見出し画像

偉人は全員ヤバい奴だった。凡夫として生きる、という最強の戦略【マダオの人生論】



はじめに:結論から言う

「何者かになれ」。

そう煽る声は、今日も世の中に溢れてる。

自己啓発本も、SNSも、意識高い系の先輩も、みんな同じことを言う。

でも、ワイは断言する。

振り切った人間だけが偉いわけやない。

凡夫として、怠惰に生きる。それもまた、立派な生き方や。

なぜそう言い切れるか。

理由は単純や。

歴史に名を残した「偉人」の私生活を見れば、答えは一発で出る。

彼らは、だいたい人間として終わってる。


1. 偉業の正体は「バグ」である

偉人と呼ばれる連中には、共通点がある。

才能が異常なんやない。ブレーキが壊れてるだけや。

普通の人間には「これ以上はアカン」というストッパーがある。

家族への責任。世間体。常識。

このブレーキのおかげで、僕らは大惨事を起こさずに済んでる。

でも偉人たちには、このブレーキがない。

だからこそ、常識をぶち破って歴史を動かせた。

そして同時に、身近な人間を平気で壊した。

才能と欠陥は、同じ一本のエンジンから出てくる

これが偉人の正体や。

具体例を見てみよう。


2. 偉人たちの「狂気」実例集

ジャン=ジャック・ルソー(近代教育学の父)

『エミール』という本を書いた。

「子どもを大切に育てよう」という教育論の名著や。

高校の倫理でも習う、超有名な話。

そのルソー本人は、実の子ども5人を全員捨てた。

愛人テレーズとの間に生まれた子を、そのたびに孤児院に預けた。

理由は「執筆に集中したいから」「金がないから」。

後に世間から叩かれると、こう言い訳した。

「貧乏な自分が育てるより、孤児院の方が健全に育つと思った」。

教育書を書いた人間が、自分の子育てからは全力で逃げた

これが近代教育学の父の実態や。

マハトマ・ガンジー(非暴力の聖者)

「非暴力・不服従」を世界に説いた、あのガンジー。

インド独立の父として、教科書で神格化されてる。

だが、長男ハリラールとの関係は最悪やった。

厳格すぎる理想を息子に押し付け続けた結果、息子は絶望した。

酒に溺れ、イスラム教への改宗と撤回を繰り返し、困窮の末に亡くなった。

世界には愛を説いた。でも、目の前の我が子は救えなかった

これもまた、事実として記録されてる話や。

渋沢栄一(日本資本主義の父)

新一万円札の顔。

日本の経済システムを作った、超一流の実業家。

その私生活は、女性関係で有名や。

妻と同居する家に、堂々と愛人を出入りさせていたという逸話が広く語られている。

経済の仕組みは作れた。でも、家庭内の平穏は作れなかった

尾崎豊(若者のカリスマ)

『15の夜』『卒業』。

10代の若者の心を鷲掴みにした天才シンガー。

その感受性は、鋭すぎた。

普通の人間が「まあそんなもんか」で流せる社会の理不尽を、生身で受け止めてしまった。

1987年、覚醒剤取締法違反で逮捕。

1992年、26歳で急死。

過剰な感受性が、名曲を生み、同時に本人を壊した


3. 「歴史に名を残す」は呪いである

ここまで見て、気づくことがある。

偉人たちの苦悩は、死んでも終わらない。

死後何十年、何百年経っても、見ず知らずの後世の人間から私生活を暴かれる。

「実は愛人が」「実は子どもを捨てて」。

居酒屋の肴にされ続ける。

生きてる間は虚像を演じさせられ、死んだ後もその虚像を背負わされる。

これは名誉やない。呪いや。

墓の下から「あの選択は失敗だった」と笑われる人生。

それを、心底羨ましいと思うか?

ワイは思わへん。


4. 凡夫と怠惰は「優秀な安全装置」である

ここが一番大事な話や。

「怠惰」も「凡夫」も、恥ずべきことやない。

自分の心と生活を守るための、極めて優秀なプロテクターや。

例えるなら、こうなる。

偉人は「F1カー」。

最高速は出るが、燃費は最悪。整備を怠れば即クラッシュ。

凡夫は「街乗りのプリウス」。

派手さはないが、燃費が良く、安全で、長く走れる。

どっちが「人生というドライブ」を楽しめるか。

火を見るより明らかや。

適度に鈍感でいられること。

「今日はこのへんでええか」とブレーキを踏めること。

これは、生存戦略として圧倒的に優秀な能力や。


5. 大事なのは「振り切るか、凡夫か」やない

ここで一つ、はっきりさせときたい。

この記事は「偉人はアホや」「凡夫が正義や」という単純な話やない。

大事なのは、どっちを選ぶかやない。自分がどっちを選んでるか、自覚してるかどうかや。

振り切って偉業を目指すのも、一つの生き方。

怠惰に凡夫として生きるのも、一つの生き方。

どっちも正解になり得る。

問題は、自分の立ち位置を把握せず、なんとなく流されて生きることや。

「何者かにならなあかん」という空気に押されて、無理に振り切ろうとする。

かと思えば、怠惰を選んだことにも後ろめたさを感じて、腐っていく。

これが一番、しんどい生き方や。

自分の意思で選んだ怠惰と、ただ流された結果の怠惰は、似ているようで全く違う。

前者には尊厳がある。

後者には、ただの惰性しかない。


6. 再現性のある「凡夫の技術」

では、具体的にどうすればええか。

「自分の意思で凡夫を選ぶ」ための、実践的なポイントを3つ挙げる。

① 自分の欲望の「解像度」を上げる

「何者かになりたい」と漠然と思う前に、自問してほしい。

それは本当に自分の欲望か。それとも、他人の物差しか。

SNSで見た誰かの成功に、勝手に焦らされてないか。

自分が本当に欲しいものが分かれば、他人の物差しで自分を測らなくなる

② 「比較の土俵」を変える

偉人と自分を比べる必要はない。

比べるべきは、昨日の自分だけでええ。

土俵を自分で決めれば、他人の成功は脅威じゃなくなる

③ 「選んでいる」という自覚を持つ

怠惰を選ぶなら、「選んでいる」と自覚すること。

「流されて何もしてない」のと、
「考えた末に、あえて何もしない」のは、
行動としては同じでも中身は全く違う。

自覚のある選択にだけ、尊厳が宿る


おわりに:観客席から、静かに幕を下ろす

ワイらは、歴史に名を残さない。

数十年もすれば、存在したことすら誰の記憶からも消える。

でも、だからこそ手に入るものがある。

完璧な自由や。

誰の思惑にも縛られず、死後に私生活を暴かれることもない。

偉人たちが命を削って作ってくれた、この平和なインフラの上で。

好きなビールを飲みながら、
彼らのドロドロした人生劇場を、
観客席から鑑賞する。

そして、誰にも邪魔されず、静かに自分の人生の幕を下ろす。

何も遺さず、誰の記憶にも残らず、
ただ自分のためだけに人生を使い切って消える。

これ以上の贅沢が、この世のどこにあるやろうか。

大事なのは、振り切ることでも、凡夫でいることでもない。

自分の立ち位置を知り、自分の意思でそれを選ぶことや。

それさえできれば、どっちの生き方にも、ちゃんと尊厳が宿る。



いいなと思ったら応援しよう!