見出し画像

スマホ時代のプロ野球ファンという存在について、少し本音をこぼしてみたい

情報の受け取り方が変わった
私たちプロ野球ファンは、かつてはテレビの野球中継や新聞、雑誌で情報を得ていました。テレビの実況に一喜一憂し、翌朝の新聞で戦評を読むのが楽しみだったし、週刊ベースボールやNumberの特集を読んでは「あの選手はこういう背景があったのか」と想いを巡らせたものでした。

でも今は、スマホひとつで全部わかる。試合のスコアはもちろん、投手の球種や打球速度、選手のインスタ更新までリアルタイムで通知が届く。情報が豊かになることは、もちろん悪いことじゃない。むしろ嬉しいことのはずなのに、どこかで「知りすぎる」ことで、ファンのスタンスそのものが変わってきてしまったように感じています。

応援と批判の境界があいまいに
とにかく「評論家」が増えました。試合を観ながらSNSを開けば、「なんであそこで代打出さないんだ」「こいつもう戦力外」といった声が並びます。なかには、選手本人のSNSにまで直接メッセージを送る人もいて、正直ゾッとします。応援してるんじゃなかったの?と思うのだけれど、いつしかその境界線は曖昧になり、応援の名を借りた攻撃のような言葉ばかりが目立つようになってしまいました。

テレビを観ながら、「何やってんだよ!」と口に出すくらいなら私もあります。でも、それは選手にぶつける言葉ではなく、自分の中でのモヤモヤや悔しさのガス抜き。スポーツを観るってそういうことでもあるはずで、そこに他人への攻撃性は本来、必要ないんです。

「正しさ」で人を叩く人たち
以前、X(旧Twitter)で応援歌についてふと思ったことをつぶやいたことがあります。「お前が○○」という応援に対して、お前と呼ぶのが嫌だ、と。すると、知らない誰かから「○○?(以前に同じ指摘をしていた某解説者の名前)」と、ちょっと馬鹿にしたようなコメントが来ました。

もちろん、大したことじゃないんです。でも、それが妙に引っかかりました。おそらくその人もチームが好きで、同じように応援している人なのでしょう。だけど、知らない誰かにそんな態度を取られると、「なんのためにこの人は書いてるんだろう」と思ってしまうのです。応援って、誰かを下げて、自分の正しさを主張してまでやることなんでしょうか?

noteで書くという選択
ヤフコメも同じです。コメント欄には、毎試合のように采配批判、戦犯探し、戦力外予想が並びます。たまに「今日の○○、ファインプレーでしたね!」みたいなやさしいコメントを見つけると、反射的に♡を押しています。でも、そんな投稿は本当に少ない。
だからこの話は、あえてnoteに書こうと思いました。Xに投稿すれば、すぐ誰かが絡んでくるでしょうし、ヤフコメに書いたところで「甘いこと言うな」で片付けられてしまう。ここなら、少しは言葉を大切に読み取ってくれる人がいる気がしたのです。

私たちファンは、ただ観ているだけじゃない、野球文化の一部だと思っています。試合を観て泣いたり笑ったり、負けて悔しがったりする感情を持つことは大切。

でもその感情の出口が、誰かを傷つけることじゃなくて、応援する力につながったらいいのに、と心から思うのです。


いいなと思ったら応援しよう!