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私はゆりかごを失った。それでも幸せは、そばにあった🕊️

私は、ゆりかごを失った。

それは、誰かに奪われたわけでも、

私の中から消えてしまったわけでもない。

けれど、当たり前に訪れると思っていた、

もう一人”の子どもがいる暮らし。



「おねえちゃんになったね。」
と子どもの頭を撫でる日。

少し狭くなった食卓。

賑やかで、でもちょっと大変な休日。 

いつか当たり前のように、
来ると信じていた日常。


けれど、その未来は私には訪れなかった


だからこれは、子どもを授かった話ではない。

母になった話でもない。

失った未来を抱えながら、
それでも前を向こうとした

ひとりの母親の物語。





🫧1.ふたりで描いた未来


木目調のリビング。
カーペットは肌触りのよい白いふわふわ。
3人がけのソファーは緑色にした。

 白と緑と木

帰ってきてホッとできる、
そんな空間にしたかった。

「君の好きにしていいよ。」
夫はいつだって私の意見を尊重してくれる。

ソファの色も。

カーテンも。

子どものことも。

子どもは2人ほしいね。
男の子か女の子どっちがいい?

どっちに似るかな?
どっちに似ても間違いなく、くせ毛だね。

ふたりで未来に期待を膨らませてする話は
話がつきなかった。


あの頃の私は、
家族が増えることを疑ったことがなかった。

だから、失う未来があることも知らなかった。




🫧2.母になるのは思ったよりも遠い日々


年齢を重ねるごとに強くなる

「自分の赤ちゃんを
抱っこするってどんな感じかな?」
という母への憧れ。

授乳するってどんな感じ?
赤ちゃんはみんな可愛いけど、

やっぱり特別に思うのかな?

まだ見ぬ我が子への想像が、
日に日に膨らんでいくなか、

既に
夫と結婚し2年という月日が流れていた。


その時私は31。

焦らなくてもいいが、子どもの事を考えると
のんびりもしていられない年齢。

友人のインスタのストーリーには、
「子ども」ばかりが目立つようになっていた。

本来なら微笑ましいはずのワンシーン…

自分の気持ち一つでこんなに
見方や感じ方が変わるのかと、
胸の奥が静かに痛む。

“みんな、ママになれたんだ”

素直に友達の投稿を見ることができず、

歪んだ感情を募らせるぐらいならと、
フォローを外してしまった子もいる。

比べても仕方ない…

分かっていても、
比べることを半ば強制させられる、SNSの世界。

そっとスマホの画面を切り替え、

次の受診予約をとった。




自然に妊娠して、夫と喜びを分かち合う日が
来るものだと思っていた。


けれど、実際はどんどん自然から遠ざかり、
自分は医療の力を借りなければいけないことを、
思い知らされるようだった。

ホテルのようなロビーに革張りのソファー。

ほんのり消毒の匂いが漂う待ち合いには、
今日もたくさんの女性が、
自分の番号を呼ばれるのを待っている。

ここにいる一人ひとりにも、
それぞれの願いや苦しみがあるのだろう。

言葉は交わさないが、同じ同士がいるこの空間は
居心地がいいと感じてしまう。

日々、仕事では
助産師として、多くの出産に立ち会ってきた。

だから、分かっていたはず。

分かっていたはずなのに。

 

トイレの個室で
「今回もダメだった…」とため息をつく。

何回目かも分からない。

生理が来るたび、
不合格を言い渡されている気分だった。

基礎体温は一喜一憂してしまうからやめた。

夫は採卵の日、仕事を休んでくれた。
それでも、注射を打つのも、痛みに耐えるのも、診察台に上がるのも私だった。

「男って、本当に何もできないんだね」
夫は申し訳なさそうに呟いた。

自分の足がちゃんと前に進んでいるのか
分からない。
そんな不安と常に隣り合わせの日々。

それでも、我が子に会うためならと
苦ではなかった。



🫧3.やっと会えたいのち

移植の日、私は再び処置台に上がった。

ベッドの側にある画面には
夜空にモヤモヤと雲がかかっているようだった。

そこに映し出された
“いのちのもと”

一番星のように静かに漂い、ピタリと止まった。

まるで私を照らす北極星のように…。

移植をして1ヶ月。

エコーで赤ちゃんの入っている袋を
見た時、本当に嬉しかった。

小さな小さな
心臓が小鳥のように動いている。

“おめでとうございます”

先生が私にエコーをしながら、
笑顔で伝えてくれた。


「おめでとうございます!」

自分は何度もママ達に伝えてきたが、
言ってもらうのは、はじめてだった。


「本当に、ここにいてくれるんだ」
思わず息を呑んだ。

初めてもらった
エコー写真は宝物のように今もアルバムの
1ページ目を飾っている。

絶対この子を大切にする。
そう心に誓った。

けれど、次から次に神様は
私に「試練」を向けてくる。


思わず涙が出てくるほどの強烈な
吐き気の日々。

夢にまで見たマタニティーライフは、
常に不安と、しんどさの隣り合わせ。

やっとの思いで臨月に入った矢先に妊娠高血圧。


私の体がこれ以上
妊娠に耐えられなくなっていた。

やっとここまで来たのに。
あと少しなのに。



「分娩誘発しましょう」先生から告げられ
連日陣痛に耐えたが、我が子は生まれず。

これ以上は、私の体に危険が及ぶと判断され

私の体を守るため
我が子は手術室で、産声をあげた。


たくさんの赤ちゃんの産声を聞いてきたが、
我が子の声は特別だった。

「私もやっとママになれたんだ」

手術室の明るい光に照らされながら
温かい気持ちに包まれる。

そして、顔を見せてもらったら
考えていた名前の雰囲気と全然違うということに
笑いが込み上げてきた。

ロビーで待ってくれていた
母からは
「あんたが生まれた時と顔そっくりやったわ!」
と笑いながら言われ

夫からも
「よく頑張ったね。ありがとう」と声を
かけてもらった。

無事に赤ちゃんが産まれてくれたことを
実感し、ようやく肩から力が抜けた。

不妊治療から始まり、幾度となく入院した
妊娠生活。

つわりで、家事も仕事もろくにできず
毎日、毎日、
「すみません」「ごめんね」と謝り続けた。

周りに迷惑ばかりかけてしまう自分を
「なんて生産性のない人間なのだ」
と責めて、無性に泣けてきた日もある。

けれど、みんなに祝福され

まさに、今までの苦労が報われた瞬間だった。


この時までは、

 ただただ、幸せだった




🫧3.幸せのすぐあとに起きたこと


病室に帰り、先輩が私の体を見てくれる。

術後用の大きいナプキンが広げられ

それまで、私にお祝いの言葉を贈り
ニコニコしていた先輩の空気が、
一瞬で変わった。


麻酔で感覚が鈍いはずなのに、
生暖かいものが流れていく感覚が伝わってくる。


「先生呼んで!」
緊急コールが病室に響く。


この時異様に眠かったことを覚えている。

痛みもない。ただ、程よい疲労感が全身を覆い
心地よい眠りに誘われるような感覚。

ドクターの指示の元慌ただしく、
スタッフの手によって
私の体に点滴、心電図モニター、酸素マスクが
次々と装着されていく。

本当は寝ていたい。

アラームや先生の指示、スタッフの声や
足音が響いているはずなのに、
水の中にいるようにどんどん遠ざかっていく。

駆けつけた救急スタッフから
「目を開けてください!」と言われ

重い瞼を開けるが、視界には黄色いもやが
広がっていた。

不思議と恐怖はない。

ただ、眠たい。

処置がひと段落した頃に、
私を覆っていた眠気がスッキリしてきて

やっと理解した。

あれは眠気ではなかったのだと。


意識がはっきりした中見た、先生の面持ちは重く
外科的治療が必要になることを告げられる。

私にはその処置の代償がすぐ分かった。


やっと体外受精で我が子を授かったのに
さらに、妊娠が難しくなる。

私は瞬発的に
「次の妊娠が難しくなるじゃないですか!」と
言っていた。

いやだ。これ以上私を不妊の体にしないで。

さっき産まれた我が子だってまだちゃんと
抱っこしていない。

その子にいずれ兄弟ができて
〇〇ちゃんが生まれた時はねって
お話してあげたい。

それなのに私は、
未来の家族を奪われるような気持ちだった。

「死んだら意味ないじゃないか!」


夫が私の手を強く握る。

ついさっきまで私に微笑みかけ、
言葉をかけてくれた夫とは思えない
深刻な顔つき。

命を守るためには、この治療を受けるしかない。

その先には
「子宮を取る」道しか残されていなかった。

本当なら、子どもが産まれた日を家族みんなで
喜び合い、笑顔で過ごすはずだった。

子どもは2人ほしいね。

結婚前から夫とよく話をしていた。

それが叶わないかもしれない。


血の気のない青白い顔で、夫に
「ごめんね」と伝えるのが精一杯だった。

夫は目に涙を浮かべ、私の手を握りながら
静かに首を振った。


私はなんで、こんなに
謝ってばかりなんだろう。

つわりの時も…
子どもが産まれた今日も…




ペンを握るのもやっとの力で、
糸ミミズのような線で、自分の名前を書類に
書いた。

手術を待つ時間。
辺りはすっかり暗くなり、蛍光灯の光と
モニターの光だけが部屋に浮かび上がっていた。

本来なら、今日はわが子が生まれ
何よりおめでたい日のはずなのに。

誰も、何も言わず。ただ、その時を待っていた。

その間も、自分の足元から時折
生暖かいものが流れていく。

この時はじめて

「あ、私死ぬかもしれない?」と怖くなった。

助産師として、
自分と同じような出産に対応したこともあった。

けれど、自分の血が止まらない。
この時初めて
「死」というものを、意識した。

全身の血液を入れ替えるほどの出血は
手術によって止まり、かろうじて私の子宮と、
命は守られた。


我が子のしわくちゃな顔を最後に見てから、
丸一日以上が経っていた。


「ママですよー」と助産師さんが、
医療機器にまみれた病室に
赤ちゃんを連れてきてくれ、
ようやくわが子を抱っこすることができた。

確かに感じる、命の重み

胸にはまだ心電図モニターが付いている。

腕には何本も点滴が入り、
ところどころ内出血していた。

でも、そんなことどうでも良かった。


「やっと会えたね。」

小さな体を胸に抱き寄せた。

あたたかかった。

ただ、それだけで十分だった。

この時
「自分の命よりも大切にしたい。守りたい」

こんなにも愛しいと、思えるものがあることを

初めて知った。






その後は周りが驚く程に回復し
予定通りに、退院。

退院後は、とにかく必死だった。
体は貧血でも、子どもは待ってくれない。

けれど、
授乳したり、
抱っこ紐で散歩をしていると
「可愛いね。何ヶ月?」と声をかけられる。

そんな時の中で、
「私もママなんだな」と幸せを噛み締めていた。

“大変だけど、嬉しい”


そんな毎日を過ごし、
月日はあっという間に過ぎ去り

出産から一年3ヶ月が経とうとしていた。


自分の出産の出来事も
忙殺した日々の中で忘れかけていた時

体の違和感を感じ始めていた。

生理が来ない。




🫧6.わたしはゆりかごを失った


「8割の女性がまた妊娠できている」

治療のとき先生から言われた言葉だった。

けれど、残りの2割は?

まさか、そんな訳ない。

少し生理の再開が遅れているだけ。

自分を根拠のない慰めの言葉で、
いっぱいにする。

けれど、一月、二月…と時は流れていくのに
状況は変わらない。

カレンダーをめくっては嫌な汗が
背中を伝っていく。

あれほど煩わしいと思っていた
生理をこんなに恋しいと思うことはなかった。


一年ぶりに産婦人科を訪れ、

そこには変わりなく
穏やかで優しい笑みを浮かべて
私を迎えてくれる先生がいた。

そこから私はさまざまな検査を受けた。

卵巣の問題?脳の問題?子宮の問題?

検査を受け、一通りデータが揃ったところで
先生から静かに言われた。

「子どもを望むかどうかで、治療方針が
大きく変わります」

「私は2人目がほしいと思っています」

私の気持ちは何一つ変わっていない。

我が子と過ごす日々の中で
「もう1人ほしい」
その気持ちはむしろ強くなっていた。

「あんな辛い状況になったのに、すごいね。
それだけ子どもが可愛いってことね」

先生は穏やかに私に言ってくれた。

でも、
「次の出産は今回と同じぐらいかそれ以上の
出血の可能性があるよ。
次の出産は子宮を取る前提で挑むことになる。

今回は大丈夫だったけど、
脳に障害が残る可能性だってある。

正直、私は勧められない」


いつも温厚で言葉選びに慎重な先生が
キッパリ言った。

心の中で思う。

でも、先生。

8割の人がまた妊娠できるって
言ったじゃないですか…
私はその言葉を頼りに治療に耐えた。

それまで、
聞き分けのよい患者を演じていた私だが
作り笑顔さえ上手くできない。

「でも、産まないのと産めないのでは
全然違うよね」

本当にそうだ。

選択的に一人っ子の家庭も多い。
でも、それは選んだ結果。

私には選択権すらなかった。

「それでも…」と諦めの悪いわたし。

「分かった。ここでは不妊治療ができないから
紹介状を書くね」

不妊治療専門の先生なら、
違う意見や方法を知ってるかもしれない。

紹介状を鞄にしまいながら、
私はまだ終わったと思えなかった。
思いたくなかった。


夫に私の思いを告げると
「僕も一緒に行くよ」と3人で、
数年ぶりに古巣の不妊クリニックを訪れた。

数年ぶりに訪れても、以前と変わらない
ロビーに受付。
ただ、一つ違うのは私はもう1人を産んでいる。

以前は同志に思えた待合室だった。

けれど今は、
そこに座ることすら居心地が悪い。

呼ばれるまで、
できるだけ目立たない席を探した。

(お願いだから、希望を見させてほしい)

そんな期待と不安を胸に、
診察室の扉を開いた。

紹介状から視線を私達夫婦に向けた
先生の顔を見て

一瞬で理解した。

…やはり、難しいのだと。

画面の中の子宮は、
妊娠前のものと並べられていた。

「大きさが半分くらいになっていますね。
この状態では、仮に妊娠できたとしても
赤ちゃんが正常に育つかどうかも分かりません。
それでも治療しますか?」

明らかに小さくなってしまった私の子宮。
自分のものとは、最初思えなかった。

命を守るため縮んでしまった場所。
もう命を守り育むための力が残っていない場所。

そして、隣で我が子を抱っこしながら
一緒に話を聞いていた夫も

背負うリスクの高さに言葉を失っていた。

治療をすすめる上での説明を、
看護師さんがしてくれるのだが、

「はい」と形だけ返事をし

内容が右から左にすり抜けていく。

もうあの小さくて温かい赤ちゃんを抱けない。


“凍結卵子がまだある。卵はあるのに
私はゆりかごを失った。”



帰りの車の中。
日が沈むのが早いこの季節では
辺りは暗く、街灯がつきはじめていた。

いつもと様子が変わらないのは
子どもだけ。

幼い我が子には、夫婦の重い会話は
まだ分からない。

「ママの命はママだけのものじゃない。
僕はこれからの2人目より今の家族を守りたい」

車の運転をしながら、夫はキッパリ言った。

いつも私を優先してくれる夫が、
この時だけは首を縦に振らなかった。


確かに出産の時、
私はあんな目にあったが、
2人目を産むことに、何の疑念もなかった。

1人目と同じく、次はどんな名前がいいかな?
と思いを巡らせ、
これは可愛いから綺麗に残しておこうと
服も丁寧に仕舞ってある。

当然のように子どもが2人いる未来を
思い描いていた。

でも、その未来は永遠に来ない。

私はこの事実を受け入れるほど、
気持ちの切り替えも上手じゃないし
強くない。

子どもと一緒にいく公園。

街中で見かける兄弟連れの親子や、
妊婦さん。

その姿は、
手を伸ばせば届きそうなのに
決して届かない場所にあった。

いいなぁ…と思わず心の中で言ってしまう。

私だって本当は
この子に兄弟を作ってあげたかった。

(私のゆりかごを返して欲しい…)

シャワーを浴びながら、ふと泣いてしまう。
涙を流してくれるシャワーは好都合だった。

どうして私だけこんなに苦労しなくては
いけないのだ。
世の中には、虐待や
赤ちゃんが遺棄されていたというニュースが
報道されることもある。

事件の事実だけでなく、その背景にあることを
理解し、支えるのが私の本来の仕事のはず。

こんなこと本当は思っちゃいけない。

けれど、子どもを望む1人の女性として
綺麗事だけではいられなかった。

1人産めたからもういいじゃないか。
そう思うべきなのだろう。

でも先生に言われた

「産まないのと、産めないのは違う」

その言葉が頭に響く。

シャワーを浴びながらぐるぐる目的地のない
地図のように感情を巡らせていると

「ママ!構って!」と、まだ喋れない我が子に
背中をペチペチたたかれて、
現実世界に戻ってくる。

子どもは私の背中によじ登り、
何も知らない顔で笑っている。


この子で私の育児が終わってしまうのは
やっぱり寂しいと思ってしまう。




🫧7.戦友に「ありがとう」を言えた日

同じ治療に関する論文やブログを、
夜な夜な読み漁る日々。

そんなある日、ふと一つの記事が目に入った。

それは**自分の体に話しかけてみる**
というものだった。

例えば、足がだるいと感じたら
「昨日はたくさん歩いたから疲れよね」と
足をさすってみる。

食欲がない日は、お腹に手を当て
「今日は負担の少ない、
消化に良いものにしようか」
と声をかけてみる。

この考えに触れたとき真っ先に
思い浮かんだのが、子宮への想いだ。

私はどこか、産めたらそれでいい。
最悪次産めたら、無くなってもいい。

そんなふうに
子宮をどこか”使い捨て”のように考えていた。

けれど、
この子宮は共に不妊治療を乗り越え、
我が子を守り抜いてくれた存在であることを
この時になってようやく思い出した。


十月十日。
我が子を快適な環境で守り、栄養を送り続けた。

我が子の誕生日。
その身を切りながら、私と会わせてくれた。
私を母にしてくれた。

そして、私の体を守るため
小さく小さくなってしまった存在。

それを嘆き、使い捨てのように扱われる。

それではあまりにも、私の子宮が報われない。

この子宮があったから、私は今
我が子に会えているのだ。

初めて聞いた産声。
抱っこした命の重み。
離乳食を初めて食べた日。
熱を出して慌てた日。

そして「ママ」と初めて呼んでくれた日。

そのことが一気に私の中で広がり

止めどなく涙が出てきた。

私は”大事な戦友”に
なんてことをしていたのだろ…。


傷を負い、小さくなってしまったけれど、
確かに私のお腹にある子宮。

お腹に手を当てて

本当に今までありがとう。

あなたのことを
大切にできてなくてごめんなさい。

もう大丈夫。痛いことはもうしない。
これからも一緒に生きていこう

初めてそう声をかけ、自分の体に

  “ありがとう”

を伝えることができた。



🫧8.思い描いた形とはちがうけど

今も気持ちに区切りがついたわけではない。

哺乳瓶やお下がりの服は、今もしまったまま。

けれど、大切なことに気づいてから
失ったものに囚われるのではなく、

確かにある「幸せ」にも目を向けられている。



白い木目調のリビングには
子どもの安全を考え、ジョイントマットが
敷き詰められ、

私の好きな物で作られていた空間には、
オモチャや絵本が散乱している。

今日も我が子は「ママー!」と私を呼び、
おやつをねだっている。

「はいはい」と返事をしながら、
小さな手におやつを渡す。

そして、ニコッと笑って
次は「抱っこ」と両手を広げてくる。

決してオシャレでも、綺麗な部屋でもない。

思い描いていた形とは違うけれど、

この家には、もう充分すぎる暮らしがあった。

もう、失った未来だけを見つめていない。


私はこの家が大好きだ






最後までありがとうございました🫧

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-空色ママ-「助産師が、母になって初めて知ったこと」 メンタルケアは”フィジカルケア”から🫶 「整えて、温める」を大切に、自分の体と時間を大切にできる場所。ママや妊活女性向けケアサロンを作ることを夢見ています🥹その準備資金とさせていただきます🙏🧡