見出し画像

訪問看護師の私は、子育てと仕事の間で母を看取った|8章 紡がれていく日々を 母と共に――これからも。

noteエッセイ|実話
ここから読んでくださっても、大丈夫です。
これは、母の旅立ちと、その後の小さな再出発を綴った【最終章】です。
訪問看護師であり、母の娘だった私の物語が
あなたの心のどこかにそっと寄り添えますように。


______________


見えない温もりに、今でも手を伸ばす。
あなたを求めて、空を仰ぐ。

春の光がまぶしいのに、
心の奥は、ずっとあなたの手を探している。

――母を見送ったあと、
穏やかな時間のなかに、ふと立ち止まる瞬間がある。


_____________

「最後のケア」

母が最後に大きく息を吸い込んで、静かに息を引き取ったあと。
私は平然をを装い、訪問診療の先生に連絡を入れた。
「これから30分ほどで向かいます」との返答。

その間に、私は事前に許可をいただいていたエンゼルケアを行うことにした。

様子が変わり始めた1週間ほど前、
思い切って取り寄せたエンゼルケアキット。
——仕事以外で使うのは初めてだった。

間に合ってよかった、という安堵の気持ちと、
そんな準備をしていた自分に対する、どこか後ろめたい気持ち。
生きていてほしいと願いながら、
その“もしものとき”に備えるという矛盾が、
胸の奥に渦巻いていた。

「お母さん、よく頑張ったね」
そう声をかけながら、兄とふたりで、母の体を丁寧に拭いた。

番犬シエルは不思議そうにくんくんと匂いを嗅いだり、ずっと母顔の周りをうろうろ、離れようとしなかった。

洗髪をして、母が好きだった洋服を着せる。
口腔ケアをしようと口元に触れると、思った以上に乾いていた。

毎日ケアしていたのに、
「乾いてたんだね……ごめんね、もっと水分ほしかったよね」
その言葉とともに、ぽろぽろと涙がこぼれた。



やがて先生が到着し、死亡診断が行われた。
この日はいつもの主治医ではなく、代わりの医師による対応だった。
診断書に少し間違いがあって、訂正が入る場面もあったけれど、
そのやりとりが逆に空気を和らげてくれてた。

涙が溢れぬよう、笑顔で感謝を伝えた。



先生が帰られたあと、私は母にメイクを施すことにした。

闘病が長く、化粧道具もほとんど残っていなかったけれど、
お気に入りだったパープルの口紅と、使い込まれた眉ペンだけは見つかった。

母は、どんな日も「ちゃんと綺麗にしていたい人」だった。
そのことを思い出すと、また涙がにじんだ。

それでも、少しでも“いつものお母さん”に近づけたくて、
私なりに、できる限りのメイクを施した。

血色が戻った頬。
口元が微かにゆるみ、まるで笑っているような、
優しい表情に仕上がった。

「お母さん、起きてよ。朝だよー」
思わず、いつものように声をかけてしまった。




そして、ようやく息子を呼ぶことにした。

「ばぁばのところ、おいで。もう大丈夫だよ」

伝えてはいたけれど、“その時”が来ると、
やはり息子はなかなか近づけなかった。
怖さと寂しさが入り混じった小さな背中が、
ただただ切なかった。

ようやく母の顔を見ると、息子はこう言った。

「なんだ、寝てるだけじゃん」

私は小さく笑って、「星になったんだよ」と伝えた。

すると、ぱっと息子の表情がくずれた。

「そんなの、いやだよ……なんで……」
と声をあげて泣き出した。
「さみしいよね。ママもさみしいよ」

私は息子の肩を抱きながら、語りかけた。

「でもね、ばぁばはボクちゃんのこと、
いつもね、ずっと大好きなんだよ。
今は見えないけど、ずっとそばにいて、ちゃんと見てくれてるよ」

息子は涙をぬぐうようにして叫んだ。

「ばぁば、ありがとうー!よろしくねー!」

そう言って、ばぁばのお腹に泣きながら顔をうずめた。
横で番犬シエルが息子を慰めるように寄り添ってくれていた。


息子の言葉に涙が溢れた。
もう返事はないけれどちゃんと母は約束を果たそうと頑張ってくれていた。



その数日間は、母の妹夫婦が駆けつけてくれ、
葬儀屋との打ち合わせや書類の手続きなど、慌ただしく過ぎていった。

どう過ごしていたのか、今でも記憶があいまいだ。
ただひたすら、息子の前では泣かないようにと、それだけを思っていた。

一度、ふと涙があふれそうになったとき、
息子にこう言われた。

「ママが泣いたら、ボクも悲しくなって泣いちゃうよ」

その言葉が、私の涙腺を閉じた。
泣きたくても、泣けなかった。


「約束の日」

そして迎えた、4月7日。

その日は、息子の小学校の入学式だった。

ランドセルを背負い、一張羅を身にまとい、
私は息子を母のもとへ連れていった。
まだ、母は自宅にいた。

「ばぁば、見ててね。ボク、小学生になったよ」

そう言いながら、母に姿を見せた息子。
母は、いつものように微笑んでいた。

でもその笑顔は、
ほんの少しだけ、強く笑っているように見えた。


そして、母はちゃんと約束を果たした。
息子のランドセル姿に、返事はできないけれど、静かに微笑んで、会うことができた。

母と過ごす最後の1日だった。


「触れられる最後」

翌日、私たちは家族だけで、静かに母を見送る時間を持った。

参列したのは、父と兄、私たち家族(夫と息子)、
そして母の妹夫婦。
身内だけの、静かな家族葬だった。

みんなで並んで座り、静かにお経を聞いた。
私は息子の手を握りながら、ただじっと前を見つめていた。
どこか放心したような気持ちだった。

棺には、母宛ての手紙と、色とりどりのお花をたくさん添えた。
息子も、自分で折った折り紙をいくつも持ってきていて、その中から、母が好きだった金色の鶴を
「これが一番」と言って、そっと母の手にのせた。

そして、蓋を閉める直前。

ずっと泣くのを我慢していた息子が、
私の袖を握って、小さく震えていた。

「我慢しなくていいよ」
そう声をかけると、
息子は静かに、シクシクと涙をこぼしはじめた。

「ばぁば……大丈夫だよ。今だけ……」

その言葉に、私はこらえていた涙が一気にあふれた。

“今だけ”って。
その小さな言葉に、
どれだけの思いが詰まっていたんだろう。

最後に、母の身体に触れて母に向かって伝えた。

「ありがとう、大好きだよ。」
「頑張るから見ててね。」


ゆっくりと棺の蓋が閉まり、
その瞬間、もう一度、母の温もりが心に灯った。


そのまま、火葬場へと向かった。

母の棺が炉のなかへと運ばれていくのを、私はただ見つめていた。

着火の瞬間、
心がぎゅっと締め付けられるような痛みが胸を突いた。

音もなく、母は煙となって、
もくもくと空へと昇っていった。

何も言わずに、ただ、静かに。



母は、
あの桜を見てくれたかな……?

ぽつりと、心の中で問いかけた。

隣家の庭に咲いたばかりの枝垂れ桜。
まだ細くて頼りない枝だったけど、
あの朝、母の部屋の窓から、
淡いピンクが揺れているのが見えた。

ほんの少しでも、母の目に映っていたなら。
それだけで、春の訪れを知らせてあげられたなら。

そう思うだけで、
心がすこしだけ、あたたかくなった。




「私の原点」

母の小さな頃の夢は、看護師になることだった。

実際に看護師だったのは、母の母——私の祖母。
けれど祖母は四十代で脳出血を起こし、早くにこの世を去ったという。

長女だった母は、五人兄弟の中で“母親代わり”となり、
弟妹の面倒を見ながら育った。
なかでも一番年の離れた末の妹を、働きながら支え、看護学校に通わせた。
その妹は今も、現役の看護師として働いている。

私が小学生だった頃、
母がふと話してくれたことがある。

「本当は、私も看護婦さんになりたかったのよ。
でもね、血を見るのが苦手で……」

それを聞いた私は、すぐに言った。
「じゃあ、わたしが看護婦さんになる!」

母がとても嬉しそうに笑ってくれたのを、
今もはっきり覚えている。

それから私は、自然と看護師という職業に憧れを抱くようになった。



父方の祖母を母が在宅で介護していた。
最期は病院での看取りとなったけれど、
中学生だった私はその姿をそばで見ていた。
「いつか、訪問看護のような仕事がしたい」
そう思ったきっかけだった。

看護学校に進んでからは、実習や課題の厳しさに、周りの友人が次々と辞めていった。
私も、何度も心が折れそうになった。

それでも、続けた。
一人で生きていく力が欲しかった。
大切な人を守れるようになりたかった。

今になって思えば、
どこかで母の願いに引っ張られていた気がする。

でも、
それが私の看護師としての、はじまりだった。



「また日常が廻り出す」

火葬が終わってから三日後、私は仕事に復帰した。

職場の人たちは皆、優しく声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?」「本当に大変でしたよね」
そう言われるたび、私は笑顔でこう返していた。

「大丈夫じゃないですよ〜!って笑うしかないですね〜」

本当は胸を張って「大丈夫」とは言えなかった。
だけど、誰にもそうは見せたくなかった。

毎日、淡々と仕事をこなし、
淡々と家事をこなし、
実家の様子を見に行きながら、育児もこなしていた。

——完璧に。

そう言いたかったけれど、
実際は、情緒不安定だった。

車の運転中。
息子を寝かしつけたあと。
誰もいない部屋で。

気づくと涙がこぼれていて、
それが止まらなくなる夜が何度もあった。

たくさんの後悔が押し寄せた。

「どうしてお母さんだったの?」
「あんなに苦労して、やっと孫ができて穏やかな時間を過ごせていたのに……なんで?」

自分を、誰かを、何かを責めたい気持ちになる日もあった。

でも、そんな私を諭すように、思い出すのは母の言葉。

いつもは優しい口調の母が、ひときわ強く語った一言——
「お母さんなんだから、しっかりしなさい」

きっとこの言葉に、母が背負ってきた想いや、私たちへの深い願いが込められていたのだろう。



そのなかで、母は何度も夢に出てきてくれた。

母がいた今までの日常が続く、
ただ穏やかに、私を見守ってくれていた。

「きっと、心配してたんだよね。
だから、しょっちゅう顔を見せに来てくれたんだと思う」

目が覚めるたびに、また頑張らなきゃと思った。
そんな日々の繰り返しだった。


「心のなかの母と共に」


そして迎えた、母の四十九日。

その日はまるで台風のような天気で、
空は荒れ、風が吹きすさび、傘も差せないような状況だった。

父と兄、私たち家族で小さく法要を行い、
そのまま納骨へと向かった。

お坊さんは、飛ばされそうな傘を縮めて頭にかぶり、まるで笠小僧のような姿でお経を唱えていた。
兄の靴の底が剥がれたり、息子が転んだり、
お供えの花が風に煽られて飛ばされそうになったり、そのたびにみんなで笑いをこらえていた。

涙は、もう流れなかった。
不思議と、笑いが先にあった。

風はとても強かったけれど、
どこかあたたかかった。

母が泣かないで、
笑顔で送ってと言ってる気がした。


私は小さなハートのペンダントに、
母のかけらを納めた。
それは、私の胸の中で、見えない“心の灯”になってくれた。
今も、そのペンダントは私の首元にある。

母はもう触れられない場所にいるけれど、
その“かけら”は、私の心の真ん中で静かに光っている。

雲の隙間から差し込む光のなかで、
私はこう思った。

「きっと、お母さん、
この風に乗って空に上がっていったんだね」



母はいつも、私たちを優しく、あたたかく、照らしてくれた。

今は、もう姿は見えないけれど。
私たちにとって母は——

星になった今も、太陽のような人だった。
日中はあたたかな陽の光や、そよぐ風に。
夜は、瞬く星の光に。
私は母の存在を感じていた。

遠くて、もう触れることはできないけれど——
確かに私のなかに、今も母は生きている。

宗教的な何かはないけれど、
これほど深く縁を結び、心を通わせた存在だから、きっとまた、形を変えても会える。

そう信じずにはいられない。

これからも、ずっと見守っててねと。

fin.





ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました🍀

これにて『訪問看護師の私は、子育てと仕事の間で母を看取った』、ひとまず完結です。


母が見守ってくれている中、
私はボクちゃまと、ちょっぴりグレーな夫と一緒に、笑ったり怒ったり泣いたり…
そんなドタバタな毎日を綴れたらと思います。

これからも、よろしくお願いします。
スキやフォローが日々の励みになります🐰



そして――
この物語をもとに、Kindleで小説として公開する予定です。
そちらも楽しみにしていただけたら嬉しいです!

ここまで、お付き合いいただきありがとうございました🐰

shizuri

いいなと思ったら応援しよう!