アミメカラモレタヒトタチ〜自己責任で片付けられる社会のはざまで〜
心揺さぶる物語で、命と向き合う。「医療現場と日常を紡ぐ、心のストーリーテラー」の姫草ユリ子。
看護師としての現場経験をもとに、医療・介護・福祉を「専門家だけの話」にせず、一般の読者へ伝わる物語や記事として届けることを大切にしています。
制度や社会課題を専門知識だけで終わらせず、一般の方にも伝わるストーリーとして執筆しています。
以下の記事は、医療制度・貧困・障害・自己責任論をテーマにした代表作です。
「YouTubeって何ですか?」
6年前。脳神経外科の病棟にいたときの話。
ある日、40代という若さで脳梗塞を発症した男性患者が運ばれてきた。
その患者さんは麻痺などの後遺症が残った。
まだ若く仕事もしていかなくてはならないため、かなりリハビリを頑張らなくてはならなかった。
食事も自分で食べることができるように曲げられるユニバーサルスプーン(スプーン先を使いやすい角度に曲げられるスプーン。スポンジを取り付けることで、柄を太く調整することができるため握力が弱まっている状態でも握りやすくなる。)なるものが必要であり、妻に購入できるか聞いてみると、「お金がないので無理です。」と言われた。

いつも「お金がない。」と言っておられたので、ぶっちゃけここまでは想定内である。
事前にYouTubeで「100均の商品3つで作れる自助スプーン」を調べていたので「100均の道具3つでスプーンを作れるYouTubeを紹介するので、それを観ながら作ってもらえませんか。」と聞くと「YouTubeって何ですか?」と言われた。
その方たちは発達障害とかそのグレーゾーンに属している方たちだったのだが‥‥40代でまだお若いしYouTubeは知ってるだろう、と私は当たり前のように聞いてしまって「あー、もう何で絶対に知ってるだろう、と思って聞いてしまったんだろ」と猛烈に反省した。
脳血管疾患は介護保険の「16の特定疾病」に該当する。
そのため、40代でも第2号被保険者となり、様々なサービスを受けられる。
私はその手続きをしてもらおうと、妻に説明を試みたが——「あー、わからん私、難しいことは。面倒くさい。」と言われなかなかスムーズにすすめられなかった。
今は何でもいくらでも好きなだけ調べられる時代である。
しかし情報にアクセスしようという意思がなければ意味がない。
そんな時代で様々な制度や支援の網目からもれる人たちがこういう方たちなのだろう、と思った。
そして今の日本ではそれは「自己責任」で片付けられるのかもしれない、とも。
2006年〜2010年にかけてアメリカのある州でメディケイド対象者に対し、健康を維持する努力にインセンティブがつけられた。
日本では、国民全員が公的医療保険に加入する国民皆保険制度を導入しているが、米国における公的医療保険制度は非常に限定的で、65歳以上の高齢者・障害者を対象とする「メディケア」および低所得者を対象とする「メディケイド」のみである。米国のメディケイドは、連邦と州が共同で行っている医療プログラムで、低所得の家族、資格を持つ妊婦と子供、補足的保障所得(SSI)を受けている人に医療保険を提供するもの。州は、連邦政府のガイドラインに従って、メディケイドプログラムを管理し、メディケイドの適用範囲を拡大するオプションが与えられている。
健康改善プログラムに通い、医師の指示通りに薬を飲み、予約通りに受診すると給付金が増額されるというものである。
逆にそれをしない患者さんには処方箋を出す枚数に上限を設けるなど医療サービスを制限した。
追加の給付金をもらうため、きちんと薬を飲んで通院し健康に気を使うことで状態は改善する。そうしたら予定外の救急外来受診は減り、全体としての医療費は節約できるという目論見だった。
しかし目論見は外れ実際には救急外来受診は増えた。健康維持の努力をしない患者さんは通常の医療サービスが制限されるため、その分、救急外来が利用されたからである。
自己責任を問うような医療制度は健康状態の改善や全体の医療費の削減にはつながらなかったといえる。
医療従事者であればピンとくるかもしれないが、もともときちんと指示を守れるような患者さんは救急外来をあまり受診しない。
(緊急とか突発的な痛み・症状や病気はもちろん除く)
看護師経験が長くなると指示通りに服薬、受診をせずに状態が悪くなってから慌てて救急外来をよく受診する"常連"と言われているような患者さんの1人や2人は思い浮かぶのではないだろうか?
「しばらく油っこいものは控えて下さいねー。」って伝えて退院してもらったのに、そのまま焼き肉行ってその日のうちにまた運ばれることになった、みたいな患者さん。
私も病院で働いていなければ気付けなかったのかもしれないが、想像のつかないくらい劣悪な家庭環境、貧困、労働環境にいる人は恐らく世間一般で言われているような「健康な生活習慣」「当たり前の生活」‥それ自体がわからなかったりする。
(失礼を重々承知で)識字率が低く、同意書・説明書に書いてあることがわからない、明日のお金にさえ困っているから仕事を休めない、だから予約日に来れない‥
個人の努力だけではどうしようもできないくらいの環境にいる人も世の中にはいる。
私も家庭環境は良くなかったが「いつかネタにして書いてやるわ」くらいの笑い飛ばせるものだ。
笑えないくらいの環境にいる人も世の中にはいる。
最初の話に戻るが、支援を受けたくても制度を知らない、難しい申請書を読みたくないから手続きできない、というのも「自己責任」「努力しないから」で片付けられるのだろう。
支援を受けない人、制度を使わない人が、
本当に「努力しない人」なんだろうか。
「私は頭が悪いから」
——私には昔から大好きなライターさんがいるのだが上記のようなタイトルで、本当は支援が必要で何度も勧めるのに「私は頭が悪いから」と申請を諦めた人のことが書いてあった。
難しい申請書が読めない。面倒くさい。誰に相談すればいいのかもわからない。
そうやって、制度の網目から静かにこぼれ落ちていく人たちがいる。
だが「私は頭が悪いから」というその言葉に、「努力不足だ」「自己責任だ」という声が集まり、炎上してしまった。
(もう記事も残ってなくて若干うろ覚えだが。)
私には、どうしてもそうは思えなかった。
まともに考える余裕もないほどの過酷な環境に、今も誰かが取り残されている。
制度のデジタル化は進んでいるが、「簡易化=誰でも使える」という訳ではない。
それを「努力が足りない」「甘えている」と一蹴してしまうくらいに私たちは完璧な世界で生きていかなければならないのだろうか。
noteを定期的に継続的に書いている人とか読んでいる人というのはそもそも自分の伝えたいことや常日頃から考えていることがある人たちだと思う。「難しいからわからないから面倒くさいから。」で放置する人はいないだろう。
だから私は誰に向けてこれを発信したいのかよくわからなくなってきている。
それでも、書かずにはいられなかった。
「当たり前」からこぼれ落ちていく人たちが、確かにそこにいるから。
このnoteを通して、誰か一人でも“あの人たち"を思い出してくれたなら、それだけで十分かもしれない。それでいい。
灼熱の夏、23歳の母・蓮音は、 なぜ幼な子二人をマンションに置き去りにしたのか。
真に罪深いのは誰なのか。
「つみびと」は2010年6月、大阪市内のマンションで母に置き去りにされた幼い姉弟が餓死した実在の事件がモチーフになっている。
母親の蓮音。蓮音の母親の琴音。2人は同じような状況を引き起こす。二代続いたから「虐待の連鎖」などと言われた。だが加害の連鎖であると同時に被害の連鎖でもあった。
最後の一線を越えるか越えないかの違いは、琴音にとっての大切な人や兄のような存在が蓮音にはいなかったからとも言える。
誰からも手を差し伸べられず、福祉にもつながれず助けを求める方法を知らなかった蓮音を断罪する気にはなれない。
「誰も、あの母子のために何もせず、そして、蓮音自身何も求めなかったのだ。そして、子供らを置き去りにして死なせてしまった。
本当はどれほど助けて欲しいと口にしたかっただろう。」
許されない事件であるのはもちろん理解している。琴音の兄の嫁(子供を病気で亡くしている)が事件のことを聞いて「殺すんなら私にくれよ!」と泣き叫ぶ気持ちもすごくわかるし胸が締め付けられる思いがした。
(私も子供がいないので。)
だが自分が蓮音と同じ状況にいたら「真っ当に生きる」自信はない。
劣悪な環境で育っても立派な人は確かにいる。しかし蓮音のようなあまりにも劣悪な環境で育つと悪いことを悪いと自覚できるものなのだろうかと思うことがある。
ラスト、蓮音は職場の上司から自首をするよう説得される。
「わかった。自首するから私と友達になってくれる?」の一言があまりにも切ない。
記事を紹介して頂きました。
レナさん、ありがとうございます。
笑わせたかったけどキュンキュンしてくれたみたい😌
こんな可愛らしい文章書けるっていいな❤️
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