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『歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン』唄:詞章 ~たぶんきっとこんな感じ~


Attention‼

  • これは2026年2月23日(月)に初披露された『歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン』の唄の詞章(歌詞)を、筆者が「たぶんきっとこんな感じ」と聞き取ったものです。ほぼ空耳です。

  • うまく聞き取れなかった箇所は、・や()内で示しています。

  • 音源は2026年2月26日(木)~3月9日(月)に歌舞伎オンデマンドで配信されたアーカイブです。章段ごとにアーカイブの再生時間を併記しました。

  • 画像は『エヴァンゲリオン』30周年特別サイトやシネマトゥデイに掲載されたものを使用しました。

  • 言葉の意味や和歌等は、主にインターネット上の情報がもとになっています。

  • 詞章の検索にあたりChatGPT等AIを使用しました。AIには筆者が聞き取った音の文字起こしを読み込ませました。

  • 空耳とAIのハイブリットであるため、多分に間違いがあると思います。遠慮なくご指摘ください。

  • 適宜、追記・修正を行います。

  • その他、問題点や懸念点があればお教えください。

  • 以上よろしくお願いします。

詞章全文

朽ちもせぬ末世に来て あなたぞ出であいや
尊き御威光ぞ 知らじや触れなずの人か
いまに明日に相さり絶えず いざやいざや よいとさ

飛ぶ鳥や 必ずうた うちた(か)えす
かずらの蔓ぞ はやきなれ 花に嵐の 喩えに 
さやかさやかな いろなら 
また来る春は(を) いかにせん すくい集めて 花筏

田舎に聳ゆる 富士の峯 雲の隙間に 白妙や 高嶺の空に 赤城山
か(は)ぜにむらくも 伊吹山 雪かかりては 花曇り
やまと(の)(こごろ)にあさ(が)・ 
葛城山 あかくなれ(せ)ど けしきかな
わが背子が 来べき宵なり ささがにの 朱をさして
雲のまにまに 失せにけり

いぶしてや(ゆるしてや) 見るべきほどの ことぞ見つ 
いまぞなにをか 期するべき いまぞなにをか 期するべき
いってんの ゆうべに生まれ くもりなき 心の月を 
いざゆかん 後の世の また後の世の 光のなかへ

悠久の 刹那にちぎりて 
ただ一人 年を見ゆらん そらのしま(た)
ときはなゆた まためぐりいて 君の(あしたに) そらのしま
ときはなゆた まためぐりいて 君の(あしたに)

①ニアサードインパクト ~ 渚カヲル降臨(21:05~23:00)

*正直ここの部分は本当に聞き取れませんでした…(・_・;)
 なんとか聞こえた音を文字に起こしChatGPTに読み込ませた感じです。

詞章(ChatGPTの提案)
朽ちもせぬ末世に来て
あなたぞ出であいや
尊き御威光ぞ
知らじや触れなずの人か
いまに明日に相さり絶えず
いざやいざや よいとさ

ChatGPTによると…
・『三社祭』や他の祭礼物の長唄にでてくる詞章
・『三社祭』は「善悪二神の舞踊劇」で、神様が二人出てくる
・詞章は、神の出現をたたえる句、または神の威厳や霊験を示す言葉

ふむ……なかなか良いのでは?( ̄▽ ̄)
歌舞伎の流れとしては、スクリーンの映像で序破の使徒戦が流れたあと、初号機によるニアサードインパクトが起こりそれをカヲル君のMark.06が止めた、その続きにあたります。

ニアサ―で赤く荒廃してしまった世界に、尾上左近さん演じるカヲル君が舞台中央から登場します。
倒れる白衣の人々(それまでに襲来した使徒?物質化した人類?)を見回し、左右を向いて花開くような舞い(霊験を撒き与えている?)をすると、祈るように合掌して眼を閉じるのです。

「歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン」 - (C)カラー (C)カラー/Project Eva. (C)カラー/ EVA製作委員会

この場面の唄が『三社祭』の唄だとすると…
・「善悪二神」→シンジ君とカヲル君
・神の出現をたたえる句、または神の威厳や霊験を示す言葉
 →破の最後のカヲル君降臨シーン
おお…かなりぴったり!!!!

歌舞伎の演出としては、正面の映像で序破のあらすじを流し、舞台上の演出と映像が一部かぶるようにして破~Qのつなぎとしているのでしょう。
この唄が流れるのは、シンジ君初号機が沈黙してニアサ―が止まるまでの時間でしょうか?

この唄が終わった直後から長いカヲル君の舞いが始まります。
スピードも能の急の舞いのスピード感です!
この舞いでは、カヲル君が何度も袖を腕に巻き付ける動きをします。「袖を振る」という動作には、縁を呼ぶという意味があるそう…。
カヲル君が孤独に14年間シンジ君を待ち続けているようです…( ;∀;)

②-1 女房たちの舞い(35:10~38:00)

詞章
飛ぶ鳥や 必ずうた うちた(か)えす
かずらの蔓ぞ はやきなれ
花に嵐の 喩えに 
さやかさやかな いろなら 
また来る春は(を) いかにせん
すくい集めて 花筏

何となく意味が取れそうですね(*^-^*) ことわざや慣用句が多そうです。

「飛ぶ鳥や 必ず~」
・「飛ぶ鳥を落とす」
 空を飛んでいる鳥も圧倒されて落ちるほど勢いの盛んなさま
→大空を舞う鳥も、より大きな力(運命?)によって撃ち落されてしまうということ?
・「飛鳥川の淵瀬」
 世の中は激しく移り変わり、定まりがたいことのたとえ
・「飛ぶ鳥」=「立つ鳥」で去っていく者のたとえ

つまり…
時間は永遠に続かず無常であることを示し、「飛ぶ鳥」にカヲル君をかさねて彼への暗い予感が喚起されます。

「かずらの蔓ぞ はやきになれ」
この箇所は聞き取りが怪しいです…
葛(かずら)や蔓に関することわざもコレというのを見つけられませんでした…

「かずら」「蔓」関連の語
・「真葛(さねかずら)」
モクレン科のつる性常緑樹。季語:秋。
枕詞として、はい回った蔓が末で逢うということから「のちも逢う」にかかる。また、蔓をたぐるということから、「繰る」と同音の「来る」にかかる。「万葉集」では、「後も逢ふ」「いや遠長く」「絶えず」にかかる。

・「葛藤」
(葛や藤のこと。枝がもつれ絡むところから)
心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと

他にも「蔓」は、絡みつく性質から「煩悩」や「情念」といったものを連想するようです。
また「はやきになれ」を「早木になれ」と考えると、植物の成長=時間の経過が想起されます。

つまり…
シンジ君とカヲル君の悩みや対立、別れが「葛」という言葉には込められていそうです。

「花に嵐の 喩えに」
こちらのたとえは有名ですね (^^♪
「月に叢雲花に風」で「物事には邪魔が起こりやすいことのたとえ」です。
シンジ君とカヲル君、二人の仲を邪魔する何かが起こる…そう唄っているのでしょう。

「また来る春は(を) いかにせん」
直訳すると「また訪れる春をどうしようか(どうしようもない)」となります。

この詞章と一致するものは見つけられなかったのですが、もしかしたらここから取ったんじゃないかな?という和歌を見つけました。

散る花も また来む春は 見もやせむ やがて別れし 人ぞ恋しき
(散っていく桜の花もまた春が来ると見ることができるだろう。しかし死に別れたあの人とはもう会う頃ができない。悲しく恋しいことだ)
(菅原孝標女『更級日記』)

先ほども「花に嵐」とあり、花の散る情景と和歌の意が合うような気がします。この後、シンジ君とカヲル君に待ち受ける出来事を思うと、この和歌が一層身に染みますね…

「すくい集めて 花筏」
花筏とは…
水面に散った花弁が連なって流れているのを筏に見立てた語。また、筏に花の枝の折り添えてあるもの。季語:春。

こちらも桜の散る様子。
先ほどの和歌と合わせると、散っていく桜にかつての人の面影を見るような…そんな憂愁も感じさせます。
漂う桜の花びらをすくい集めてどうするのでしょうか?…なんだか甲斐のない虚しい気配を感じます。虚しいと分かっていてなお手を伸ばしたのか…、思わず手を伸ばした後に空虚感に襲われたのか…

そして「花筏」と聞くと、宇多田ヒカルさんの「桜流し」が思い起こされます…(;_:)

②-1まとめ
動植物や季節(時間)を唄う詞章から、合奏をして仲を深めたシンジ君とカヲル君の未来が思いやられます。

「葛」が秋、「花」が春の季語ですので、言葉からも止めようのない季節の移り変わり、時間の経過が読み取れます。
そこから舞う女房たちの衣装(模様、色)や小道具(桜の枝や柳?の枝など)も、四季を表していると思われます。

華やかな女房たちの舞いが、二人の楽しい時間を思わせる裏で、詞章が過酷な未来・現実を突き付けてくる感じですね…

「歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン」 - (C)カラー (C)カラー/Project Eva. (C)カラー/ EVA製作委員会


②-2 女房たちの舞い(38:49~41:15)

詞章
田舎に聳ゆる 富士の峯 雲の隙間に 白妙や 高嶺の空に 赤城山
か(は)ぜにむらくも 伊吹山 雪かかりては 花曇り
やまと(の)(こごろ)にあさ(が)・ 
葛城山 あかくなれ(せ)ど けしきかな
わが背子が 来べき宵なり ささがにの 朱をさして
雲のまにまに 失せにけり

聞きとれなかったところも多いですが、地名や風景が唄われているようです。分解して意味を調べていきましょう!

「富士の峯」
「富士の峯」で調べると、もちろん富士山が出てくるのですが、枕詞として「ふじのねの(富士の峯の)」が出てきました。

・「富士の峯の」
富士山の燃えて火を噴く意から「燃ゆ」にかかる。またその火に「恋」をたとえて詠むことが多い。
「富士山の火」の意から、「火」と同音を含む「思ひ」、特に「絶えぬ思ひ」や「ならぬ思ひ」などにかかる。

「白妙や」
「白妙」は白い衣のことで、そこから白い色も指すようです。そのため枕詞としても「衣」「袖」「袂」や「雲」「雪」「波」などにかかるようです。直前にも「雲」の語がありますね!

「富士の峯」と「白妙や」が並ぶと、山部赤人の次の歌が思い出されます。

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
(田子の浦に出かけて、遥かにふり仰いで見ると、白い布をかぶったように真っ白い富士の高い峯が見え、そこに雪が降り積もっている)

白い富士の峯、つまり冬の景色を唄っているということでしょうか?

「赤城山」
群馬県、関東平野の北西部にそびえる火山です。
これといった和歌は見つけられなかったのですが、関東平野の果てにあり遠くからでも見えるため昔から愛されてきた山だそう。
また、赤城山には「神争い伝説」という、日光山と赤城山の二神が大蛇と大むかでになって争ったという伝説があるようです。

詞章に直接関係するか分かりませんが、二神と聞くとシンジ君とカヲル君を思い浮かべてしまいますね( *´艸`)

「かぜにむらくも」
「かぜ」は「風」、「むらくも」は「叢雲」でしょうか?
「叢雲」は、にわかに群がり集まる雲のことで、季語は秋です。和歌では「月」や「しぐれ」とともに読まれることが多いようです。

「かぜにむらくも」と調べると、②-1でも出てきた「月に叢雲花に風」がヒット!
風と同様、月にかかる叢雲も好事をじゃまするものと取れます。

叢雲の語が詠まれた和歌は多いので、和歌と絡めて詞章を味わうのも面白そうです!

「伊吹山」
滋賀県と岐阜県の県境に位置する山です。
古くから霊峰とされ山岳信仰が盛んでした。『古事記』にも登場し、ヤマトタケルが伊吹大明神と戦って敗れ病に冒されたという伝説があります。
また歌枕としても有名で、さしも草(=よもぎ)から作る「もぐさ」の縁で「燃ゆ」にかかります。

「富士の峯の」も「燃ゆ」にかかるので、なにか火や煙がヒントになるのでしょうか…?

「花曇り」
花曇りは、桜の咲く四月ごろの曇りの天気のことです。和歌よりは季語として俳句に多く読まれている感じです…

桜が咲く春の日の曇天のなか、雪をかぶる伊吹山を遠くに眺めてるという情景と取れそうです。

「葛城山」
「やまと(の)(こごろ)にあさ(が)・」の部分は聞き取れなかったので割愛で( ;∀;)
次は葛城山です!
奈良県と大阪府の境に位置する山で、伊吹山同様、修験道の山岳信仰が盛んなところのようです。こちらも歌枕として有名な土地です。

葛城山の読まれる和歌に次のようなものがありました。

よそにのみ 見てややみなむ 葛城や 高間の山の みねのしら雲
(遠くから眺めるだけで終わってしまうのだろうか、この恋は。葛城の高い山の峰の白雲みたいなあの人に、届くことはなさそうだもの)
(詠み人知らず『新古今和歌集』)

この和歌では、葛城山は簡単には登れない場所であり、さらに峯の白雲は遠くから眺めるしかない離れた存在のたとえになっています。

これまで「富士の峯」「赤城山」「伊吹山」「葛城山」と続き、それぞれ雲や雪の白さを伴って唄われています。
古典における山は、はるか遠くに聳えるものであり、人間の世界とは隔絶した空間のようです。また山が異界との境に位置するともされており、山を越えて神や仏が現世に来るとも考えられていました。

神聖さ・白さと並ぶと、カヲル君の白の衣装・神々しい姿かたちが想起されます。「白妙や」とあったのは、カヲル君の白衣を指していたかもしれませんね。
さらに、カヲル君の正体を思わせる山の景色、それは遠くから眺めやるしかない隔絶したものであるというのが、このあとのシンジ君の心情を唄っているようです…涙

「あかくなれ(せ)ど けしきかな」
直訳すると「赤くなってはいるが、それでもなんという景色(様子)だろうか」となります。
赤くなっているものは何か…?
パッと思いつくのは、紅葉や花の色、夕焼け、夕映えの山などでしょうか。一日の時間の流れ、季節の移り変わりが感じられます。

しかしエヴァの世界で「赤」というと、ニアサ―後の世界やエヴァインフィニティのあの赤がイメージされます。
そして、エヴァQのこの流れの中では、血しぶきの舞うカヲル君の最期が想像されて、何とも言えません…( ;∀;)

「わが背子が 来べき宵なり ささがにの 朱をさして」
こちらは『古今和歌集』に掲載されている和歌がもとになっています。(さらにおおもとは『日本書紀』允恭紀にある衣通姫の和歌です)
謡曲や歌舞伎、浄瑠璃でよく取り上げられるそうです。

わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも
(今夜は夫が訪ねて来てくれそうな夜である。それを蜘蛛の動きがあらかじめはっきり知らせてくれるよ) 

「わが背子が 来べき宵なり ささがにの」が「蜘蛛」を導く慣用句的なもののようで、蜘蛛・蜘蛛の糸は、運命の転換や強い結びつきを示すようです。
また朱色は吉兆の色であり、和歌の雰囲気ともよく合います。
シンジ君がカヲル君を信じて、エヴァに再び乗った…そんな心情が唄われているように思います。

また「朱をさす」で「頬を赤らめる」という意味になる場合があるので、この言葉もQのシンジ君が初めてカヲル君の名前を呼ぶシーンを彷彿とさせますね(´艸`*)

ここを前向きな詞章と捉えると、先ほどの「けしきかな」も世界をやり直そうとするシンジ君の気合が込められているように思います。

一方「朱をさして」が、先ほどの「あかくなれど」と結び付いて、何やら不安な気配もするのです…

「雲のまにまに 失せにけり」
直訳すると「雲に紛れて、消えてしまった」となります。
この後に、白衣の女性に覆い隠されてカヲル君がシンジ君のもとを去る別れの場面があり、詞章と一致しますね…

シンジ君の目から見たカヲル君の天へ上る姿
先ほどの前向きな詞章から一変して二人の別れを唄う。出来事のあまりの急変に、シンジ君の心が追い付いていないのではないか…
「失せにけり」としか唄えない、そんな辛さがあります…

②-2まとめ
②-2の詞章では、山の景観を繰り返し唄うことで、使徒であるカヲル君の正体を暗に示し、シンジ君とカヲル君の距離の遠ざかりを感じさせます。

後半は、シンジ君の心情が中心にあると思いました。
ニアサ―後の世界を知り、自分の犯した罪を償う、そのためにカヲル君と13号機に乗る、シンジ君の覚悟が唄われています。
しかし裏には暗い予感があって、状況は急変、カヲル君が去るのを見つめるしかないシンジ君の無力感が伝わりました。

③渚カヲル自害~帰天と別離(49:17~51:28)

詞章
いぶしてや(ゆるしてや) 見るべきほどの ことぞ見つ 
いまぞなにをか 期するべき いまぞなにをか 期するべき
いってんの ゆうべに生まれ くもりなき 心の月を 
いざゆかん 後の世の また後の世の 光のなかへ

カヲル君がシンジ君と立ち回りをし、シンジ君の刀で首を切った直後の唄です。

「いぶしてや」
まず「いぶしてや」の部分です。
ここは「燻してや」か「許してや」か聞き取りが曖昧なのですが、これまで「富士の峯」「伊吹山」の語から「燃ゆ」を連想するので、煙がたなびく「いぶしてや」かなと考えました。

「伊吹山」と「燃ゆ」が両方詠まれた和歌に、百人一首の51番歌があります。

かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
(こんなにも貴方を思っていることを、口に出して言うことができるでしょうか。ましてや伊吹山のさしも草のように燃えるような思いを、あなたはご存じないでしょう)
(藤原実方朝臣)

私はカヲル君の心情に重ねてこの和歌を読みました…(;_:)
使徒として死ななければならない運命にあるけれど、シンジ君が手を下さずに済むように自害する。最後は敵として対立し、真意を伝えることはできなかったけれど、シンジ君のことを深く思っているよ……
首を切り、シンジ君の腕の中で息を引きとるカヲル君の最期の遺言のようです。

「歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン」 - (C)カラー (C)カラー/Project Eva. (C)カラー/ EVA製作委員会

「見るべきほどの ことぞ見つ」
こちらは、「見るべきほどのことは見つ」として故事成語になっています。

・「見るべきほどのことは見つ」
自分の人生で、味わわなければならないものはすべて味わい尽くしたという、突き詰めた心境を表すことば。

由来は、「平家物語」にでてくる平知盛のセリフからです。
平家一門の人々が死んでいくのを見届けた知盛は、この言葉を述べたあと海の底へと入水しました。

こちらもカヲル君の心情を唄った言葉のように思われます。
死に際において自身の運命を恨んでいるよりは、シンジ君のために果てることができて本望だといった、満たされた想いが伝わります…

「いまぞなにをか 期するべき いまぞなにをか 期するべき」
直訳すると「今はいったい何を期待したらよいだろうか」となります。

係り結びの「ぞ」「べき」が使われていることに加え、同じ言葉をかさねて言うことで、カヲル君を失ったシンジ君の深い悲しみがうかがえます…

「いってんの 夕べに生まれ」
「いってん」は「一天」でしょうか?
「いってんの 夕べ」で空一面の夕焼けの意味かな…
カヲル君とシンジ君が海辺で出会った光景が目に浮かびます。

「夕べに生まれ」は、蜉蝣(カゲロウ)が朝に生まれて夕べに死ぬといわれることから、人生の儚さを表す言葉です。
鴨長明『方丈記』の冒頭に次のような文章があります。

朝に死に夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
(朝に死んで夕方に生まれる、人の性質はまったく水の泡のようなものだ)

また兼好法師『徒然草』の第七段にも蜉蝣が登場します。

かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。

どちらも生命・人生の無常を描いています。

「くもりなき 心の月を」
「心の月」とは…
 悟りを開いた心を、名月の清く澄むさまにたとえる。
 心が清いさまを名月にたとえていう。季語:秋

「心の月」と調べると次の和歌が出てきました。

いかでわが 心の月を あらはして 闇にまどへる 人を照らさん
(なんとかして自らが心の月をあらわして(=仏道を成就させて)煩悩にまどっている人々を照らしたいものだ)
(藤原顕輔『詞花和歌集』)

曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
(曇りない夜の月のような心をもって、月のようにこの世の闇を照らしながら行くのだ)
(伊達政宗 辞世の句)

この詞章は、シンジ君とカヲル君二人の心情に重ねて受け取ることができそうです。

「いざゆかん 後の世の また後の世の 光のなかへ」
「後の世の また後の世の」と調べると次の和歌が出てきました。

後の世も また後の世も めぐりあへ 染む紫の 雲の上まで
(後世も、またその後世もめぐり逢おう、あの紫に染まった雲の上の浄土まで一緒に行こう)
(源義経 辞世の句)

「光」は古典では仏の光を指すことが多いそうで、この詞章には仏教的死生観の色が出ていますね。現世で離ればなれになってもまためぐり逢える、シンジ君とカヲル君の強い縁が感じられます。
輪廻転生で何度も逢うという世界観は、カヲル君のループ、エヴァの世界観にもつながります。

またQの場面では、「そんな顔をしないで。また会えるよ、シンジ君」というカヲル君の台詞とリンクしてしまいます…( ;∀;)

③では、シンジ君とカヲル君の心情が交互に唄われています。
その離れがたい想いに反して、カヲル君は天へと昇り、シンジ君は一人取り残されるという……
ままならない現実と理想がせめぎ合う、観ていてつらい場面でした…

④碇シンジの嘆き(52:12~53:58)

詞章
悠久の 刹那にちぎりて 
ただ一人 年を見ゆらん そらのしま(た)
ときはなゆた まためぐりいて 君の(あしたに) そらのしま
ときはなゆた まためぐりいて 君の(あしたに)
光のなかへ

カヲル君が天へ上り、スクリーンに夜の海辺が映されるなか、シンジ君が顔を覆って嘆きさまよう場面です。

「歌舞伎交響曲第急番 エヴァンゲリオン」 - (C)カラー (C)カラー/Project Eva. (C)カラー/ EVA製作委員会

「悠久の刹那にちぎりて」
「悠久」…果てしなく長く続くこと。長く久しいこと。
「刹那」…仏教における時間の最小単位。きわめて短い時間。
「契る」…固く約束をする。夫婦の約束をする。

シンジ君の立場で考えると、「悠久」は、悠久のように長く感じられる人生といった具合でしょうか?
その人生の中のほんのわずかな一瞬、カヲル君と固い約束を交わした。
二人の深い絆・縁が感じられる箇所です…

「ただ一人 年を見ゆらん」
直訳すると「どうしてたった一人で季節の移り変わりを見ているのだろう」となります。

「らん」を現在の原因推量と取ると「どうして…だろう」となり、置かれている状況を飲み込むことができないシンジ君の虚無感が表れますね…

「ただ一人」「年」とあることで、先ほどの「契る」「刹那」と対になって、悲しみと寂しさが一層増している詞章です。

「そらのしま」
この箇所は聞き取りが怪しく、「そらのしま」もしくは「そらのした」と聞こえました…

「空の下」だと、カヲル君のいるであろう天井を想って、空を眺めるシンジ君の姿が想像されます。

「そらのしま」は一致する語はないのですが、AIによると空も島も俗世から離れた理想郷を指すことがあるそうです。
そのため「空の島」と解すと、「天上にある理想郷」といった意味になり、カヲル君のいる場所を指すのかなと思います。

「ときはなゆた」
「那由他」…数の単位。きわめて大きな数量。

刹那と対になる言葉ですね。非常に長い時間の流れを感じます。
「悠久」「刹那」「那由他」と時間の長さを表す言葉が並び、時間の経過・季節の移り変わり、ひいては人間に力ではどうしようもない運命に対して、シンジ君が愕然とする、そうした壮絶な感情が伝わるようです。

また続く「まためぐりあいて」と響き合い、何度も繰り返すエヴァ世界の邂逅と別離を強く感じます…

「君のあしたに」
だいぶ怪しいですが、「あした」は朝で夕べと対になっているのでしょうか?

「君」がシンジ君を指すとしたら、「君の朝」は嘆き(暗い夜)が明けたときのような意味かもしれません。
君の嘆きが晴れた暁には、まためぐり逢おう…
そうしたカヲル君からシンジ君へのメッセージなのかも…

④はオリジナル要素が強い詞章だと思います。
ループするエヴァの世界観を表しつつ、強く惹かれ合ったシンジ君とカヲル君が運命によって引き裂かれるストーリーが描かれていました。

碇シンジ役の上村吉太郎さんの演技、深い慟哭から魂の抜けたように彷徨う姿に胸を打たれました。
声のない表情と動きだけの演技からは、シンジ君の声も出せないほどの深い悲しみが伝わりました…涙

終わりに

エヴァ歌舞伎は、エヴァンゲリオンと歌舞伎がここまで共鳴し高みに至るのか…‼と驚愕するほど素晴らしい舞台でした。このコラボレーションによって、歌舞伎の可能性とエヴァの可能性どちらもが開かれたように感じています。
この文章が、エヴァ歌舞伎の感動をわずかでも伝えられたら幸いです。

この素晴らしい作品にかかわった皆様に厚くお礼申し上げます。
ありがとうございました!


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