試作版 大正モダンタイムス 夢の跡に見た夢
第二章 短歌という魔術
第六話 若山牧水――生を肯定する歌
若山牧水は、「生きること」を疑わなかった。
疑わなかったというより、疑う前に歌ってしまう男だった。
彼にとって酒は、逃避ではなかった。
忘却でもなかった。
酒は、生を確かめるための手段だった。
――白玉の歯にしみとほる秋の夜の
――酒はしづかに飲むべかりけり
この歌を、人生訓と受け取る者もいる。
だが牧水自身は、
ただ「そう感じた瞬間」を、そのまま言葉にしたに過ぎなかった。
思想は後からついてくるものだった。
牧水の生は、旅と酒に分かたれていた。
否、分かれていたのではない。
旅するから酒を飲み、
酒を飲むから歌が生まれた。
彼は定住を嫌った。
土地に縛られることは、
感覚が鈍ることだと信じていた。
その一方で、
家族という重みから逃げ切ることはできなかった。
妻と子。
責任と自由。
牧水は、その狭間で、
決して器用には生きられなかった。
与謝野晶子は、牧水を「弱い」と評したことがある。
それは侮蔑ではなかった。
「弱さを、隠さない人」
それが、晶子の評価だった。
晶子は炎だった。
牧水は水だった。
炎は水を蒸発させるが、
水は炎を包み込む。
二人は、同じ詩人でありながら、
まったく異なる生き方をしていた。
牧水の歌には、怒りが少ない。
その代わり、哀しみがある。
それは、抗議の哀しみではない。
生きることが、どうしても苦しいという事実を、
否定しない哀しみだった。
彼は、
「救われないこと」を、受け入れていた。
だからこそ、
その歌は、多くの人に届いた。
佐藤春夫は、牧水の歌に、
ある種の羨望を抱いていた。
自分は考えすぎる。
牧水は、感じすぎる。
春夫は、
牧水の無防備さに、
文学者としての恐怖と、
人間としての安心を、
同時に覚えた。
酒は、牧水の身体を蝕んだ。
それは、本人も、周囲も、
早くから知っていた。
だが牧水は、
酒をやめることで生き延びることを、
選ばなかった。
彼にとって、
生き延びることと、生きることは、
同じではなかった。
短い命でも、
充実していなければ意味がない。
それが、彼の美学だった。
晩年、牧水は静かに衰えていった。
派手な破滅はなかった。
ただ、
酒を飲む量が減り、
歌が短くなり、
歩く速度が遅くなった。
それでも彼は、
最後まで旅をやめなかった。
歩ける限り、
世界に触れていたかった。
死の直前、
彼はこう漏らしたという。
「生きた」
それだけだった。
後悔も、理屈も、
そこにはなかった。
続く
