見出し画像

「まさか自分が男性不妊?」22歳で直面した絶望と、特別養子縁組という新たな希望(プロローグ)

◯自己紹介

みなさん、はじめまして!「八」と申します。
数あるnoteの中から、この記事を見つけてくださり本当にありがとうございます。

これが初めての投稿になるので、 まずは少しだけ、私の自己紹介をさせてください。

私は現在、大好きな妻と、可愛い3匹の猫たちと一緒に、 一戸建てでまったりと暮らしています。

平日の夜は、猫をモフモフ撫でながら妻とのんびり過ごすのが至福の時間。 休日は、夫婦2人や、お互いの両親と一緒に近場や遠方へドライブに出かけるなど、 とても穏やかで、満たされた毎日を送っています。

好きなことは、車、洗車、ドライブ。 あとは、IT関係の仕事をしていることもあって、新しいテクノロジーやガジェットも大好物です!(あ、あとお金も好きです。笑)

自分で言うのもちょっと恥ずかしいですが…… 基本的には優しくて、とにかく「妻思い」な夫だと思っています。

ただ、短所としては、不安になると何度も確認しないと気が済まない超・心配性なところ。 自分が心の底から「なるほど、これなら!」と納得しないと、 なかなかエンジンがかからないタイプでもあります。


noteを始めたきっかけ

そんな私が、なぜ急にnoteで文章を書き始めようと思ったのか。

それは、 「過去の自分と同じような境遇で悩んでいる人の、助けや参考になりたい」 と、強く思ったからです。


「まさか自分が?」男性不妊が発覚した日のこと

実は私、過去に「男性不妊」という大きな壁にぶつかりました。

「まさか、自分が……?」

それが、率直な最初の気持ちでした。 最初は、市販のチェックキットみたいなものを軽い気持ちで試してみたんです。 そこで「あれ?精子がいないような……?」と。 正直、まったくの予想外でした。頭のどこかで「自分は大丈夫」って思い込んでいました。

慌てて病院へ行き、ちゃんと検査を受けて、 そこで本当に「精子がいない(無精子症)」という事実を突きつけられました。

頭が真っ白になりました。 「これからどうなるんだろう」 「思い描いていた家族の将来像が、全部崩れてしまうんじゃないか」

理解して受け入れるまでに、かなりの時間と葛藤が必要でした。

そんな男性不妊という現実を突きつけられた当時の私は、 まだ22歳という若さでした。

MicroTESE(精巣内精子採取術)という手術の選択肢もあったのですが、 当時はまだ保険適用外で、とても高額でした。 金銭的な面も含め、「今、無理をして手術をするのは適切じゃないかもしれない」と判断せざるを得ませんでした。

自分が納得しないと前に進めない性格の私は、必死で考えました。

「手術以外に、子供を迎え入れる方法はないのか?」 「血の繋がりがなくても、家族になる方法はあるんじゃないか?」


絶望の中で見つけた「特別養子縁組」という光と壁

色々と調べていくうちに辿り着いたのが、 「特別養子縁組」という制度でした。

「これだ!この道なら、俺たちも親になれるかもしれない!」

暗闇の中に、パッと一筋の光が差し込んだような気がしました。 でも……現実はそう甘くありませんでした。

当時22歳だった私は、特別養子縁組の「年齢制限」の条件を満たしていなかったんです。

手術もできない。 特別養子縁組も、年齢が足りなくてできない。

「じゃあ、俺たちはどうすればいいんだよ……」

もどかしさと悔しさでいっぱいになりながら、 私たちの子供を迎える計画は、ここで一旦「保留」となってしまいました。

ーーー

今回はご挨拶も兼ねて、私たちが歩んできた道のりの「ざっくりとした概要」だけをお話しさせていただきました。

でも、あの時の絶望感や、妻とどんなふうに話し合って乗り越えてきたのか。 その一つ一つに、今同じように悩んでいる方のヒントになるような「リアル」が詰まっていると思っています。

なので、次回からのnoteでは、 時間を少し巻き戻して、「不妊が発覚した日のこと」について、もっと深く、ありのままの感情を綴っていきたいと思います。

もしよろしければ、フォローして次回の更新をお待ちいただけるとすごく嬉しいです。 これから、どうぞよろしくお願いいたします!

いいなと思ったら応援しよう!