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エルダーの庭~ローズマリー一家~ 第八話 大切な贈り物

8  大切な贈り物

 翌日のエルダーの庭には、開店と同時にお客様が来ていた。
 杏樹とその父、母の三人だった。

「この二日間、うちの娘が大変お世話になったそうで、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる両親に、拓人も結も恐縮して顔の前で手を振った。

「お世話になったのはこちらの方で、昨日のランチに杏樹ちゃんがいなかったらと思うと青くなるくらいです。本当に働き者で気の利く子ですね」
 
 その娘への褒め言葉に、両親はそろってうなずく。

「ええ、そうなんです。うちの杏樹はそれはよくできた子でして」

 心の底から娘を自慢に思っているらしく、お父さんが嬉しそうに杏樹の肩に手を置いた。

 日本独特の愚妻や愚息というような、家族を人前でへりくだった表現をとる習慣があるが、結はそれが好きではなかった。
 だから、杏樹の父が褒め言葉を素直に受け取ってくれたことが嬉しかった。

「我々も一緒にいて、いつも以上に楽しく過ごさせていただきました。でも、学校を休んでいいと言ったのはわたしなので、その点は申し訳なく思っています」

 拓人はそう言うと、二人に向かって頭を下げた。

「いや、我々の方こそ、娘の思いを汲んでやれずにいました。辛い気持ちでいた娘に寄り添っていただけたこと、心から感謝しています」

 父親の語った辛い気持ちという言葉に、結は杏樹を見つめた。

 杏樹ちゃん、もうご両親に話したの?

 結の視線での問いかけに、杏樹は首を横に振った。
 きっと学校に行きたくなくて、数日休んでしまっていたことだけを話したのだろう。

「あの、うちの店はハーブティーを提供しているんですが、新作のブレンドがあるんです。よかったら、試飲して感想をきかせていただけますか?」

 結は杏樹が落ち着いて両親と話せる場を作ろうと思って言った。

「試飲だなんて。料金をとってください。そうしたら、わたしたちも遠慮なく感想を言えますので」
 
 杏樹の母が提案して、結がそれに応じた。
 
 家族三人でテーブルについた様子を見守りながら、結はハーブティーの用意をした。

 リラックスして話ができる手伝いをしたい。
 そう思って用意したのは、ピンクローズとカモミール、そしてレモンバーベナのブレンドティーだった。どれも心を穏やかに包み込んでくれる優しい味で、ほんのり甘く、さわやかなハーブだった。

 杏樹ちゃんを少しでも応援したい。

 そんな思いで結は三人の前にハーブティーを出した。

 緊張して思いつめた顔の杏樹に対して、両親はいい香りのハーブティーに満足した様子で何度も香りを確かめて、お互いにうなずき合っている。

「杏樹、すごく素敵なお店を見つけていたんだね。お父さんもこのお店が気に入ったよ」

 だが、杏樹はその言葉には反応せず、思い切ったように顔を上げると口を開いた。

「お父さん、お母さん、今日は聞きたいことがあるの」

 ひどく緊張して声がうわずる娘に、両親は持っていたカップを下ろしてまっすぐに娘を見つめた。

「杏樹ちゃん、聞きたいことって何?」

 娘の様子をいぶかしげに見つめる母親に、杏樹は言葉を探している様子だった。
 
 二人を傷つけない聞き方は何かないか?
 自分の心の痛みを悟らせない言い方はどんな風なんだろう?

 だが、どんなに考えてもうまい方法はなかった。

「わたしは…二人の子どもじゃないって本当なの?」

 その真っ直ぐな問いに、両親は一瞬時が止まったかのように固まった。
 
「どうしてそれを…」

 母親のそのつぶやきが、全ての答えになっていた。
 
「沙也佳ちゃんが言ったことは本当だったんだね」

 杏樹はそうつぶやくと、うつむいた。

 そしてこぼれた涙が、スカートの上に落ちて音を立てた。

「沙也佳ちゃんて、誠兄さんの娘さんよね。…あの子になんて言われたの?」

 身を乗り出した母に、杏樹は震える声で答えた。

「わたしはいらない子だったんだって。産みの母親に捨てられて、お父さんとお母さんに自分たちの子どもを持たないなんて酷い決断をさせた子どもだって」

 その言葉に、両親はともに息を飲んだ。

「…なんてことを…」

 苦しげに吐き出された父親の言葉に、母親も嗚咽の声をもらした。
 そして一人うつむいて泣く娘の横に駆け寄ると、ぎゅっとその背中を抱きしめた。

「ごめんね、杏樹。もっと早くあなたに話していたら…。こんな風に苦しい思いをさせずにすんだのに」
「すまない。お父さんのせいなんだ。長野に来る前、お母さんは杏樹に本当のことを話しておこうって言われたんだ。でも、お父さんが止めたんだ」

 父親は手を伸ばして杏樹の頭に手を置くと、愛しそうにその髪をなでた。

「だって、血のつながりなんてなくても、杏樹はぼくの娘だ。本当の娘だ。自分の命よりも大切だって思える娘なんだ。養子だなんて、ぼくが思えなかったんだ」

 その父の言葉に、杏樹は涙に濡れた顔を上げた。

「わたしがお父さんとお母さんの娘でいいの?」
「当たり前だろう。他に娘なんて欲しくない」
「そうよ。杏樹ちゃんは、わたしたちの元に来てくれた天使なの。だから、杏樹って名付けたの」

 フランス語で天使を意味するアンジュ。

 その天使がこの夫婦の元にやってきたのは、いくつもの辛い運命の果ての結果だった。

「杏樹ちゃんを産んだのは、桐谷舞ちゃんっていう、お母さんのお料理教室の生徒さんだったの」

 杏樹の母、紀子は、事の経緯を話してくれた。

 杏樹の産みの母、舞は、家庭的に恵まれない女性だった。
 実の母は三歳の舞を自分の母、舞にとっては祖母にあたる人の元に置いて姿を消した。その祖母にも、愛されたとは言いがたい、食わせてもらえただけという生活を送ってきた子だった。

「あるとき、お店でお金を払う前にパンを食べてしまっている女の子を見かけたの。今まで見たこともない飢えて今すぐに食べないと死んでしまいそうな食べ方で、お母さん、すごくショックを受けたの」

 紀子はその子に声をかけ、代わりに食べてしまったパンの代金を払うと、自宅に連れて帰ったのだという。

「あり合わせで、おにぎりと目玉焼きとソーセージを焼いてあげただけだったのに、舞ちゃんがすごく喜んで、こんなごちそう食べていいのっていうの。お母さん、本当に涙が出ちゃったの。日本にこんな思いをしている子がいるんだって。それから、毎日舞ちゃんにお料理を教えるようになったの。舞ちゃんは、わたしのお料理教室の生徒第一号なの」

 
 母親の料理教室を始めたきっかけが、自分の産みの親だったとは思いもよらない話だった。

 その後、舞は紀子の紹介でパン屋で仕事をするようになり、やがて同じ職場でバイトをしていた青年と恋に落ちたのだった。

「二人ともとてもお似合いで、仲のいいカップルだったの。二人ともお金はあまりなかったけれど、幸せそうだった。彼のスクーターの後ろに乗って、笑い転げながら二人でどこまでも行けそうだった」

 でもその二人が交通事故にあったと連絡があったのは、舞から赤ちゃんができたと報告を受けて1ヶ月も経たない頃だった。

「彼の方は即死だった。舞ちゃんも酷いケガを負って緊急手術が必要だったの」

 病院に駆けつけた紀子と、夫である浩に、舞は自分のことよりもお腹の子の心配をして、二人に約束をさせたのだ。

「…わたし、がんばる。この子を自分の腕に抱けるようにがんばる。…でも、もしわたしに何かがあったときは、わたしの命よりもこの子の命を優先して!」

 真っ直ぐで力強いその言葉に、迷いなど微塵もなかった。

「そして、この子を紀子先生に育てて欲しい。だって…わたし、紀子先生の娘に産まれたかったんだもん」

 それが舞の最後の言葉になった。

 緊急の帝王切開で生まれた杏樹は、未熟児で生存の可能性は低いと言われた。
 
 でも、毎日夫婦で会いに行き、許されたときは素肌に触れて人のぬくもりを感じられるように、何時間も抱きしめに通った。

「本当に小さな体で、でも必死に生きている姿に、舞ちゃんの思いを受け継いでいるんだって感じたの」

 紀子は杏樹の手を宝物のように包み込んだ。

「わたしの人差し指にやっと乗るような小さな手で、ぎゅっと握ってくれたときは、お父さんが看護師さんにびっくりされるくらい大泣きしたのよ」
「あのとき、ぼくはこの子はもう大丈夫だ。ぼくたちの元に来てくれた娘なんだって確信したんだよ」

 今も父浩の目には、涙が浮かんでいた。

「だから杏樹ちゃんは、舞ちゃんにとっても、わたしたちにとっても、かけがえのない宝物なの。いらない子だなんて、絶対に思わないで! 世界中が杏樹ちゃんを否定しても、お父さんとお母さんは体を張って杏樹ちゃんを守るから」

 やっぱり杏樹ちゃんのお父さんとお母さんは、ローズマリーお父さんとお母さんと同じだったね。

 三人のやりとりを見ていた結は、そっと涙を拭いながら思った。
 そして同じように見守っていた拓人も、結と目が合うと安心したようにうなずいた。

「わたしのために、実の子を持つことを諦めたっていうのは?」
「それはきっと、誠兄さんが勝手に言ってるだけ。わたしとお父さんは、何年も不妊治療をしたけれど、子どもが生まれなかったの」

 少し悲しげに笑った紀子は、自分のお腹に手を当てた。

「わたしが杏樹を産んであげられたら良かったんだけどね。でも、ダメだった。だから、杏樹がきっとすぐ側にいた舞ちゃんのお腹に宿ったんだって思っているの」

 杏樹は安心したように、小さくほほえんだ。
 だが、心配事はまだ残っているようだった。

「でもわたし、お父さんやお母さんに自慢に思ってもらえるような娘じゃない気がするの」

 少し甘えた口調になった杏樹が、母親の腕の中で言った。

「どうして?」
「だって、わたしにはお母さんみたいに心の底から打ち込みたいって思える物がない。お父さんみたいな感受性の豊かさもない。ただ必死に誰にも嫌われないようにあがいているだけ」

 そんな感情を持った時期があったなと、その場にいた全員がほほえましい気持ちで杏樹を見守っていた。

 それは、がんばっている人だからこそ持つ葛藤なんだよ。
 結も拓人もそう告げてあげたいと思いながら、杏樹を見守っていた。

「杏樹ちゃん。お母さんがお料理教室を始めたきっかけは分かったでしょう。舞ちゃんにお料理を教えたことがきっかけよ。はじめからお料理教室をやりたい!って確信を持っていたわけじゃないの」
「お父さんの感受性だって、杏樹はすごいって言ってくれるけど、学校でぼくが生徒たちになんて言われているか知らないだろう? 泣き虫先生だよ。半分変態扱いだよ」

 少しすねた物言いの父親に、杏樹が思わず笑い声を上げた。

 そんな娘に、両親はホッとした様子だった。

「それに、杏樹ちゃんには一生懸命になれるものがないなんてことある?」
「最近も、ミーちゃんを助けるために、ぼくたちが心配になるくらい、献身的にお世話をしていたじゃないか」

 その二人の言葉に、杏樹は何か感じる物があったようだった。

「わたし…生き物と触れあっているのが好きなの。言葉はなくても、心が通じ合える気がする」

 杏樹のその言葉に、話を聞いていた結と拓人もうなずいていた。

「杏樹ちゃんは、植物とも対話できているよ」
「お料理に使うお野菜にもおいしくなってくれてありがとうって声をかけてたじゃない」

 結と拓人の応援の言葉に、杏樹は真っ赤になった目で嬉しそうにほほえんだ。

 どんな命も大切に思い、感謝の心も持てる子は、誰もが幸せになる切符を持っている。

 結と拓人は、改めて本当の家族になれた三人を見守りながら、その行き先の幸せを心の中で願った。

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