ドビュッシー 《ヴァニエ歌曲集》Recueil Vasnier
ドビュッシーは、ヴァニエ夫人と出会った1880年からローマ留学が決
まった1884年の間にヴァニエ夫人のために書かれた13曲を一冊の歌曲集としてまとめた。
この歌曲集は、正式に出版されたものではなくドビュッシーの私家本としてヴァニエ夫人へ献呈されている。多くの美しい歌曲を生み出す霊感の源となったヴァニエ夫人への愛と感謝の気持ちが込められていると同時に、ローマ留学により変化するであろう現状への惜別の思いもあったに違いない。
1.〈パントマイム〉Pantomine
ポール・ヴェルレーヌの詩で一八八三年に作曲された。
軽妙でユーモラスな動きと足取りのあとは、繊細なさざ波のよ. うな快感がやってくる。シニカルなヴェルレーヌの一面とドビュッシー音楽のユーモラスな一面がぴったりと一致した好例である。後の〈マンドリン〉や〈操り人形〉にも言えることだが。
2.〈声をひそめて〉Calmes dan le demi-jour (En sourdine)
ポール・ヴェルレーヌの詩で1882年9月に作曲された。
後に《艶やかな宴・第1集》として纏められたときこの曲は新たに作曲されているが、曲はより低い音域が使用されより沈潜したムードになっている。一層ひそめられた声で歌われる大人の官能が漂っている。
これに対しヴァニエ歌曲集では、ソプラノでも高音域が使用されている。そしてこの高音域で歌われる女声の美しさは筆舌に尽くし難い。ピアノパートも魅力的だ。シンコペーションで静かに始まるピアノは、やがて巧みに三連符を交えながら官能的なハイソプラノを煽っていく。
美しいヴァニエ夫人を若きドビュッシーがピアノで紅潮させていく様を彷彿とさせるようだ。
3.〈マンドリン〉Mandoline
ポール・ヴェルレーヌの詩で1882年11月15日にフォン・メック夫人の家族と三度目の旅行中、ウィーンで作曲された。
軽妙洒脱という語句がぴったりの曲だ。マンドリンを擬した軽快なリズムのピアノパートがその和声的な魅力と相俟って一度聴いたら忘れられない印象を残す。聴衆には心地よい快感がもたらされるが、歌もピアノも技術的には高度に難しい。
さらにテンポが問題である。楽譜にはアレグレットと指示されている。
歩く速さのアンダンテと、いわゆる速い速度のアレグロの中間で、やや
速いのがアレグレットであると説明されているが、実際の演奏を聴くと、アレグロに近いアレグレットとアンダンテに近いアレグレットがあるらしいことが分かる。
テンポの好みの問題は、以前に拙著『沈める寺への誘い』(MBC21/東京経済、1998年)においても論じたが、演奏者側及び聴き手側の生理的な好みのテンポに大いに左右されると思われる。
これは、再現芸術である音楽の永遠のテーマでもある。個人的には、この〈マンドリン〉は、速すぎない方が好きだ。だからと言って、間延びしたようなテンポでは困る。難しいところだ。
4.〈月の光〉Clair de lune
ポール・ヴェルレーヌの詩で1882年に作曲された。
ヴェルレーヌの詩の中でもとくにドビュッシーが好きであった『艶やかな宴』の中の一節「月の光」に基づく。
この第1稿と20年後の《艶やかな宴・第1集》の最終稿の間には年月の長さだけではなく明らかな書法の進化がある。しかしながら、音楽を楽しむ側からすれば、どちらの稿が勝るかという問題は、別のところにある。つまり年齢の問題である。個人的には、若い頃は、このヴァニエ歌曲の〈月の光〉の方が好ましかった。直截な若い官能が響いてきたものである。《第1集》の〈月の光〉の深さにしみじみと感じ入っていくようになったのは長じてからであった。この曲集では全てヴァニエ夫人に合わせて音域が高くなっている。それがこの頃のドビュッシーの歌曲の魅力でもある。
5.〈操り人形〉Fantoches
ポール・ヴェルレーヌの詩で1882年に作曲された。
後に《艶やかな宴・第1集》として纏められるときには〈声をひそめて〉と〈月の光〉の間に置かれるが、このヴァニエ歌曲集では、5曲のヴェルレーヌの最期を飾る曲になっている。また、テンポ感のあるユーモラスな曲と静謐な曲が交互に配置されている点もドビュッシーの配慮がうかがわれる。
6.〈死後の艶姿〉Coquetterie posthume
テオフィル・ゴーチェの詩で1883年3月に作曲された。
ゴーティエは、バンヴィルと並び「芸術のための芸術」運動の旗手のひとりでもあった。
英国のラファエロ前派などの「唯美主義」の運動とも呼応した当時のパリの芸術思潮には、音楽家ドビュッシーも敏感であった。と言うより、その思潮が、本来持っていたドビュッシーの性向と響き合ったというべきであろう。
ドビュッシーの初期の文学体験がゴーティエやバンヴィルの詩であったというのもむべなるかなである。死後にまで官能的であろうとするこの耽美も若い情熱の故か。ドビュッシーの音楽もどこか艶めかしい。
個人的には、ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』を思い浮かべてしまう。
7. 〈スペインの歌〉Chanson espagnole
アルフレッド・ド・ミュッセの詩で1883年に作曲された。
女性の二重唱であるが、高音域のソプラノ同士の競演とも言うべきものである。ヴァニエ夫人と別のソプラノ歌手をスペインの闘牛場で(失礼!)対峙させているようなけたたましい迫力だ。艶めかしい姿態で踊るような場面もある。ピアノで煽るドビュッシーと一緒に観客席の私たち聴衆もつい「オーレ!」と声を掛けたくなる。
8. 〈ロマンス〉Romance – Silence ineffable
ポール・ブルジェの詩で1883年9月に作曲された。
ヴァニエ家での若きドビュッシーの心を掴んだ詩人は、ヴェルレーヌと同時にブルジェであった。とくにブルジェはドビュッシーにとってストレ―トに青春の息吹を発露できるテクストであったようだ。ドビュッシーはヴァニエ夫人の声をイメージして、ブルジェの詩に作曲することで存分に若い官能を謳歌できたと思う。ヴァニエ歌曲集の13曲の後半の6曲がブルジェの詩によるものである。
9.〈音楽〉Musique
ポール・ブルジェの詩で1883年9月に作曲された。
ドビュッシーの歌曲は、いずれも個性的なピアノパートの魅力に支えられている。この〈音楽〉でも軽やかで装飾的なピアノが印象的である。
10.〈感傷的な風景〉Paysage sentimental
ポール・ブルジェの詩で1883年11月に作曲された。
恋する心を反映するようにスキップするようなピアノ。移ろいゆく自然も恋する者には甘美な背景に過ぎないのか。時を経て聴くと、ほろ苦い思いも込み上げてくるが、とにかく美しい。
11.〈今はもう春〉Romance – Voici que le printemps
ポール・ブルジェの詩で1884年1月に作曲された。
解き放たれたように悦びがいっぱいの春。何の翳りもない明るい春の芳香が満ち満ちているような曲だ。鳥たちの歌声も恋の疼きに彩を与える要素に過ぎないような。
12.〈アリエルのロマンス〉La Romance ďAriel
ポール・ブルジェの詩で1884年2月に作曲された。
自然の何もかもが若い男女にとっては恋の歌になってしまうのか。
とうとう胸の疼きは甘美な恋の叫びとなる。
13.〈未練〉Regret
ポール・ブルジェの詩で1884年2月に作曲された。
ドビュッシーには珍しくロマン派の音楽のような、作曲家の万感の思いがたゆたうようなテンポのなかに込められた音楽になっている。ローマ留学は、愛するヴァニエ夫人の許を去ることであり、ポール・ブルジェの詩に気持ちを代弁させているようだ。ヴァニエ歌曲の最後を飾る静かな美しい歌曲である。
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《ヴァニエ歌曲集》(〈スペインの歌〉を除く)を聴くには、ドーン・アップショウの名盤があります。メトの指揮者・音楽監督だったジェームズ・レヴァインのピアノ伴奏という豪華版です。
《忘れられた小唄》と《ボードレールの五つの詩》も収録されています。

