもしれません。

来てもらってもいいし、キャンセルしてもかまいません」

そして、こうも言ってくれました。

「今すぐ決めなくて、いいですよ」

道は、震度七だった街を通り抜けるルートしかありませんでした。

でも下道なら通れる。
いざとなれば、フェリーで海から迂回もできる。

空港から天草へ行く直行バスは、地震のあと数日は止まっていたけれど、
そのときにはもう、動きはじめていました。

バスが走っている。それは、道が通れるということでした。

断水は、たしかにありました。

でも天草は、広い。

私が泊まる宿も、行くお寿司屋さんも、水は普通に出ていました。

——ひとつずつ聞いていくと、

赤信号だと思っていたものが、
ほとんど、青になっていきました。

それでも、こわかった

正直に書きます。

こわかったです。

地震が、こわかった。

また大きいのが来たら、どうしよう。

そう考えると、やっぱり行かない、という気持ちになりました。

〜母ちゃんの言葉〜

決められないまま、何日か過ぎました。

そのとき、思い出した言葉があります。

「備えあれば憂いなし」

今はもう天国にいる、母ちゃんの口ぐせです。

不安って、なんだろう、と考えました。

分からないから、こわい。

じゃあ、分かるようにすればいい。

そう思って、備えのリストを作りました。

道が止まったときのフェリーの迂回ルート。

早めの給油。

避難のときにかける一言。

持ち物。

そして——「こわくなったら、いつでも引き返していい」。

不安を、やることリストに変えていったら、

だんだん、足が前に出ました。

母ちゃんの口ぐせが、
迷いから行動への、橋になりました。

〜「風評被害で。うちは通常なのに」〜

行こう、と決めて。

一度キャンセルした宿に、もう一度、電話をかけました。

「予約、復活できるよ。来てください」

ご主人は、そう言ってくれました。

「うちは通常取りです」

水も普通に出ていて、営業も通常だ、という意味でした。

そして、はっきりと、こう言いました。

「風評被害で。うちは通常なのに」

——ああ、と思いました。

最初の電話で、私が聞き取った気がしたあの悔しさは、

気のせいじゃなかった。

本当に、そこにあった痛みでした。

もちろん、同じ県の中には、本当に大変なところがあります。

家が壊れたところも、水が止まったところもあります。

でも、この宿は、通常どおりだった。

その両方が、同じ県の中にありました。

もうひとつ、忘れられないやりとりがあります。

私が「飛行機が飛ばないなどのことがあれば、私から連絡します。
そちらも、営業できなくなったら連絡してくださいね」と言ったときのこと。

ご主人は、こう返しました。

「うちから『営業できない』という連絡は、ありません」

——強い言い方でした。

そんなことは有り得ない、というくらいの。

そして、うれしそうに、こう続けたのです。

「今日も、お客様が泊まりに来てます」

ニュースが熊本の被害を流し続けている、その日に。

それでも、泊まりに来る人がいる。

その事実が、よほどうれしかったのだと思います。

行ってきました

八月十日から、十三日まで。

熊本の、天草へ行ってきました。

そして、この写真を撮りました。



道の駅 不知火。

熊本県、宇城市にあります。

七月二十八日、震度七を観測した街のひとつです。
(もうひとつは、氷川町でした)

行く前の私にとって、そこは
「通り抜けるしかない、こわい場所」でした。

名前だけ知っている、危ない場所。

その道の駅の軒先に、
手書きの看板が、二枚立っていました。

「復興直売所」と「復興食堂」

左の看板には、こう書いてありました。

当社が運営しています「アグリパーク豊野」も
営業再開の目処が立たない状況にあります。

甚大な被害に直面された農家の皆様の想い、
大切な農産物を守るため、
当物産館にて販売を継続してまいります。

——読んで、しばらく動けませんでした。

豊野町にある本店が壊れて、いつ再開できるかも分からない。

それでも、農家さんの野菜を守るために、
もう一つのお店である、この道の駅で、売り続けている。

あとで知ったのですが、

このお店が野菜を並べていたのは、道の駅だけじゃありませんでした。

よそのお店の店先を借り、
テントを張り、
移動販売にも出て、

あちこちで、野菜とぶどうを売っていました。

しかも、店先を貸したお隣のお肉屋さんは、
自分だって被災しているお店でした。

それでも、ご厚意で店先を貸してくださったのだそうです。

被災した人が、被災した人に、売り場を貸している。

そして、右の看板です。

こちらは、食堂の話でした。

本店の中にあったレストランも、同じように、再開の目処が立たない。

だから、こちらの食堂で、一緒に営業することにした、と。

当面の間は、支援して頂く皆様と被災地の交流、また、
支援の記憶を絶やさないとの思いを込め、
当「いさり火」にて共同営業との形で続けていくことに致しました。

食べることで復興を支援して頂ければ幸いです。

「支援の記憶を絶やさない」

この一行を読んだとき、少し、ふるえました。

行く前に、私、こんなことを考えていたんです。

地震って、起きたときが大変なのはもちろんだけど、
そのあとも、ずっと大変じゃないですか。

炊き出しに行ける人は、限られている。

ボランティアも、できる人とできない人がいる。

旅行に行ったり、その土地のものを買ったりは、
もう少し多くの人ができる。

じゃあ、私みたいな人間に、何ができるだろう。

そう考えて、たどり着いた答えが、これでした。

忘れないでいること。

それなら、誰にでもできる。ずっとできる。

いちばん、続けられる支援なんじゃないか。

——それが、看板に書いてありました。

「支援の記憶を絶やさないとの思いを込め」

東京の部屋で私が考えていたことと、
震度七の街の人が手書きした言葉が、

ほとんど、同じでした。

二百八十円の玉ねぎ

その道の駅で、買い物をしました。



玉ねぎ、二百八十円。

押し麦、三百円。

天草の、深海あおさ。

有明海の、のり。

デコポンのジュース。

玉ねぎの値札を見たら、産地は「佐賀県産」でした。

熊本のものじゃなかった。

でも、いいのだと思います。

熊本のモノではないけど、熊本で売っているモノを買った。

出荷しているのは、あの被災したお店です。

払ったお金は、まるごと熊本に落ちる。

それに、と思いました。

道の駅って、熊本のものだけを並べた観光地じゃなくて、

地元の人が、普段の買い物をする場所なんですよね。

佐賀の玉ねぎが、普通に売られている。

それはつまり、あそこが特別な場所じゃなくて、
生活の場所だということでした。

値札に、出荷日が書いてありました。

私が、その街を歩いていた日でした。

地震から、二週間。

畑は動いていて、朝の野菜が並んでいて、
私はそれを三百円で買って帰りました。

〜屋根の上に、人がいた〜

写真には、写っていないものがあります。

真夏の、いちばん暑い時間に、

屋根に登って、作業している人たちがいました。

青い空と、屋根の上の人影。

壊れたまま、止まっているんじゃなかった。

みんな、元にもどるように、一生懸命でした。

レジの方が、教えてくれました。

「地震のあと、何日かで営業を再開したんですよ」

何日だったかは、正直、覚えていません。

ただ、「すぐでした」という、その言い方だけが、残っています。

すこし、誇らしそうでした。

喜んでくれました

宿のご主人も、お寿司屋さんの大将も、

私たちを見て、喜んでくれました。

キャンセルが、続いていたからです。

——電話で「また、キャンセルだ」と嘆いた、あの人。

「風評被害で。うちは通常なのに」と悔しがった、あの人。

「今日も、お客様が泊まりに来てます」と、うれしそうに言った、あの人。

その人が、目の前で、笑ってくれました。

私は、あの電話の日から、
「泊まりに来るお客様」の側に、変わっていました。

でも、揺れました

ここは、正直に書いておきます。

余震は、ありました。

夜中に、びっくりして、起きました。

こわくなかったと言ったら、嘘になります。

だから私は、「行っても全然平気でしたよ」とは書きません。

揺れたし、こわかったし、夜中に目が覚めた。

それでも、行ってよかった。

大変な場所は、本当に大変です。

でも、全部がそうじゃない。

その両方が、同じ県の中にありました。

そして、家に帰ったら

八月十三日。

東京に帰ってきました。

その東京が、大雨でした。

三郷中央ジャンクションが、通行止め。

——なんだか、気が抜けました。

熊本は危ない、家は安全。

そう思って、二週間も迷ったのに。

「安全な家」に帰ってきたら、
そこも、通行止めだったのです。

なんというか、なんにもないとこって、ないと思う。

いいも悪いもない。

みんな、それぞれ自分の軸で動けばいいと思う。

こわいから行かない。

それも、正しい。

私も、ずっとそう思っていたから。

〜家に、熊本が来ました〜


オレンジかなあと思いきや、からし蓮根😆


道の駅で、エコバッグを買いました。

くまモンの、黄色いやつです。

これから、スーパーに行くたびに、使います。

そのたびに、たぶん、思い出します。

あの看板の、手書きの文字を。

屋根の上の、人影を。

二百八十円の、玉ねぎを。

忘れないでいること。

それが、私にできる、いちばん長く続く支援だと思うから。

看板に書いてあった、あの言葉のとおりに。

支援の記憶を、絶やさないように。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

みーちゃんPでした。


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