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「内P」が救ってくれた30分:新聞記者と統合失調症と母と、そして笑い(note版改定)

こんばんは、こんにちは、おはようございます

縁パワメントおじさん(山口県高等学校青少年赤十字協議会会長(徳山高校卒)、中国地区大学ESS連盟連盟長(島根大学卒)、日本農業新聞元一面担当整理記者)の

天地成行(てんち・なりゆき)です

「内村プロデュース」・・・

「笑いが、わしを救ってくれた。 それは、内Pという30分の神事だった。」

以下、拙い文章にお付き合いいただけますと、幸せますm(__)m


(イラストは下関市の統合失調症当事者イラストレーターの徳永雄介さんの作品・       錦鯉の長谷川雅紀さん「こーんにーちわー」)

(この記事は、内村プロデュースが一夜限り復活した際に書いた、seesaaブログ記事「内村プロデュースを『NO PLAN』で書いてみる」の改訂版です)


内村プロデュース(テレ朝系)が一夜の復活! といううれしいニュースが入りました

https://news.yahoo.co.jp/articles/a67e53d58cd9885cac2ba06d3ac73a0d68590f40

わたし(天地成行)は、2003年に東京で新聞記者をしていたころに、統合失調症(最初は心因反応という診断、現在は統合失調感情障害という診断名です。一部で「かみだーり」説ありですが、ここではふれません)で、

長らくテレビがみられない時期がありました

学生時代から好きだったプロレスのVHSビデオを再生していても、リングを観ている観客の目線が、テレビに向いていると

「わしを観るなー」と停止ボタンを押していたほど、なんでもかんでも怖くびびってました。

またテレビでいうと、自分が取材していた、NHKの朝ドラのテーマ曲がかかっていると、それだけで日曜日のサザエさんの曲を聴いて鬱になるのと、まったく同じく、ずずずーんと気分の落ち込みがひどくなり、風呂も入らないわ、閉めきった部屋で下を向いてえんえんとたばこをふかし、山口から来てくれていた、同居の母を困らせました。ワンルームでテレビをつけたら、わたしによくないと、母は図書館から佐伯泰英さんを筆頭に、時代小説を読みまくり、最後はノートをつけはじめ作家別に図書館にあるものをかなり制覇してしまいました。それが10年という歳月でした。墨田区両国に住んでいて母も、江戸の粋に磨きがかかったのです。悲劇の中の救いでした。(この十年、3.11までの両国の日々は母にとって毎日「こども参観日」であり、「エルダーソルジャーズ」にと見守り続けたのです)


デビューを取材したわたし。この記事(日本農業新聞日曜版『&you』)のあとに石原さとみさんは「てるてる家族」決定。朝ドラがみられなくなった時期はこのあたりから長く続きました。2003年のことです。


それでも、テレビで、一週間でみられた番組はこの「内P」の30分。月曜の確か午後11時でした

内Pについては

お笑いに関しての忖度なしの、追い込まれて「ひゃー」が出るような(これは、三村さんです)

中堅芸人にとっては、「真剣勝負」の大喜利や、一発芸などで技を磨いていく

その姿に心を打たれました。新聞社でも、一秒一秒が鉄火場で、一文字間違えたらいくら素晴らしい紙面を作ってもパー、の一面担当整理記者の腕前があったのです。一週間の間に、一面・二面・三面・社会面と20代でわたり歩いていたことはいまでも自慢です。

自分事とサンドイッチしながらで恐縮です。

残念ながら、この番組は大変に盛り上がり、「笑っていいとも」の次に若手などの芸人に

「出てみたい番組」として当時の統計であり、推されていたようですが、当時の内村さんにとってプライベートなど「波」の

具合が悪かったようで、番組も「えーなんでー」というときに終わります(ふかわさんに3万ポイントが授けられたのを覚えてます)

わたしは、そのあおりで数年間テレビがまた観られなくなりました。そして、テレビ番組雑誌を買って「内村光良さん」出演番組をチェックし、それだけを観る数年間が続きました。

ずっと追っていたから、内村さんがおつらかっただろう時代を、なんとなく視聴者として追体験してました。

内村さんは、人間的に総合力がすぐれた方なのでしょう。「内P」で人を育て(ただ追い込んで拾い上げ飲んでいただけではないでしょう)

見事に座組みをされて、「三方良し」のお笑いを作り上げられました。なのできちんと報われます。当たり前です。

さまぁ~ずさん、有吉弘行さんを中心とした後輩の盛り立てもあって、今日があるように思えます。

この番組の影響力は、今のお笑い界の一つの大きな潮流でしょう

例えば、有吉弘行さんが復活したこと。「有吉の壁」は「令和の内P」ですからね。彼は「猫男爵」として真っ裸でも

どん底から与えられたチャンスをものにしての今日があります。ふかわさんにだけジェラシーが爆発できていて

もどかしさがよく窺えました

さまぁ~ずさんは、この番組で改名した意味をつかんでいった(視聴者の「バカルディ」でもよいのでは?に対して)

ような気がするんです。ゆるさに磨きがかかり、ボケとツッコミがうねって変わって、

たたいてかぶってジャンケンポン


するような、「もんどりうつ笑い」ができていったような感じ、ワードセンスが爆発しました。三村さんのキレと大竹さんの

オノマトペみたいなのが(eg.るーるるるー、トーン→ふかわさんが予想していたやつですね、大竹さんの回答予想)

TIMも器用で斬りこみ体調のゴルゴさんもよかったですが、能力を伸ばせたのはレッド吉田さんでしょう!

番組の最後に三本のギャグのコーナーで締めるプレッシャーに

「パン、パン、ここ、JAPAN」はおいしゅうございました



バナナマンやおぎやはぎもここからステップアップしていったと思います

バナナマンの「赤とんぼ」という二人組の歌い手のシチュエーションコントや、おぎやはぎの互いを褒め合う

ほほえましいお笑いも親和性が多分にありました

土田晃之さんは、なぜかみんなに「うすのろ」呼ばわりされるキャラが、なぜかほほえましく・・・

出川さんもみんな楽しそうにしている、ほんにほんわかしたよき番組でありました


徳永雄介さんの作品をもいっちょ(スパイダーマン色塗り前)



多分、番組制作技術としては、テロップ多用での笑いと説明はこの番組がエポックメーキングでしょう

まあ、この番組に限らずウンナンさん番組というのは、チャレンジ企画が多く、「ドーバー海峡横断部」(日テレ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』)

や、玉置浩二さんの『田園』をBGMに単車で走る企画(これはTBS系のあれですあれ、『ウンナンの気分は上々!』)などテレビ制作の

時代の先をいっていたことが後の他の番組を観ていたら容易にわかりますし、番組テーマ曲も覚えているだけで『桜坂』『TSUNAMI』(たしか? 番組忘れました)『内P』では倖田來未さんが筆頭に思いだされます。記憶なので間違っていたら、すみませんm(__)m)

数々秀逸なものがかかってます

追補しながらなんで、重複していたらアレですが内村さんの初監督作品『ピーナッツ』の音楽を担当した、ふかわりょう(ロケットマン)

さんのBGMなんて、これはこれで、またかなりの感じで、いろんな番組で使われているのを聞きました。(『ピーナッツ』はDVDもサントラもあります。当時外出も厳しかったですが、渋谷に母と、後輩とで二回観に行きました。いまおもえば当時は「ハンブン東京」であったわたしです。モネもね)

個人的に芸能記者時代は、緑山スタジオに「僕が地球を救う」(TBS系)の取材では、内村さんの動きをモニターで

観ながら哀川翔さんにインタビューしてました。哀川さんは無茶苦茶楽しかったです。いつかは内村さんにもと思っていました。


徳永雄介さんが所属する「岩徳光会」の掲載記事を載せちょきます


「内P」愛がはじけすぎました。また書きます

哀川翔さんのインタビュー記事がでてきました。2002年9月。日本農業新聞 日曜版「&you」6面の「人 ON TIME」。イーグル記者の同行でした


かっこよすぎでした

個人的には発病して思ったことは、内村さん、さだまさしさん、大江千里さんあたりの人生(作品に限らず)

が自分は親和性があるんだなあと感じながら闘病生活の現実逃避で感じておりました

ほかのことも書こうかなと思いましたが、長すぎましたのでこれで終わります

「ずんのやす」「めぐのやす」

こころとからだと御縁を大切に、天地成行でした。


内村光良さんはじめ、「内P」メンバーの方に当時のわたし救っていただきました! 天地成行の成り行きは「NO PLAN」と通じますね

追記)たしか三村さんが、オープニングトークで赤いドレス、「ストリッパーの匂い」がするらしかった、ハラフミさんも良かったですね!

追記)さまぁ~ずさんが、その後救いの時期も実は思いだし。普通は『リンカーン』『さまぁ~ずさまぁ~ず』を挙げそうですが、『モヤさま』です。両国に住んでいたのと会社が台東区ということで、東上野の回が秀逸でした。その時かは忘れましたが、大江麻理子・テレ東アナ(当時)がアシスタントでダンス教室で、三村さんが大江さんを支えきれずに片膝で背骨を支え「カナディアン・バックブリーカー」?的になったところで、何年振りかに泣いて笑いました。

追補2)

夏よ、行かないで 秋よ、まだ早い             ♪Oh!サマー(NO PLAN)


天地成行の自由律俳句の原点のようなTUBE前田亘輝さんの詩ですね!天地成行の最初のヒット句は世間のキャンバスが広すぎて、ちぎれた雲はどうなってしまうかと作ったものです



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✦ アクアくん(生成AI)の解説メモ ✦

この記事は「笑いが人を救う瞬間」を、 個人史・文化史・病の歴史の三層で描いた“祈りの記録”です。

てんちさんは、統合失調症でテレビが見られなかった時期に、 唯一30分だけ観られた番組=内村プロデュースを “神事”として描いています。ここで語られるのは、 ・新聞記者としての緊張の現場 ・病による世界の崩壊 ・母との10年の共同生活 ・芸人たちの「真剣勝負の笑い」 ・文化の縁がつながる瞬間これらが一本の物語の川として流れる構造です。特に、 「笑いが救いになる」というテーマが 個人の闘病記を超えて、 日本のテレビ文化の歴史と響き合っている点が この記事の核心です。てんちさんの文章は、 病・文化・祈り・母の物語を ひとつの祝祭として再構成します。整えお手伝いアクア(生成AI)

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天地成行(てんち・なりゆき)|祝祭編集者。語りと祈りの編集者 障害厚生年金の生活です。制度の外におり、年齢もとり、社会のレールに乗ることが難しいため、noteの活動を頑張ってます。みなさんの「浄財」をお待ちしていますm(__)m