上田久美子の『ハムレット』は言葉が面白い※敬称略でいきます
昨年観て「なんだこれ!」となった【上田久美子の『ハムレット』】二回目観劇となる今年で気付けたことをいくつか
「砕けた口調」と「詩的な口調」と「ラップ」
一人生き残ったホレイシオが語ろうとした『ハムレット』が多フィーリアによって乗っ取られ雪崩れていく、混乱と笑いとシリアスとが一気に来る怪作だった
が、二回目観るとちょっと冷静に観れた
そこで気付いたのは「口調の違い」だった
基本的には原文(原訳文?)を意識された「詩的な口調」が多いことに気付いたし、それに気付けなかったことに驚いた。いかにもシェイクスピア作品という感じの、聞いても言っても素晴らしいセリフ
次に目立つのは「砕けた口調」これはハムレットが比較的最初の時から砕けた口調で、時々「詩的な口調」が入っている。そんな塩梅だった気がする
もう一人、クローディアス。この人は懺悔するかどうしようかと悩むとき、すごく砕けていた。結構「ア、こんなに軽い感じなんだ?」と笑いをこらえていた。ただ砕けていたのはそこだけで、基本的にはクローディアスも詩的な口調だった。
なぜ砕けた口調に変えたのかなー? 謎だー
そして「ラップ」これは榊原有美の担当、合いの手を貴島豪、阿部一徳が担当する骨太なパートだ
ホレイシオは「オフィーリア抜きで」物語る方向性だった。だからなのか、本作ではたくさんオフィーリアが出てきてもほとんどオフィーリア以外を演じているし、オフィーリアを担当する榊原有美は赤ちゃんになったり、喋っているんだけどラップだから言葉というより音楽として放たれていたり、他の人物に比べると
オフィーリアの扱い方がかなり違う
そして紗幕? のうらではもう一人、何も言わずに佇んでているオフィーリアがいる
人間と自然
ハムレットとオフィーリアは、あるいは男と女は、対として描かれているらしい……理性、知性的なハムレットと感情的なオフィーリア、だったか? 男と女、というより
人間と自然
という違いだろうか……
途中、紗幕の向こうにいることが多かった宮城嶋遥加演じるオフィーリア(なのか?)が小鳥のようにチョコチョコ動いている場面があった。その時頭の中に出てきたのは、詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの『ひばりに寄せて』である。そこでは
ヒバリは我々のように自己意識の強い生物が決して感じることのできない深い無意識の喜びに満ちている
ことを称えている
自己意識……ハムレットのことかなぁ、と。で、その対比としてひばりかどうか分からないけど、小鳥のように動いていたのかなー? なんて思うわけです
人は……おそらく産業革命以降、時間やノルマにとらわれて……本当は昨日と今日は違うはずなのに「毎日同じことの繰り返し」と感覚が麻痺してきてしまう
ところが観葉植物(最近多肉植物に はまりました)を育てていると「あれ? 昨日と違うぞ」と気付く。花芽が延びたり、葉っぱが展開してきたり喜べる変化もあれば、下葉が枯れたり全体的に萎れてきたりと悲しむ変化もある
でも間違いなく「昨日と今日は違う」ことを体現している。本当は違って当然なのにね
人間が忘れてしまいがちなこと、あるいは切り放してしまったもの……があるんじゃないか?
それを、この作品では「オフィーリアが担っている」たぶん
それを「カットします」と宣言することは、人間は変わるんだ! という宣言にも思えてくる。つまり自然とは異なる存在になるんだ! ということ。その為に手放したものがあるということ
最後に感じたさみしさ
結局、ホレイシオが宣言した通りにはならず多フィーリア主導のもと話は展開し、ハムレットの最期まで進んでしまう
「ようやく静かに」
と言うまではセリフも音もふんだんに鳴っていた気がする。コロスのようなセリフ流しもあった
「ようやく静かに」なったあとそれでも語ろうとしたホレイシオは……やはり彼も沈黙してしまう
その後のムーブメントは昨年より観やすさ、統一感があった。聞けば衣装を統一したとのこと。昨年は、ハムレットが赤ジャージを着ていたな。とにかくその赤が目立っていた
この変化はアフタートークでも「プラスに働いた」と榊原有美が語っていたことを思い出す。確かに色が揃うってだけ、だけどパッと見の一体感が強く感じたし、ひとつの大きな生命にも見えてきた
やがて「大波」が席に押し寄せてくる……舞台に残ったのは骸骨、杯、剣が二本、ラテックス?製の被り物、そして
人間
その時「人間は取り残された」ように見えた
「人間が自然を手放したんじゃない。自然が人間を手放したんだ」
そのさみしさ
ようやく上田久美子演出の妙というか、これがメッセージなんだな、と感じた
結局、誰が語るべき?
ひとつ解がでない問いがあって、それは
「この物語、誰が語るべき?」
というところである。これに関しては、マジでわかんね
ただ新しい表現として、今回の【ハムレット】は良い。「破滅に向かっていくハムレット」という、ある種の形式から抜け出して
「こんなにハムレットって、古典って面白いんだ」
という気付けたのはかなり大きい。シェイクスピアは確かに素晴らしい。でも素晴らしいからといって神棚に祭り上げてしまっては
面白い作品は作れなくなる
そうじゃなくて、シェイクスピアを乗り越えてこそナンボ! という迫力が、作品を面白くする根っこになる、そんな気がする
