おかめ蕎麦は二段落ち

上の写真はコンプリート版「おかめ蕎麦」です。こんなふざけた料理があっていいのかと思うのですが、楽しいので良しとしましょう。今週は「おかめ蕎麦」の出自を妄想します。
おかめ蕎麦
上の写真のように、蕎麦の上に蒲鉾や椎茸、三つ葉などを、おかめの顔に見立てて並べる、顔面配置蕎麦を筆者は「コンプリートおかめ」と呼んでいます。また、お店によっては完璧な顔面配置ではなく、なんとなく顔面配置を意識した「ナンチャッテおかめ」もあります。
どちらにしろ「おかめそば」は関東特有のそばで、関西ではまずお目にかかりません。ですから、東京で蕎麦屋に入った関西人が「わかめそば」と勘違いすることがあります。

卓袱料理
「おかめそば」は長崎の卓袱料理がルーツだと伝えられています。卓袱料理は江戸時代初期に誕生した、普茶料理(精進料理)をベースとして中華料理、オランダ料理、日本料理が合わさり、海鮮をふんだんに使うローカル料理です。
この卓袱料理が長崎から京・大坂に伝えられたのですが、大坂では魚介類を使う卓袱鍋として根付きました。ところが、京は地理的に生魚が手に入らないので、野菜やキノコ、蒲鉾などを使う「しっぽくうどん」になりました。

しっぽくそば
京のしっぽくうどんは、八代将軍・徳川吉宗のころに江戸に伝えられたのですが、当時、江戸ではかけ蕎麦の人気が出始めた頃でした。そこで、日本橋の「近江家」という蕎麦屋が、椎茸、かまぼこ、板麩、三つ葉、玉子焼きを載せた五目そばを「しっぽくそば」と名付けて売り出しました。
誕生間もないかけそばで、「しっぽくそば」は史上初のタネもの蕎麦(具材をトッピングした蕎麦)になったのですが、価格が高いことから、それほど流行りませんでした。

囲碁
蕎麦はいったん置いておいて、話は囲碁に替わります。
古代中国で生まれた囲碁は、飛鳥時代に遣唐使によって日本に伝えられました。平安時代には貴族のたしなみになり、室町時代には武家や庶民にまで広まりました。
江戸時代になると本因坊家、井上家、安井家、林家の四家が家元と呼ばれるようになりました。四家は幕府から扶持を与えられ、囲碁界の統括者である「名人碁所」の地位かけて、「争碁」と呼ばれる勝負を繰り返しました。ちなみに、史上初の争碁は、二世本因坊算悦と安井家二世の算知との間で争われました。勝負は9年間に6戦して3勝3敗の打ち分けのまま、算悦が他界して幕を閉じました。

辻囲碁
江戸時代中期になると、囲碁は庶民の娯楽になります。特に江戸時代後期にはアマチュア囲碁は大人気になります。そうなると、街角でも、湯屋の二階でも、人が二人いれば囲碁が始まりました。二人が囲碁をしていると、それを見る聴衆が集まり、人だかりができます。打っている二人よりも見ている人達が盛り上がるのは今も昔も同じです。その様子を表したのが「岡目八目」という四文字熟語です。

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