試作版 大正モダンタイムス 夢の跡に見た夢
終話 大正文学の夢の跡
大正という時代は、
夢の途中で、
目を覚ましたような顔をして、
すでに、
過去の棚に、
押し込められていた。
人々は、
次の時代を生きることに忙しかった。
過去は、
整理されないまま、
置き去りにされた。
しかし、
菊池寛は、
生き残った。
彼は、
時代が変わるたびに、
立場を変えたのではない。
役割を引き受け続けたのである。
文学が個人の表現である時代は、
終わりつつあった。
彼は、
文学を制度に移し替えた。
それは、
理想ではなかった。
だが、
生き延びるための知恵だった。
佐藤春夫は、
静かに残った。
彼は、
時代と争わなかった。
美が、
常に勝つとは、
思っていなかったからである。
美は、
時代の裏側で、
細く、
だが確実に、
生き続ける。
若山牧水は、
酒の中に、
時代を溶かした。
彼は、
抵抗もしなければ、
適応もしなかった。
ただ、
生を飲み込んだ。
それは、
弱さではない。
彼なりの、
誠実さだった。
与謝野晶子は、
炎を失わなかった。
時代が、
彼女の声を、
必要としなくなっても、
彼女は、
声を下げなかった。
大正が終わっても、
晶子は終わらなかった。
高村光太郎は、
削り続けた。
彫刻も、
詩も、
人も、
時代も。
彼は、
最後まで、
過剰を拒んだ。
智恵子の空は、
彼の中で、
一つの基準として、
残った。
宮沢賢治は、
すでに、
別の場所にいた。
彼の宇宙は、
時代を必要としなかった。
だからこそ、
時代も、
彼を理解できなかった。
彼は、
遅れてきたのではない。
早すぎたのである。
島田清次郎は、
語られなくなった。
時代は、
失敗を、
保存しない。
だが、
彼の没落は、
大正の本質を、
最も正直に、
映している。
芥川龍之介は、
沈黙の中に、
位置づけられた。
彼の疑いは、
時代を越えた。
それは、
答えを出さない知性として、
今も、
読む者を、
立ち止まらせる。
大正文学は、
失敗したのではない。
未完のまま、
終わったのである。
だが、
未完であることは、
価値の欠如ではない。
むしろ、
完成してしまわなかったからこそ、
そこには、
今も、
問いが残っている。
時代は、
人を使い、
人を捨てる。
だが、
人は、
時代を、
完全には、
引き受けない。
そのずれの中に、
文学は、
生まれる。
大正は、
終わった。
だが、
大正文学は、
終わっていない。
それは、
読む者の中で、
今も、
静かに、
息をしている。
大正文学とは、
叶えられた、
理想ではなく、
叶えられなかった、
夢の跡なのかもしれない。
完
