戦略的モラトリアム

 

一九九八年  晩春   舞台 とある田舎  早朝  自宅の部屋にて

 

 

 

 

 

「……ん、んっ。」

 眩しさで目覚めた。鈍重な太陽の光。薄手のカーテンを透して部屋を明るくしていた。きっとこんなに明るいのは、さわやかな朝とか、ありきたりのイメージを連想する人がほとんどであろう。その象徴のような朝だ。

 僕は光が嫌いである。全部が全部嫌いってわけじゃないんだけど、朝の光は絶対に嫌いだ。朝は決まってこの光で起こされるからだ。僕の安眠を妨げるとは本当にふとどきな野郎。できるなら真っ黒の暗幕のカーテンを買いたいくらいだ。当然そんな権利をこの家で僕は勝ち得ないだろうけどね。

 「普通、朝はみんな起きるものよ。」

 母の声が頭をよぎる。だいたい普通って何なんだ。僕は普通じゃなくたっていいし、それを望んではいないんだ。周りがどうあろうと、それが正しいわけじゃないことは十分僕にもわかっているつもり。

不安、どうしようもない不安が右へならえさせることは僕だけじゃなく、同世代のみんなだって心の奥底ではきっと感じてるはずさ。それに反抗しているだけなのに、どうして周りには僕が稀有に映るのだろう。そんなことを考えているうちに背中が痛くなり、いつものごとく蒲団から体を起こした僕はとっさにテレビと睨めっこ。すると、母の声がいつものごとく遠くで聞こえる。

 「学校に行かないの?」

 あぁ、どうしていつも疑問文形式で聞いてくるんだ。迷惑この上ない。この問いかけに答えるのには非常に気力を使うからだ。こう見えても一七歳の僕はそれなりに親の気持ちを理解することができる。普通に学校に行って、友達をたくさんつくって、勉強、遊び、そんでもって、卒業。これが親の描く僕の近い将来像だろう。分かってる。よく分かってるんだ。それを分かっていて裏切らなければならないから余計につらい。

 「行かないの?」

 立て続けに質問。そろそろ答えなければならないだろう。

 「……行かない。」

 弱弱しい声で僕は言った。

 「……!」

 ほら、始まった。母の小言。もう聞こえても、僕の耳には入らない。何を言っているかさえ分からない。いや、分かりたくもない。分かってはいるが、決まってその小言は僕の心を残忍に彫刻刀でえぐる内容を含んでいた。「世間」や「皆」という言葉を持ってこられるとこの上なくつらい。そんな毎日を過ごしていくうちに、母の小言が耳に入らないような抗体が体の中にできてしまった。それをフルに使って今日の朝も何とかやり過ごした。

 母が会社に行き、ようやくこの家が僕の城になったとき、さっきとは打って変わって寝てなんかいられない気持ちになる。大きなことは無音で考えられること、それはラジオやテレビといったものではなく、家族の小言なく考えられるといったことだ。田舎のそのまた田舎のここでは自分が不登校ぎみであることはとうに知れていて、そのことを恥じていることは祖母から辛辣な言葉で聞いていた。ここでも出てくる「世間様……」。

あぁ、東京に出たい。そして一人暮らしで部屋に鍵をかけて寝る。毎日、言葉を発することもなく、時を過ごす。なんて素晴しいことだろう。昼間に買い物に行ったって、誰に後ろ指を指されることもない。そんな邪まな上京願望を僕は常に持っていた。一般的には都会には人情がないとか、人間関係が冷たいというけれど、ここはそれにもまして人間関係が残酷である。噂が広がるといわゆるご近所の話題になり、たちまち指名手配犯のような扱いを受ける。それは表面的なところではなく、本人が知らないところで。だから余計に性質が悪い。本人に知られないところで噂はたちまち装飾され、脚色され、そして世間受けのするような評価や感想を伴って本人の知るところとなる。残酷に、そしてゆっくりとドスが僕に突き刺さるのである。そうなれば健全な不登校はたちまち引きこもりという不健康状態を強要される。僕は、はっきり言って動物園で決して公開されない檻に入れられている珍獣のようなものだった。

 

 

 

あぁ、学校に行っても、くだらない足の引っ張り合いと、中傷合戦。かといって参加しないと中傷の絶好の的になる。まあ、僕の場合はその的になりかけているのだが。

問題はほかにもある。将来の展望がない。そう、僕には目標がないのだ。成績は悪いほうじゃない。しかし、それは校内での話。進学するにしてもまだまだ勉強不足感が否めない。学校推薦?そんなこと学校がしてくれるとは思えない。学校にろくに行かず、出席日数と格闘の毎日。そんな生徒を学校が推薦してくれる訳がない。大体、卒業すら危ういのに。仮に大学に進学したとしても……当然、その大学は東京にあって必然的に一人暮らしになるところなんだけど。大学に進学したって学部は?何に対しても無関心の僕は何を学べばいいのか分からない。法学部を出て弁護士になる?まあ、興味はないね。

こんな最早、末期的でどうしようもない僕にはきっと路上生活がお似合いなのだろう。時間を垂れ流すように浪費し、ぼんやりと途方に暮れる。何が終わり、始まるでもない一日はこうやって終わっていく。ああ、一〇年後、僕はいったい何をやっているのだろうか。というか、生きているのだろうか。その辺の不安感はぼんやりとではあるが、抱いてはいた。

夜になると音楽をかけながら、寝る。何に対しても無関心の僕は音楽に対してだけはちとうるさい。夜は邪魔にならない程度のロック、誰も聞いたことのないような至上のロック、ヒットチャートを駆け上がるようなことは絶対にない、いわゆる世間受けしない音楽を流す。そういう音楽を僕はこよなく愛した。それはショーケースに入れられ、僕しか聴くことの許されない僕だけの宝物だからだ。そんなんだから当然、たまに学校に行っても会話には入れない。周りの人に聞かせても知っている人はまったくの皆無である。でもそれが僕にはどうにも嬉しかった。さあ、今日も何もなかった。テレビのゴールデンタイムも終わり、僕は二度と目覚めないことを切に願い、床についた。

 

 

 

 珍しく学校に行くかという微かな意識がある朝だった。でも太陽の光はどうにも好きにはなれないのだが。爽やかというよりも義務的な圧迫感からの動機だったかもしれない。とにかくお気に入りの曲をMDに入れ、曲のオープニングとともに自転車に乗り、家を出る。途中で飲み物を買い、小休止。学校まで自転車で三〇分以上ある僕の家は普通であるならば、電車通学が常識であった。しかし、同じ学校のやつが多いし、たまに学校に電車で行こうものなら、駅で珍獣扱いは免れない。それだけならばいいものを中には話しかけずにひそひそ話。横目で僕を見ながらなにやらあやしい会話。露骨に僕に関する話題だってことが分かるような態度で振舞う、そう、ニタニタ笑いながら。うわっ、キモッ。まったく嫌な街、嫌な人間であることは間違いない。そこで余計な感情に浸るより、一人で大好きな音楽とともにあの刑務所のような学校に向かうほうが一日の覚悟ができるってもんだろ?ともあれ、そういう理由で僕は自転車で学校に行くのだった。そう、自分の足でペダルをこいでね。自分のペースでさ。それは僕にとって苦にはならない。かえって気が楽ってもんだ。いつの間にか季節は春から夏になり、辺り一面は深い緑で覆われていた。初夏の風は涼しくもあり、痛烈に僕の頬に打ちつけた。

 

 

 

 学校に着くと、自転車を駐輪場に置いた僕は足取り重く教室へ向かう。ドア付近でウォークマンを耳から外し、教室に入る。一瞬、緊張の糸がこれでもかというぐらいピンと張る。辺りの空気と自分の周りの空気がまるで別次元のものであるかのように周りの空気に馴染めていない。教室の人々もどこかよそよそしい。まあ、不登校気味だから仕方がないか。ある程度の諦めにも似た決意が席へと向かわせる。

ホームルームも終わり、午前中の授業を乗り越え、昼休みになる。ぼんやりと読書。ちょっとかっこよく言えば、物思いにふけるってやつだ。ふとそこに人影が映り、誰かは分からないが、確かに見覚えのある顔だ。いきなり話しかけてきたと思えば、なぜ学校を休むのかを好奇心旺盛な顔で僕に問い詰める。僕はそんな興味本位の質問を

 「どうしてなんだろうね。」

 と、適当に流す。そこから幾許か質問の雨あられ。休んで家で何してるのとか、卒業する気あるのとか、お前らに関係あるかっつーの。何でそんな質問にまともに答えなくちゃならないんだ。まったく迷惑千万である。そして憂鬱のまま、午後の授業をむかえる。しかし、ここでタイムアップ。昼休みに質問攻めと、どこか遠くで罵詈雑言を聞かされた僕の心はすでに傷だらけ、血まみれの瀕死であった。今日はここまで!そう心に決めると、保健室に行く振りをして昇降口に向かい、トイレで十数分の時間つぶしの後、帰路についた。途中にマックでセットをテイクアウトし、いかにも学ランでこの時間に何をしているんだという表情をひた隠しにする無愛想な店員をすんなりとかわして、自転車に乗りながらハンバーガーを貪り、田舎の空気を胸いっぱいに吸いこんで、今日一日の耐えがたい僕に対する拷問はほぼ終わりを告げたのである。

 

 

 

今思えば、なぜ朝に学校に行く気になったのか、今朝の僕自身を恨んだ。その後悔とは対照的なかごの中のご馳走を片っ端から片付けて、家につく頃にはもう僕の燃料は満タンになっていた。

家に着くと祖父母が怪訝そうな表情で僕を見る。

「学校はどうした。」

間髪いれずに答えなければ、祖父母に攻撃の余地を与えるので僕はとっさに答えた。

「早退。」

そう言うと、すぐに自分の部屋へエスケープする。その後どんな小言を言われたのかは分からないが、僕の安住の地へとようやくたどり着いたのである。そんなわけで後はギターでも弾きながら、ゆったりと時を過ごし、考え事などをしながら、自分の現在と将来を対比させ、そして途方にくれるのである。

絶望といったものがどんなに残酷で無残なものであるかは知らないが、僕は毎日のように静かな失望を味わっていた。これからどうなるんだろう。そう考えると、決まって一秒後には現実逃避したくなる。悩みようがないからだ。それは葛藤状態にない問題だ。唯一この問題を解決してくれるのは誰も知らない遠い新天地で今までの人生をリセットすること。もちろん高校も転校する。だけど、すぐに一人暮らしなんて、家族の同意を得られるはずもなく、なんと言っても非現実的である。高校をどうするかがなんといっても大きな現実的問題であることに変わりはない。そして今、僕はそこには行きたくはない気持ちにある。いつまでかは分からないが、きっと、ずっとそういう気持ち変化はないと思う。結局、解決策はなく、僕は静かに自分に失望するのである。もしかするとこれはドン深い絶望だったのかもしれないな。

突然、電話がなったのを耳で確認。祖父母は畑仕事にでも行ったか、電話はなりっぱなしである。仕方がなく、ドアを開け、僕が電話にでると

「○○学校の……」

とっさに無言で電話を切る。無断で帰ったから当然の連絡であるが、自主早退した張本人が電話にでても、意味がない。仮に電話に応対したところで話の展開は先が見えている。うっとうしいほどの質問攻めと僕の将来を心配しているんだという公務員の公共の福祉精神が垣間見える厚かましい、上辺だけの親切心の表明だろう。その教師に対する気持ちがいかにひねくれたものであるかはよく分かっている。しかし、イジメにしたって相談したところで何の解決にもならない。かえって大問題にされ、クラスではやんわりとその問題が話題に出され、それとなく生徒たちも自分がいじめられていると感じていることを察する。そうすれば次からは妙によそよそしくなり、人によってはより露骨にイジメをするようになる。結果的に学校での僕の立場は悪化するだけだ。そう、僕の問題はもっと根本的なところに幾重にも重なり、あったのである。しかし、そのことは誰も理解してくれない。いや、もはや問題解決人のような、よき理解者を期待していなかったのである。だから、学校からの電話がかかってくれば、僕はとっさにその電話を切った。そして、しばらく受話器を上げておき、通話不能の状態にしてから、一〇分後に受話器を戻す。短時間に何度も電話させない苦肉の策だった。

 

 

 

夜になると学校からの電話を家族の誰かが取ったらしく、僕が居間に呼び出される。しかし、当然のことながら拒否。理由は電話を切るのと同じである。仕方なくドア越しに母が問い詰める。

「どうして学校早退したの。」

ちょっとの空白の後、

「具合が悪かったから。」

自分でも嫌になるくらい、とってつけたような言い訳である。でもこの場を切り抜けるには仕方がない。

「誰にも言わないで帰っちゃだめじゃない。それに……!」

ああ、自己防衛の抗体がとうとう作動した。もう母の言葉はどこぞの外国語のように僕には車の騒音と変わらない、何の意味も持たないものになっていた。母が一通りのことを言い、僕の部屋の前からいなくなった。ひと時の静寂、とっさにラジオでもかけ僕の時間が部屋いっぱいに広がった。そうして、僕はちょっとの間、自分について考えた後、一日の反省をして眠りについた。そう、明日はきっとないという子供じみた期待をしながら。

 

 

田舎って本当に嫌なところである。いや、ごく一部の人間には健康的で子供を育てるにはこの上ない環境とか感じていることは知っている。しかし、僕にはそんなことはどうでもいい。とにかく人間関係を選べないどうしようもないフラストレーションと世間様という抵抗しようのない曖昧な絶対主義がそこにはあった。

僕のような人間はきっとこの街で窒息するほどの息苦しさを感じるに違いない。モラトリアム人間にはまったく窮屈な街である。僕のような人間が日本中にいることはニュースで知っていた。しかし僕の身近にはいなかった。ただそれだけなのに周りは僕を珍獣として扱う。まったくテレビの中と、こことはつながっているのをちゃんと理解していない頓珍漢な連中で困ったものである。そして学校に行かないという、それだけの理由で僕を見世物にしようとする輩がいて、これまた性質が悪い。そういうやつらは近所にも学校にもいた。僕からすればそんな奴等はただの空気に混じった埃に過ぎなかった。ただ、たまに鼻に入って、アレルギーのくしゃみを引き起こしたり、ちょっとした悪事したりして、気にせずにいられなかった。そのため、僕は外出すると、決まっていつも何らかのイライラをして、周りに注意を払ったり、普通に振舞おうとしたりすることも珍しくはなかったのである。まったく迷惑な話である。

 

 

 

ふと、家族が読み終わった新聞に目をやった。ちょっと社会と隔離しかけている僕にはこの世界で何がおきているかを知るにはいいチャンスだ。おもむろにそれを手に取ると、社会面を開いて、熟読し始めた。するとそこには最近の若者はどうだこうだと年寄り新聞記者のくだが殴り書きしてあるのを見つけた。

モラトリアム……『猶予期間。準備期間。』そのような意味から転じて心理学用語でモラトリアムという言葉ができたらしい。主に青年期に起こるそうだ。僕もその中に分類されるようである。しかし、僕から言わせてもらえばモラトリアム人間なんて平たく言えば、『生きるのが困難な人間。』と定義される。僕は何に対しても準備していないし、そんな予定もない。僕は今を生きていて、これからのことなんて考えていないし、展望もない。かといって、何かを探しているわけでもない。もし僕が明日死んでも、まあ、しょうがないか、で片付けてしまうような薄っぺらな人間である。よく言えば、今を生きているということになるかな?しかし、悪く言えば、先を考えない。要は無計画、無自覚、無責任という悪党まっしぐら路線を快走しているってわけ。君たちがどっちを連想するかってのは様々だけどさ。

あぁ、またこんな考え事に時間を使ってしまった。ふと気づくと時計は四時を指している。僕はいくらかの不安を覚えながらも、何食わぬ顔でぬるい風呂に入り、願望としての永久の眠りにつくのである。ああ、明日は学校に行くのかな。自分に矛盾した疑問をぶつけ、何のことない、平凡な日常が今日も暮れていった。

こんな生活をしばらく続けていったある日のことだ。とうとう決定的な事件が起きた。どうやらこのままいけば卒業できないらしい。さすがの僕も無理やり現実に引き戻された。イジメを理由に何とか自分の立場を教師に話すと、相談室登校を義務づけられた。

相談室に毎日決まった時間に行き、そして、いくらかの時間を過ごせば、出席にするとかしないとか。難しいことはよく分からないが、とにかくそれが留年せずに卒業する唯一の方法らしい。まあ、人に会わずに済むのならと僕もその方法に乗ることにした。

しかし、ちょっとした不安もあった。それは興味本位で相談室を覗きに来る奴等がいないかどうか。まあ、鍵がついていればいいのだが……。一抹の不安を抱えながらも、僕の卒業したいという無意識の強迫観念が体のありとあらゆる部分を突き動かしたのである。

 

 

 

翌日、ちょいと遅めに起き、学校へ行く準備をする。自転車にまたがり、ウォークマンを聞きながら、学校へ向かった。普通なら遅刻だが、他の奴等とできるだけ会いたくないため、わざと遅れて行ったのだ。思惑通り、朝のホームルームの時間が過ぎ、一時間目の授業中である。僕はまず職員室に行き、学校に来たということを伝え、相談室に入った。ふと扉を見ると鍵がついている。しめた!僕はとっさに鍵を掛け、閉まることを確認し、ほっと胸をなで下ろした。ソファに体を預け、ぼんやりと窓からの景色を眺める。ああ、学校がこんなにも安らぐところと感じたことは今まで一度もなかった。

 

 

 

やがて休憩時間になり、なにやら廊下が騒がしい。しばらくして相談室のドアを無理やり開けようとする馬鹿が発生。恐怖におののき、すりガラスを見ると、明らかに学ランを着ている。どこで見かけたか、聞いたのかは知らないが、どうやら興味本位の馬鹿であることに間違いはなさそうだ。しばらくほっておくとあきらめて帰っていった。絶好の話のネタを見られなくて残念だったね、バーカ。

 

 

 

昼休みになるとまたドアを無理やり開ける音。しかし、さっきのとはどうも様子が違う。すりガラスを見ると、スーツを着た男のようである。鍵をそっと開けると作り笑顔の教頭だった。何の用かと思うと、とっさにソファに座れと言う。僕はドアに再び鍵を掛け、ソファに腰を下ろした。そこで、ハッとした。やられた。案の定、教頭の人生談義が始まった。そう、カウンセリングというお説教タイムだ。これでもかってくらいに遠まわしに学校に来るように諭す。その言い方には俺はこの方法で何人もの不登校生徒を救ってきたんだという自信が垣間見えた。無駄、無駄。お前には僕の根本的な問題を掻っ攫うような芸当はできないよ。もう僕はその大人の話に一定の間隔を置きながら頷くという機械的な作業をするしかなかった。

やっと終わったかと思うと、担任、生活指導教諭が続けざまに入ってきて、同じような話をする……。完全にはめられた。僕はこの拷問にいつまで耐えなければならないのだろう。一分が無間地獄のように僕を襲う。もはや、僕に選択の余地はない。今までの僕の不安を吐露するしかない。しかし、その決意は間違っていたことに十分後に気づく。

「将来は自分で決めるものだ。どうなるかなんて先生に聞かれても分からないな。お前はどうしたいんだ。何かやりたいことはないのか、興味があることとか。学校でそれを見つければいいじゃないか。」

ああ、言うんじゃなかった。結局、不登校に結び付けやがる。なんて汚い奴だ。不登校をやめさせて、それでもって生徒の悩みも解決させたつもりだろうが、僕にしたら何の解決にもなってない。むしろ、問題は棚上げにしろといわれたような気がした。そんな結論では僕は納得がいかない。どうしようもないフラストレーションと焦燥感が僕を包み、六時間目の途中に僕はなんとか許可をもらって帰路に着いた。

言うまでもなく、その許可をもらうにもいくらかのドタバタはあったんだけど、そんなこと詳しく言いたくないね。だって、そんなこと大して重要じゃないし、何しろ僕の気分がよくない。ってなわけで、チャリンコでここからさっさと走りさろうっと!

 

 

 

家に着いた僕はもうヘトヘトの燃料切れだった。顔はチアノーゼが浮き出たような、ボディ打ちをこれでもかってくらいやられたボクサーだった。ああ、学校に行くのがつらい。どうしようもない感情に苛まれながら、部屋を音楽でいっぱいにする。ぼんやりと途方に暮れるのはこれで何回目だろう?だけど今日はちょっとシリアスにならざるを得ない。なぜなら、三人の教師にいやってほど現実の世界を思い知らされたからだ。僕の体はきっと明日、無意識に学校に行くことを推奨するだろう。

「高校ぐらい出てないと……。」

教師の言葉が何度も僕の胸をえぐる。どうやら高校を出てないと生きていくのに困難らしい。そんな言葉に恐れおののき、僕は明日、学校に行くだろう。そこに選択の余地はない。いや、行くというよりは行くことを強制される。自主的に学校に行くというわけでは絶対にない。その確信にも似た思いだけは確かにあった夜だった。

 

 

 

夜になると、明日のこともあり、二時間ほど早く床についた。しかし、それは失敗だったようだ。余計にネガティブな考えだけが頭をよぎる。

どうやら僕が高校を去る時、それは卒業でも退学であっても、その時が僕の人生の終わりのような気がしてならなかった。もはや自分の考えを挟む余地はない空白の時間だけが流れる世界に飛び込まざるを得ない状態に僕が置かれていること。このことが、そのとき気づいたんだ。死へのカウントダウンを感じながら、僕は数ヵ月後の惨劇よりも、翌日の不安で頭をいっぱいにしたかった。ああ、明日どうしよう。また、大人の手前勝手な話を聞かなくちゃならないし、もしかしたら強制的に教室に引き戻されるかもしれない。そんな、実際にありえる恐怖を思い浮かべ、布団の中で僕は丸くなった。

 

 

 

学校の相談室通いが何週間続いただろう。数週間は続いたと思う。僕は相変わらずやりたいこともなく、ただ無常に時間だけを垂れ流していた。相談室にはエアコンがなく、夏はちょっとつらい。窓はカーテンをかけ外から僕の顔が見えないようにした。窓はしっかりと鍵を掛け、外から開けられないようにした。ドアにももちろん鍵を掛け、すりガラスに映る人影で入室を許可したり、しなかったりした。完璧な自己防衛とでも言おうか、とにかく最悪の環境を持つ学校で、心落ち着くコーディネートを自分なりにしたつもりだった。

十二時ごろになると、決まって教師が来て僕と話をした。話というよりも一方的に言葉を吐き出したといってもいいくらい、勝手な論調だった。そんな言葉に僕の心が突き動かされることもなく、教室復帰は、もはや絶望的になっていた。

何週間も相談室通いが続いて行くにつれ、教師の口調も強くなる。どうやら、なんとしてでも教室に連れ戻したいらしい。そんな気迫だけが伝わってきた。しかし、その言葉もとうとう超えてはいけない一線をついに越えてしまった。

「みんなと同じに……。」

もう、どうにもこの場を離れたい気持ちで僕の体内はいっぱいになった。そして二度とこの場所に近づきたくはないという強い気持ちが僕を占有したんだ。顔ではいつもと同じ平静を装ってはいたが、はらわたは煮えくり返っていた。その日は多くを語らずに、六時間目の途中で許可をもらって帰った。

帰りの自転車で、どうにも涙が止まらなくなり、自分の人生をリセットしたくてたまらなくなっていた。僕がもっと社交的で、交友関係を広くできるような人間だったら、こんなことで悩まなかったのかもしれない。そのためには三歳くらいから人生をやり直さなければならないだろう。とにかく、みんなと同じような感情を持っていたら、毎日の生活や行動に何の疑問を持たずに順風満帆な青春を送っていただろうに。

しかし、実際の僕はみんなと同じことに疑問をもってしまう。どうして学校に行くんだろう。何で今、この勉強をしなければならないんだ。そして、僕の人生で一番の難問が、『僕はこれからどうなるんだろう。』である。何に対しても無関心な僕には何一〇時間費やしたところで最後の問題は解けそうもない。今まで何万回も自分に問いかけては、答えが出せないでいた。僕はまだ暗いトンネルの中で出口を見つけられないでいた。いや、もはやそこがトンネルなのか、地下の牢獄なのか、次元の狭間なのかさえ分からない。

 

 

 

次の日から僕は相談室登校を止めた。学校に行く振りをしては、通学途中の橋の下で時間をつぶし、昼には家に帰るような生活を続けていた。MDから流れる音楽は十代がいかに素晴しいか唄っている。

しかし、僕から言わせれば十代なんか見習いの兵隊蟻に過ぎない。国の法律を守りながら、学校の校則を遵守しなければならない。全校集会には遅刻せずに行って、クラスごとに整列。そして、校歌の斉唱と、きをつけの姿勢は中指の先を縫い目にあわせるもので、つま先はこぶしが一つ入るぐらい空けると教わり、みんなそれにしたがっている。制服は標準サイズのものを着なければならない。襟カラーは白で、変形や着色を禁じる。髪は耳にかからない程度に伸ばし、脱色やヘアカラーは禁止。もちろんパーマも禁止。ソックスは白でワンポイントだけは許可。その他いろいろ……。もう、覚えるだけで精一杯である。そこに僕の意見ができる余地は?僕が主張できる余地は?当然ない。個性の抑制を暗に強要している。よって僕はそこから逸脱することを決める。新鮮な空気を胸いっぱいに吸うためにね。

 

 

 

僕は入学当初、天然パーマを疑われた。生活指導のやくざ風の男に相談室に入れられ、親の承諾書をもらってこいと脅迫まがいに言われたものである。しかし、ある日、相談室覚悟でストレートパーマをかけていったら、何のお咎めもなかった。どうしてだろう?そういえばこんなこともあった。全校集会の後、出入り口に教師が数人いる。生徒が退場しようとしていると、その中の何人かはまた講堂に戻されていた。いわゆる頭髪検査ってやつだ。髪の色が違う奴だけこれからお説教タイムがあるようだ。僕は髪を染めることにまったく興味がなかったため、さっさと帰れるものだろうと感じていた。しかしだ。出入り口に近づいた瞬間、事件が起こった。

「お前は戻れ。」

冷徹な温度のない声が僕を貫いた。どうやらドライヤー焼けの毛先の痛み具合を着色と勘違いされたらしい。弁解しても聞く耳を持たない、その教師はきっと僕を人として見ていないのだろう。その後の説教なんて僕にはただの時間の浪費でしかなかった。全体を通しての指導という名目の、ただの小言は僕には何の意味も持たないものだった。なぜだろう。僕にはあいつら教師の神経が分からない。つまりだ、結局はこういうことだ。

 

みんなと同じに。

 

それからというもの僕は人生を冷めた目で見るようになった。教師の言うことは全部詭弁に聞こえ、絶対に本心を語るまいと強く心に決めていた。あんなやつらに僕の抱えている難問が解けるわけがないし、ヒントもくれないだろう。そして、教師の中ではやはり珍獣扱いを受けることは避けられない。だからだんまりを決め込むんだ。

とにかく十代は素晴らしいと言っているこのアーティストは僕の気持ちを代弁してはくれていない。そう考えると、さっきまであれほど愛してやまなかった音楽が一瞬でただのガラクタに見えてくる。

ほら、今この本を読んでる君、僕って本当にわからないやつだって思うでしょ。そう、君の判断は正しい。

僕自身、自分がどんな人間なのか分からなくなることはしょっちゅうある。俗に言う、情緒不安定ってやつが僕の一面には当てはまると思う。とりあえず僕は窒息するような毎日の中、自分が本当はこの世界に存在しないんじゃないかっていうぶっ飛んだ不安も感じていた。

三時間ぐらい過ぎ、生き物のような小川のせせらぎと、それとは対照的な橋の上を通る車の無機質な機械音との狭間で深い昏睡から目覚めた僕は、妙にすっきりとした清々しい気分になり、家路に着いた。

 

 

 

家には運悪く祖父母がいた。当然の会話を切り抜けたあと、僕のサンクチュアリにたどり着く。でも、今日はいつもと違う。いくら安住の地にたどり着こうとも、僕はこれからのことで頭がいっぱいになった。

おそらく学校のみんなと同じようなことをすれば同じような未来が開けるのかもしれない。でも、僕はそんなことを決して望んじゃいない。じゃあ、まったく違う未来を思い描けるかといえば、答えはノーだ。ああーめんどくせー。もうこのこと考えんのはやめよう。ここのとこ、僕はずっと考え事ばかりしていて、まともに声を出していないことに気づいた。

「あー。あー。本日は晴天なり。つながってますかー。」

正常機能確認シマシタ。独り言でもないような大きな声を急に張り上げ、声帯がちゃんと機能するのを確認したら、僕は一端のロックスターにでもなったかように、思いつく言葉を次から次へとまくし立てた。

「めんどくせー。だりー。もうわかんねーよー!まったくよー!つまんねー世の中だよ!」

いつしか独り言は怒声へとかわり、僕はなんとも気味悪いことに部屋で一人騒いでいた。でも、何か久しぶりにいい仕事をしたようにちょっとすっきりした。今日の夜はちょっとテレビでも見るかと思い、おもむろに埃をうっすらかぶったリモコンのスイッチをオン。

 

ブンッ!

パチパチッ

 

ブラウン管がゆっくり明るくなり、夜のニュースが映る。

相変わらずこのキャスターはニュースやってんのか。ご苦労なこった。でも、お前、本当にこの仕事やりたくて、テレビ局に入ったのか?いつごろからニュースキャスターになりたいと思ったんだ?きっかけは何だ?仮に僕がそのきっかけとなる体験をしたとする。そうすれば僕はニュースキャスターになりたいってはたして感じるんだろうか?

また、頭の中で雑音が混じる。あー。やめやめ。もう今日は考えるの終わり。テレビなんて何も考えないで、ただ、のんべんだらりと見るのが乙ってもんだ。

 

 

 

……。

 

 

 

深夜になり、今日もぬるい風呂に入る。不登校になってからというもの、僕と家族の間には大きな距離が生まれていた。それは日に日に遠くなり、今や自分の親の顔を想像するのも一苦労である。食事は当然別々だし、親にいたっては顔を数ヶ月見ていない。声だけのやり取りはたまにあるのだが、それは間に壁が介在している、実態を伴わない会話だ。

僕は何度か、家庭内暴力ってやつをやったときがある。それは無理矢理、僕の本心を聞こうとしたからだ。そして、それは手段を選ばないものになってついに家族は実力行使に出たのである。部屋から引っ張り出そうとしたり、早朝に怒声で起こされたり、ついに僕の自己防衛本能が働いた。それからというもの、話はするが、家族は僕の居場所をちゃんと確保し、一線から超える行動や言動は避けるようになっていた。僕にとってはありがたいのだが、いつ暴力を振るわれるか分からないから、とりあえずほうっておくという態度がたまに僕をイライラさせた。それはまたいつ、家屋を巻き込んだ戦争になるか分からない、つまり冷戦状態であるからだ。どうせならちゃんと理解してくれた上でほっておいてほしいものなんだけどね。

 

どのくらい風呂に入っているのだろう。手はしわしわにふやけているが、まだちょっと浸かっていたい気持ちはある。ちょっとだけ長湯をした僕は脳内の家族の愚痴を一通り言い終えると、風呂から上がって、さっさと眠りにつくように本能から推奨された。そして僕はその指示に従い、ゆっくりと意識が遠のくのを感じながら、深い深い眠りについたのである。

 

 

 

相談室登校すら不登校になり、それから数週間が過ぎた。季節もすでに秋の装いを漂わせている。周りは稲の収穫時期であるらしく、コンバインの音がそこらじゅうで聞こえる。そんな風景を窓越しに眺めながら僕はもはや、学校に行く振りさえやめていた。

そんな末期的な僕にとうとう鉄槌が振り下ろされたのはそれから、数時間後のことだった。学校からの電話、当然僕は無言で受話器を置く。当たり前の作業を終えた後、電話越しの話し手が、いつもと違う口調なのに気づく。そのときは気にも留めなかったが、その不安が心の片隅に魚の骨のようにつっかえていた。なにやら神妙な面持ちの声……。ふと頭によぎる最悪の想定……。もしや……。僕はそんな不安をかき消すかのように音楽を部屋いっぱいに埋め尽くした。他のものが入らないようにぎっしりとね。

 

 

 

どれくらいの時間が過ぎただろう。辺りは真っ暗になり、僕は明かりもつけずに部屋の片隅におびえて座っていた。電話越しの母の声、遠くで聞こえるが、僕の予想が正しければきっと重要な話なのだろう。母の声は重い。

数分後、神妙な面持ちの母が僕に鉄槌を振り下ろした。どうやら、卒業できないことが決まったらしい。数分間の沈黙の後、無常にも僕の意識とは無関係に目から大量の水分が流れ出た。

 

ボクハ、ウチノメサレタ。

ジンセイノキョウセイシュウリョウ。

ゲームオーバー。

ドウシヨウ。ドウシヨウ。ドウシヨウ。ドウシヨウ。ドウシヨウ……。

 

その時、世界と僕が唯一つながっている学校という媒体が自分からプツリと切れた音を聞いた……。僕の目の前には真っ白な何もない景色が広がっていた。いや、白じゃなく黒だったかもしれない。とにかく大きな目印もない原風景がそこに広がっていた。学校に復活する予定はなかったが、確かに僕はその時、絶望ってやつを体験していた。

それからというもの「死」ってやつがずいぶん身近な存在になるのを感じていた。ぼんやりと過ごす日々、もう思考能力はゼロ。気力ゼロ。体力ゼロ。

 

ミライ……ゼロ……φ。

 

無性に死にたくなった。これからのことなんて想像したくもない。

夕方、僕は自転車で街に向かった。薬局で睡眠導入剤を購入し、帰宅。部屋にて多めに服用。これで安心。もう目が覚めることはないね。バイバイ、みんな。

 

バイバイ……。サヨウナラ。

 

 

 

翌日、倦怠感とともに目覚める。よく分からないが、どうやら死にそびれたらしい。僕はうなだれて、カーテンの隙間から外の世界を垣間見た。どうやら普通の何の代わり映えもない地球だった。

僕はカーテンから離れるとおもむろに机にあった教科書類を投げ捨てた。今となっては、こんなものはただのゴミになってしまったんだ。とっさに布団にもぐりこみ、意識が遠のくのを待った。しかし、いくら待っても意識は遠くならないばかりか、はっきりと目が覚めてきやがった。どうしようもなく椅子に腰を下ろすと、ラジオをつけた。

 

交通情報……アキノケシキモフカマリ、ゼッコウノコウラクシーズンニナリマシタ。タダイマ、ジョウバンドウデハ……。

 

聞き取れない。意味が分からない。どうやら日本語すらも、僕の頭の中から乖離し始めたらしい。そんな雑音に耳を傾けながら今までの所業を省みようとする。でも、僕には今までの人生を振り返ったところで何のメリットもない。これからの人生になんか生かせるわけがない。何の反省もする気がないのに。

僕は僕のペースで生きていきたいだけだった。それがどんなに我儘であるか分かっていたとしても。でも、それも今となっては脱線。ペースもなにも、僕は歩みを止めた。これから再び歩きだすことはないだろう。ずっと死ぬまでそこに止まっていよう。そのうち来る死を静かに、心待ちにして。やがて僕は立っていることも困難になり、その場で蹲る。すると、背中を誰かが叩く。振り返ると死神さん。僕は彼に抱きつき、早く連れてけってせがむ。死神さんは迷惑そうに持っていた鎌で僕の首をはねる。そうして、僕のつまらない人生はジ・エンド。チャンチャン。

 

シニガミサン、アリガトウ。

 

どんなに思い巡らせたとしても、いつ来るとも分からない死をただ待つより、今このときをどう過ごすかが僕の優先順位が高い。家族はとうに僕を見捨てたのか、何も語らない。無機質な時間だけが、ただ残酷に過ぎていった。

 

 

 

鉄槌の日からちょうど一週間が過ぎたある日のことだった。僕はいつものように何をするでもなく、椅子に腰を下ろし、机に向かっていた。部屋は音楽で埋め尽くされ、ちょっとしたアンニュイな気分にはうってつけの場所になっていた。苦いコーヒーを口に含み、胃に垂れ流す。そんな意味のない行動に深けていた。僕はもはや、魂のない抜け殻……。青春の真っ只中にあるべき時期に人生がシャットダウンした、哀れな青年とも少年ともない、ただの生物(なまもの)がそこにいた。

 

 

 

玄関のほうから呼び鈴の音が聞こえる。不運にも家には僕一人しかいなかったため、無視することを選択。しかし、庭に止まっている車と玄関前に立つ男にうっすらと見覚えがある……教頭だ。僕は部屋着のまま、玄関の鍵をゆっくりと慎重に開けた。

……カチャ……。

「おう、元気か。」

んなわけねーだろ。

「何してた。」

やることを全部お前らが取り上げたんだろうが。僕は声を発しない代わりに、目で質問に答えていた。教頭もそれを察したのか、ちょっとした時間の溝がそこに生まれ始めていた。少しの沈黙の後、一応、お茶ぐらいはと思い、台所に向かった。だが、茶葉がどこにも見当たらない。仕方なく、僕は部屋に向かい愛してやまないレギュラーコーヒーを断腸の思いで出すことにした。お湯を沸かしている間、急いで着替え、一端の人間に戻った僕は高めのコーヒーカップを二つ用意して、一端の接客準備をした。

コーヒーの湯気で部屋がちょっとだけ人の温もりを帯びたとき、教頭の口が開いた。

「お前、これからどうするんだ?」

質問だ。途端に鋭い眼光が教頭を襲う。教頭は立て続けに話し続けた。

「今回は残念な結果になってしまったが……。」

まるでヒトゴトだね。遠い国で起こっている大きな惨劇を見ているかのような物言い。僕はその口調が耐えられなかったが、もう怒る気力も失っていた。うつむいたまま、いつ終わるとも知れない気まずい空気が僕を包んだ。今僕の目の前にいる男は、立場上、僕とはすでに無関係になりつつある人だ。本来なら何の気を使う必要もなく、僕の気分を害せずにすんだであろう。しかし、その男は今、明らかに僕の気を害している。




こいつは不登校になり始めたとき、何度か家庭訪問に来てくれた。本来ならば、賞賛されるべき、熱血教師と言ったところだろう。しかし、その一般的評価は内実を含んでいない。内実はこうだ。

その男は黒塗りの車を下手な車庫入れをするかのごとく僕の家の庭先に斜めに止める。ありきたりの挨拶の後、僕と会話する。いや、あれを会話と果たして呼ぶのだろうか。

「俺が若いときは……。」

と、自分が高校、いや、旧制中学か、とにかくそんな思い出話をさも武勇伝のごとく僕に投げつける。どうやら昔の生徒と今の自分とを対比させ、今の自分のふがいなさをかみしめさせるつもりらしい。しかし、そんな浅はかな策略は僕に一瞬で見破られる。そして、聞く気力をなくした僕はうな垂れる。すると、ここぞとばかりに、僕の生活態度のだめだしが始まる。当然、自分の昔話を伴って。三〇分ほどすると、すっきりとした顔でその男は意気揚々と帰っていく。まるで勇敢な帰還戦士のように。するってえと、おいらは敵兵か何かなのだろう。どうやら僕はあいつのはけ口になっていたらしい。僕が時間を垂れ流しているのと同じスピードであいつの汚い汚物を僕に垂れ流された気分だった。結局、会話の名の下に自慰行為を行ったその男は黒塗りの車で僕の家を去っていくのだった。




とにかく内実がそんな男を僕が快く迎えるわけもなく、客間の空気は一層不機嫌さを増していた。と、唐突にその男が切り出す。

「お前、こんなのどうだ。」

と、テーブルに置かれたのは数枚のかみっきれ。いや、結構難しい内容が書いてあるぞ。書類と言った方がいいのかもしれない。僕はその書類の一番上の紙だけを手に取り、仰々しく字面をおった。


大学……入学……資格……検定……?


大学入学資格検定だと書いてある。なにやら聞きなれない言葉である。教頭が続けざまに話す。

「お前、進学したいって進路調査に書いてたろ。だから、大学に行く方法としてな。まあ、考えてみたらどうだ。高校三年までいったお前だ、不足単位は三教科しかないから、ちょっと勉強すればすぐに取れるだろ。」

気が動転した。ちょっとの間、僕の目の前で何が起きているのか理解できなかった。その後、いくらか教頭が話したようだが、僕のパニクッた頭では最早、聞き、理解することは不可能。書類を手に持ち、ほとんど放心状態になっていた。

「……すいません。二、三日考えさせてください。」

か細い声でそう言うのが精一杯だった。すると男は黒塗りの車に乗り、帰っていった。




さぁ、僕の人生は急展開の様相を帯びてきた。大学に固執していたわけではないが、ちょっとした高揚感に苛まれ、僕の顔は血の気を戻していた。



僕が大学に進学したいと進路調査に書いた理由。


其の一   取り留めてやりたいことがない。

其の二   僕の中に就職という選択肢はなかった。

其の三   社会に出る気がない。(労働者になりたくないという意味で其の二に含ま

れるかも。)

其の四   専門学校は目標ある奴が行くところで、僕には目標がない。

其の五   社会的地位が高いにこしたことはない。

其の六   大学って入学しても広い選択肢がありそう。

其の七   東京に一人暮らしできる唯一の正統的理由。



 ってなわけで、僕は大学に進学したいことを進路調査に書いたのさ。どうやら、大学が僕にとって、どうしても必要だったわけではなく、僕の希望を全て満たしていたのが、たまたま大学だったようだ。でも、そんなことは関係ない。僕は今、自分がすべきことを発見した興奮でいっぱいいっぱいになっていたんだ。

 



その夜、僕は久しぶりに夢を見た。小学校の図工の時間。

「今日はみんなが大人になったらなりたいものを描いてみましょう。」

優しい声で先生が話すと、周りの児童は一斉に描き始める。コック、花屋、野球選手。みんな、いかにもって絵を描きやがる。僕もおもむろにクレヨンを手に取り、真っ白のキャンバスに書こうとした瞬間、クレヨンの色が白であることに気づく。これでは何を描いても白のまま。でも、僕の机のクレヨンは白しか……。

「うあぁぁぁぁ!」




「……はっ!」

寝汗をかいて、ぐっしょりになった枕カバーの上で僕は最悪の朝を迎えた。どうやら昨夜は風呂に入らず寝てしまったらしい。昨夜見た夢の後味の悪さが苦虫を噛み潰したかのように顔一面に表れていた。

朝、シャワーを浴びていると、昨日の教頭からの言葉がフラッシュバックした。

「考えてみないか。」

教頭の無機質な声。しばらくの無音。昨日の出来事がビデオのように何度も繰り返し頭の中を流れた。走馬灯のように。

やるべきことが見つかったのかな?その不思議な初体験のフィーリングは僕のありとあらゆる器官を駆け抜け、身体中に電気が走ったような錯覚に陥るのに充分の衝撃。僕は自分がどんな人間であるのか、ある程度は理解しているつもりだし、その上で大学に入学することを考えてみると、モラトリアムの期間を延ばせるといった意味で、そんなに悪い話ではないはず。

つまりだ、また社会のありきたりのレールにまたがるために、そのための手段として大学入学資格検定を取得しておくのはそんなに悪い話じゃないってことだ。では、その大学入学資格検定ってやつを取ってみようじゃないか。健全なモラトリアム生活を送るためにね。

そんな邪な僕は数日後、よくよく熟慮した結果を家庭訪問に来た教頭に伝えた。ほくそ笑んだその男の顔がいい意味でも、悪い意味でもとても印象的だった。




さて、頭を切り替えて、僕は次のモラトリアム人生のフィールドを手に入れるための修養期間に入ったのである。不足単位は全部で三つ。世界史B、日本史B、生活の三つである。何ら問題ないように思えたのだが、昨夜は捨てた教科書を探すだけでも一苦労。窓から放った無残な教科書たちは、ゴミ袋を逃れ、祖母の手によって貴重に保存されていた。ありがたいことだ。卒業できないって分かってから、ただのゴミでしかなかったのに、今は価値ある僕の未来への片道切符有効整理券だ。よしよし、武器はそろった。後は闇雲に読書と物書き、暗記で何とかなるだろう。でも、石橋を叩いて渡るじゃないが、万全には万全をきさなければならない。その上、来年は大検(大学入学資格検定)以外にも、大学入試の準備をしなければならない。忙しくなる。さぁ、僕の時間は意欲に満ちた時間でいっぱいになってきた。生まれて初めて、一分一秒が意味あるものになったことを僕はその時、初めて感じたんだ。

学校に行っているとき、いや、在籍しているときにこんな気持ちになっていたらどんなに楽だったろう。そんなことをちょっと後悔混じりに考えたりもしたが、僕には大して自分の行動が遠回りだとは思わなかった。いったい何が違ったのか?それは周りの環境の違いである。あの環境の中で自分の将来や進路を能動的に考えられたであろうか。僕には無理だ。他人の足の引っ張り合いを生業とし、ちょっと目立ったような奴がいれば、当然叩かれる。そんな環境で僕が唯一自己を主張できたこと。それはその環境を拒否することだけだった。

だから、僕はそこからドロップアウトせざるをえなかった。今考えれば、至極当たり前のことを当たり前にして当たり前の結果になっただけである。

何ら人生が終わったわけではない。むしろ次の新天地を探すための好奇心で今はいっぱいである。僕にとっての最善策……未来への最短距離を順調に歩いていることを実感した。




モラトリアムってやつは不思議なもので、常に歩いていないと不安になる。僕のように目標がない、夢がないような奴でも歩く場所さえ与えられれば、意気揚々と歩み続けるのである。それがどこに向かおうとも……。ただ、立ち止まる恐怖感だけは、常に持っている。僕の場合、高校を卒業できないと聞いて教頭が話を持ちかけてくるまでの間がそれだ。あの日々はまさに地獄だった。一匹のハムスターは寂しくなりやがて凍えて死ぬ。それを待っているかのようだった。

つまりだ、モラトリアム人間ってのは何かに対して常に準備している状態にないと不安になってしまうってやつなのかもしれない。達成目標はその際どうでもいいってことだ。僕の場合は大検、入試、どちらにでも備えられるように、達成目標が定まらない方が、選択肢が広がって、夢も広がるかもしれない。僕はその不明確さがたまらなく嬉しかったんだ。




えっ、留年して、卒業するっていう選択肢はなかったのかって?はっ、冗談じゃないね。僕はあの空間の中で、いかに自分が浮いていたか十分分かっていたし、留年でもしようものなら、それに輪をかけて異質な扱いを受けるだろう。

そんなのはごめんだね。前にも言ったと思うけど、僕は自分のペースで歩きたいんだ。付け足すなら、周りの騒音を気にせず、自分で決めた道をね。

さぁ、自宅にいるときのモチベーションも今までとはまったく違うものになるだろうね。明日からは、生活を改めねばなるまい。きたる大検の受験日に備えて!入試の試験日に備えてね!


嗚呼、モラトリアム人間に幸あれ!




モラトリアム人間は観衆で、人生はマジック。

タネが分からないから面白い。














 一九九九年 三月 中旬   天気 すこぶる快晴    場所 とある田舎

           精神状態 妙な高揚感とちょっとした傷心   自宅にて



 



 今日もすこぶる天気がいい。ただ、卒業式だったらしく、制服姿の人をやけに早い時間帯から見かける。自主退学という形を取った僕にはまったく関係のないことではあるが、ちょっと心をかじられる風景ではあった。とっさにカーテンを閉め、ラジオのスイッチをオン!


ソツギョウシーズンニナリマシタネ。ミナサンハ、ドンナオモイデガアリマスカ?ワタシハ……ガーガー……ブチッ!


 ラジオの電源を無意識に切った僕はどうも面白くない。ハンパない疎外感を感じずにはいられない。ちょっと寂しい気分になって、それらは視覚、聴覚、ありとあらゆる感覚から刺激された。馬鹿な!まだ未練があるというのか?僕は新しい道を踏みだしたじゃないか。それも自分の意志で決めた道が。今更、学校とか、卒業とか、興味ないねっ。……強がっては見るが、どうやら限界……。


ボクダッテソツギョウシタカッタンダ……ホントハ……。


ちょっとブルーになった後、精一杯の空元気を振り絞って、

「さぁ、勉強、勉強。」

僕は僕の道を歩く、是が非でもね。そう決めたんだ。そして、東京の大学に行って、こんなところからは出て行ってやるもんね。もう少しでこんなところとはオサラバだ。だから頑張らねば。

僕は宅浪魂を再点火させた後、教科書や参考書を読み漁った。難しい受験手続は親と学校任せにした僕はどうやらまっとうな人間になったようであった。精神状態はきわめて良好。人生行路は視界良好!順風満帆!……だけど、周りの目を気にするあまり、外には出られないでいた。僕にもどうやら世間の目というものを気にする厄介な病魔が巣食ったらしい。

いやいや、大学に行くまでの辛抱じゃないか。一年間独房に入れられるって考えればいいだろ。弱気になるなよ、俺!

自らを奮い立たせるように頬を二、三発はった。落ち込んだとき、僕はいつもこうやってポジティヴな方向に無理やり自分を持っていく。ちょっと不健康だが少々の強引さはこの際、仕方がない。我慢しよう。




「ちょっと来なさい。」

夜の闇を劈く声。大きくはないが、ずっと部屋にいる僕には呼ばれるということはびくっとする原因の一つである。声から察するに母かな?

大検受験決定以来、僕は意識面で大きな革命を経験したが、親子関係や家族との仲は相変わらず冷戦状態だった。しかし、それは僕にとってありがたいことでもあった。生まれながらに一人っ子であった僕は常に家族の干渉下に置かれていた。交友関係も趣味も恋人も……。それが、不登校でなくなっただけでも僕は自由を満喫していたのかもしれない。だから、常に家族とは一定の距離多くことが僕にとって健全な状態であることは間違いない。最早、家庭内暴力という最終兵器を使わずとも、関係は良好である。

「予備校とか行かなくて平気なのか?」

一瞬、キョトンとしたが、どうやら集団で勉強する場を与えてくれるらしい。お言葉はありがたいのだが、僕は集団で勉強する場所をいったんはドロップアウトした人間である。そう考えると、今回の提案もうまくいくわけはない。丁重にお断りしようとした瞬間、ふとよぎった最悪の想定。


もし、大学入学資格検定に……どうするの?


もし、大学入学資格検定に失敗したらどうするの?


失敗?……失敗……シッパイ……失敗!


失敗!大事件だ。そうなれば、あのときに戻ってしまうことはまず避けられないだろう。あのとき……卒業不可能が決まったあの時……。考えただけで体中が最上の悪寒に襲われ、おびただしい鳥肌が表れた。

考えたくもないが、ありえる仮定……。こういうときこそ「石橋を叩いて渡る」ことを選択したほうがよさそうだ。ただし、予備校の指定は僕がする。そういう条件を家族にのんでもらい、集団生活の中にまた身を置くことに同意した。

集団生活に不安はあったが、僕にはひとつの企みがあった。それはできるだけ遠くの予備校に行くこと。今までの人生をリセットできるところを僕は探していた。きっと、同じ町や隣街では高校の知り合いだったやつや、向こうが一方的に知っているやつに出会ってしまうだろう。もしそうなれば、僕の新・集団生活は無残にも終わりを告げることになる可能性は高い。話題に飢えている田舎の人間には、不登校で高校中退の人間がいただけでも、話題の種となり、そのことを広める馬鹿が活気づき、しまいには、僕のあずかり知らないところで、尾ひれを伴いながら大衆受けする珍獣のレッテルを貼られることになる。そうなれば、健全な人間関係を形成することは非常に難しくなるであろう。いや、僕自身、他人との関係をそれほど重視はしていないのだが、悪くなっては、僕の思考や心的な健康に悪影響が懸念されることになる。

特に、同じ学校だったやつに会おうものなら、その瞬間にそいつの目がぎらぎらと輝きだし、まるで宝物でも見つけたような、衝動に駆られることだろう。僕はそんなやつの話題の種にはなりたくないし、話題を提供してやる気もないのだ。不思議なものだ。自分の『個』を大事にしていた自分は、何よりも他人の目を恐れていた。

 



さて、予備校をどこにするかは、自分にとっては一人暮らしのアパート探しと同じ感覚である。できるだけ遠く遠く……、そんでもって、日帰りで帰ってこられるところ……。考えてみると難しい条件である。そんなところに通うだけでも大変だというのに。でも、僕の胸は明らかに高鳴っていた。

 「きめた!」

 小一時間悩んだ僕は、隣県の小さな予備校に通うことにしたのである。電車で片道1時間一五分、政令指定都市であるそこは、こことは違って大都会。きっと、そこなら知ってるやつは誰もいない。電車はあまりないから、きっと早起きせねばなるまい。でも今はそんなことどうでもいい。一年間の大半の時間をそこで過ごせるかと思うと今から嬉しくてたまらなかった。

 僕が決めねばならないのはそれだけではない。アルバイトは重要な問題だ。親からの小遣いはさすがに積極的には貰えないし、期待できない。最低限のバイトは僕がしなくてはね。何がいいかと考えたときに接客業はまず、はじめにアウト!ここで、人の顔に触れるバイトをしては、それこそ、話のネタである。もっと静かに仕事ができて、人の目に触れない仕事……。そんなものある訳ないか。いや、まてよ、ある。ひとつだけあるぞ。

 僕の生活が一ヶ月足らずの間に激変するとは自分でも信じられないが、今はただ、新生活の準備をするしかない。一般的なモラトリアムのレールに乗るための準備期間の準備だ。つまり、僕は今、モラトリアムの中心にいる!

 きっと上手くいくと心に深く刻んだ。





 一九九九年 四月下旬    天気 曇り時々雨     午前二時五五分 

   場所 とある田舎  精神状態 うん、普通。グッド!




 僕は午前二時五五分のテレビの目覚ましに起こされた。五分ほどボーッとしたと帽子をかぶってさあ出発!原付にまたがり、バイトに出かける。そうそう、免許はバイトのために取ったんだ。事務所に行くと、もう一人は来ていて、広告入れをしている。僕は急いで自分が回る区間の仕分けに取り掛かった。缶コーヒーを飲みながら、あっついコーヒーが夜景に似合うなあ、などと黄昏ながら新聞の準備が終わると、スクーターにまたがり、仕事にいくのである。そう、僕のアルバイトは新聞配達だった。これなら、余計な過去の人間関係を引きずることはないからね。

 他のバイトのやつとは上手くやっていた。というのもバイトは僕を含めて二人、あとは社長?所長だけだったからね。うん。順調、順調。今のところ深刻な問題はない。

田舎は家と家の間隔が広いから、スクーターで回っても、ちょっとした大仕事になる。でもって、景色を楽しみながらできる仕事ってことは、僕には仕事と感じさせないぐらい好きになる要素がすこぶるあったわけである。うん快適、快適。ペットの犬には嫌ってほど吠えられ、困ったけれど、僕にはそれよりも一人で仕事する楽しさが何物にも変えがたい価値だと思ったんだ。……それに心の傷を癒すのにはもってこいの仕事場だったしね。

午前四時ぐらいに家路に着く。スクーターを飛ばしまくって、僕は必ず一時間以内に仕事を終わらせることを決まりとしていた。別に深い意味はない。ただ、部屋に帰って、また寝る時間が惜しいだけだった。部屋に着いた僕は、目覚まし時計を七時にセットし、再び眠りにつく。朝を待ちわびながらね。




ピピッ!ピピッ!ピピピッ!ピピピッ!ピピピピッ!ピピピピッ!

「……ん。」

 僕は布団の中から手を伸ばし目覚ましを止めると、おもむろにテレビのスイッチオン!芸能ニュースをボーッと見る。台所に用意してあった僕の食事を部屋に持ち込むとちょっと急ぎ目に口にかきこむ。やがて予備校に行く準備ができた僕はスクーターで駅へ向かうんだ。駅には二、三人の待合客と無愛想な駅員が一人、次の電車を待っている。

 新聞を持ちながら僕は最前車両のプラットホームに行く。誰もいない、無機質な空気だけがそこには流れていた。僕が最前車両に乗る理由は乗降客が少ないから人と会う機会が最小限で済むっていうのと、もうひとつ。それはこの街をいの一番で出ていけるってこと。どっちも僕にとっては重要な理由である。

 四月の初めに決めたこの習慣を僕は今日も守っている。最前車両に乗り込んだ僕は、ボックス席を独占して荷物と新聞、足を向かいの長椅子に投げ出し、しばし、流れる景色だけを眺めた僕は人生をリスタートすることを実感し、県境をまたいだ!

 



大地方都市に着くと予備校に向かわなければならない。行きかう雑踏に僕を知るものなどいるはずがない。なんて快適な一日の始まりなんだ。コンビニにより、エスプレッソラテを買う。これを僕は午前中いっぱいかけて飲む。講義中に飲んだり、休憩中に飲んだりしてね。ホントはマナー違反だって分かってたけど、講義中に騒いだりしなかったし、講師に見つからないようにそっと飲んだんだ。

机の片隅にいつもそれは置いてあったけど、誰にも注意されなかった。そのことが妙に新鮮で、僕にはたまらなく嬉しかったんだ。それを飲めることが嬉しかったんじゃない。机においてあっても誰も気に留めなかったのが嬉しかったんだ。飲む行為自体が重要だったわけじゃない。ははっ、面白いね。




時間割はある程度、自分で決められる。一応、日本史Bと世界史Bは受講するとして、英語が数コマと国語を数コマは受けねばなるまい。後は……数学ⅠAでもとっておくか。と、僕は一週間の時間割を比較的いっぱいにした。家族は、どうせ途中でいかなくなる講義もあるのだろうと不安な顔色をしていたが、ホントのことを言うと、僕は怖かったんだ、何もすることがなくなるのが。だから忙しさで僕の一日をいっぱいにしたかった。

予備校のカリキュラムが始まった日、志望校調査の用紙を受け取った僕は、意図的にその提出を当日ではできないと言い通し、帰りに持って帰った。さあ、大問題。僕には明確な目標もなく、その前に、大検というハードルが夏にある。つまり、大学入試に全集中を傾けることなんてできなかったんだ。

帰りの電車に乗ろうとした僕は何かをひらめき、急いで改札を出た。その足で都市の繁華街に向かい、大きな本屋に入った。僕は日本全国の大学紹介の本を一冊買い、帰りの電車の中で読んだ。

えっ、ついに将来の目標を探す気になったかって?とんでもない。僕は確かめたかった、東京の大学がどのくらいあるのかってね。そして、その中から一人暮らしやすい、快適な場所にある大学を志望校調査に書きたかったんだ。僕にしては結構、健全な動機だと思うけど、世間じゃ「愚か者」って呼ばれるような動機だろうね。でも、いいじゃん。誰に心を読まれるわけでもないし。現に僕は予備校には無遅刻無欠席だしね。第一、僕は今、大学に行きたいっていう動機に嘘はないって自信を持って言えるんだ。ただし、東京の大学じゃないとやだけどね。とにかく人ごみの中に隠れたい僕と新生活をしたい僕とが同じ鍋の中で混ざり合う不思議な気持ち……。ステップアップしたいっていうよりも、一段目から別の階段を上り直したい気分だった。




あっ、そうそう、僕、髪の毛染めたんだ。予備校初日にあわせてね。一回、ブリーチして、緑のヘアカラーを入れた。ちょっと目立ったけど、新しい人生の門出は、生まれ変わったようにしたかったんだ。以前とは別人の自分になりたかった、せめて外見だけでもね。周りが変わって、自分も変わる。ちょっとした新生活気分を味わいたかったんだ。


リニューアル自分の起動デース。


でも、さすがの予備校でも僕の髪を見た講師が一瞬硬直したのは笑えたけどね。ははっ、どうやらちょっと目をつけられたようだ。雑踏に隠れたい僕にはちょっとした計算ミスだったかな。特別、気にもしてないけどね。




ともかく、そんなことを考えながら自宅についた僕は、自分の部屋でいつもどおり、音楽をかけながら、途方に暮れていた。しかし、ちょっとしたことを思い出したんだ。そう、志望校調査だ。何とか明日には提出できるように書かねば。

 


  志望校の条件


其の一 文系であること。(試験など、自分に関する多くのことを考えた結果、どうやら

理系のような緻密な学問は僕には不向きであることが分かった。かといって、文系を下に見ているわけではなく、曖昧性をひとつの結果として評価する文系の学問に惹かれたからである。)


其の二 東京にキャンパスがあること。(前に述べたとおりだが、付け足すとすれば、なんと言っても何かと生活に便利だし、地方都市よりも人口密度が高い主都の方が僕の存在が雑踏に紛れやすいだろ?それに、東京ぐらい離れていれば、嫌でも一人暮らししなけりゃならないし、今までの人間関係を引きずる可能性はほとんどないからね。)


其の三 できれば教養学部・学科を望む。(学部に分かれても、この名前が意味する曖昧性は僕のモラトリアム根性を擽るね。)




 さあ、条件はたったの三つ。僕にしては大分、大雑把な条件となった。とっさに今日買った本を取り出し、めぼしい大学をピックアップして、しばらく比較・検討した後、それらを志望校調査用紙にいくつか書いた。

えっ、何を書いたかって?そんなこと言えないし、もう忘れたよ。そう、忘れるぐらいどうでもいいってこと。僕にとっちゃ、大学のネームバリューなんて関係なし。重要なのは、条件をすべて満たしていること。他のことなんて興味ないし、僕はとにかくどこでもいいってことなんだよ、条件さえ満たしていればね。ああ、言っておくけど、これは決して投げやりな気持ちで言ってるんじゃないんだよ。僕にとって、三つの条件以外に重要事項がないってことなんだ。だから、それさえ満たしてくれれば、極端な話、女子大だってかまわないんだよ。

 



「ああ、もうこんな時間か。」

 気がつくと一〇時だ。新生活が始まってからというもの、僕は新聞配達のため、早めに寝ることが習慣になっていた。そして、その習慣を、この一年は新鮮に感じ続けたいなあなどと希望的な独り言を吐き出しながら、僕はテレビの目覚ましをセットし、眠りについた。僕は新生活において、小学生をもう一度やり直してる気分で嬉しかった。どうやら、僕には人生のリスタートが成功したように思えたんだ。




 次の日の朝、新聞配達をいつものようにこなし、二度目の眠りにつくと、不思議とこのままのペースで人生何とかなるんじゃないかっていう妙な安堵感に包まれたんだ。その不思議なゆりかごに揺られながら、僕は快適な睡眠を神様にとらせてもらったのかもしれないな。二回目の朝、僕は起きがけにそんな幼稚な発想を不覚にもしてしまった。

電車の中で僕は、なぜこんなにも楽観的な雰囲気に包まれているのか考えながら、其の答えを見出せずに予備校に到着した。志望校調査を受付に出した後、教室でうなだれた僕は、ただ静かに時が流れ出すのを待っていたんだ。僕の髪の色が気になったのか、横目でちら見する女性を無視して、どうせろくな話題にはなってないんだろと、ふてくされた顔でウォークマンと指でセッションしながらね。僕にとっちゃ、周りとのつながりを強要されないことはもちろん嬉しかったし、ここで誰にちら見されようとも、気にならない僕に最高の賛美を送りたいと思った。

 ドアを紳士的に開ける講師が入室すると、あたりの空気が若干凍える。

 「では、はじめます。」

 この講師の声で僕の時間は音をたてながら、今日も流れ始めた。





























一九九九年 五月上旬~中旬 (何日かなんて気にしないが、ゴールデンウィーク過ぎってのは確か。)  天気 五月晴れ       場所 某地方都市 

             精神状態 ちょっとした困惑




僕が予備校に通い始めて約一ヶ月が過ぎた。順調とも思えた生活に小さな変化が表れたある日の出来事。

一日一日が淡々と、そう、ビデオのリピートのごとく過ぎていったある日。僕はいつものように一日の二回目の朝、電車の中で流れる風景と音楽を無作為に貪っていた。今日も淡々とした時間が、さも急がしそうに過ぎていくんだろうなぁとあきらめにも似た、感情に浸りながら、終点である駅に着いた。その日はやけに時間が流れていることが実感できて、早送りで生活しているようだった。

教室に入り、僕はいつものようにウォークマンとコネクトされたままだった。すると不意に、誰かの目と合ってしまった。

「おはよう。」

声は聞こえないが、確かに口がそう言っていた。とっさに僕も身体を振って、その挨拶に返していた。それは突然の出来事で僕も無意識のうちの行動だったのかもしれない。




一限目がいつものように終わり、心地よい疲労感をしょった僕は教室がある棟を出て、道路の路肩に腰を下ろしていた。すると、朝、挨拶してきた彼がまた声をかけてきた。

「疲れたね。」

当たり前の会話だ。いわゆる初めて会った人への社交辞令のようなものであると思う。僕はその問いかけに静かに同意した。

「難しかったね。」

「一時間目はキツイね。」

「今日はチョット暑いね。」

いくつもの社交辞令に同意した僕は

「うん。」

「そうだね。」

と、テキトーな答えを返すことで、彼の興味を削ごうとしたが、どうやらそれは失敗したようだ。昼休みになると、そいつは仲間内に僕を紹介して、そいつらと一緒に昼食を食べることになったのだ。

複雑な気分だった。僕は、かつて人間関係に悩んでいた。そして、その人間関係から開放された今を快適に過ごしている。不満はないし、寂しさもない。もとい、寂しくないって言うよりも、一人に慣れてしまったという方がより正確な気持ちかもしれないな。とにかく、そんな自分に新たな人間関係が構築されようとしていることは、本来ならば、嫌悪感を示す方が自然なのかもしれない。しかし、今のこの状態は決して僕の感情を逆なでしていないし、気分もそんなに悪くしてない。どちらかというと、戸惑いを感じているに近いものがある。ここで、むげに人間関係を絶つよりも、しばらくこの関係性を保ってみてもいいんじゃないだろうか?僕はそこに人間の弱みを感じながらも、これからの人生は流れるままに進もうと心に誓いを立てていた。いや、何事にも反発することに疲れていただけなのかもしれない。そのとき万物流転の精神が危機的に僕の胸を打ったんだ。僕は恐れながらも、その仲間内に入ることにした。その始まりは友達が出来て嬉しいというわけではなく、新たな人間関係の爆弾を抱えたことの不安の方が大きかったはずだ。

その日、いつものように帰りの電車に乗り込む僕の後姿はどこかしら小さく見えたかもしれない。流れゆく都会のネオンがいくつもの光の線になる、電車の窓から見るこの幻想的な光景が今日の僕には眩しく、目を細めるしかないほど厄介に光っていた。




それから二、三日過ぎ、僕の生活がほんの少しだけ変化した。休憩中や昼休みに一人で過ごす時間がなくなったことがそれとして挙げられるが、最も大きな変化といえば、僕に新たな人間関係が構築されたことであろう。それは外見よりも内面の変化が大きかったといわざるをえない。

認めたくはないが、新しくできた人間関係は僕にとってうっとうしいものではないらしい。出逢ってから六〇時間かそこらの内にそう決めつけるのは時期尚早であることは充分承知であるが、僕には決してその人間関係がマイナス要因にはたらいていない。かえって奴らといる方がリラックスできているかもしれない。

いや、これからも少しの間、様子を見よう。彼らがどう思っていても、僕には人間関係に対して注意深くしなきゃならない過去の経験がある。僕はそう注意深くなりながらも、表向きは奴らと親しくしていた。

あっ、そうだ!決定的な変化がひとつ。僕の頭の中では今まで全てが匿名だった。「やつら」とか、「教員」「学校」……僕には固有名詞を覚える気力も意思もなかったんだ。だって、そいつらは指して僕の人生における重要な位置を占めているわけでもないし、邪魔することはあっても応援したり、助けてくれたりはしなかったからだ。第一、そいつらに僕から話しかけることなんてまずなかったからね。

でも、奴らをニックネームで呼ぶようになってから、僕はどうやら人の名前ってやつを本気で覚えようと思ったんだ。理由は分からない。でも、決して「真の友情」だとか、そんなくさい台詞のようなものからではないということだけは、かたくなに信じたかった。せっかくだから、みんなにも紹介してあげるよ。


新たな人間関係にまつわる人々



ヤス   こいつが始めて僕に話しかけてきた奴だ。見た目は厳ついが、話してみると結構優しい口調。不良ではないらしいが、とっつきにくそうである。予備校の近くの大学が第一志望らしい。予備校に来るたび、そこを通るので辛いだろうに、本人はそんな素振りひとつ見せず、毎日予備校に来ている。しかも、無遅刻無欠席で。ゴールデンウィークが終わると同時に、休みがちになる奴がいる中で、結構マジメな奴である。文系志望で学部は経済系らしい。


コン   ヤスの高校のときからの友人。見た目はでかく、バスケットボールが似合いそう。まあ、それは僕の主観だが、とにかくスポーツ万能そうな体型である。話してみるとマジメなのか、馬鹿なのか分からなくなるときがある。ああ、決して「馬鹿」っていうのは今まで僕が使ってきた奴らのようなことではなくて、とにかく突拍子もなく面白いことを言い出す奴だってこと。無論、悪い印象はない。こいつは結構早い時間から予備校の教室にいる。やっぱりマジメなのだろうか?ヤスと同じく予備校の近くの大学が第一志望らしい。文系志望で学部は法学関係。


ケイ   こいつは僕と高校が同じらしい。初めて会ったとき、僕のことを知っていた。そのときはこのグループに関わりたくないと思ったが、どうやらそんなに悪い奴ではないらしい。

      「何で俺が知ってるのに、お前は俺のこと知らないんだよ。」

      と冗談混じりになんて言われたっけ。無理もない。高校のとき、不登校の奴なんてほとんどいなかったし、その中でもたまに学校に行く僕は余計、注目の的になっていたんだろうさ。だからやつは僕のことを知っていた。それだけのこと。噂話が好きなやつではなさそうだし、明るい好青年って感じだ。同じ学校だったということで、心配ではあるが、どうやら芋づる式につるまなければならなそうだ。野球部に入っていたらしく、スポーツ分野に明るい。毎日筋トレしているそうで、背は小さくてもがっしりしている。関東あたりの体育大志望。


 それにぼくを加えた四人はそれからしばらく一緒に行動することになる。あえてここでは友人と呼ばなかった僕も、ものの見事に友人へ、更には悪友へと感化され人間関係を深いものにしていくことになるのである。


 


 さらに一週間ぐらい過ぎただろうか。僕には何年とも思える時間が過ぎたように感じる。いつもの四人組は朝、いつものように一限目の予習をしながら、とりとめもない話に花を咲かせていた。

 「英単語ってさ。要はアルファベットの羅列にしか思えないんだよね。」

 「でも、アメリカじゃこれが言葉なんだろ?価値観って様々だよね。」

 「今日の単語テストは満点取るよ、きっと。オイラは自信満々さ。」

 「はいはい。(笑)」

 なんて生産性のない会話だろう。ちょっと前の僕なら、「時間を垂れ流している。」なんて言っていたのかもしれない。でも、不思議と生産性のない、その会話が僕には尊くて仕方がなかったんだ。

そのとき、時間は確かに僕の横を駆けぬけていったのではなく、はたまた、僕自身が無意識に垂れ流しているものでもなく、僕ら四人が生みだしていたものだっんだ、きっとね。僕は確かにそう感じた。何かが始まるわけでも、何かが終わるわけでもないのに僕の周りでは、いや、僕自身も含めて、何かが根底から覆りつつあったことは間違いない。




一日が何とか終わり、心地よい疲労感とともに三ダースあまりの人間が教室から放り出され、雲霞のごとく散る。さっきまでの閉塞感が嘘のように都会に散らばる鉛筆たちは、これからいったいどんな夜を過ごすのだろう。

教室に最後まで残っていた僕は窓から下を眺め、妙な人の世の儚さを感じていた。講師の去った教室はただの多目的ホールのように机、椅子が放置されていた。ここは一日のある時間帯のみでしか教室の目的を果たさない。もはやここは教室ではないのだ。今はただの小さい予備校が借りているビルの一室……。さっきまで友達であるかのように親しく反しかけていた、隣の席同士の人々は予備校が終わるとそれぞれ目的があるのか、ないのかは不明だが個々に散っていく……。魔法にかけられていたのが、急に切れたかのごとく。その中に本当に常時つながっている友人たちはいるんだろうか。人の関係なんて宇宙の歴史から見ればとっても儚いもの。それは刹那。花火のように咲いては散る。その繰り返しなんだね、きっと。

僕は今、とっても儚い夢を見ようとしている。それが夢であると知りながら、夢を見る珍獣。世を憂う?人を憂う?自分を憂いた僕の刹那は一瞬で何年にも及んだ。

「おい、コンビによってから、ちょっと喋って、自習室で勉強しない?」

「ぼーっとしてんなよ。現役クラス始まるぞ。」

「それとも、お前、現役生だっけ?(爆笑)」

ヤスとコンが呼びに来た。

「ああ、そうか。今行くよ。」

とっさに作り笑顔で僕はそのホールらしきところから、ヤスたちと飛び出していった。夕焼けが僕のほほに強烈な西日を浴びせていた。その光はやけに清々しく、気持ちよかったんだ。


道路の路肩で夕食代わりのコンビニで買ったドリアを食べながら高校時代の話に花を咲かせている奴らの中に入っていった。

「道路でドリア食うなよ、お前(にやけ顔)。」

「おっさんギャグってやつっすか?コン君。」

「道路でドリア?くだらね~よ、お前。」

「つーか、ぜんぜん洒落てないし(笑)。」

「どりあ(どれ)、オイラがドリアを食べてみようか?」

「お前、おわってっから。マジで。」

楽しい。理由なんてない。この四人がマジ最強!僕の意識は一年前より軽薄なものになってしまったんだろうか。いや、そうじゃない。でも、そのときはあまり悲観的な難しいことは考えたくなかった。友情の麻薬?どうであるにせよ、今この時間を大切にかみ締めながら、僕はドリアを胃に流し込んだ。

どうやら今日の話は高校時代の話。やばい。

「俺は高校のとき、野球部で勉強なんか……。」

まさに危機的だ。中退だなんて言えない。いや、ケイがもうみんなに言っているんだろうか?そうだとしたら余計にやばい。そのときの心境を聞かれるほど嫌なものはないからだ。何とかこの場を切りぬけなければ。

「お前は高校のとき、何してたの?」

きた!とっさにケイが合いの手。

「そういや、卒業文集にお前いなかったよね。卒業できたの?」

いや、本気でやばい。脳内を微電子が駆け巡って、必死に言い訳を考える僕はできるだけ自然な声色で、

「いや、載せてほしくないから、拒否したんだよ。」

とってつけたような言い訳。すぐにばれるだろう。やっちまった。僕は自分の過去をさらしてしまったことに悔いた。すると、

「まあ、学校にあまり来てなかったお前だからな。載りたくない気持ちも分かるよ。先生との折り合いも悪かったもんな。」

ありがたいことにケイが信じてくれた。そうなればこれ以上突っ込まれることもないだろう。

「なになに!お前、登校拒否しとったんか?不良だな!」

「そんな髪の色してっから、目、つけられんだぞ。」

「いやいや、現役のときは黒髪だから。」

何とか、僕の過去は笑い話で煙に巻いた。よかった、よかった。しかし、いつまで隠し続けられるだろう?大検は確か七月。その時は緊迫感に包まれることになるだろう。しかも落ちたりでもしたら……。顔がこわばった。僕は頬を二、三回はった後、

「さっ、勉強、勉強。おい、行くぞ。」

そう、せかすように自習室に向かおうとする僕に、

「何だよ、急に。」

コンがびっくりしたように答えた。すぐに暗くならない都会の夜景の中、僕ら四人は自習室へ向かった。

大検に落ちるときが怖いんじゃない。お前らとの接点がなくなることが怖いんだよ、本当は……。

自習室のドアはやけ重く、ドアノブは凍えるほど冷たかった。




















一九九九年 七月上旬    天気 雨    場所 某地方都市

    精神状態 不安と鬱




僕の決戦日が近づいてきた。僕にとっては、あと数ヶ月、あいつらと同じ立場でいられるかどうかという重大な局面。予備校の勉強にはちょっと集中できない精神状態が続いていた。しかも、それは日増しに強くなる。不安感をあおる時計の秒針。まるで僕に「寝るな。」と脅迫する偶数拍。睡眠不足の頭に新聞配達はちとキツイが何とか毎日乗り越えている。僕にはこのチャンスしかないんだ。このチャンスを逃したら、また一年待たなければならない。僕にはそんな時間、いや、気力は残ってなかった。都会の喧騒の中、僕の心は何かを決意したように静まり返っていた。それは決して落ち着いていたんじゃない。僕の中でどんなにもがこうともやってくる、来るべき日の備え、迎え撃つ準備をしていたんだ、誰にも悟られぬように。


翌日に大検を控えた朝、僕は予備校を休むべきか迷っていた。家で自学自習というのがおそらく一番よい選択肢であると思われる。しかし、僕には、この土地で勉強をすることに非常に強い抵抗を覚えていた。それは学校を休み始めたあの日から……。

のどかな風景、傍らでは猫の欠伸。空は広くて、突き抜けるような様相。僕にはこの環境がたまらないほど嫌いだ。神様から

「お前はずっとそこでそうしていろ。」

って、言われている気がする。それは僕にたまらない圧迫感を与えるんだ。

「うるせーよ!こんなとこじゃ何もできねーよ!」

そう叫ぶと、勉強道具をバッグに詰め込んで、家を出た。駅に着いて、電車に飛び乗り、僕はいつものように予備校に向かった。そのうちに気が休まり、いつものように一日が始まるんだと思えるほど楽な気持ちになった。


予備校に着くと講義には出ず、自習室に向かう。講義中ともあって、自習室には数人のしかいない。僕はおもむろに生活科の教科書を取り出し、勉強しだした。いかにも異様な光景である。予備校で浪人生が生活科の勉強……。大検に備えてとはいうもののちょっと気まずい。表紙を見られないように勉強する僕は、まるでエロ本をコッソリ見るような振舞いをしていたと思う。

チャイムが鳴り、昼休みになった。自習室がどっと賑わいをみせる。僕はその頃、すでに世界史の勉強にスイッチしていたので、あまり奇異な目で見られずに済んだ。しかし、ふと肩を叩く人。

「おいっ!サボり魔。てっめー、午前中サボりやがったな!」

 コンだ。ヘッドロックされたまま、僕は自習室を出た。外に出るとケイとヤスが待っていた。

 「寝坊でもしたか?」

 「休み癖つくと、後で取り返しつかないことになるぞ。」

 どうやら、あまり怪しまれずに済みそうだ。というのも、僕はこの日まで予備校を遅刻、欠席したことがない。いわゆる無遅刻無欠席ってやつだった。なんと奇跡的なことだろう。殊更、僕の場合は天変地異でも起こるんじゃないかと懸念される出来事であった。まあ、ノストラダムスの予言も今年だし、天変地異は起こるかもね。

 とにかく、そんな僕が午前中全欠席するのは、四人組の中で言えば、ちょいとした事件であった。

 「午後は出るんだろ?」

 「ああ。」

 安易に同意してしまった。僕はその応対に痛切に後悔した。まあ、午後の自習室の使用状況は結構混むことが毎日の生活で分かっていたので生活科の勉強なんてできる環境にない。そう考えると講義に出ても、さほど変わらない。僕は教室に向かい、いつもの席についた。

 講義がすべて終わり、夕方になると僕はケイの自習室誘いを断って、早めに帰宅した。何か後ろめたいような気分でなんとも後味の悪い一日だったと電車の中で自分を恥じた。こんなことだったらはじめから家で勉強していれば……。いや、そんなことをいっても始まらない。僕はスイッチの切り替えが早くなっていた。来るべき日は明日。決戦の日は明日。運命の日は明日。明日は僕の人生が最も大きく左右に揺れる日だ。

 いざ勝負!バイト休みの連絡。そして早めに就寝!




 決戦の日。僕の鼓動は午前五時の起床とともに高鳴っていた。早めの朝食を済ませた後、ニュースをしばし見て、神棚に手を合わせた。

おかしくて笑っちゃうんだけど、実は僕、この日を迎えることが、とっても怖かったんだと思う。こういった状況に置かれれば、人はきっと元首的、神秘的なものに回帰するんだろう。それは僕にとっての宗教だった。このときだけは神の存在を認めなければ気が狂いそうで仕方がなかったんだ。プレッシャーに圧殺されそうなノミの心臓を心底恨んだ。     

いつもの通り駅に向かい、電車に乗りこむ。今日の僕はいつもと違い、ウォークマンすら雑音と感じた。よほど集中しているか、気が散ってしょうがないかのどちらかの心境を僕は客観的に分析できる思考力はもはやない。僕は僕の立場でしか、ものを考えられなくなっていた。

予備校があるいつもの駅で降り、バスに乗り換えた。少し時間がかかるらしい。必死で気を抑える僕。少し落ち着こうと窓の外に目をやる。しばし風景でも眺めようかと決め込んだ。


実はわざわざ、県をまたがなくても、大検の受検はできた。しかし、僕が同県で受験することを拒否したのである。

もはや、あの県で何かをすることは僕にとって嫌悪感と拒絶感の賜物以外の何物でもなかった。受験場はわざわざ遠いこの場所を選択できたということで、本当にホッとしたものである。

「望郷の念」という言葉があるが、僕はきっと死ぬまでそれを体験することはないだろう。それほど田舎であるあの街を憎んだ。そしてそこに住んでいる人間も。

「いつか必ず出て行ってやる。」

この言葉を何度口走ったことか。それはその場の勢いで発した言葉ではなく、まぎれもない裸の僕の本心だったんだ。誰も信じちゃくれなかったけどさ。


とにかく受験場に着いたら、多くの受験者がごった煮の中、僕は受験教室を確認し、その教室に入室して試験開始の時刻を待っていた。そのときには高揚感や焦り、不安感のようなものは自然と消え失せ、単体として、ただの物体がそこにあっただけだった。

それからどのくらいの時間が経っただろう。三時間から四時間ぐらいだったかもしれないし、はたまた一分少々しか経ってなかったかもしれない。とにかく帰りのバスを待つ僕がそこにいた。


どうやら試験が終わったようだ。帰りのバスの中で回想にふけながら、僕にはどうも試験中の自分自身が他人のように感じていた。あの試験場に僕は何の感慨も感想もない。ただ、時間だけが淡々と刻まれていった、そんなひと時だった。

大検は全国の受験者の平均点が、そのまま合格ラインとなる。それゆえ、過去のデータはあるものの僕が今、自己採点したところで一〇〇パーセント合格ということはできないし、確信が持てないゆえに、安心感も得ることはできないであろう。僕のこのどうしようもない魚の骨が取れるのは、九月末から一〇月上旬である。どうしようもないこの事実。僕のこれから数ヶ月の生活は大検に合格しているという仮定の上で多くのことが進んでいくことになる。僕はそんな不確定の上で何か集中できる環境を作れるだろうか。おそらく無理である。どうにもならない不安感はいつでも僕について回るだろう。

未来の不確定さを好んだ僕は、現状の不確定さをとても嫌っていた。とても不思議に聞こえるが、僕は今の安心感をとても大切にしたかったし、それを欲していたんだ。明確な将来の目標なく暮らしている僕は今、明確な「大学生になる。」といった近未来的目標のため、必死にもがいていたのかもしれない。モラトリアムを先延ばししたかった僕は、決して歩みを止めたかったわけじゃない。

バスは終点の駅前に到着した。一仕事終えた僕は地下の喫茶店に入り、コーヒーとトーストをオーダーし、試験の成功を願いつつ、受験票を大切にファイルに入れた。




その日は予備校に寄らず、家路に着いた。一人、部屋でボーッとしていた僕はいつものように何か考え事をするわけでもなく、ただそこにあった。


「日付が変わって、○日のニュースです。」


「……。」


ガタッ。


サーッ。


ピー。


……。


風呂にでも入ろうと、深夜、僕は家族が寝静まったのを耳で確認してから、風呂場へと向かった。バイトは念のため、二日間の休みをもらったので今日は夜更かししても大丈夫だ。いつものぬるい風呂に猶予う僕はユラユラ……。


二〇分ぐらい浸かっていただろうか。もう少し猶予う僕はユラユラ……。


体中ふやけたのではないかと感じられるぐらいの長湯……。ぬるい風呂なので風邪でもひかないか心配だ。

さあ、夢の世界からようやく戻った僕はやっと客観的に自分を考えられるようになったので、深夜の反省会をしようと、さっさと風呂を上がり、冷蔵庫の清涼飲料水を持って部屋に向かった。

まず考えなければならないのは、たかが試験をひとつ受けただけで、こんなに疲弊してしまったのかってことだ。いや、疲弊だけならまだしも、しばらくの間、ボーッと何も考えられなくなってしまったってこと。確かに普段の模試やテストと違って、自分の将来に関係あった試験であったことは間違いない。いや、今の生活にも関係あった試験だろう。その意味ではここ数年で一番大切且つ、重要な試験であったことはいまさら再確認するまでもない事実である。でも、そうであるにしても、やりきったじゃないか。僕は今、後悔も何もない。本来ならば達成感に満たされるべき状況じゃん。じゃあ、何でこんなにも空しいのだろう。


……?


「空しい?」


この空っぽの空間がなぜ僕の胸に持ち込まれたかってこと、それこそが問題だ。僕は今までこの試験をベースの半分として、生活してきたつもり。少なくともこの三ヶ月足らずの間、いろんなことはあったけど、それなりの充実感はあったし、うまくいってたと思うんだ。そんでもって、今、そのベースの半分が達成(?)されたって訳なんだけど……。つまり、後は大学入試一辺倒に勉強してればいいってわけさ。大検の合否はおいといてね。

うーんどう考えても順調そのもの。大検の合否がしばらくしないと分からないのは嫌だけれども、それだって落ちてるわけないよ、きっと。だって勉強したし、しっかり思い返してみれば、分からない問題なんてなかったからさ。

でもね、なぜか取れないこの胸の空白はどうしても僕に充足感や安心感が入り込む余地を与えてくれそうにないんだよ、困ったことに。

僕はこの胸の空白としばしの間付き合わなくっちゃならない。これがこれからの日常生活にどんな変化をもたらすかなんて分からないけど、とにかく今は明日のことで頭をいっぱいにすることが、胸の空白に対しての精一杯の対抗策であろう。

さあ、勉強、勉強。


その日は深夜三時三〇分という、どこか懐かしい時間に床についた。




そして、この精神状態が大検合格後も結構長く続くことになる。









ここに時間の概念はない。       舞台 主人公の脳内。強いて言えばステム

         天気 ここはいつも曇り






 ここでさ、ちょっと僕の頭を覗いてみたくなったって人もいるんじゃないかな?まあ、僕はいたっていつも普通のことをしてるつもりだけど、どうやらそれが地球ではうまく噛み合ってないみたいだ。そんなときはいつもここでいろんな人と話し合って、これからのことを決めるようにしているのさ。まあ、それもうまくいったためしはないんだけどね。

 ここまで読んで僕にある種の嫌悪感を持っちゃった人は飛ばし読みするか、または本を閉じて会社や学校に向かう電車に乗っちゃったほうがいいよ。だって、ここは僕の濃縮液がたくさんあって、普段はそれを薄めて外に発信してるんだからね。当然、過激な考えがいくつもあって、みんなの気分を害しちゃったりするかもしれないんだ。僕はそんなことになるのが一番嫌なんだ。だからみんなのしたいようにすればいいし、何なら逆さに読んだってかまわないって思うんだ。


 はっきり言って、僕は周りにものすごい気を使う。なんでかって?それはね、できるだけみんなと同化しなきゃならないって、昔々親に教えられたし、学校でもそうしなきゃ生き抜けない状況がいくつもあったんだ。そんな経験から僕はこういう生き方を理屈抜きに体得したのさ。今となっては誇らしいことでもないけどね。でもみんなもそうしてた。だからこの考えは正しいっていつも感じてたんだよ。少なくとも一四才ぐらいまではね。

ちょっと待って!深くかんぐらないでね。別に一四才のときに何か事件があって、僕の意識は変わったなんて思わないで。そんなことはなかったって思うし、僕が変わったのかどうか分からないけど、今のような考えになったのは決して急に変わったのではないんだ。日常の澱みに気づき始めたのが一四才だったってことにでもしておいてね。僕はこの時代のことを詳しく話すことはしないし、するつもりもないんだ。だって、きっかけなんて重要じゃないし、「考えるべきはいつも今。」って僕は思ってるんだ。だから、話してくれなくて気に入らないって思ってくれるならそれはそれでかまわないよ。僕は今を語りたいんだ。僕は今読んでくれている君の気持ちでさえ、気を使っちゃうからさ。本当に気分が悪くなったり、むかついちゃったりしたら、ここで本屋を出たり、本を閉じちゃったりしてもいっこうにかまわないよ。それは君にとって、とっても大事なことだからさ。

ここで読み終わる君。じゃあね。



まだ、知りたって人いるんだ?ここまで読んでるってことはそういうことだよね。物好きって言うか、なんと言うか……。でも、そんな君たちの動機も僕は否定しないよ。じゃあ、もうちょっとだけ僕の考えを話そうか。

僕はね、将来やりたいことがないってのはちょっと自分自身に嘘ついてるところもあるんだ。ホントはね、やりたいことがいっぱいあってさ、ひとつに絞れないんだよ。例えば、大学に行って学者にだってなりたいって思うけど、一方じゃロックスターにでもなってがっぽり稼いで世界中回りたいなんて思ったりもするんだ。そしてひとつに大学って言っても、いくつも学部があるわけで、その中からひとつに絞るなんてことは僕にできないよ。

だってさ、人って生まれて死ぬまでひとつのことしかやれないって、とっても残酷なことだと思わない?僕はとっても残酷なことだと思うんだ。だから、僕は興味ある将来の選択肢を自ら狭めるようなことはしたくないし、やっちゃいけないことだって思うんだ。ホントは文系や理系で分けるってこともあまり好きじゃないし、高校入試の時だってあまり気乗りしてなかったことは覚えてる。

で、それが不登校と、どう結びついたかっていうとね。実はそんなに関係ないんだ。っていうか、常に自己と他者の葛藤状態にあったのかもしれない。僕は僕で考えってのがあったし、ほかの人にも考えってのがあったのかもしれない。でもさ、そこで最大公約数的な意見や行動をしないとね、周りから注目の的になったりするんだ。例えば、休憩中にあからさまに参考書を引っ張り出して、勉強してたりしたら、そりゃあ周りから「自分だけいいかっこすんな。」みたいなバッシングや、やっかみを受けたりする。それって変じゃない?僕はそんなことを幾度となく受けたことがあるんだけど、相手にしたくなくても、気になっちゃうんだよね。そこで、「周りと同化しなきゃならないっていう過去の教えを守らなくっちゃ。」っていう最悪の決断をしてしまうことだって少なくなかったんだ。僕はそうやってなんとなく年をとりたくなかったし、自分に関することには正直に生きたかったんだ。だから、不登校になったっていうことができるのかもしれない。ずいぶん曖昧な言い方だけど、僕は前に複合的な要因って言ったよね。そう、今説明したことは不登校になったことの一要因であったことは間違いなんだ。じゃあ、他の要因は何だって?残念!いっぱいあって言いたくないよ。


じゃあ、何で僕が大学に行く気になったのかっていうとね。そりゃあ、たくさん理由があるんだけど、一番の理由はさ、やっぱり僕の信念に基づいてるって要素があると思う。だってね。大学でたら、サラリーマンにだってなれるし、大学院に進学だってできる。はたまた教職課程をとって、教員にだってなれるかもしれないんだよ。他にもたくさんの分かれ道があってさ、僕はそこで一番向いてるなって道を選べるんだよ。もちろん二つの道を同時並行的に進んでいくことだってできる。高校でて就職、または専門学校に行くよりちょっとだけ残酷ではない人生がそこにあるって思ったんだ。

でもさ、どうしてもそこに行くまで、いろんな道を捨てなくっちゃならなかったり、もしくは諦めなくちゃならなかったりするから困る。だから、ここはいつも曇りなんだ。

僕が「右に倣え。」みたいな考えが一番嫌いだってのは、みんなもここまで読んで分かってくれたと思う。それに賛成するか、反対するかってのは別としてね。




さて、僕が予備校にうまく順応してるのはなぜだと思う?実は僕、予備校が始まる前からここではうまくやっていけるっていう自信はあったんだ。

なぜかって?それはね、はじめ、授業見学したときにあいにく、休憩時間になっちゃって授業が終わったんだ。でもさ、そこに衝撃映像!席は自由ってのは分かってたけど、後ろでウォークマン聴きながら、単語帳開いてる奴がいたかと思えば、その隣では雑誌に目を通す奴。はたまた友達と話す奴もいたり、外に休憩に行く奴、とにかくいろんな奴がいたんだ。しかも、お互い周りに影響されることなく自分のペースってやつを守ってる。自分がやりたいことを周りに影響を与えない範囲でやっていて、周りもそれに対して何の邪魔もしない。いや、それぞれやることがあって、周りのことに関心がないのかも。僕はその環境がたまらなく自分にマッチするって感じたね。ここでは交友関係を広げなくたって快適に生活ができるってさ。




最後に僕が何を考えているかって端的に話すよ。僕はこれから自分に素直に生きたいだけなんだ。それは我儘とはちょっと違うんだけど、周りに影響されて自分も仕方なくって事はもっとも愚かな行為だし、ある意味、部分的自殺だと思うんだよね。つまり、理由なく自分の意見を殺すのは絶対によくないことだって分かってた。いくらこれが幼稚なことでもね。僕にこうしろ、ああしろっていう人は絶対に説明責任があると思う。だから、僕は説明を求めたことだってあるんだ。でも、「みんなと同じに……。」「普通は……。」「世間では……。」って、僕の納得のいく答えを持ってきた大人は今まで一人もいなかった。ってことはだ、僕は正しい。

きっと同化を強要する人ってのは「何となく」を論理的に説明できない人……。可哀想だけどそう言わざるを得ない。何が何でも周りと一緒のことをしないといけないって考えや、あまり目立つことをするべきではないってのは何ら正統な根拠のない、虚実だっていうことは分かっていたし、そう言い出す人は絶対好きにはなれなかった。だから僕は僕に正直に生きるのさ。別にカッコつけてるわけでもないし、ツッパッてるわけでもない。できればナチュラルに生きてるって捉えてほしいな。




まあ、そんなわけで僕がモラトリアム人間である理由かちょっとだけ分かってくれたんじゃないかな。

将来ってやつは振り子の針のようなもの。はじめ大きく振れていて、やがて止まる……。そこがそいつの将来の目標になったり、目的地になったりするんだよ、きっとね。それを振れている途中で無理やり止めるようなことをしちゃいけないよ。自然に針が止まるまで待ってあげることが、自分を理解するってことなんじゃないかな。

僕らモラトリアム人間は、最初に触れる振幅がとっても大きかっただけなんだ。だから振幅が小さくなるのがみんなより遅いのは当たり前だし、きっと止まるのも遅いはず。僕らはそれ故、学生っていうモラトリアムを大事にしているんだと思う。僕なんか、できるだけ学生っていうモラトリアムを先延ばししたくてたまらないんだ。だって、いつ針が止まるか分からないからね。とにかく針が振れているときに無理矢理止めるようなことはしたくないんだ。みんなに分かってくれとは言わない。でも、振り子の針が止まるそのときまで、できるだけ未知のものに触れておきたいんだ。それが世の中の常識に反することだって触れておきたいと思うよ。




最近の懸案事項がひとつ。妙な交友関係が構築されたこと。僕にとってこれがいいことなのか悪いことなのかは分からない。ただ、ちょっとだけ情が入りつつあるのは確か。


さあ、みんな出ていってくれ。これから、このことについて話し合わなくっちゃならないんだ。














一九九九年   九月上旬     天気 秋雨      場所 某地方都市

    精神状態 澱み

 

 

 

 

 

「受験の天王山」と言われている夏期講習が終わり、受験という日がいよいよ現実味を帯びてきた。周りの空気がピリピリしていたから、そんな緊張感を僕も感じてしまった。面談の日も増え、どうやら予備校側も合格者を多数出したいという意気込み充分であるようだ。

一方、僕は結局のところ、何の危機意識もなく、ただ大検の合否だけを毎日気に留めていた。あと三週間くらいで結果が通知されるはずだ。それまで、この胸の澱みは決して取れることはないだろう。それは覚悟していた。そんな中で僕は将来の道筋について大検合格を見越して考えることなどできるわけもなかった。とはいうものの、仮に僕が普通の浪人生だったとして、今頃、将来についての道筋を決められていたかというと、それも怪しい。

 

「前回の模試の結果どうだった?」

ヤスの声だ。

「ん?まあまあ。」

適当な返答。

「相変わらず、危機感ないなあ。いいかげんにその秘密主義どうにかしろよ。で、結局、どこ受けるんだよ?」

「遠いところだよ。」

「だからそれはどこだって?」

「そうだぁ。都内かな。」

「都内って……。それだけ?」

「それだけ!」

 

いつの間にか、僕とコン、ヤス、ケイは所謂『友達』ってやつになっていた。はたから見ればきっとそうだ。だから僕の唯一の拠り所になってたんだけど、そいつらにだって僕は自分の全てを晒すわけにはいかなかった。批判は目に見えてるし、それに対抗できるだけの言い分もない。そして何より、嫌われることや奇異な眼で見られることは絶対に避けたかったんだ。特にこいつらにはね。

 

講義の内容は徐々に過去問を中心とした筆記テスト時間と化していた。僕はそんな中で一人だけスタートラインにすら立っていない自分の不甲斐なさを悔いた。

「今日の過去問は完璧!」

「マジで?俺はやばいかも。」

こんな会話に、僕はだんだんと心を痛めていった。実感を伴わないことに感情移入して話すことなんてできないからだ。僕にはまだ大学の受験資格すらないんだ。もしかしたら今年は受験できないかもしれない。そんなやつが大学入試の過去問を解いたからって、それが何だっていうんだ。どうにもならない葛藤とうっとうしい秋雨が日に日に僕の熱を奪っていくのを実に辛辣に噛み締めていた。

 

家と予備校の往復は通学時間が長かったものの、それほど苦痛ではなかった。相変わらず続いている淡々とした時間。決して無意味ではなく、充実していたと思う。でも不思議なことに大学受験が近づくにつれ、その充実感が薄らいでいくことをこの頃、はっきりと感じられるようになってきた。

その心境の変化がなぜ起こるのかは分からない。でも誰にも言わないことを条件に正直に言えば、受験に対して冷めてしまったのかも……。実際、僕の将来に対する恐怖っていうのは決して消えることはなかった。だから僕はまた臆病になったのかもしれない、将来にね。

 

 

 

三週間後、僕の元に大検の合格通知が届いた。

 

呆然と空を見上げるといわし雲。

 

流れる雲に乗って、次の季節が顔を出していた。それに恐れおののきながら、僕は目を閉じ、息を殺して、じっと空気の温度を確かめていた。

冷たい……。ひんやりとした秋風は僕に何かの終わりを告げているような気がして、たまらなく悔しかった。

 

家族に合格通知を見せると、いつ以来だろうと思わせるぐらいの満面の笑みでその合格通知を喜んで眺めていた。ひと時の団欒……。

 

どうしてだろう。ちっとも嬉しくない。

 

不安感と恐怖で僕の胸はいっぱいになって窒息しそうな切迫感が僕を絞め殺そうとしていた。だから、僕はその何年かぶりの家族との直接的な意思疎通を満喫することはできなかった。

部屋に戻ると、音楽をかけた僕は高校のときから聴いているお気に入りのミュージシャンのCDを戸棚の端にしまった。

流れていく速さへの戸惑いと恐怖は僕を容赦なく襲ってきた。僕はそれに耐えられず、蹲って眠りについた。

 

 

 

その日から、どうも自分が何かの燃えカスに感じて仕方がない状態が日増しにひどくなっていった。合格で大学受験に本腰が入るかと思ったら、むしろ逆で、毎日の焦燥感が僕を襲ったのである。

それは僕の心のほんの一部分に点のような痣として在ったものが、次第に根をはり、僕に深く根ざし、やがて僕を浸食していった。いつかは表面化してしまうことを僕は恐れ、必死に隠そうとして明るく振舞うが、果たしていつまで続くのだろう。僕の焦燥感は次第に大きくなっていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時は流れた。

二〇〇〇年  四月上旬   場所 東京都に隣接する県の専門学校の寮

 精神状態 よくないが鬱にはならない






引越しの片づけが終わり、本当の意味での新生活が始まった。寮生活ではあるものの、とにかくあの街は抜け出せたわけである。六畳一間トイレ、風呂共同のここから僕の新生活が始まると思うと、どことなくほくそえみたくなる。いつまで続くかわからない静かな絶望感の中にある刹那の幸福感と高揚は、僕を、より一層混乱させた。何はともあれ、大学受験失敗と、その後の上京決定は僕にしてみれば、不幸中の幸いといったところか。いや、そんな安易な言葉では片付けられないとても複雑な、混沌としたカオスの中に僕は浮かんでいた。

しかし、とにかくあの田舎から飛び出したことについては喜びを感じるしかない。あの土地で一八年も過ごせたことはほぼ奇跡に近い。こんな愛着も何もない田舎は、何の未練もなく、自分の脳内からは完璧にデリートできたかなと思えた。僕はあの場所で学校、家族、地域……二重、三重もの抑圧を受けていた。他の者と同位であること。同じ行動をとるということがどうやらあそこのモラルだったらしい(笑)。考えただけでも思わず噴出してしまう。今、あの場所を離れてみて、改めて考えてみると、あの街ってのは自分にとってゲットーのようなものだった。そこから、どんな理由であれ、抜け出したことは自分の中でとても大きいステータスになるのではないか、なぁんて大げさに考えてみたところで、また、現実の不安感が襲ってくる。この不安感はどこから来るか、所在不明ではあるが……。ともあれ、今はこの新天地で暗中模索の日々を送るしかない。とても大きな喜びであるはずなのに、スプーン一杯程度のほくそ笑みをする以外に自分を慰める術はなかった。


「慰める」……?どうして?


ここでの僕の不思議な劣等感や不安感は次のような感情から出ているように考えられる。


いくら上京したとはいえ、大学生になれなかった悔しさは一生僕に付きまとうであろう。この専門学校に行くと決めたのも、何とか理由をこじつけて、半ば強引に親にたきつけただけの話である。別に専門学校に希望を見出したとか、この専門学校じゃないとだめだったとか、そんな理由ではなかったんだ。


僕は僕の中でも完全に悪者になったんだ。

家族の皮肉に満ちた辛辣な言葉を僕は、まだ覚えている。きっと、呼吸が止まるまで忘れることはないであろう。投げられた言葉の中には

「働け。」

って、キーワードが共通してあった。でも僕はそれを拒否し続けたんだ。引き合いに出す材料がないと家族に押し切られるから、こういう風に言った。

「東京の専門学校行けなかったら、僕は部屋でずっと暮らしてやる。二度と社会になんかでないし、無理矢理にでも出しそうとしたら、ぶちのめしてでもまた部屋に引きこもってやる!」

渋々家族は地元を離れ、東京の専門学校に行くことを承諾したのである。僕にとって反省すべきは大学に合格できなかったってことなのに、家族の前では完全にひらき直っていた。だって、もし「反省してる。」なんて口にしようものなら、その弱みにつけこまれて、家族のいいように将来の方向付けされちゃうからね。そこは一〇〇パーセント僕の意思を主張しておくことはとっても大切だったんだ。

僕はこうやって強引に一人暮らしの権利をもぎ取ったのである。反則に近い行為はあったけど、何とか家族とあの地元から、遠く、遠く離れた地に来ることができた。




引越しの日。誰も駅に見送りに来ず、家族戦争は冷戦のまま、僕は一人でローカル列車に乗り込み、そしてここまでやってきた。誰にも

「いってこい。」

とか、

「がんばれ。」

とか、激励の言葉なんかなかった。とっても寂しい出発。

でも、僕はここの土地の人に激励の言葉なんかもらいたくなかったし、仮にもらってたとしても、丁重に皮肉混じりのお返しをするつもりだったけどね。


とにかく、出発の日、僕の中はいろんな思いが駆け巡って混乱していたんだ。例えば一人暮らしできる楽しさや期待感はあったと思う。でも、一方では大学生になれなかったことで四年間のモラトリアム延長券を手に入れることができなかったとともに、それほどの学力を備えていなかった自分へのやるせなさがあいまって、津波のように幾重にも僕を襲ったんだ。

嬉しさと物悲しさは僕をよく分からない生き物へと変化させた。それから、僕はしばらくとっても薄っぺらく、表層的なことしか考えられなくなったんだ。どうしてかは分からない。ただ、一八年間いろんなことがありすぎて、僕は心底疲れたんだと思う。だから、僕の深層心理ともいうべき、根っこの部分はぶ厚い扉で閉じられ、鍵までかけられた。決してアクセスすることは許されない。果てしなく思慮深いモラトリアム人間は電車の中で封印されたのである。所謂、僕という根っこの存在は完璧に幽閉されたってわけである。


一人暮らしするにあたって、心底一人暮らしを愛したモラトリアム人間はどこかにいってしまったわけである。

旅立ちの電車の中、新学期の準備でもしてるかのごとく自転車で疾走する少年を見かけた。広大な田園地帯の中で颯爽と走る自転車。僕はその光景が感傷的に涙腺を刺激していたのを覚えている。さっさとこんな光景忘れてしまおう。頭を掻き毟る僕はお世辞にもかっこいい若者ではなかった。


二時間ぐらいずっと電車に乗っている。僕は無味無臭の干物。電車の義務的テンポに体を揺らしている。窓から見える風景にはもうあの少年の面影はなかった。巨大な建物がドンドン増えていく。住宅地から商業地へと、そしてその先は巨大コングロマリット群。ビルとビル隙間を縫うように走る電車。僕は電車内で都会の喧騒に同化しようと努めた。だってここは僕の主張なんて誰も聞いてくれない極寒の地。だから人の流れに身を任せて、日々猶予って生きた方が懸命だ。もし、流れにのりたくなかったら、部屋に逃げ込めばいいだけの話。誰も僕に関心なんて持ってくれない。僕が何時にコンビニにいったって、はたまた何時に寝たって関係ない。それはそれで嬉しいことではあるけれど。

 


新生活の地に降り立ったとき、僕はすでに都会に順応する覚悟ができていたし、早くもその片鱗を見せていた。




そんなこんなで引越しの片付けも終わり、一休み。布団を敷いて仮眠でもと思い、寝転がった。

ふと懐古の念。僕はまた同じことを繰り返してしまうのだろうか。あの時はほんとに辛かった。どうしているんだろう?あいつら。




コン、ヤス、ケイのこと。受験戦争に巻き込まれ、一月から三月のたった2ヶ月間で完全に音信不通になってしまったよ。お互い電話番号も交換していなかったし、予備校内だけの付き合いだった。それが僕にとってベストな距離だったし、やつらはどうかわからないけど、僕にはとってもいい関係だったと思う。それに新生活を始めるにあたって自分の過去をリセットするには完璧に音信不通になった方が頭を切り替えやすいんだ。

内心分かれるのは本当に辛かったけどね……。でも、喧嘩別れしたわけじゃないからさ。きっとこの長い、長い旅路の中、どっかの通り道で偶然すれ違ったりすると思うんだよね。そのときは、

「よう、久しぶり!」

って、声をかけてやるつもり。


でも、そんなことって、これからあるんだろうか?

結局、僕は自分を傷つけたくないために、無二の親友を捨ててしまったのかもしれない。あいつらと連絡をとろうとしなかったのは、あいつらが大学合格していたら物凄い嫌悪感と自責の念、時間を巻き戻してやり直したいっていうどうしようもない気持ちになることが怖かったからだ。なんだかんだ言って、僕は僕を守っていただけだった。しかもそれによって今また傷つこうとしている。やっぱりどうしようもない致命的人間が僕であることに何ら変わりはなかったのである。いくら新生活を送っていようともね。


僕の最大の不満は自分で振り子の針を止めてしまいかけたことにある。どうやらここからの将来の選択肢は大学のそれよりもはるかに振幅が小さいものになってしまうことは間違いない。僕は今、それを悩んでいるんだ。だから、できるだけ専門学校のことは考えたくないってのが本音だし、その本音すら考えたくないっていうのが正直な気持ち。絶望という暗がりの中にある安息の静寂。それが今の僕がおかれている状況そのものだった。




僕は今、東京から電車で二五分の所に住んでいる。都会に隣接しているから、それなりにここは発展しているし、それにバイトに困ることはなさそうだ。でもって、寮の前にあるコンビニ。これが最高。僕が住む部屋を出て、道路を挟んですぐのところにそれはあった。夜食には困らないね。

駅までだって近いし、専門学校は東京だから、毎日東京に行ける。僕にとって、ここは未知のパラダイスだった。時刻表無しに駅にフラッと行けることがいかに価値あることか僕には染入るほどよく分かったんだ。




専門学校で何をやったってさ。どうしても気になることがひとつだけあったってこと。それは、駅の近くにある大手予備校のでっかい看板。あれが毎日僕の何かに突っかかって、どうしても気になるんだ。何かをしなくちゃならないってワケでもないんだけど、僕には今ひとつ大学ってやつを割り切って考えられなかったようだ。今の生活や、学校にさほどの不満はないものの、どうしても日常にぽっかりと穴が開いたような、そんなどことなく不安定な自分がいた。それが一体何なのかも分からずに……。


その日はそのまま風呂に入らず寝てしまった……。






専門学校の入学式も終わり、後は淡々とした学校が始まるのを待つだけだ。




ひとつ不思議なこと。それは僕が大学受験に失敗したときはとても落ち込んでいたんだけど、今はこんなに淡々と生きてるってこと。どうやら、大学入学はそんなに重要じゃなかったのかもしれない。いや、淡々と生きてるわけではなく、ただの抜け殻だったのかもしれないけどね。

今となってはそんな自分の過去を否定するような考えになってしまうんだけど、あの一年の意味ってなんだったんだろうって聞かれるとチクッて心のどこかを刺されている気がして、このての質問を自問自答するのはやめようって思ったんだ。

ただ、これからの期待感と好奇心だけはたくさんあった。 同じぐらいの不安感も。でも考えるのはめんどくさいし、極力表層的に努めるべきだろう。頭のチャンネルを無理矢理切り替えた。部屋の蛍光灯は無機質に冷たい白色光で、淡々とありのままの僕を照らし続けていた。変な理科の実験室のような、そんな光景が僕をぞっとさせていた。




おっと、その前にバイトを決めねばなるまい。とっても不思議なことだが、僕はこの遠く離れた土地では、接客が嫌だとか、人とあまり触れ合いたくないだとか、そんなことは仕事を選ぶ条件からは除外されていた。何故かは分からないけどね。だから僕は特に何の条件もなくバイトを選ぶことが出来たんだ。

どんなに人ごみの中を歩いても周りは気にならないし、人がごったがえす電車の中でも同じ。僕はまるで人間っていう大きな怪物に埋没してしまったかのごとく、都会に埋もれていたのかもしれない。


二〇〇〇年 五月中旬    天気 曇り       場所 寮と専門学校の往復

   精神状態 デジャヴ






新生活が始まって数週間が過ぎた。僕の中では特に何の問題もなく毎日を過ごしていた。過ごすって言うよりも「垂れ流す。」って感じがより正確に場面を表しているのかもしれないな。でも僕は、これから何をするでもない一日、一週間、一ヶ月、一年を送ることになるだろう。それは別に何をするでもない淡々とした作業……。

休みの日は部屋で音楽を聞いて、ショッピング、電車で東京へ行って映画とブラブラ散歩。そんな日々を送ることになるだろう。


それは、どことなくあのときに似ている。


胸が痛い。



一人暮らしを始めてからというもの、僕は極端に感情の起伏が小さくなっていた。だから、極端に不愉快になることもなかったし、特別、嬉しがったりすることもなくなっていた。

 そんな凹凸のない毎日は、僕をちょっとだけ素直にしたんだと思う。満員電車の中でシルバーシートをどこかのおばさんに譲ったことが僕のステータスになっていたんだ。

 他に変わったことといえば、夜食を二時頃買いに行くことぐらいか。僕にとって深夜のコンビニってのは、講義中にコーヒーを飲むことにとてもよく似ていた。それゆえ、何も食べたくない日でも、決まって二時になると、コンビニに出かけたんだ。それが当たり前になって、深夜徘徊が習慣になると僕の人間性はまた一歩、世界と乖離することが耳で聞き取れた。

 

 

 

 数週間過ぎると、僕の一人暮らしの順応性は驚くほど早く心に根ざしていた。ホームシックになる寮の連中をよそに僕はカップヌードルのふたを誇らしげに閉じる。そんな僕には故郷なんて実質的には無かったんだと思うんだ。

 おそらく日本一、一人暮らしを順調に始められた僕は、ゴールデンウィークになっても帰郷せずに、もぬけの殻となった寮に残って棟の掃除を無償でやっていた。それゆえ寮長とはとても親しく話をしたんだ。奇しくも実家では手伝いをしなかった僕は、今、共同浴場のタイルをブラシで磨いていた。奉仕的な精神からではなく、ただ時間を埋めていただけだったんだけどね。そんな本心は誰にも明かさずに、寮一の働き者となった僕は、それなりに寮内での信用を得ていった。

 夜になると、どこかの部屋で雑談などをしながら、時間をつぶし、コンビニに行ってから僕の部屋に戻る。寝るのは大体三時前。そんな時、決まってやっていたことは、ラジオをつけっぱなしで寝ること。どうしてかは分からないが、一人暮らしをはじめてから、僕は極度に無音を恐れていた。

 

 そんな訳で、地元を離れるときに、一人暮らしなんかできっこないって辛辣に言われた親の鼻をあかしてやった僕は、もはや誰も信用できなくなっていたのかもしれない。唯一、自分の感覚だけを頼りに手探りで暗がりの人生を弄っていた。

 

 夜、風呂あがりにひんやりとした部屋に戻る度、今を確認するようにつねった頬は熱を帯びて赤らんでいた。

 コンビニへ行く最中に見上げた夜空には満天の星が都会のネオンにかき消され、身を潜めていた。僕の軽快な足取りは、より一層軽くなって、アスファルトに靴を打ちつけていた。

 

 

 

それからしばらく経って、専門学校では多くの人と話し、寮でも多くの人と触れ合ったけど、予備校のそれとはまったく違っていた。ゆえに彼らの匿名性は僕の心によって守られたわけである。

 かといって僕は予備校のことを振り返ろうとはしなかった。どうしてか分からなかったけど、時間を巻き戻しされるのは、いろんなものが付帯的にくっついてきて辛かったんだと思う。そこにはどうしようもない後悔と自責の念が渦巻いて、僕の意識を根こそぎ刈り取っていってしまうような恐怖感がそこにあった。

何のことない一日がまた終わってしまった。僕は後悔しなかったが、ちょっとした日常の澱みを感じながら、ラジオをオンにして布団にもぐりこみ、蹲りながら浅い眠りについた。ラジカセの明かりでぼんやりと映し出された天井のラインはとてもメランコリックだった。




とある日のこと。専門学校の帰り道。僕は例の駅前の予備校に吸い込まれるかのようにふらっと入っていった。どういった感情からそのような行動に出たのか。自分でもうまく説明できないんだけど、掃除機に吸い上げられるごみのごとく、僕は無機質な蛍光灯群に吸い込まれていった。まるでそれを望んでいたかのごとく……。

中ではサテライト講義のエキシビジョンが映し出されカウンターで多くの学生が何かの手続きをしている。

ちょっと悔しかった。僕から見たこいつらは、結構、眩しすぎる光沢があったからだ。まるで新鮮な息をしてるって感じだった。不規則な呼吸、一歩ごとに歩幅の違う歩み。どれも生きてるって感じだ。今の僕とは比べ物にならないほど、人間をしてる……。

そのとき、かつて大きく振れた針を僕はもう一度だけ、振りなおしてみたくなったんだ。それは過去の自分の懺悔といった高尚なものではない。まるで何もなかったかのような初体験の気持ちで大学受験をしてみたくなったんだと思う。過去の自分の所業は棚上げにして……。お世辞にも全うな動機ではないけど、もはやそんなモラルの通用する社会性は僕には通用しなかった。というか、そんな過去からは一〇〇〇マイル以上も逃げ出してきていたんだ。悪びれもなく、ふと壁を見ると、全国模試の案内がでかでかと貼ってあった。どうやらその受付で込み合ってるらしい。


ひと時の静寂……。僕の胸を襲う刺すような激痛。


受付に向かった僕は列の最後尾に並んでいた。そのとき、僕がなぜそんな行動をとったのか、言葉で説明しきれないところがたくさんあって、どうにも表現しようがない。

ただ、子供の頃、遠足した場所に大人になってから、車で行って懐かしむってのがあるだろ?それに近い感じはあったよ。だって、列に並んでる僕はきっと活き活きとした顔に戻ってたと思うからさ。


「はい、何でしょう?」

と受付の女性の声。

「あの、模試受けたいんですけど。」

「本科生ですか?」

「いえ、外部です。」

「では、この書類に記入してください。」


……。


「はい、どうも。」


 何が何だか分からないまま、僕は受験票を受け取った……。


無言。



 今更、大学が何だっていうんだ。僕は今の暮らしには満足しているし、田舎を離れて、自分の道を歩いてるつもりさ。なら、どうして……。


その日は寮に帰り、さっさと寝てしまった。


……。


あの日と同じ夢……。


「はっ。」

まだ朝の六時だっていうのに、不覚にも目覚めてしまった。僕は昨日見た夢の意味をベッドでしばらく考えてみた。


三〇分くらい過ぎただろうか、大分、目が覚めてきた。足の冷たさを感じる。昨日の受験票を取り出し、じっと見つめる。機械のインクのシミだろうか、紙の端が黒く煤けている。受験票を棚に置くと、僕は音楽でも聴こうと、CDを取り出す。ディスクをプレーヤーにセットすると、とっさに一曲目からかけた。朝には不似合いな重い曲だ。

どてっぱらにズシリと響く。なんてひどい曲だ。僕はアルバムジャケットを取り、表紙の模様を眺めた。曲とは正反対のカラフルでソフトな蛍光色。


……。


「色……。クレヨンの色……。真っ白なキャンバス……。」


静かな閃きだったかもしれない。そのときの僕は何かを悟ったにしては妙に落ち着いていた。

僕にはクレヨンの色が一色しかなかった。それがあの予備校に行くことで三色ぐらいに増えたのかもしれない。そして、奴らに会ったことでもっと増えていった。今、僕の手元に何色のクレヨンがあるんだろう?そしてこれから何本増えていくんだろう?

僕は自分が大学に惹かれた理由をずっと考えていた。それは曖昧なところに惹かれたのかもしれない。確かにそうだ。でも、それは言い方を変えれば、不特定多数の人との出会い。どんな奴が集まるとも知れないところでの出会い。今まで想像が及ばないほど未知の世界での出会いだった。

しかし一方で未来の恐怖におののいた自分がいた。確定的な未来を何よりも恐れ、逃避行を続けてきた。

人間関係に悩んでいた僕は誰よりも人間関係を欲していた。僕はいろんな人と出会って生きたいし、いろんなことを経験したいんだ。そうやって自分の人生を塗りつぶしていけたら、なんて素敵なことなんだろう。それには恐怖ってやつを打ち砕く勇気ってやつが必要だけどね。

 本当は今、自分が何をしたくて、将来どうしたいかなんて正確には言えないけど、僕はもっと多くの人と出会わなくっちゃならないし、多くの環境に身を投じなければならないはず。そんな使命感がうっすら僕を覆った。モラトリアムってきっとそういうことさ。

 

僕はそれをこれからの人生のために戦略的に使いこなしてやる!

 

完全にふっ切れた。僕は今までやってた接客業のバイトを辞め、もっと歩合のいい、警備員のバイトをやることにした。それで予備校の模試は一年間受けられて、しかも入試の受験料は払えるだけの貯金はできるだろう。

都会に出て、モラトリアムを満喫するために部屋に鍵を掛け暮らす。それじゃあまりにも閉鎖的さ。僕にはもっと新しい地に出て行かなくちゃならない理由があるんだ。振り子が止まるそのときまでね。

 

その日から自分の生活は活気を徐々に帯びていった。専門学校に行き、その後、寮に帰って入試勉強。夜になると、警備の夜勤で都内中を飛び回った。土曜は勉強とバイト。日曜は基本休日だが、模試のある日は、朝早く電車に乗って都内に向かう。そんな生活は僕にとって、とっても肉体的にきついものだったけど、その間、たくさんの色を手に入れたって実感できたし、何よりその生活が楽しかった。

この生活はこれからしばらく続いていくことになるだろう。無念にも自分で止めた振り子をまた振るために、僕は無様にまたもがき始めのである。

 

 

 

振り子をまた振ることできるだろうか。

 

きっと、まだ止まるべくして止まっていなんだ。そう信じたかった。

 

自分の人生に本気になってる自分ってなんて楽しいんだろう。

 全国模試当日。久しぶりに感じるこの緊張感にびりびりと抵抗しながら、日曜のガラガラ電車に乗る。専門学校も日曜は休みだし、僕は寮を朝早く、そっと抜け出して、都内に向かったのである。

 試験場に着くと、懐かしい光景。ギラギラに光った目線を持った連中とその中にチラホラいるモラトリアム人間らしき奴。そいつらもギラギラとした目線を持っていた。僕はその中にちょっとした後ろめたさも感じながら、入っていった。とても心地のよい空間だったと思う。

 

 やがて試験が始まり、僕はこいつらと一緒の土俵に立っていた。

 

カリカリ……

 

カリカリ……

 

 

 

 「やめてください。試験終了です。お疲れ様でした。」

 どっちらけの試験後、僕は夕焼けに映える鉛筆の鉛筆になっていたんだ。僕らは都会のビル群に隠れていくあの太陽に薪としてくべられ、夕焼けは赤みを増し、僕らの熱情を奪いながら燃え盛っていた。行き交う渋滞の車のボンネットに映る太陽に僕らは自分の一部を感じずにはいられなかったんだ。

 

 帰りの電車の中、僕はこの状態が妙に心の閉塞感を除去してくれたように感じていたんだ。予備校のような隙間産業に僕っていう存在が飲まれてしまったのか?いや、そうではない。彼らにやられちまったんだから。予備校生っていうギラギラに。

 彼らのパワーってとても強力で、分厚い扉に鍵までかけた僕の心の根っこをとうとう開放してしまったらしいんだ。その時、何となく(?)始めたきっかけが、僕の中で一つの強い決意としてより確固に固まりつつあったんだ。

 

その日の夜、僕の微熱は僕の将来に対する冷感をチンしていた。ほっかほっかの心はそれから長続きはしなかったが、その残像が毎日の単調さの中で際立って僕を刺激していた。

 

 

 

 

 

二〇〇〇年 六月 下旬    場所 都内にある専門学校   天気 ピーカン

    精神状態 いっぱい、いっぱい

 

 

 

 

 

「おい、具合でも悪いのか?」

先生の声ではっとした。僕はどうやら講義中にペンを持ったまま眠ってしまったらしい。しかも、起こされるまで気づかなかった。

「あっ。平気です。すいません。」

「今年の夏は暑いからな。みんなも気をつけろよ。」

どうやら何とかやり過ごせたようだ。最近は夜勤が多くて、徹夜になる日も結構多かった。しかも、一日おきの仕事にしているのだが、忙しいらしく毎日入る形になってきている。稼げるから文句はないが、勉強に支障が出るようなら考えねばなるまい。

とにかく今日は仕事もないし、部屋でゆっくり休もう。

 

「帰りに飯でもどう?」

帰りがけに声をかけてきた同じ科の男。僕とは比較的仲がいい。同い年だし、地方出身者。それなりにものの見方も合っていた。

「別にいいよ。じゃあ、途中で電車降りて、都会散策でもするか。」

「いいね(笑)。」

僕らは結構意気投合していたが、一年前の予備校のそれとは明らかに違っていた。僕は始めから彼と自然に話していたし、へんな警戒もしてなかった。それは彼自身がモラトリアム人間であるということに僕が気づいてしまっていたからである。それゆえ、気も合ったし、意気投合できたってわけだ。


都内のレストランに入った僕らはお互い気をつかって、禁煙席についた。とっさに話を切り出した彼。

「最近どうよ?」

許容範囲が広すぎる質問。答えに戸惑った僕は

「まあ、それなりかな。」

「疲れてる?」

「バイトがきつくってさ。」

「でも稼げるんだろ?」

「まあまあ。」

「何に使うんだよ、そんなに稼いでさ。寮の奴も心配してるぞ。深夜に出て行って朝帰ってくるってさ。」

「まあ、そういう仕事だから仕方ないじゃん。」

「先生も心配してたからさ。ほら、今だって目の下。」

手鏡を出した彼。そこにはパンダ。

「隈ができるほどやるバイトって、一体何よ?」

 

「……。」

 

こいつになら言ってもいいか。そんな一瞬の気の緩みから僕は言葉を発した。誰にも言わないってことを念押しして……。

 

 

 

……。

小一時間話し込む。

談笑……

 

 

「そっか。それってすげえよ。きっとうまくいくって。」

口火を切って自分の意見をとうとう言い出した。僕はほぼ軽蔑されることを予期していたが、どうやらそうではないらしい。

「だといいんだけどね(笑)。一年前の自分の行動を悔いるばかりさ。」

「無駄じゃねえって。それが分かっただけで今年一年は無駄じゃなかったろ?俺にも会えたしな(笑)。」

「去年大学行ってたらって考えてさ……。」

 言葉に詰まる。

 

「今年大学行ってたら、きっとお前、また同じこと繰り返すぞ。何でも中途半端で……」

言い過ぎたような彼の顔。話し半ばで急に口ごもった。

「……そう考えるよ。サンキュ。」

「お前の道は単なる回り道じゃねえからさ、きっと。」

「でも俺の同期の連中は……」

「関係ねえって!」

荒ぶる声が店内を一周する。いや、荒ぶってはいない。しかし、確信に満ちた口調が僕たちの空間に切れ込んだ。その切れ味は見事。スパッとその場の馴れ合いの空気を切り裂いたんだ。

「だって、俺と同じクソ田舎からでてきたんだろ?お前と一緒の奴なんていなかったろ?だからやつらと同じペースで生きなくていいんだよ。やたら周り気にする馬鹿はほっときゃいいじゃん。」

 

「まあ、ほっとけなくなって、我慢できずに俺たちはここにいるんだけどね。」

よかった。緊張の糸がまた緩んだ。

 

目を合わせて、ほくそ笑む僕らは調和してそこの時間に乗っていた。快適な時間は秒針でリズムを刻む。余計に可笑しくなり、僕らは笑った。そう、何の理由もなしに。

 

「で、どこの大学行くんだ?地元戻るのか?」

「この辺の大学でいいとこ探すよ。」

「だろうな(笑)」

「そっか。じゃあ、勉強しなきゃな。」

「そうだね。」

 

注文したカレーを味わいながら食べる僕。注文したドリアを貪る彼。それを見て、ちょっと寂しくなった僕はたまに連絡をとってもいいかと彼に尋ね、電話番号を交換した。僕らのモラトリアムホットラインがつながったってわけだ。

 

「じゃあ、俺もホントのこと言うけど、俺はこんな狭い日本からは出て行くからな、絶対に。」

彼はとたんに生き生きした顔で僕にこういった。そのとき、僕には「日本を出てどうするの?」って聞く選択肢があったんだけど、彼を結果的に追い詰めるかもしれないから、あえてそれは聞かなかった。

「どこに行くの?」

とっさにしてはいい質問である。モラトリアム人間を傷つけない質問だ。僕はこのとき、あの時の教員とは同じ質問をしなかったことを誇りに思った。

「イギリス!」

「おおっ!いいじゃん。何でよ?」

「だって、イギリスって英語の母国だぜ。きれいな英国訛りの英語って魅力だと思うなあ。だから、イギリス行きたいんだよ。留学ってやつだよ。」

「英語を身につけたいんだね。すげえな。」

「おっ、おう、そうだよ。英語を話せるようになりたいんだよ。」

どうやら今、僕は彼に道をちょっとだけ照らしてしまったのかもしれない。躊躇した後、確信めいた彼の顔はとても眩しかった。

 

店を出た僕らは意思も新たに世界に飛び出した。

 

奇しくも梅雨の真っ只中。僕らのように晴れ晴れとしたものを象徴しているものは見渡す限り何もないけど、東京の梅雨は僕たちの計画を隠してくれる巨大な包容力を兼ね備えていたんだ。だから、帰りの電車の中でも、街中でも、飲み屋の酔っ払いでも、僕たちの敵は誰もいなかった。そんなつけたい東京が僕は大好きになったことを改めて再確認したんだ。

 

 

 

僕の覚悟にも似た決意は一過性のものじゃない。いや、そんなレベルじゃない物凄い動機づけにひっぱられていったんだ。

都会の夜はまるで白夜。明けない夜は無いと言うけれど、暮れない昼間は人工的につくれるんだね。僕は暮れない昼間に賭けていた。

 

密かにリトライ!

 

声に出さない声が空を劈いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇〇〇年  七月 下旬    天気 快晴      場所 寮 

   精神状態 夜の街灯くらい明るい気持ち

 

 

 

 

 

夏のある日。専門学校は夏季休暇で寮にはひと時の静寂が羽を伸ばしていた。人の気配も二、三人あるがそいつらは一体なぜ実家に帰らないのだろう?僕と同じ境遇ではないと思いながら、そいつらと夏休みの予定について話した。

 「夏休みはどうしてるの?」

 「静かだし、寮でゴロゴロしてるつもり。」

 「そっか。確かにね。」

 「お前は何やってんの?」

 

言葉に詰まるが、正直に言うことにした。

 「バイト。警備員の。夜勤あるし、忙しいんだ。」

 「頑張るねえ。」

 なんて、その後二、三言交わすと、互いに部屋に戻っていった。

 

 その日の夜勤はとてもきつく、関東の夏は一層僕の体にダメージを与えていた。

 

深夜一二時。道路で誘導棒を振る僕は、いかにも疲れてる顔で対向車両に呼びかける。地上から吹き上げる熱風。アスファルトフライパン。重機の憂鬱音。向かいのコンビ二。ビルの明かりと電車の発車音。そして、何百人と行き交う人々。

僕の憧れていた東京。冷たい東京。無干渉地帯東京。東京、東京、東京……。

 

暑さと眠気でダウン寸前の案山子は、ズボンの後ろポケットに入っている単語帳からエネルギーをもらって何とかバイトをやりぬいた。このポケットのふくらみこそが僕唯一の生きる望みだったんだ。これさえあれば何だってできるって思えた。不思議と勇気がわいてくるような気がして、そっと唇を噛みしめ、時間が過ぎていった。

 

正直、意外だった。動機不純の大学入学願望でここまで頑張れるとはね。案外、僕にとって真剣な願いだったのかもしれないね。社会的にどうとか、そんな判断は別にしてね。

 

何とか終電に間に合いそうだ。早めに終わったバイトだったので、僕は急いで駅に向かった。

「おつかれさまでした!」

現場監督と同僚に挨拶して、とても爽快な気分になった。

 

 

 

一人暮らしで僕は少しずつ社会的常識ってのを我流で覚えていったんだ。それがいかに表層的なものであっても、自分で覚えることがとても新鮮であった。誰かに無理強いされてやるのとは大違いで、すんなり僕の中に社交辞令が入ってきたことがよく分かっていた。

 

 

 

最終電車の中は都会の中で埋もれた人間がふと顔を出す瞬間でもある。

よっぱらって長椅子に寝るオヤジ。ワケありの顔で遠い目をする窓際の彼女。疲れ果てて眠る少年。

都会の残土がここにはたくさんあった。僕もその一つか?そうは思いたくないが……。電車の窓に映るネオン群と車内の風景のコントラストがこんなにも鮮明な対照画像。僕の明日に不安を覚えたりもするような光景は僕を少し病ませてくれたんだ。すっかり鬱になった僕は人間のとっても深い底まで思いを巡らせていた。

 

 

 

ボロボロになった精神力と、汗でびしょ濡れになった体を引きずって、翌朝、寮に戻るとひんやりとした食堂の空気で無人の「お帰り」を受けた。冷たいエアコンの空気に寮で暮らす人々の温かさを感じながら、風呂に入り、バイトの疲れを癒した。

たとえそれが偶然であっても、冷たい無人の空間に僕は人の温もりを感じたことにして、どこかホッとした気持ちになって部屋に戻ったんだ。その日はほんの少しだけ深い眠りにつけたと思う。

 

 

僕は確かにその時、確実に「生きていた。」

 

 

 

 

 

数日後、僕はまたバイトをしていた。深夜バイトは金がいい代わりに次の日がキツイっていう欠点もあった。

今日は二人一組の仕事。誰が僕のパートナーになるのか現場に行くまで分からない。一体誰だろう。現場に行くと所謂好青年の象徴がそこにいた。

「どうも、はじめまして。」

初顔合わせの新人らしい。一緒に仕事をしていく上で、別にルックスは関係ないがちょっとした敗北感が僕の中にあったことは言うまでもない。

数時間後、休憩の時間である。

「何してる人なの?」

珍しく僕のほうから声をかけた。

「あっ、大学生です。」

キッと彼をにらんだ。輪をかけてかっこ悪いんだけど、嫉妬心と劣等感から出た、それだったと思う。

「へえ、学校はどうよ?」

漠然とした質問で大学の風味だけでも味わいたかったんだ。

「そうっすね~。バイトとサークルが忙しくてきついっすね。」

あっけらかんとする僕。

 

……

 

「勉強のほうはどう?」

とにかく、大学の主たる目的のほうに興味があったので、またもや探りを入れた。

「最近は前期試験がやっと終わってもう休みですよ。」

「前期試験は難しかった?」

「友達からノート借りて、これをコピッて何とか(苦笑)。」

頭を掻きながら話す彼。

 

……微笑。

 

魅力的!僕にぴったりだ。思ったとおりモラトリアム人間の巣窟としてはこの上ない環境。僕はそこに生きる糧を見出すことができるはずさ。

ぎらついた目とシメシメと顎をなでる手。僕はより一層大学への憧れを強くした。

 

 

 

夏に僕はまたモラトリアムの階段を一つ上った。勢いよく駆け上がったのではないけれど、僕の大学入学欲求は邪な動機を礎に、より強固なものへと変わっていったのである。

 

バリッ!

 

何かがひっぺがれる音が聞こえる。

僕はまた一歩、社会と乖離した。

 

「さあ、明日は一日勉強して、あさっての模試に備えるかあ!」

 

 

短い夏季休暇は、ほんの少しの人間味とバイトの忙しさであっという間に走り去っていった。寮には喧騒が戻り、各部屋に明かりが戻っていった。灯篭と同じように寮は煌々と夜を照らし出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇〇〇年  一〇月上旬    天気 晴れ    場所 都内の専門学校

    精神状態 妙な高揚感

 

 

 

 

 

いつものようにせわしない毎日を送っている。大検取得から一年というのに、僕はあのときのとめどなく溢れる恐怖をまだ覚えている。

流れるいわし雲。まだ少し暑い日があるというのに、空はすっかりと秋の装い。僕はそれがとてつもなく怖かったんだ。

行雲流水とはいうけれど、僕は澱の中に生きる人間。静止しているわけではないが、ユラユラ猶予って生きていたい人間なんだ。だから、大海原に出ることなく、ゆっくりと腐敗して、やがて死んでいく。それを誰に咎められることなく……。そんな生活を望んでいた。それゆえ大きな目標を決めることもなく、いかにモラトリアムでいられるかを主眼において今まで行動していたのさ。

でも、山に降る雨はそのほとんどが海に出て、やがては雲になり、そして大地に舞う。それば曲げようのない自然の摂理。それならば思いっきり遠回りして、海に出る心構えができるまで自分は猶予ってやるんだ。今までそうやって自分を慰めてきたから、これからもそうするだろうよ。

そう言った意味で大学ってところは猶予うにこの上ない場所。僕が行くべき場所なんだ。だから、ここに行くことこそが僕の進むべき道。

 

 

嗚呼、末期的非社会的シンドローム

 

 

東京はその邪を隠してくれる隠れ蓑。僕を社会的な攻撃から傷つけないように守ってくれる。僕の存在を満員電車で隠してくれる。ビルの谷間に隠してくれる。雑踏の中に隠してくれるんだ。

東京の傘の下僕は大学生になって、ユラユラ猶予ってやるのさ。

 

 

 

 

 

そんなある日のことだった。専門学校の昼休み。僕は駅前の予備校に向かった。隣接している書店で大学願書を販売しているらしい。まだ、買わないにしろ、見るだけならタダだろ。そんな安易な気持ちからの行動だった。

 書店に入ると角型二号の封筒が片隅に並べられていた。ふと、「締め切り間近!」と赤で書かれた願書を発見。

 

「自己推薦入試……?」

 

 どうやら論文と面接で合否判定するらしい。そんなこといったって、じゃあ今までの勉強は何だったんだってことになるじゃん。それだけのことで決められたってねえ……。こっちが納得しないさ。ちょっと脳内議論を繰り返した後、募集している学部を見る。

「……。ふ~ん。」

 教養学部の系統である。しかもここからさほど遠くない大学。都内ではないが、充分に東京にアクセスできる距離。当然一人暮らしになる。

 一瞬、財布の紐が緩んだ。

 

 

 

その夜、モラトリアムホットラインを使った。僕には判断できないし、自分の気持ちがどう向いているか確認したかったから。

「受験料はあるの?」

「うん。それぐらいはある。」

「じゃあ、やれよ。迷うことなんてないじゃん。」

「だって、じゃあ今まで勉強してきたのは何だったのってことにならない?」

 「無駄だって思うの?」

 「いや、そうは思わないけどさ。単にそれだけのことで入れられてもねえ……。どうだろ。」

 「お前は大学行きたいんだろ?そうだったよな。」

 「確かにそうだけど。」

 「じゃあ、やれ。」

 「……。」

 

 楽になった。不思議と怖くなくなった僕は

 「分かった。サンキュ!」

 と、電話を切ると、来るべくして来た、何度目かの分岐点に仁王立ちしていた。

 その時、大学がどういうところか、僕には十分理解できていたつもり。ただ、こんなにあっけなく大学入試が終わるのが、若干抵抗のあるものとして、少し抵抗のあるものとなっていただけの話だろう。ここで方法論を論じていくつもりもないし、今となっちゃ、なりふりかまっていられないことも痛いぐらい分かっていた。ただ、つまらない僕の一欠けらのプライドと、苦い過去の記憶に対しての畏怖の念が、ほんの少しだけ躊躇させていた。あの高校を辞めた日……。大学受験に失敗した日……。幾重にも刷り込まれた分岐点に対する恐怖。僕にしてみれば、どれも思い出したくない過去だ。でも、その分岐点に差し掛かった僕の背中を押してくれたのがモラトリアムホットラインの彼ってわけだ。

 

 状況はまったく違っていた、あの時とは……。確実に時は動いていた。

 

 

 

 翌日、専門学校に行くと、僕は彼に筆舌に尽くしがたいほどの感謝の気持ちを伝えた。それが彼との最後の会話となることを無意識で予見していたかのように……。彼は専門学校を休みがちであったが、その日から完全に来なくなり、どうなったのか分からない。ただ、

 「じゃあな。いい旅を祈る!お互いな(笑)。」

 とメールで送ってきたのを最後に携帯電話を解約していた。僕はきっと海外に行ったのだと信じることにした。

 

きっとそうだ。

 

僕らはとても短い付き合いだったけど、とっても深く知り合ったんだ。それは家族ぐるみの付き合いがあるとか、いつでも遊ぶときは一緒であるとか、そんな安っぽいものじゃない繋がり……。僕らはただ周波数が同じだっただけ……。しかし、それが最も深い繋がりだったんだ。そして今、お互い違う道を歩みだしたんだと思う。自分の道をね。だから、僕は「どうして?」なんて言わない。それは僕がよく知ってるし、そうした彼の気持ちをよく理解しているから。彼は僕で、僕は彼だった。

 

 

 

 深い、深い悲しみと空虚感に浸っている時間はなかった。というか、そこにじっとして痛くなかったんだ。ほんの一瞬の寂しさは特急列車が通過するかのごとく、一秒後には彼とは全く違う道を歩き出す誓いを自分自身に立てていた。いや、そんなきれいなものではないかもしれない。とにかく僕は次の住処を見つけに躍起になっていただけなんだ。決して将来の夢が定まったなんてことではない。でも僕の根っこの部分にはこれ以上ない栄養剤が注入されていた。闇雲に立ち止まっていた、いや、無為に走っていただけかもしれない、そんな自分の目の前に街灯が立ち並び、暗がりのあぜ道をぼんやり、本当にぼんやりだけど照らし始めたんだ。僕はそこにいるのが怖くなって、とにかく明るい方へ進むことにしたのさ。正当な根拠のない理由に突き動かされてね。いや、僕にとってこのとき、モラトリアム人間を続けるために歩き続けるということは唯一の大学進学における正当な理由になっていた。 

 

 

 

受験を決めた僕は一一月の受験日に備えて、書類集めと自己推薦書を書いていた。これが結構厄介で、僕を苦しめたけど、何とか、取って繕った分をしたため、書類に同封した。

 将来の幅が決まるっていうのに、今度は不思議と動揺はなかった。恐れや不安は彼が電話口で吹き飛ばしてれたからね。

 秋の色をいっそう深めた都会の空は情緒的ではあったけど、僕には不釣合いで気味悪く映っていた。そのギャップがたまらなく楽しかったんだけど。

 

急に時間が早く流れ出した。ジャバジャバとうるさかったけど、変な圧迫感はなくなっていた。

 周りはその流れの変化に気づくこともなく、静かにいつもと同じ時が、同じスピードで流れているように感じていたようだった。僕らを乗せて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二〇〇〇年 一一月 受験日    天気 晴れ  舞台 専門学校の寮 

     精神状態 普通

 

 

 

 

 

 早朝。僕は部屋の電気を消すと、静かに寮を後にした。足取りは速く、軽快なリズムを刻んでいた。駅に着き、電車に乗り込むと、休日であるためか、人はまばらだった。都会の喧騒が目覚めるほんの少しの時間。それが今だ。吐く息は白く、景色は透明度を増す。ビル群はただ地球に刺さったまま動かない。電車の中から眺める都会は少しだけ自然の情緒と人の所業の空虚さを音もなく奏でていた。

 日が昇った後、少しだけ垣間見える都会の歪みに致命的な人間を見た僕は大学にたどり着いたときにはもう何かを悟ったかのような賢人にでもなっていたのだと思う。秋の様相を帯びた都会の目覚めはビル群を焼け野原にして、神々しく燃え立っていた。

 

 

 

 続々と集まってきた受験生は制服を着ている奴もいれば、人それぞれである。

 やがて、試験時間になり、問題用紙と解答用紙が配られると、ピンとはった空気が今にもちぎれんばかりにキリキリ悲鳴をあげる。

 「始めてください。」

 チャイムとともにカリカリと唸る鉛筆。僕もそれに乗じて軽快にペン先を走らせていた。何かが集約され、ぎゅっと詰め込まれた受験場は何百人もの受験生がいっせいに集まる圧縮ファイル。僕も圧縮されていた。ギュッと詰め込まれた受験場が試験場にもかかわらず、面白くてたまらなかった。

「試験終了です。ペンを置いてください。」

 

 試験官の声が張り詰めた緊張の糸を一気に弛ませた。一斉に起こる受験生のため息に試験場の空気が流れる。

 

 筆記試験が終わり、面接の時間。場所を移動し、一人ずつ教室らしきところに入っていく、僕はその何番か後ろのほうにいた。前と後ろの緊張感に苛まれ、うっとうしかったけど、どうにか自分の順番にたどり着いた。

 

 教室に入ると、面接官が二人。爺さんと婆さん。きっと、とても偉い教授なんだと思う。静かに荷物を置き、席についた僕はありきたりの質問を受けた。それはどれも想定していたことで、快活に答えられたかと思う。幾許かの質問の後、婆さん、もとい、女性の教授らしき人物が

 「あら、あなた専門学校に行ってるの?珍しいわね。」

 その言葉から、教室の空気がだらりと緩んだ。しばし面接官同士で世の中も変わったなどとどうでもいい話をした後、その空気にのって、男の教授らしき面接官が、

 「ジャズは好きかね?」

 と聞いてきた。入試の面接とは思えないような質問に僕は戸惑った。

 「そうですねぇ。ジャズは深夜にタバコの煙に巻かれて、カウンターで聴くって感じですかねぇ。」

 「いや、僕はただ、好きかどうか聞いただけなんだけどね。」

 とっさに、

「ああ、すっ、すいません!好きです!」

 教室が三人の笑い声でいっぱいになっていた。一気にだらりと下がった空気を元に戻すのは難しく、半笑いで面接を終えた僕は、半笑いのまま大学を後にした。

 

 

受験を楽しんだ僕は意気揚々と寮へ向かった。不思議と受かろうが受かるまいがどうでもよかったって感情が取り巻いていた。ただ、確信めいた感情の根っこみたいなものが気持ちのどこかに張り付いていたけどね。

 

 

 

それから合格発表までの時間はテープの早送りの如く、颯爽と流れていった。僕も珍しくその流れにうまく乗れたと思う。機械的に物事をこなし、何とか発表日にたどり着こうと必死だった。

 過ごしやすい関東の秋。時折、吹く風は乾いた空っ風。少し怖くなったりもしたけれど、臆病な自分はただ、それを意識的に無視し続けたんだ。昨日までの僕の足跡は晩秋の秋風

で、しっかりと消されていた。だから、僕はあえて振り返るといった行動をしなかった。決して振り返るのが怖かったんじゃない。そんな空元気ともとれる、何とも不思議で、テレビサイズの時間の進み具合だったと思う。

 

 

 

 

 

 合格発表の日、僕は掲示板を見に、大学に向かった。受験番号と掲示板の睨めっこになれてない僕はドキドキと慟哭を刻みながら、早足で歩いていたと思う。

 大学に着くと、すぐに掲示板の場所が分かるように立て札が立っていた。僕は夕方に行ったためか、誰もいなかった。閑散としたキャンパスは耳鳴りがするぐらい静か、とても静かだった。胸の高鳴りは……不思議となかった。いや、全くなかったといえば嘘になる。いくらかの不安感と期待は持ちあわせていた。しかし、これから新生活が始まるという根拠のない稚拙な自信は僕の血中を駆け巡っていた。

受験番号は……

 

 

 

あった!

 

 

 

僕はとっさに北西の空に向かって、敬礼!

じゃあね!そこからすぐに走り去った僕は合格通知が届くようになっていた実家に向かった。寮では郵便物は玄関に並べられる。防犯上、放置したくなかったので、苦肉の策で実家を送り先にしたのである。さぞ驚くであろうが(笑)

 

 

……。

 

数ヵ月後……。

 

 

 

僕のモラトリアムは少なくとも、あと四年延長されることが決まった。これから僕はどんなモラトリアム人生を刻むか、まだ分からない。ただ、きっといろんな色を手に、僕はいつかドアを蹴り上げ、出て行くことになる。今はその時のために、息を潜めて準備してるんだ、楽しみながらね。

 

 

 

振り子が揺れるのを僕は今、楽しみながら毎日眺めている。でもそれはゆっくりとではあるが、確実に少しずつ振幅は小さくなっていく。そしていつかはピタッとその動きが止まる。そのとき僕はどんな生き方をしてるんだろう。今から楽しみでたまらない。

帰りの電車の中、東京都のとある駅で停車中の車内にて、ふと窓に目をやった。窓に映る、地球から切り取った断片を僕は大切に胸にしまいこんだ僕は、あと何度……。いや、何も言うまい。

 

 

 

 

 

大学入学式当日。春の景色は大学校内により誇張され、凝縮されていた。人為的な春の装いは何処となく、人間の所業の愚かさを宣伝しているようで、僕はその一部になった。大講堂での入学式。期待にむせ返る講堂の空気が僕にとっては、まるでままごとを見るかのように……。大衆に同化した僕はこれからの不確定要素に期待をしていた。

 

 

 

「祝辞!」

司会の声は僕の耳を通り過ぎる。

 

 

 

何千人もの人間の中で何かを企んでいる生き物は誰にも分からないように密かに頬にしわをよせていた。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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fal-cipal(ファルシパル) 福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》