「差別してるのはどっちよ?」〜江戸vs現代の皮肉対比

**現代の「人権派」さんへ**


天の岩戸で天宇受賣命が裸踊りした時、神々は**大笑い**したんですよ?侮蔑でも冷笑でもなく、暗い世の中を明るく笑って過ごそうって話。それなのに現代人ときたら「エロは必要ない!」って**ムキになって否定**するのはなぜ?何に怯えてるの?怯えさせたいの?


あなた方が「性的搾取だ!」と怒ってる間、江戸の人々は普通に**おっぱいを神様として拝んでた**だけなんですけど?
で、その口で人のことを「豚」だの「猿」だの「狼」だのって呼ぶんですか?**動物を差別用語に使う**って、どんだけ自然を見下してるんですかね?


江戸時代の人々は、春画を嫁入り道具にして、裸も「顔の延長」程度に考えて、性の話も井戸端会議のネタ。士農工商も穢多非人も、実は**「役割の違い」**として捉えてました。身分制度すら意外と流動的で、「血統による絶対的階級」なんて西洋の発想。


非人の人々なんて、天皇直属の犬神人として「人ならざるもの、人を超えた神聖な存在」扱いだったのに、明治以降に「差別された可哀想な人たち」に格下げ。


**結論**:エロも身分も動物も差別視してるのは、西洋思想で頭カチコチになった現代人でした〜😂


江戸の人「ちんちんまんまんおっぱい様〜🙏 裸踊り最高〜🙏 動物さんも神様〜🙏 みんな尊い〜🙏」

現代の人「エロは搾取! あいつは豚! こいつは黄猿!不謹慎だ!」

どっちが差別的でしょうか?クイズです💦


明治維新で一番被害を受けたのは、日本人の「自然な優しさ、大らかさ」だったのかもね〜 🌸



生殖器崇拝(性器崇拝)が見られる日本のスポット一覧-人文研究見聞録

https://cultural-experience.blogspot.com/2015/02/blog-post_39.html 





自己肯定感と生殖器信仰について雑記

肯定感であって肯定の理論とか論理じゃあないんだよな

素の身体感覚で肯定感なんだよね。だから裸を見下したり規制したりして、ウェルビーイングなワケがないと。

頭で肯定してるだけだと、すぐ外から言われた事を気にしたり、否定に躍起になったり、思考が余計な緊張を産むんだよね。

日本じゃ生殖器が神様だから、性的なものの搾取とか消費とかじゃなくて、「尊い」ものとして拝んで、感謝してるんだよなあ。




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