Revenant Doll 第8話
第2部
1 山が呼んでいる
水際佳恵様
嬉野小学校の件を、座光寺家として正式にお受けできないことは前に話した通りですが、俺が個人として調べてみることにします。ただしそれで霊の関与が確認されたとしても、どこまでご期待に沿えるか分かりません。家の者も「無理をしないように」と言っているので、それに従うつもりです。
ストリートビューで学校周辺を回ってみました。思った以上に寂れてますね。解体工事が始まる前の画像しか確認できないですが、やはり校舎は相当老朽化してるように見えます。それにしても田舎の学校は校庭がやたらに広い! 子供がのびのび育ちそうです! 別にうらやましくはないけど。
現地調査は夏休みに入ってからになります。日程が決まったらお知らせします。
座光寺信光
メール本文で「これは二人の間だけの話に」との念押しはあえてしなかったのだが、半日経って「ありがとう。嬉野の校長に話を通しておこうか?」という返信を目にした時には、思わず声を上げて笑ってしまった。
この短い返信について理事会の承認を得るのに半日かかったのだろうか? 「何だっていいからなし崩しにしろ」と語気を荒らげる誰かさんの前で神妙な顔をしている姿は、どう考えても女王にふさわしくないが、躾の行き届かない下僕は身の程もわきまえずにそんな場面を想像してしまう。だからやりきれない。
「お気遣い感謝。それには及びません」とやんわり断ると、「くれぐれも無理はしないでね」との返信が、今度は即座に届いた。言うまでもなく、どこからが「無理」なのかはこっちが決める。いかに下僕の分際であろうと、それくらいの自由はあってしかるべきだろう。
七月に入り、あわただしく日々は過ぎていった。期末試験も終わって終業式を三日後に控えた四時間目の終了時、教室を出たところで後ろから肩を叩かれた。驚いて振り向く俺の顔を、財部豪介が不思議そうに見ていた。
「少し瘦せたな」
「そうか?」
「このへんの肉落ちただろ」
肩甲骨と首の間を揉む指先に妙な心遣いが行き渡っていて、気持ち悪いことこの上ない。江上さつきとの間でスキルアップした成果を、無意識のうちにも誇示せずにはいられぬようだ。たまりかねて「やめろ」と払いのけると、財部は俺の横に回って少し改まった口調になった。
「急な話なんだが、海、行かね?」
「何で俺を誘う?」
「そりゃ、賑やかな方がいいからだよ」
貴重な青春のひと時を、なぜ彼女と二人きりで過ごそうと考えないのか。俺も別にモテないわけではないのだ。甘く見られているのはいい気がしない。
「江上もその方がいいってか?」
「そうだよ? 俺とさつきとお前と、あと男一人に女二人ぐらいかな。俺の伝手で宿は確保できるから一泊ぐらいでどう? 考えてみろよ、高二の夏休みだぜ? 今行かなくていつ行くんだよ」
「俺とさつきとお前」──。臆する風もないその言い方には、江上を「彼女」として対外的に認知させたいという、半ば焦りに近い思いが感じられる。こいつが盛者必衰の理を思い知る日はそう遠くないのかもしれない。友人としてケアを強いられる未来を先送りすべく、力になってやりたいのは山々だが、俺には生徒会長様御下命の大任が控えている。
「日にち次第だな。いつ頃を考えてんの」
「それをまず決めたい。七月中は?」
「今月中ねえ……。八月の後半ぐらいでどう」
財部は渋い顔をした。
「その頃だと波が荒くなりそうでさ。……やっぱりあれか。親父さんの手伝いとか」
少し考えて、「まあそんなとこかな」と適当に誤魔化した。
「大変だなお前も。じゃあ俺の方で勝手に話を進めるよ。日程決まったら知らせるから、お前も都合がついたらってことで」
「それでよろしく」
その後、財部と昼食を共にした。生徒会長が六月に学校を数日休んだことは既に遠い過去の話になっていて、話題にも上らなかった。ふと思いついて「海よりも山の方はどうだ」と聞いてみると、財部は愚問だとでも言いたげに「高二の夏っていえば、そりゃ山より海だろ」と即答した。
北関東の小学校で起きた異変がこの学園を巻き込みつつあることを、ジャーナリスト志望の友人は何も知らないらしい。俺のプライベートな事情も含め、それはそれでありがたいことではあった。
この男が江上さつきと過ごす「高二の夏」は本来二人だけのものであるべきだし、俺としても水を差すつもりは毛頭なかった。
「一つ聞いていいか」
「何だ」
「高二の夏は山でなくて海。そんなこと誰が、いつ決めたんだ」
微妙なスイッチに触れた自覚はあったが、案の定だった。二百ミリリットル入り紙パックの野菜ジュースをストローで吸う顔がたちどころに無表情に変わる。息苦しい二、三秒の間が続いた。
「そんなに山に行きたいか?」
「そうじゃない。どうして『高二の夏は海』って、なんつうか自動的に決まるのかが分からねえ。一般論だよ」
「無難だからだな」
「無難?」
「そうだよ」
財部は「高二の夏」における海の優位性を滔々と並べた。海水浴シーズンの海は人が大勢集まるし、地形的にも見通しが利くので、事故に遭ってもすぐに助けを呼べるが山はそうはいかない。海ならば災難に見舞われるとしても、溺れるか潮に流されるか程度で大体想定できる。それに何より、海で一泊となれば「不動の定番青春メニュー」がある。昼は泳いで夜は花火。危なげのない思い出作りができる。
「もちろんメニューはそれだけじゃない。やっぱどう考えても山よりは無難だろ? そんで、俺とさつき以外の誰かと誰かが仲良くなるんだったら、企画としては大成功じゃね? だから海一択だって言ってんだよ」
「高二の夏には海に行って、泳いで花火で遊んで、誰かと仲良くなる。そういう筋書き通りになるように努力しなきゃいけないのか」
「『努力しろ』なんて誰も言ってないだろ。何を難しく考えてんだよ」
「難しく考えてるわけじゃないが、何かこう、いつの間にかそれがルールになってる気がしてさ」
財部が俺に対して真摯になってくれているのは分かる。それはそれでありがたいことだ。友人にしつこく絡むのは親密さに寄り掛かった甘えかとも思ったが、それでも言わずにいられなかった。
単に友人を刺激したかっただけなのか。あるいは俺の中に根付いた何かが、俺を海から遠ざけようとしていたのか。
「じゃあ逆にお前に聞くが、お前は自分にそれ以上の何ができると思ってんの?」
「できるできないじゃなくて、……ちょっと語弊があるが『しきたり』とでもいうのか? 誰もがそういうのに合わせる必要があるのかって話だよ」
「いや、あるだろ」
「あるのか?」
財部は「当ったり前だろう」と吐き捨て、こう続けた。
「少なくとも世界は平和に近づく。ほんのわずかでもな。そういう積み重ねが大事だって言ってんだよ」
波間から目を射る陽光のきらめき、若者たちの歓声。それらが確実に遠ざかっていく。「輝ける青春のアイコン」たちをなすすべもなく見送りながら、心の奥底のそのまた奥底で、俺は不吉にもこう感じていたらしい。「それも悪くない」と。
山が俺を呼んでいる。あるいは魅入られたのかもしれない。
