特許の発明者になった。でも金持ちになれなかった。
(画像は特許庁のHPより)
特許の発明者欄に私の名前が載っている。
特許権者は勤務先。
発明者は私。
2005年の話だ。
仕事をしているとき、ある不便さを感じた。
「これ、解決できたら面白いんじゃないか?」
そう思ったのが始まりだった。
もちろん私は技術者でもなければ、特許の専門家でもない。
まずは特許とは何かを調べるところから始めた。
各都道府県には発明協会という組織がある。
そこへ通い、特許の取り方を教えてもらった。
担当者からは、
「実用新案の方が簡単ですよ」
と勧められた。
でも、どうせやるなら難しい方が面白い。
私は特許に挑戦することにした。
本来なら弁理士に依頼する。
しかし費用がかかる。
そこで勤務先の副社長にお願いした。
「特許権者は会社になるのですから、
弁理士費用を出してもらえませんか」
返事は一言だった。
「そんな金はもったいない。自分でやれ」
冷たいなあと思った。
しかし、言われてみればその通りでもある。
ならば自分でやるしかない。
それから私は何度も発明協会へ通った。
よく似たアイデアがないか、
「先行技術調査」で何度も調べてから、
出願書類の作成をした。
特許の出願書類の書き方は独特だ。
「請求項」と呼ばれる文章は、句点で区切らず一文で延々と書かなければならない。
句点を打ちたくても打てない。
まるで延々と続く終わりの見えない作文である。
何度も修正し、ようやく出願した。
ところが、そう簡単にはいかない。
特許庁から「拒絶理由通知書」が届く。
修正する。
拒絶される。
また修正する。
また拒絶される。
何度も何度も。
「意見書」を書き、「手続補正書」を書き、また出す。
正直、途中で何度も心が折れそうになった。
それでも続けた。
ここまで来たら意地だ。
ある日、どうしても審査結果に納得できず、私は特許庁へ直接出向いた。
そして担当官に理由を聞いた。
すると予想外の答えが返ってきた。
「内容は問題ありません」
だったらなぜ認めないのか。
そう思って聞くと、
「あなたの特許は真似されやすいんです。
あなたが侵害されたと訴えると、こちらも仕事が増える。いちいち訴えないなら認めます。」
そんな趣旨のことを言われた。
私は笑ってしまった。
そもそも私の第一の目的はお金ではない。
特許の発明者欄に自分の名前を載せることだった。
「訴えませんよ」
そう答えた。
しばらくして、特許査定が届いた。
私は念願の特許の発明者になった。
発明者になり、次の夢を見た。
もしかすると大ヒットして大金持ちになれるかもしれない。
試作品も作った。
ところが現実は甘くない。
一つずつ作るだけでは手作りなので
お金がかかる。
大量生産すれば安くなる。
しかしお金が掛かり設備投資ができない。
数個は売れた。
でも商売にはならなかった。
特許を維持するには年金と呼ばれる登録料も必要だ。
しばらく払い続けたが、やがて更新をやめた。私の特許は静かに期限を迎えた。そして切れた。
結局、儲からなかった。
大金持ちになる夢も消えた。
しかし特許を勉強したことは無駄ではなかった。
ある日、大手の会社から勤務先へ連絡が入った。
「御社は特許侵害をしている」
社長は私に対応を任せた。
話を聞いてみると、根拠は図面の一部だった。
しかし特許として認められるのは「請求項」であり、図面は補足資料に過ぎない。
私はそのことを説明した。
数日後、その会社から
訴えは誤りだったと認める連絡が入った。
私は会社を守ることができた。
さらに、もう一つ忘れられない出来事がある。
東日本大震災の後だった。
東北のある会社から電話がかかってきた。
「災害復興のために御社の特許を使わせていただけませんか」
私は即答した。
「どうぞ。無償で使ってください」
少しでも復興の役に立つなら、その方が嬉しかった。
結局、特許で大金持ちにはなれなかった。
けれど、
自分で勉強し、
自分で出願し、
自分の名前を特許に残し、
会社を守ることもできた。
そして震災復興にも、
ほんの少しだけ役に立てた。
特許庁のデータベースには
今でも私の名前が残っている。
それだけで十分なのかもしれない。
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