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京都の歴史と京ことば


雨宝院(西陣聖天)


 「大阪弁と京ことば」の続編にリクエストをいただいたので、今回は京ことばを歴史をからめて妄想します。例によって筆者は言語学者でも歴史学者でもありませんので、今から書くことはあくまでも筆者の友人・知人からの受け売りと妄想です。あくまでも私見ですので予めご容赦下さい。

 大阪弁が大きく三つに大別されるように、京ことばもいくつかに分けることができます。大きくは、御所ことば(女房ことば)と町方ことばに分けられるのですが、町方ことばはさらに、中京ことば・西陣ことば・花街ことば・農家ことばに分けられます。御所ことばについては前回妄想しましたので、今回は京の町方ことばを妄想します。まずは西陣の職人ことばからまいりましょう。

西陣と東陣

西陣は西軍の陣

 「西陣」は有名ですが、実際にどこからどこまでが西陣なのかと問われると、答えは人によって若干違うかも知れません。西陣生まれの筆者の友人に尋ねたところ、上の図の濃い赤の部分が「ほんまの西陣」(友人談)だそうです。外側の薄い赤の部分は、「よそさんが言わはる西陣」(友人談)だそうです。   

【応仁の乱】
 室町幕府の8代将軍・足利義政の後継者争いをきっかけに、1467年から1477年までの11年間、京都を主戦場として行われた内乱です。管領の細川勝元を率いる東軍と、山名宗全(持豊)を率いる西軍に分かれて争われ、主戦場となった京都は荒廃しました。

 応仁の乱で、西軍総大将の山名氏は現在の堀川通今出川を北上したあたりに本陣をかまえました。「西軍」の「陣」なので「西陣」です。山名氏が本陣を置いたところは今も「山名町」として名を残しています。

東陣ひがしじん

 西陣があれば東陣もありました。上の図の青色の部分が、細川勝元を率いる東軍が布陣した地域で、そこが「東陣」です。応仁の乱は細川勝元を率いる東軍が勝利したのですが、現在、「東陣」という地名はあまり使われていません。

職人ことば

 前置きが長くなりました。その西陣で、西陣織に携わる職人さん達が使っていたのが「職人ことば」です。※広い意味では、伏見の酒蔵の職人さん達が使う言葉や、清水焼に携わる職人さん達が使うことばも、それぞれ別の「職人ことば」です。

 筆者は職人ことばに精通しているわけではないのですが、西陣生まれの友人は職人ことばとして「かにここ」という言葉を教えてくれました。「その納期ではかにここ・・・・ですわ」とか。西陣では「かにここ」は「ぎりぎり」という意味だそうです。

 具体的な例は分からないのですが、西陣織業界だけではなく、酒蔵や焼き物など、それぞれの業界に職人ことばがあることから、それらは一般家庭では口にすることもない専門道具や専門知識に関する言葉に特徴があるのだろうと想像できます。その証拠に、機械化・デジタル化が進み、職人ことばは消えようとしています。

中京ことば

 中京ことばは、上の図の紫色の部分である室町周辺で使われる言葉です。「室町」は言うまでもなく、室町幕府にゆかりの室町通りを中心とする、西陣などで作られる着物を商う呉服商が集まっていた商いの町です。中でも現在の三越伊勢丹の前身である「三越」が本店を置いたことが、現在の室町の繁栄に繋がっていると言っても過言ではありません。

三井越後屋

 現在、NHKで放送中の大河ドラマ『光る君へ』に登場する、柄本佑さん演じる藤原道長が三越のご先祖様です。もっとも、史実としての確証はありません。あくまでも言い伝えです。

 藤原道長の子孫は京を離れて武士となり、「三井」と名乗ります。三井氏は近江で六角氏の家臣となりますが、六角氏は観音寺城の戦いで織田信長に敗れ、三井氏は伊勢の松坂に逃れます。

 松坂で武士を捨てて商人となった三井氏の末裔「三井高利」は苦労の末、1673年、52歳にして江戸本町一丁目に呉服商「三井越後屋」を、京の室町通蛸薬師東側北寄りに西陣織を仕入れて江戸に送る、現在の三井財閥の始祖の店「三井越後屋本店」を開業しました。

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