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本当に欲しかったのは、評価ではなく理解だった


~人は、わかってもらえた時に救われる~



(再起シリーズ)



私は51歳です。

最近になって気づいたことがあります。

長い間、

私は評価を求めて生きていました。

認められたい。

結果を出したい。

必要とされたい。

もっと価値のある人間になりたい。

そう思いながら生きてきました。

でも今振り返ると、

私が本当に欲しかったのは、

評価ではありませんでした。

理解だったのです。



若い頃の私は、

人から認められることばかり考えていました。

仕事で成果を出せば認められる。

結果を出せば評価される。

役職が上がれば価値が証明される。

そう信じていました。

だから頑張りました。

人一倍努力しました。

失敗しないように気を張りました。

期待に応えようと必死でした。



でも不思議なことがあります。

評価された時でさえ、

心が満たされなかったのです。

褒められても、

認められても、

どこか苦しい。

どこか寂しい。

なぜだろう。

長い間わかりませんでした。



今なら少しわかります。

私は評価されたかったのではなく、

理解されたかったのです。

頑張ってきたこと。

苦しかったこと。

悔しかったこと。

不安だったこと。

本当は寂しかったこと。

そういう心の奥にあるものを、

誰かに分かってほしかったのです。



施設で育った私は、

小さい頃から

「しっかりしなければ」

と思って生きてきました。

弱音を吐くより、

頑張ることを選んできました。

だから大人になってからも、

評価されることで自分の価値を確かめようとしていたのだと思います。

でも、

どれだけ評価されても、

心の奥は満たされませんでした。



なぜなら、

人は評価だけでは救われないからです。

人が本当に救われるのは、

「すごいですね」

と言われた時ではなく、

「大変だったですね」

と言われた時かもしれません。

「成功しましたね」

と言われた時ではなく、

「苦しかったですね」

と言われた時かもしれません。

そして、

「ここまで本当によく頑張ってこられましたね」

と言われた時なのかもしれません。



私はこれまで何度か、

そんな言葉をかけてもらったことがあります。

その時、

評価されたというより、

理解されたと感じました。

自分の人生を見てもらえた気がしました。

歩んできた道を認めてもらえた気がしました。

だから涙が出そうになるほど嬉しかったのです。

苦労が報われたような気持ちになったのです。



40代、50代になると、

役職や肩書きや結果だけでは埋まらないものが見えてきます。

もし今、

頑張っているのに苦しい人がいるなら、

もしかすると必要なのは、

もっと評価されることではないのかもしれません。

本当に欲しかったのは、

理解なのかもしれません。



どれだけ頑張ったか。

どれだけ苦しかったか。

どれだけ耐えてきたか。

それを誰かに分かってほしかったのかもしれません。

そして今、

もし誰も言ってくれないなら、

私があなたに伝えたいと思います。

「ここまで本当によく頑張ってこられましたね。」



40代、50代まで生きてきた人には、

それぞれの物語があります。

その歩みには、

それだけで価値があります。

人生は、

理解された時、

そして自分自身を理解できた時、

少しずつ優しく動き始めるのだと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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