試作版 大正モダンタイムス 夢の跡に見た夢
第三章 詩の幻想
第八話 高村光太郎――削るという生
高村光太郎にとって、芸術とは「削ること」であった。
付け加えることではない。
余分なものを、徹底して落とすことだった。
彫刻も、詩も、
彼にとっては同じ行為である。
石を削る。
言葉を削る。
感情を削る。
残るのは、核心だけでなければならなかった。
彼は、芸術において妥協を知らなかった。
だがその厳しさは、
他者よりもまず、自分自身に向けられていた。
智恵子と出会ったとき、
光太郎は、彼女の透明さに惹かれた。
彼女は、
説明を求めない人間だった。
世界を、
そのまま信じていた。
それは、
光太郎が、
生涯かけて辿り着こうとした地点だった。
第九話 智恵子――ほんとうの空
智恵子にとって、
空は比喩ではなかった。
阿多多羅山の空は、
彼女の中で、
決して曇ることのない基準だった。
東京に出てきたとき、
彼女は、
世界が狭くなったことを、
直感的に悟った。
人が多く、
音が多く、
言葉が多すぎる。
空だけが、
そこになかった。
智恵子は、
壊れていったのではない。
守ろうとして、壊れた。
世界を、
そのまま受け取ろうとし続けた結果、
世界の方が、
彼女を拒んだのである。
第十話 結婚という密室
二人の結婚は、
祝福と疑念の入り混じったものだった。
芸術家同士の結びつきは、
互いを高め合うか、
互いを消耗させるか、
そのどちらかである。
光太郎は、
智恵子を守ろうとした。
だが彼の守り方は、
削る者のそれだった。
余計なものを遠ざけ、
雑音を遮断する。
しかし、
智恵子に必要だったのは、
削られない場所だった。
第十一話 壊れていく時間
智恵子の言葉は、
次第に、
時間の秩序から離れていった。
「空が、割れている」
そう言ったとき、
光太郎は、
それを詩として受け取った。
受け取ってしまった。
彼は、
芸術家として、
理解しすぎた。
夫として、
理解するには、
遅すぎた。
智恵子は、
病院という、
白く閉じた空間へ入っていった。
そこには、
空はなかった。
ただ、
均質な光と、
同じ音だけがあった。
第十二話 詩へ
智恵子が去った後、
光太郎は、
彫刻をやめた。
彼は、
削る対象を失った。
代わりに、
言葉が残った。
詩は、
削りきれなかったものを、
引き受ける器となった。
彼は、
泣かなかった。
泣くことは、
何かを付け加えることだった。
第十三話 残された空
光太郎の詩は、
以前より、
平易になった。
だが、
平易になった分だけ、
痛みが、
直接に響いた。
智恵子は、
彼の内部で、
空として生き続けた。
それは、
埋められない欠落であり、
同時に、
彼の芸術の中心となった。
続く
