名前の無い関係(短編小説)
「ねえ、私達の関係って何?」
そんなことを直接聞かなければよかった。季節が夏から秋に移り行く中で、重くのしかかるように言葉が沁みついている。
緑色の季節は色を枯らして、徐々に世界から色が無くなっていく。食欲の秋、読書の秋、運動の秋・・・等と秋については様々な言われ方がしているけれども、実際のところ色が無くなっていくことに怖さを覚えて無理やり秋に色を付けようとしているんだと思う。
夏には様々な色がある。緑。青。赤。黄色。一つの色では表せられないくらい色が重なっている。そしてそれに呼応するように、私自身にも色がついていたと思う。意図せずにも、その色は自分でつけただけじゃなく、他人につけられた色も多かったけれども。それでも、色が無いよりは良い。どんな色であっても、無よりは有に人間は惹かれていく。
☆
「ねえ、秋子、聞いている?」
「あ、ごめんぼーっとしてた」
「もう・・・。もう一回話すから聞いてね。あのね幹人がね・・・」
春美はまたしゃべりだした。きっと私が聞いていなくても、ずーっと最後までしゃべり続けて満足するだろうからこのまま聞き流してしまおうと思う。
私は秋子という名前が凄く嫌いだった。十一月生まれという事で秋を使った名前にしたらしいけど十一月なら冬にも近いし、冬よりの名前が良かった。
秋という季節に良いイメージがない。例えば、冬であれば銀色の世界を想像できるしどこか儚げなイメージができる。春は様々な色が芽吹く前段階と言った感じでバレットに絵具を乱雑に出している感じがする。夏は多くを説明しなくても感じとることが大変なくらい色であふれている。
でも、秋と聞いて思い浮かぶイメージがない。世の中には秋は橙色という人もいるけれども、代々ではない。秋には色が無い。そして冬のような、儚げな印象もない。だから、秋子という名前が嫌いだ。具体的なイメージが思い浮かばないし、枯れていく季節を名前に使われていることで、まるで年を重ねるたびに私自身が枯れていくような、そんな感覚が身体に沁みついている。
そして今年も、秋の季節に一つ大切なものを失った。
☆
「俺はさ秋子って名前好きだよ」
シャワーから出てくるとタバコを吸いながら名月は言った。シャワーを浴びる前、なぜかピロートークで名前の話になり、「私は秋子って名前が嫌い」と言ったことに対する回答だろう。
「なんでよ」
「秋子はさ、秋って漢字の成り立ちとか意味合いを知っているの?」
「知らないわよ、秋は所詮秋でしょ。枯れていくだけよ」
「んー秋子ってすぐに枯れていくって言うの好きだね。何かトラウマでもあるの?」
大きく吸い込んだタバコの煙を吐き出しながら名月は言った。名月は会うたびの吸っているタバコの銘柄が変わっている。先月に会った時はキャメルを吸っていたのに、今はセブンスターを吸っている。どんなタバコを吸っていても、絵になるからたまに
「好きって言うか、事実でしょ。秋には色がないの。だから○○の秋って無理やり言うことで色を付けたいのよ。あと、特別トラウマみたいなことはないわ。子供の頃から嫌いなの、名前が」
私は、脱ぎっぱなしにしていた下着を身に着けながら言い返す。
「ふーん。トラウマみたいなのはないのに嫌いなんだ。秋については秋子の思い込みが強すぎだと思うけどね」
「じゃあ、名月が説明してよ。私に秋の良さを教えて。私が秋を好きになるようにして」
私が少し甘い声を出して言うとすぐに名月はタバコを灰皿に押し付けて、私に近づいてきた。
「うん、じゃあ教えてあげるよ」
ゆっくりと私を抱きしめ、頭を撫でながらベッドの方へ移動した。
そのまま流れるようにキスをされ、再び頭を撫でられる。名月の手と口からはタバコの香りがする。不思議と、名月から香るタバコの匂いは嫌いではなく、むしろ落ち着くし好きだった。
「秋って言うのはさ、元をたどれば収穫の時期なんだよね」
「収穫?」
「そう。今でこそ、農業の技術が発達してさ年中作物が取れるようになっているけど昔はそうじゃなかったんだよ」
名月は子どもに言い聞かせるようにそう言った。そのくらいは何となく私も知っている。誰しもが小学生の時に学んできている内容だ。
「馬鹿にしないでよ。それくらい、私だって知っているわ。日本で行われていた多くの祭りは収穫祭とかで農作物に関するものだったって義務教育で学んでいるわよ」
「うん。そうだね。だからね、馬鹿にしているわけじゃないんだ。説明するのに必要なことだから」
頭を撫でられると安心する。20歳を超えた時から私は自分が終焉に向かってどんどん枯れている感覚がしている。10代の頃には感じなかった不安が、20歳を超えてから押し寄せてくるようになった。けれども、誰かに抱かれているときだけ、その人の色を分けてもらって枯れていくスピードが緩くなっている気がしている。
「秋って漢字はのぎへんにひ、で成り立っているよね。のぎへんは穀物とかの事を表しているんだけどね。昔、秋は穀物を含め食物の収穫時期だったんだよ」
「それはさっきも言ったけど知っているわよ。収穫されるってことは結局何も残らないでしょ。刈り取られて、そこに残るのは残骸だけ。あるいは不揃いな農作物よ。私も不揃いって言いたいの?」
「あはは。秋子は厳しくて自分を傷つけるのに寂しがりやだよね。まあそれが秋子の芯の強さなのかもしれないけどあまりにも不安定だよ。僕はちょっと心配になるね」
少しタバコの香りがする手で髪を梳かれる。今まで男性に髪の毛を触られることは嫌いだったけど、名月に触られるのは嫌ではなかった。もっと触っていてほしいとすら思う。
「それで?穀物の収穫が一体何なの?」
「えっとね、それで火は穀物につきまとう虫なんかを払うって意味もあるんだよ。だからあの秋って漢字一つで収穫にまつわる意味が完成しているわけ。火で虫を払って、穀物を収穫するっていう大きな意味があるんだ」
「・・・別にそれを聞いても私は秋を好きにはならないわよ。だって私は穀物じゃないし。」
心の底からの本音が出た。いくら名月に言われようと、ここまでの30年間否定し続けた秋を簡単に受け入れることはできない。
「うん。もう一つの話を聞いて欲しいからね。これは前座だよ。メインの話はこの後」
「じゃあ続きを話して」
「秋のもう一つの読み方は?」
「たしか・・・しゅうだったと思うわ」
「うん正解。しゅうにもちゃんと意味があるんだよね」
秋の読み方でしゅうという読み方は知っていたがその意味を考えた事は一度もなかった。考えようとも思ったことが無かった。だって、私にとって秋は枯れていて、意味がないものだから。
「どういう意味なの?」
「そのままさ。収穫のしゅうから来ているみたいなんだよね。だから収穫って秋を穫とも書けるんだ。それだけじゃないよ。込められている意味合いとしては大切な時期、重要な時期っていう意味がある。そこはあえて言葉にしなくても、なんでそういう意味合いなのかはさすがに分かるよね」
それは知らなかった。いや、知ろうともしなかった。ただ、この話を聞いても私は秋を受け入れようとは思わない。大切な時期、重要な時期、と言われてもそれは虚空に響くただの言葉だ。私の身体の中には入ってこない。
「ふーんそうなんだ」
「えー全然響いてないじゃん。時期っていう意味合いはさておき、秋には大切・重要って意味が隠れているんだよ。そう考えるとさ、秋子って名前を付けたご両親は大切な・重要な子供って意味で秋子ってつけたんだと思うんだよね。だから俺、秋子って名前凄く好きだよ。しっかりとご両親の愛を感じるからさ。まあ、真相はきちんとご両親に聞かないとわからないけれどもね」
名月はそう言うと、再び私にキスをした。言葉の意味を改めて聞いても、気持ちは何も変わらなかった。けれども、名月の熱のこもった説明に何か感じることはあったようで全身に熱を持った。
そして、私は先ほどつけた下着をもう一度外して名月に覆いかぶさった。
「ねえ。またしたい」
「ん。秋子がしたいようにしていいよ」
私は本能の赴くままに名月と身体を重ねた。汗ばんだ身体を少し隠すように布団にもぐりながら名月にふっと聞いてみた。
「ねえ名月」
「んーどうしたの?」
「私達の関係って何?」
付き合うという話をしたわけでもない。会うと必ず性行為をするわけでもない。そして友達とは言えない。名月はまだ23歳だ。友達というには少々年齢が離れている。
「んーそうだなあ。先生と生徒かな」
「・・・きっと私が生徒よね」
名月は私を見つめてそう言ったので返答をした。しかし私を見ているのではなく何かもっと遠くを見ているような気がした。
朝起きると名月の姿は消えていた。姿だけじゃなく連絡も取れなくなっていた。
☆
「でさー幹人が本当にひどかったけど、結局許したのよ」
春美のおしゃべりが終わったようだった。詳細は聞いていないが、最後の許したという単語だけが聞き取れた。
「春美、結局許したんだね」
「だってさーやっぱり良い男だし、好きなんだよね。手放したくないっていうかさ」
春美は名前のようにまだ芽吹く前の美しさを今も持っている。30歳になっても、この初々しさと瑞々しさは感服する。見習おうとは思わないけれども。見習ったところで今の私には栄養が足りなすぎるから、すぐにどうこうできるものでもない。
「ふーん。まあ元鞘ならそれでよかったよ。春美は唯一入れ込みすぎるところが悪いところだから」
「そうなんだよねー。逆にさ、秋子はちょっと冷たすぎじゃない?」
アイスコーヒーをストローで吸い上げながら春美は言う。グラスにはびっしりと水滴がついていて、人の汗のように水滴が垂れている。付き合いが長いだけあって、核を突かれて気がした。
「そんなことないよ」
「えー。だって前の彼氏?だっけ?連絡取れなくなってからもういいやって感じじゃん」
「いや、名月は彼氏じゃないよ」
「じゃあ何?まさか年下のセフレ?」
春美は空気を読まない。触れないで欲しいことにもズケズケと踏み込んでくる。本当に良い性格をしていると思う。ここだけは少し見習わないといけない。
「・・・先生と生徒かな」
名月に言われたその言葉を春美に伝えると春美は爆笑した。
「なにそれ。ちょっといけない関係ってこと?ウケるー!」
春美はそれだけ言うとすぐにスマホに目を落とした。
「あ!幹人から今日会おうって連絡来た。秋子ごめんもう帰るね」
「うん。またご飯行こうね」
「秋子も早く新しい男作るんだよー!じゃないと枯れちゃうんだから!じゃあね!」
伝票を持ってサーっと春美は去って行った。こういう時さらっと伝票を持って行けたりする器量があるのに男性との関係が続かないのは不思議でしかない。私と春美は足して2で割ると、きっとちょうどいいんだろうなと思う。
☆
名月と連絡が取れなくなって1か月が経つ。夏も終わりかけでほのかに秋が顔を出していた1か月前に名月は私の前から姿を消した。名月がいなくても時間は進み、地球温暖化のせいか未だ夏が残っているけど服装は徐々に秋服にシフトしている。
名月に言われてから、改めて秋という言葉を調べた。やっぱり好きにはなれなかった。けれども、嫌いでもなくなった。名月に説明をしてもらった時は完全に嫌いだったのに、自分で調べたら嫌いではなくなるなんて、我ながら少し都合のいい性格だなとも思う。けれども、きっかけを受けて、自分で調べるという行為の大切さを改めて理解した。
私は名月と会うと常に肯定感が増ししていた。いつからか、何もかも穿った見方をし、否定から入る私に対して、彼は私の否定を必ず解きほぐし、肯定の方向に持っていた。本当にそれは先生と生徒のように見えたと思う。
なぜあの時あんなことを言ってしまったのか。後悔はある。でも秋という漢字を調べた際に一緒に名月という漢字を調べて分かったことがある。名は夕に口という成り立ちで、暗闇でも自分の存在を告げるという事らしい。月は太陽の次に明るいからつぎ・つぐという意味らしい。
文字通り、名月は私という存在、その意味を明らかにして私自身に告げた。枯れている状態で何者でもなく、暗い道で彷徨っていた私という存在をきちんと明らかにした。それは、ここに存在している、存在していいという肯定だったと思う。
そして私は心のどこかで自分の名前と否定的に見てきた存在に納得してしまい、名月との関係にも名前と意味を求めてしまった。それが終焉の合図だった。
名月は次の所へ行ってしまった。夏から私の好きではない秋に移り変わるように。
前よりは少し、自分の名前を受け入れた私はこれからとある男性と会う。きちんと、次への一歩を踏み出すために。
私と名月の関係は先生と生徒というよりも、季節の移り変わり、お互いの人生の境目だったんだと思う。
「秋子、もっと自分を好きになればもっと魅力的なのになー」
いつの日か言われた、そんな名月の言葉を思い出しながら、私はお店の外に出た。
了
