【短編小説】朝活
「行ってきます」
靴を履きながら針に糸を通すかのように吐き出すこの言葉は朝の清々しさと寂しさを同時に感じる。休日の朝はこうして朝早くから散歩をし、まだ起きてない街を眺めながらゆっくりとした時間を過ごすのがルーティンとなってからもう随分と経つ。それは彼女と同棲を始めてからも変わらなかった。最近は暑くなってきて、お気に入りの短パンと半袖のTシャツが少し涼しい風に揺られて肌に触れる感触が心地よい。暗がりだった街並みが静かに色づき始める。1時間ほど散歩をした後に自宅から近いカフェに入った。お気に入りの小説を読みながら朝ごはんを済ませた。カフェに入って1時間半ほど経った頃、ふと携帯を見ると通知が4件入っていた。
愛来:おはよ〜
愛来:今起きたよ〜
愛来:いつものカフェにいる?朝ごはん買ってき てほしい🙏
愛来:(うさぎのスタンプ)
彼女の愛来(あき)は私と違い早起きが苦手で、休日は一日中寝ている時もある。広告代理店の営業で働いており毎日仕事で忙しくしていて、帰りも遅い日が多い。ただ、彼女はそんなにハードで忙しい仕事が好きなようで私に仕事の話をいつも楽しそうにしてくれた。私は公務員で市役所に勤めているためルーティンのような私の仕事とは違うスケールの大きい仕事や様々な業界に関わっている彼女の話を聞くのが好きであった。金曜日の昨日も帰りが遅かったからきっと仕事の話をたくさんしてくれるのだろう。そんなことを考えながら私は朝ごはんのホットサンドとアイスコーヒーを買って家に戻った。
「おかえり〜今日は何してたの?」
愛来は鏡の前で髪をとかしながら言った。
「散歩にでも行ってたんだよ。」
私は散歩に出かける時は散歩に行ってたと伝えるが、散歩以外にカフェに入ったり本を読んだりする時には「散歩にでも」という表現をする。
「でた、大ちゃんのにでも〜」
愛来がこの口癖に気づくのには時間はかからなかった。付き合ってから1ヶ月ほどで私が複数やることがある場合にそのメインとなる活動に「にでも」を付けて伝えることを指摘された時は少し恥ずかしい気持ちと同時にそんな細かいところまで気づく彼女が愛おしくてたまらなくなった。
愛来と出会ったきっかけは市役所の同僚に無理やり誘われて数合わせで行った合コンである。私は少し遅れて行ったのだが、すでに女性3人と同僚2人が楽しそうに談笑していた。そこで一際その場を明るく盛り上げていたのが愛来であった。私は起きる時間や仕事の内容、休日の過ごし方まであまり変わり映えのしない生活をしていて、それが心地よいと思っていたのだが、愛来から聞く話はそれとは真逆だった。休日は日によって起きる時間も寝る時間も違い、寝る前には毎晩晩酌をする。さらに仕事の内容はクライアントによって業界もその規模も全く違う。そんな違う世界に生きている愛来に私はなぜかすごく惹かれた。女性に連絡先なんて聞いたことないのだが、気がついたら連絡先を交換していた。
「大地くんって私と全然違くてきっちりしてるよね、すごいね」
私からしたら愛来の方がすごいことをしているように思えるのだが、愛来はルーティンになっている私の日常をとても褒めてくれた。同棲を始めた今でも時々2人で晩酌をすると愛来は私の日常を褒める。
朝ご飯を食べながら愛来はワイドショーを見始めた。私もなんとなく隣に座り小さいテレビに目を向ける。辛口で評判のコメンテーターが今日もその毒舌っぷりを遺憾なく発揮していた。
「あ、この企業うちの会社が広告の企画出してるよ」
テレビの方を向いて愛来が話し始める。
「え、この人パワハラしてたんだ。私会ったことあるよ。いい人に見えたけどな〜」
愛来と一緒にいるとたまにこういった場面に出くわす。愛来が企画したCMを実際にテレビで目にすることもあった。
「そうなんだ〜」
私は特に話を広げるわけでもなく彼女の話を聞いていた。
ワイドショーを見終わり彼女が私に尋ねた。
「今日も勉強?」
「うん、とりあえず家でお昼を食べてから勉強しにでも行こうかな」
私は市役所で毎日同じような仕事をすることに一つも不満はなかったのだが、同僚の勧めで最近、行政書士の資格の勉強を始めた。休日もいつもの朝活をした後に家でお昼ご飯を食べ、その後は資格の勉強をしに行くのが最近のルーティンであった。
「またにでも〜だ、はいはい、読書もするんでしょ」
愛来は笑いながら寝室に行ってゴロゴロし始めた。
「なんかな〜本当に大ちゃんってきっちりしてるよね。なんか置いてかれてるみたい。」
愛来がらしくないことをポロッと言った。私はその発言に少し引っかかったがいつものようにスマートフォンで休日に見るドラマを探しながら明るい声色で言っていたため深掘りはしなかった。
勉強と読書を終え帰ってきた私は寝室で寝ている彼女を横目に夕飯の準備を始めた。私は昼間の発言が少し気になっていたため彼女の大好物であるハヤシライスを作ることにした。彼女は濃い味が好きなので煮込み時間は長くする。
「え!もしかして今日ハヤシライス??やった〜ちょうど食べたかったんだよね〜」
キッチンに颯爽と入ってくる彼女にスプーン一杯分のハヤシライスを小皿に入れ、渡した。私が料理をしている時に愛来がキッチンに入ってくるのは大体味見である。
「今日も美味しいね!さっすが大ちゃん」
いつものようにキラキラした顔の彼女を見て私は安心していた。
2人でハヤシライスを食べた後は久々に晩酌をした。彼女は酔ってからが長く、ずっとお酒を飲んでいる。そして私をすごく褒める。
「大ちゃんって本当にすごいよね!私は休日そんなに早く起きれらいもん」
「勉強もえらいでちゅね〜」
飲み過ぎている彼女の褒め言葉を軽く流しながらこの日は夜中の2時まで晩酌をした。
「明日は何するの?」
「そうだなー散歩にでも出かけようかな」
「またにでもだ〜」
付き合ってから何百回も繰り返したやり取りを済ませた後、私たちは就寝した。
「行ってきます」
この日の朝も玄関で小さくつぶやいた。またいつもの休日が始まった。昨日の「置いてかれてるみたい」という彼女の発言がまだ私の中で引っかかっていたが昨日の様子を見て心配ないだろうと思いいつも通りの朝活を楽しんだ。今日は雲行きが怪しく、暗がりだった街は時間が経つごとにモノクロに変わっていった。
いつもなら起きている時間に彼女からの連絡がないことに気づいたのはカフェに入ってから2時間後のことだった。私はいつものホットサンドとアイスコーヒーを買い、自宅に戻った。
「ただいま〜愛来ー?起きてる?朝ごはん買ってきたよ」
「おーい、愛来ー?」
彼女の姿がどこにも見当たらない。私の声はだんだんと大きくなった。玄関を見て、出かけた形跡はない。私は家中を探した。しかし、私の大きい声が部屋の壁に反響するだけで物音ひとつしなかった。私は慌てて家を飛び出した。彼女が行きそうなお店を回っては焦りを募らせていた私は傘も持たずに家を飛び出していたため頭から足先まで濡れていた。
結局どこにも彼女の姿はなく、諦めて家に帰った私は家の雰囲気が1時間前と違うことに気がついた。急いで廊下を通り過ぎるとリビングのソファに座っている彼女の姿があった。
「おかえり、大ちゃんびしょびしょだね」
一口かじったであろうホットサンドがテーブルに置かれていてアイスコーヒーはストローも刺さっていない。その声色には昨日までの明るさは無くなっていた。
「びしょびしょだねじゃないよ。どこにいたの?心配して近くのお店回ってきちゃったよ」
私は心配のせいか口調が強くなっていた。
「クローゼット奥にいたよ。なんだか1人になりたくて。ごめんね、心配かけて」
怯えたようなその声色は私の強い口調を反省させるには十分だった。
「私さ、もう仕事行きたくない。辞めたい。」
私は彼女の言葉を聞き、昨日の発言を思い出し突然辞めたいと言い出した彼女の表情を見ながらいったい何があったのかということに頭をフル回転させていた。黙り込む私に彼女が続ける。
「私ね、去年担当した仕事でプレッシャーに負けてミスしちゃったの。そこから社内での私への視線が変わったような気がしてミスが増えるようになったんだ。会社に行くと動悸が早くなるし過呼吸にもなったこともある。ごめんね今まで黙ってて」
私の知らなかった自分の状況をボソボソと話し始めた彼女に私から気の利いた言葉は出てこなかった。
「そっ…か」
なんとか振り絞ったこの言葉に私は自分の無力さを実感した。私は自分のことばかりで同棲してから愛来との時間を作ろうとしていなかった。なんで気づけなかったのだろうか。愛来が言ってこなくても仕事のことや最近のことを気にかけることもできたはずだった。愛来はきっと自分の生活リズムがある私に迷惑がかからないようにしていたのだ。元々彼女が人に頼るのことができない性格なのをわかっていたはずなのに。そんなことばかりが私の頭の中に出てきては消えていた。
明らかに困ったような顔をしていた私に彼女が続けた。
「大ちゃんはいいよね。定時には帰れるし、職場の環境もいいしなんもストレスなんてないもんね」
「本当にごめんなんだけど、いまは頑張ってる大ちゃんも素直に応援できないし、そんな自分がすごく嫌になる。大ちゃんを見るたびに比較して自分が何にもできない人間だと思ってしまう私がすごく嫌なの」
私は何も言えなかった。ただ愛来の話を聴くことしかできなかった。絶対に泣いてはいけないと思い涙を堪えた。私ができることは徐々に霞んでいく愛来の姿から目を逸らさないことだけだった。
次の日、私はいつも通り仕事に行った。いつもなら無くなっている彼女の靴は玄関に綺麗に並んでいた。彼女は仕事を休職した。昨日は一日中暗い表情をしていた愛来だが、ずっと落ち込んでいるわけでもなく、また日常が戻ってきた。ただ家での私たちの会話はどこか辿々しくまるで知り合ったばかりかのような緊張感があった。私は仕事の話や自分の勉強の話をなるべくしないようにしていた。見ているテレビ番組の話や近くのパン屋さんの話、彼女も知っている私の友達の話などを彼女は生気がなくなった目で笑いながら聴いていた。彼女は私の「にでも」という口癖も指摘しなくなった。
休日も私はいつも通り早く起きた。生活習慣というのはそう簡単には変わらない。試験も近づいてきたため、休日に散歩をする時間は私にとって気持ちを整理するのにもリフレッシュにも大事な時間だった。ただ、朝早く出かける私を見て愛来はどう思うのか、そんなことを気にするようになったため彼女を起こさないように、部屋着で出掛けるようになった。散歩中に立ち止まってぼーっと眺める緑が生気に満ち溢れていた彼女を思い出させた。
休職してしばらく経った頃、私は愛来を何度か休日の朝の散歩に誘った。
「起きれたらね〜」
そう言ってやんわりと断る愛来の声色はだんだんと明るくなってきていたが、散歩に一緒に行くことはなかった。愛来が起きる時間にはアイスコーヒーの氷もすぐに溶けてしまうような気温になっていたため外にでるのは億劫になっているようだ。
この日も1人で散歩に出かけたのだがその帰りに新しくカフェがオープンしているのを見つけた。私はすぐにそのことを彼女に話し、明日の朝一緒に散歩をしてそのカフェに行こうと誘った。「え〜起きれないよ」といつも通りに言う彼女。
「まあ、無理にとは言わないけどさ外に出るのもいいもんだよ最近はずっと家にいるでしょ?休職って言ってもずっと寝てなきゃいけないわけじゃないしせっかくなら朝から一日を楽しんでみるのもいいんじゃない?」
私は初めて彼女の休職のことに触れた。
「まあ、起きれたらね」
いつも通りの返事をしながら少し私に笑いかけた彼女は朝ごはんを食べながら少し嬉しそうな様子だった。
次の日、いつも通りに起きた私は隣に並んだベッドを確認する。そこに彼女の姿はなかった。リビングに行くと着替えを済ませた愛来がソファに座っていた。
「おはよー今日は私の方が早かったね。密かに絶対大ちゃんより早く起きようって決めてたんだー」
こういうなんともないことを楽しめて明るい愛来を久しぶりに見た私は涙が堪えられなくなっていた。
「え?なんで泣いてるの?大ちゃんはよく泣くね。もう〜散歩行くよ?私、初心者だから置いてかないでね!」
からかうように愛来が私の顔を覗き込んだ。
「置いてかないよ、置いていかないから」
泣いているはずなのに彼女の姿ははっきりと見えていた。2人で久しぶりに立つ朝の涼しい空気に包まれた玄関はいつもより暖かく感じた。彼女が私より先に玄関を開ける。
「じゃあ、散歩にでも出かけようか?」
あとがき
私は夜更かしするのが苦手です。そして朝活が好きです。朝の澄んだ空気に包まれながらゆったりとした時間を過ごすことは私の生活には欠かせません。そんなことを考えながら「ASAKTSU」という曲を作りました。
この小説は「ASAKTSU」をより楽しんで聴いてもらうために書いた作品です。物語と音楽を一緒に楽しんでくださると幸いです。
