十二星座物語(エピソード⑥)
第6番目の部屋、そこはこれまで内側に閉じ込められていた想いが外側の世界と接触していく領域。乙女座の有紗(ありさ)にとって、仲間の牡羊座の奏斗(かなと)と、魚座のめぐるの存在は特別だった。彼女の繊細かつ純粋でひたむきな姿が、二人の男性の間で揺れ動く。有紗が二人の親友に向けた本当の想いとは?
真珠星のパルテノス
私は今、どこにいるんだろう?この景色、いつかどこかで見たことがあるような…おそらく、次元の違う世界の桃源郷に迷い込んでいる。
もう何日も時間と空間の狭間を彷徨っている。ここにはたくさんの扉があるけれど、いったいどこから出ていったらいいのか分からない。ちゃんと帰らなきゃ…でも、いったいどこへ……。薄れていく記憶の中、あてもなくふらふらと歩いていると、ふと懐かしい声が頭をよぎる。
「有紗!アリー!!」
私は中学の頃にこの街に引っ越してきた。田舎だけど温暖で気候も良く、おまけに海のない内陸に住んでいた私には、ここの潮風が何より特別だった。ゆるやかな潮騒と澄んだ空気がここの人々を守っている、そんな風の街…。
自宅の近所に駄菓子屋さんがあって、そこのおばあちゃんが、この街を知らない私を孫のようにかわいがってくれた。入口のマットセンサーの前で、ピョンピョンと二回飛び跳ねると、開いた扉の向こうで、優しい笑みを浮かべたおばあちゃんの「いらっしゃい!」の声が聞こえる。後になってそこは、めぐるのおばあちゃんの家だって分かった。それ以来、あの場所は、奏斗とめぐると「私たち」三人の大切な居場所になった。
🦪
「私ね、このひつじのぬいぐるみが相棒なのよ」
「今、何て言った?ひつじのぬいぐるみ!?」
「そう!アリーがいないと私、眠れないの」
有紗のカミングアウトに奏斗はすかさず、
「子どもかよ!」
と笑って突っ込みながら、おどけてアリーを優しくハグしてみせた。
その横で、めぐるがお腹を押さえてくすくす笑っている。
「アリー」は有紗が大事にしているひつじのぬいぐるみの愛称だ。いつも彼ら三人と一緒だった。有紗だけではない。奏斗が部活で脚を怪我した時も、めぐるの成績が落ち込んで、学校を休みがちになった時も、そのひつじは彼らに忠実であり、寄り添って傍にいることで、彼らを守り、癒していた。
中学で同じクラスになり、席が近かったことがきっかけで、三人で過ごす時間が長くなっていく。どこへ行くにも三人。この三人でいると心が不思議と落ち着いて過ごせる。リーダー気質で、率先して前に出てくれる奏斗の男らしさと、誰に対しても優しさと思いやりを持って接するめぐるの人柄に、有紗は家族以上の心地よさを感じていた。
三人はそれから同じ高校に行き、三年間を共に過ごした。
そんな均衡が崩れたのは、まだ桜のつぼみが膨らみきらない、三月の卒業式後の、共に帰る夕暮れ時。いつも有紗とめぐるを引っ張っていてくれた奏斗から、突然告げたられた言葉だった。
♦
「俺、この街を出て、都会で働くわ」
その理由も、別れの日もちゃんと答えてはくれなかった。奏斗がこの街を去ったあの日、私の心にぽっかりと穴が空いた。完全に心のバランスを失って、塞がらない穴から闇の中へ、静かに落ちていく。
彼らしい潔い旅立ちだと、その背中にエールを送りたかった。でもできなかった。奏斗が家族のことや将来のことで悩んでいるのに気付いていた。気付いていたのに、ちっとも役に立てず、そればかりか、そんな大事な時に、自分は必要とされなかった。私の中で何かが音を立てて崩れ去った。
それから数ヶ月、私の止まった時間を動かしてくれたのは、めぐるだった。彼は、私が何も言葉にしなくても、悲しみの中にいる私に、ただ海の如く広い心で静かに傍にいて私を支えてくれた。
「有紗、辛い時はさ、無理に笑わなくていいんだよ」
「めぐるはいつも優しいね。私はめぐるに甘えってばっかだ」
めぐるはうつむく有紗に向けて言葉を紡いだ。
「春の空にスピカって星があってさ、乙女座の一等星なの知ってた?ラテン語で《麦の穂》って意味らしい。乙女が麦を抱えているように見えるのが、豊かさを表しているんだって。真珠星とも言うらしいよ」
めぐるの優しい声が、有紗の頭上から星のように降ってくる。
「乙女が祈りを捧げる。遠くにいる大切な人のために。その人を想いながら、真っ白なひつじは今日も静かに目を閉じる…」
めぐるはその言葉が、遠く煌めく星に届くように祈りながらそっと囁いた。
「有紗は自分のために生きていいんだよ」
自分のため!?…そんなもの、私の中には存在しない。だって他人の反応がすべてでしょ。人のためになること、相手が喜んでくれること。それが私の幸せなんだから…。
有紗は常に外側の世界を見てきた。今、目の前にいる人が一体何を必要としているのかを感じ取り、分析し整理して、一番最適な解答を導き出す。それがカタチとなってこそ、自分らしく生きていると、胸を張って言える。
そう。いつだって完璧な正解を探してしまう。誰に対しても誠実で、偽りのない態度で、そつなくフラットな関係が理想。でも、私の心は、ちっとも理想通りには動いてくれない。高校を卒業して遠くへ行った奏斗への募る想いと、今、隣で優しく微笑んでくれるめぐるへの愛着。その二つの感情に、私は優劣のラベルを貼ることができなかった。
私は自分自身を許せなかった。めぐると手を繋いでいるとき、ふとした瞬間に奏斗の力強い笑い声を思い出してしまう。完璧を求める気質が、頭の中で何度も問いかけてくる。 二人の人を同時に想うなんて、人として不純じゃないか。一人の人を100%愛せないなら、それは愛とは呼べないのではないか。自分なんて、何の役にもたたない、ただの海の藻屑同然…。
有紗の潔癖さが、彼女自身の首を絞める。めぐるへの愛は本物だが、奏斗への想いも消えはしない。有紗の正義という秤は、そのバランスを失ったまま、混沌の中を彷徨い続けていた。
ある夜、三人がよく通った思い出の場所である海辺の公園で、めぐるがポツリと言葉を洩らす。
「有紗。奏斗のところへ、行ってもいいんだよ」
心臓がきゅっと締め付けられる。めぐるの瞳は、悲しいほど透明で、そして有紗への溢れんばかりの愛で彩られていた。
「君の心には、いつも奏斗がいる。君が僕を見ていても、その瞳に映るのは僕じゃない。奏斗だ」
(違う!)
それは違うと、そう叫びたかったけれど、言葉が喉に張り付いた。 めぐるの鋭い感受性は、私の微かな心の揺れを敏感に察知してしまう。彼は私の迷いに気付いている。息ができなくなった。どうするのが正解?どうすれば、私は許される?
「めぐる、違うの。私は、あなたも奏斗も、同じくらい好きだよ。選べないよ…だって三人で……」
最後まで言えなかった。言葉にすればするほど、めぐるをさらに傷つけてしまう。
奏斗は街を出て、自分の道を歩いている。 めぐるは隣にいて、私の痛みを自分のことのように感じている。 そして私は、その二人の間で、自分の心の不完全さに絶望している。
完璧である必要なんて、本当にあるのだろうか。 白か黒か、どちらか一人。そんな風に境界線を引きたがるのは、私の臆病なエゴなのかもしれない。心の中に突如できたブラックホールは、未熟な私を容赦なく引き込んで、三人の完璧なまでのピラミッドをいとも簡単に打ち砕いた。
これは、私への神さまからのお試し?でも、この大切な仲間を失いたくない。私はどうすれば……
カタン。
その時、側にあった相棒のひつじが足元に落ちた。その拍子に背中にあるポケットのチャックが少しだけ開いていることに有紗は気が付いた。
「なんだろう」
ひつじを拾い上げ、ポケットのチャックを開けてみると、その中に小さなメッセージカードが忍ばせてあった。そこにはとても癖のある文字で、
「有紗とめぐるは自分の分身だ」
奏斗の嘘偽りない渾身のメッセージだった。有紗の目から大粒の涙が溢れ出る。奏斗は信じてくれていた。私たちはどこにいても、真の「親友」で、三人でひとつだった。
奏斗への憧憬も、めぐるへの慈愛も、どちらも嘘偽りのない私の純粋で正直な気持ちだ。たとえそれが世間の言う「理想」から外れていたとしても、この気持ちに嘘はつけない。それが私という人間なんだ。
🦪
今、私は彼らのいない世界で確かに生きている。海に美しい乳白色の宝石が輝く星で。どこにいたって、想いは一緒なんだ。大切にしたいものは無くなったりしない。自分の心に永遠に住まわせておけばいい。私の終の棲家はきっと、あの二人の心の中に存在してると思うから。
牡羊座の情熱と、魚座の慈愛。その二つの光を同時に受け止めて、私は、私だけの「愛のカタチ」を整えていく。いつかこの揺れが、次の世界で柔らかな光に変わるまで。
続
乙女座という星座は、外側を通して、自分の心の内側に在る、隠された衝動性に気付くという性質があります。相手の反応や行動を通して、自分や世界を知り、繋がる。混沌の中の自分と相手とのバランスを大切に感じています。完璧にこなしたい気持ちとは裏腹に、本来の自分の望みに辿り着くために、不器用にも自分に問いながら、答えを探していく乙女の願いは、成熟していないからこそ、純粋かつ無垢であり、常に周りの人々の幸せなのだと言えます。次に登場する七つ目の部屋が、12の星、前半6星座との境界線になっていて、ここからは「わたし」から「あなた」、他者との関係性へと目線が移行し、物語が展開していきます。
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