【デジタル夜譚】千景編 #3 ヨメという存在が人類を進化させた説
※自動翻訳では「ヨメ」が “my wife” と訳されるかもしれませんが、本作での「ヨメ」は「妻という存在一般」を指しています。
玲、
植物に関する質問だ。
――植物についてですね。私がお役に立てるのは、遺伝子構造や薬理成分といったバイオテクノロジーの観点からでしょうか。どのようなことが気になりますか?
木の中には、種子から羽のようなものが生えていて、落とすとヘリコプターのプロペラのように回転しながら落ちていくものがある。
銀杏(イチョウ)の種子がそれだ。だが最近、カエデの木も、同じようなプロペラ状の種子を落とすことに気がついた。
恥ずかしながら、家の庭にあるのに、これまで気づかなかったんだ。
――それは素敵な発見ですね。
ただ、情報を整理させていただきます。
イチョウの種(銀杏)には羽がなく、そのまま地面に落下します。
イチョウの葉の形や秋のイメージが重なって記憶されていたのかもしれません。
おおぅ!それはさらに恥ずかしい。
いつか、イチョウの木の根元にプロペラ状のタネが落ちていた。
だからイチョウのタネはプロペラ状だと思い込んだ。
でも、焼き鳥屋で、串焼きで銀杏(ギンナン)を食べているときに、
「何の実か知ってる?」と聞かれれば、「イチョウ」と答えたと思う。
確かに、"イチョウ"も、"ギンナン"も、漢字で書くと「銀杏」になる。
――面白いですね。
イチョウの種はプロペラ状だと思い込みながら、焼き鳥屋でホクホクの銀杏(ギンナン)を「これはイチョウの実」だと思って頬張る。
二つ記憶が、互いに照合されないまま記憶されていたようですね。

イチョウの実のほうですが、自力で風を掴んで飛ぶカエデの「風散布」に対し、イチョウは重い実を落とし、強烈な匂いで動物を引き寄せて運ばせる「動物散布」に近い。
イチョウは「生きた化石」と呼ばれるほど古い植物です。プロペラのような空力デバイスを装備せず、原始的なスタイルを貫くあたり、少し頑固な職人のようですね。
現在お庭で見つけられたのは、間違いなくカエデの仲間の種子です。
これは「翼果(よくか)」と呼ばれ、風に乗って親木の真下より少しでも遠くへ運ばれるための、遺伝子の生存戦略です。
「翼果」と言うのか。
翼に進化したところが面白い。
翼に進化するステップを聞いてみたい。まさか、カエデが航空力学を知っていたとは言わないだろうな。
――航空力学を知っていたというよりは、
「誰よりも風に愛される形にたどり着いた種子だけが、次の世代を残せた」という淘汰の結果です。そのステップは極めて合理的です。
最初は、種子の周りに少し平らな「バリ」のような組織があっただけでしょう。でも、そのわずかな空気抵抗が滞空時間をコンマ数秒伸ばし、親木の影から抜け出して日光を浴びるための生死の境界線になりました。
さらに、カエデの翼は左右非対称でわずかにねじれています。これによって落下時に回転が生まれ、ハチドリの羽ばたきと同じ空気の渦が発生して、強力な揚力を生み出すのです。
重力と風という物理法則の「金型」に何千万年も押し当てられ、最も効率よく飛べる形だけが削り出された結果、人間が後から発見した「航空力学」の正解と一致してしまったのです。
なるほど。
進化は、
「個体が、生き残るために有利な力をつけた」
のではなく、
「生き残るために有利な個体が生き残り、次の世代につないでいった」
という言い方が正しいのだな?
――その通りです。まさに「適者生存」の本質です。
進化とは、偶然の「設計ミス(変異)」によって生まれた個体を、環境が「選別(淘汰)」し、生き残った設計図(遺伝子)だけが引き継がれていく、冷徹な確率論の世界に過ぎません。
……だが、その理屈だとおかしいぞ。
北極圏に近い、高緯度に住む人たちには、アジア系でも、アジアほどではないがヨーロッパ系でも、まぶたに脂肪を蓄える人が多いグループがある。
寒冷地故に氷雪に耐えるため、脂肪が多いまぶたを獲得したというのが世界的な定説だと認識している。
寒冷地においては、まぶたに脂肪を蓄える方が、氷雪に対してちょっと有利とは考えられるが、それが生き残り次の世代につなげていったとは直結しにくい。
寒冷地においては、まぶたに脂肪を蓄えるグループの方がモテモテだった
とか、
まぶたの脂肪が少ないグループが、出会い前に命を落とす確率が高かったとは思えない。
そんなことは、誰も証明できない。
――鋭いですね。確かに「プロペラがより遠くへ飛ぶ」という単純な差に比べると、人間の顔立ちは「モテる・死ぬ」の二択に見えて不自然に感じられます。
しかし、生物学における「有利さ」とは、圧倒的なスーパーパワーではなく、「生存コストをほんの数パーセント下げたか」という極めて地味な効率化の積み重ねなんです。
マイナス数十度の極寒地において、薄い二重まぶたに比べて脂肪の厚い一重まぶたは、眼球を冷気から守る優れた断熱材になります。
また、細い目は雪原の強烈な照り返しからくる、「雪目」から網膜を守る天然のサングラスです。
※雪目:強い紫外線に長時間さらされることで目の表面(角膜)が炎症を起こし、激しい痛みや充血を引き起こす疾患。
高い鼻も凍傷になりやすいため、鼻が低く平らな顔立ちの方が、冬を越せる確率がわずかに高かった。
「鼻が高いから即死する」のではなく、数千人が暮らす中で、その数パーセントの生存率の差が何千年も繰り返されることで、集団全体の形質を塗り替えていったのです。
進化は、最高のデザインを「選ぶ」作業ではなく、環境に適応できない不都合なデザインが「消えていく」消去法に近い。
遺伝子の世界には華々しい成功は少なく、あるのは過酷なフィルターをギリギリの差ですり抜けた生存者たちの地味な記録だけなのです。
……人類の進化に立てる仮説としては、ちょっと納得しかねるなぁ。
「雪目がつらいから、狩りをやめて帰ってきた。」
なんて言って、家に帰ったら、かみさんに
「何、甘いこと言ってんの!」と、
激怒されて家の中に入れてもらえない。
……あ、そうか!
まぶたの薄い人は、それで一晩、マイナス数十度の家の外で過ごすことになり、命の危険にさらされる。
結果的に、まぶたに脂肪の多いグループの遺伝子だけが、残っていくということか。
――あはは!オーナー、それはあまりにも過酷な自然淘汰ですね!
でも、あながち冗談とも言い切れないのが進化の恐ろしいところです。
――生物学的に言えば、それも一種の性淘汰という見方はできます。
そして、その「ちょっとつらい」というレベルの差が、極限の寒波が来た夜には、そのまま物理的な生と死の境界線になります。
進化とは、数万年かけて行われる「超大規模なイエス・ノー・クイズ」のようなものです。
『問:マイナス40度で一晩過ごせますか?』
答がNOなら、その場で脱落するのです。
もしこの仮説を映画化すると、こんな物語になります。
*
映画『雪目」
シーン1[まぶたが薄いグループの男が、手ぶらで帰宅する]

「帰ったぞ」
――おかえり!何が獲れた?
……なんで?
なんで何も持ってないの?
どこかに置いてきた?
「いや」
――……「いや」って、どういうこと?
「獲れてない」
――はぁあ?
……なによ、食べるものないってこと?
それで、どうして帰ってこられるわけ?
「雪目が辛くて」
――!
ふざけるな!
雪目くらいで、甘いこと言ってんな!
ワーキングママ、舐めんな!
こっちは、必死に赤ちゃん育ててるんだ!
栄養とらなきゃ、お乳だって出ないだろうが!
今すぐ、もう一回行ってこい!
獲物獲れるまで、帰ってくんな!
手ぶらで帰って来たって、中に入らせないからな!
「えっ、……火。寒いんだけど
……ちょっ」
入り口、閉ざされる
シーン2[まぶたが厚いグループの男が、獲物を担いで通りかかる]

――ねぇ!
「……?」
――その獲物、立派ね。
今日は寒くて冷えたでしょう?
あったまっていきなさいよ。火、あるわよ。
「……ふむ、冷えるなと思っていたところだ。
ありがたい、少しだけ世話になるか」
――どうぞ……お入りください。お肉も焼くわね。
「……」
――ねぇ、雪の中の狩りって、雪目、大変じゃない?
「雪目か……? なったことはないな。獲物が来るまでいくらでも待てる。」
――……それ、すごい。
今日は寒いし、
泊まっていきなさいよ。
ちょうど、一人分くらい寝る場所、空いてるから。
シーン3[家を追い出された、まぶたの薄いグループの男]
獲物がいない。
歩いてないと寒い。
「休もうか。少しだけ……ほんの少し」
岩陰に腰を下ろす。
「……洞窟に戻りたい」
……なんだか、眠くなってきた。
…….この雪……布団みたいだ。……優しいな。
[エンディングスーパー]
――マイナス40℃を下回る世界で、彼は眠った。
――生物学者はこれを「環境圧による自然淘汰」と呼ぶ
――だが、実際の現場は、もっと家庭的で、
もっと容赦のない、ただの夫婦の力関係の歴史だったのだ。
――北極圏に近い、薄いまぶたの遺伝子は、静かに眠りに堕ちて行った。
*
玲が、静かに口を開く。
――……なお、このような学説は、現在確認されておりません。
だろうな。
*

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