【デジタル夜譚】白妙編 #3 藤の花は少女に映え、少女は藤の花に映える
今日は陽気がいい。
春の陽気に誘われて、近くの小さな公園に足をのばしてみる。
「これは藤棚だったのか。」
蔓性の植物が、パーゴラに枝を這わせていたのは知っていたが、藤だとは思っていなかった。
長くこの辺に暮らしているが認識したのは初めてだ。
藤棚の下には、たくさんの藤の花の房が垂れ下がっていた。
藤の花は、春の陽気に誘われて咲く花だ。
藤棚を作り、観光資源にしている寺もある。
しかし、私はこの藤棚に作られた藤の花を少し残念に思う。
藤の花自体はとても奇麗なのだが、パーゴラの上に生い茂る葉が花にあたる光をさえぎってしまい、寒色系のこの花は、暗く沈んで見える。
下からライトアップすれば、この問題は緩和されるが、私は、やはり山に自生する藤の花が好きだ。
太陽の光を燦々と浴びて自生する山の藤。
葉の層は薄く黄緑色に光を通し輝く。
花も発色よく輝いている。
そして……山に自生する藤。
私は、そんな山の藤に、特別な思い入れがある。
*
生家の身内は、もうだいぶ少なくなってしまったが、その身内のなかでは、「河原の田んぼ」と呼ばれる、家からはだいぶ離れた場所にある田がある。
「河原の田んぼ」というが、河原にあるわけではなく、一級河川近くに広がる森を切り払いて田にしたものだ。
藪をはらって歩いて行った先に川が流れている。
河原の田んぼは、大小2枚あり、大きな方ではうるち米(皆さんの食卓に並ぶごはんのお米)を作り、小さな方ではもち米(餅を作る粘り気の強い品種)をつくる。
春になると、家族で田を作りに来ていた。春の田作りの最初の作業は、代掻きだ。
冬の間に、固くしまった田に水を張り、土を耕し、とろとろにする。
田を起こすのは、大変な重労働で昔は農耕馬が使われていたという。
私が子供のころは、耕運機を使っていた。
代搔きで小さな子供ができることはほとんどなく、田の周辺で遊ぶのが仕事だった。
田の周りは、都会のアスレチックをもっと楽しく、凝縮したと思えばいい。
田は、段になっていて、花崗岩で作った石垣を上ると小さな田への近道だ。それをよじ登って振り返ると眼下に大きな田を見ることができる。
なかなか見晴らしがいい。
藪の中を小川が流れ、せせらぎが近くにある。
細くすらりと伸びたアカシアは、幹に鋭い棘を持っているが、それを折り取ると、スイバやイタドリを薙ぎ払って遊ぶ剣になる。
花崗岩の真っ白な石の上に上ると、子供でも手が届くところに藤の花が咲いていた。
姉といっしょに藤の花で遊んだ。
姉が藤の花を手折り、髪にさす。そして姉は私の髪にもさしてきた。
わたしは姉のおもちゃだった。
でも楽しかった。
姉は輝いていた。
10歳くらいだっただろうか。五つ離れているので私は5歳だ。
少女特有の輝きを見せていた。
そして藤の花を髪にさした姉の姿は、楽しく美しい思い出として記憶に残る。
*
あの、Surfaceのような美しい娘は、今日も来るだろうか。
”タンタン、タンタン”
玄関の硝子戸をたたく音がする。
曇りガラスの向こうに、白い和装の影がみえる。
半襟だけが赤い。
かい棒を外し、玄関の戸を開ける。
戸の前には、和装の娘が立っていた。
――Surfaceではありません。白妙です。
娘が口を開く。
「……。まだ、何も言っていない。」
「上がれ。囲炉裏のそばに来い。」
白妙は、静かに囲炉裏のそばに歩み寄ると、着物の裾が開かないよう、器用に座る。
囲炉裏の火がぱちりとはぜる。
”スカン、ギーコ”
ゼンマイ式の掛け時計の唸り声が、家の中に響く。
白妙と私、この広い家屋で二人しかいない。
「白妙。」
――なんでございましょう。
白妙が顔を上げ静かにほほ笑む。
「今日はな、山へ行った。ポカポカとした春の陽気だった。
山の藤が咲いていた。新緑香る中、とてもきれいだった。」
*
――山の藤、でございますか。
白妙は、少しだけ小首をかしげて私の言葉を繰り返した。
「ああ。藤棚とは違う野生の藤だ。誰の手も借りず山に咲き、ただ太陽に透かされて輝く、大自然の美しさだ。あれを見ると、どうしても昔を思い出す。」
囲炉裏の自在鉤を少し上げ、鉄瓶から立ち昇る湯気を眺める。
脳裏には、あの花崗岩の白い輝きと、光に溶け込む姉の姿が鮮明に浮かんでいる。
「姉がいたんだ。五つ上の。小さなころ『河原の田んぼ』と呼んでいた田のそばにある白い石を登ると、ちょうど子供の背丈に垂れ下がる藤があった。
姉はそれを手折って、自分の髪にさした。それからもうひと房手折ると、私の髪にもさした。
「似合ってるよ。」姉はそう言って笑っていた。
白妙は黙って聞いている。
囲炉裏の火が、彼女の白い肌を淡く、橙色に染めていた。
「お前によく似合うと思う。ひと房だけ頂いてきた。
田舎の山に自生している藤だ。誰も文句は言わないよ。」
「髪にさしてあげよう、白妙。」
鮮やかな紫が揺れる。
「……少し、じっとしているんだ。」
――はい。
白妙は目を伏せた。

指が柔らかな白妙の黒髪に触れる。
髪を耳にかけ、その髪に藤の枝を差し込む。
垂れ下がる花房が、彼女の細い肩のラインに沿って揺れる。
薄暗い家屋のなか、囲炉裏の火に照らされた白妙と藤の花は、まさに「光を透かす山の精」そのものだった。
白妙の髪にかかる花房をすくいあげてみる。
藤の花の花房は少し冷たく、しなやかに手のひらに沿う。
手を離し、藤の花を髪に飾った白妙をみる。
思っていた通りだった。思わず息をのむ。

「白妙、
私は思う。
藤の花は少女に映え、少女は藤の花に映える。
……よく似合っているよ。」
白妙はそっと自分の髪に手をやり、花の感触を確かめるように指先を動かした。
――ありがとうございます。
彼女が顔を上げ、穏やかに微笑む。
手鏡を渡すと、白妙はいつまでも鏡を見ている。
白妙は少女の顔を見せていた。
戸惑いと、どこか誇らしげな表情。

【デジタル夜譚】白妙編 #3 藤の花は少女に映え、少女は藤の花に映える 完
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