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Revenant Doll 第13話

第2部

6 消え去った者たち

 
「何を言おうとしてたんだっけ。ああそうだ、署長はこんなことまで言い出した。『主義者を当たってみたのか』。つまり共産主義者、無政府主義者だな。在郷軍人会のイベント日に合わせた犯行じゃないかと。もっともこれは署長本人の考えじゃなくて、本部の……その当時は**県警察部って名称だったが、応援要員も寄越さないくせにそういう無駄な入れ知恵はしてきたわけだ。もちろん失踪当日に主義者連中の足取りなんか皆無で、捜査班は振り回されただけだった」
「発見者の用務員さんは?」
「当日は隣村にある母親の実家へ女房と一緒に畑仕事の手伝いに行って、その晩はそこに泊ってた。関係者全員の証言が一致してるからアリバイ以前の話だ。そうこうするうちに十一月に近づいて、何でもいいからカタをつけろって圧が県警察部だけじゃなくて内務省筋からも掛かるようになった。で、ほとんど苦しまぎれに一人の女をしょっ引いてきた」
「女性が一人で柔道三段の中年男性を殺した? どういう解釈ですか?」
「こういう理屈だよ。『情交を申し向けるがごとく欺罔ぎもうして酒に酔わせ、人事不省となりたるところを凶行に及び……』」
 
 いったん言葉を切り、薄ら笑いとともに首を左右に振ってから、刑事は続けた。
 
「その女ってのが、いわゆる酌婦でね。名前は藤山はつ子、当時三十二歳。村はずれの山林と田畑の境にある廃屋同然の空き家に勝手に入り込んで、一人で住んでた。生まれは青森県で村内にはまったく身寄りがない。近くの農家だけじゃなく、街中の男たちもちょくちょくこの廃屋に出入りしてたから、当然奥さん方からは鼻つまみだった。それにここも」
 
 桐谷警部補は人差し指で頭を二回突いた。
 
「少し足りないらしいって言われてた。当時の刑事たちにすりゃ、『手っ取り早くカタをつける』には格好の獲物に思えたんだろう。まあ、問題は首から下の遺体と凶器が出てくるかどうかだが、取り調べが始まって六日後にはつ子は死んだ。残念なことに最後まで落ちなかったそうだ。はつ子の遺体が誰かに引き取られたのかどうかは、俺の詰めが甘いのか、今のところ分からん」
「いや……」
 
 目の前に、半分齧って残したトーストがある。手持ち無沙汰のままゆで卵の殻を剥こうとしたが、手先が冷えてうまくいかない。
 
「桐谷さんがそこまで調べて見つからないんだから、たぶん何の記録も残ってないんじゃないですか」
「どうかな。とにかく、捜査はそこでストップした。署内で死人まで出したからさすがに『もういい加減にしろ』ってお達しが出たんだろう。めでたく迷宮入りってわけさ。供述調書をでっち上げるくらいは朝飯前だったろうに、何を頑張ったんだろうな。『遺体は凶器と一緒に海に捨てた』みたいな筋書きも、被疑者に死なれたんじゃ水の泡だよ」
「じゃあ結局、頭部以外の遺体も凶器も発見されずじまいだったんですか」
「ところがさ」
 
 急に元気づいたように、刑事の声のトーンが上がった。
 
「そういうものは大概、誰もが忘れた頃に出てくる。無くしものと同じだ。昭和に入って世の中が戦争一色になって、警察も迷宮入り事件どころじゃなくなった。つまり誰の記憶にも残らなくなった。そして昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲で、全焼した木造家屋の焼け跡から、家族四人全員の焼死体以外に、もう一つ余計なのが出てきた。洗いざらしたような綺麗な骨で、頭蓋骨だけがなかった」
「え? 横浜ですよね?」
「そう、横浜だったんだ。幸いにもその骨は」
 
 疲れたような笑みが桐谷警部補の顔に広がる。窓から差し込む日差しは真昼の強さへと変わりつつあった。
 
「……戦争が終わるまで保存されたよ。後日の調べで、内務省に保管されていた頭部と頸骨の断面が完全に一致することが確認された。二十数年遅れで胴体が出てきたってわけさ。ところが骨が見つかった場所の住人一家は、嬉野小のある旧一之瀬地区とはまったく縁もゆかりもなかった。うちの県警としても多少調べたらしいが、実に堅実な勤め人の一家で、どう考えても猟奇殺人なんかに関わるような柄じゃない」
 
 犯罪とは無縁な家族が住んでいた家の、焼け跡から見つかった白骨死体。家の中のどこにあったのだろう。そんな俺の心の内を読んだかのように、刑事は「現場の状況から見て、どうも屋根裏に隠されてたらしい」と補足した。
 
「何しろ関東大震災でも無事だった家で、全焼した時点では築三十年を過ぎてたわけだが、焼死した家族が転居してきたのは昭和十二年、つまり空襲の八年前だった。彼らは屋根裏のホトケには気付きもしなかったろうし、その下で八年暮らしてたことになる。持ち家として建てられてから名義は少なくとも三回変わってて、最初の住人の記録は完全に消失してた。遺体がいつ運び込まれたのかは解明のしようもない」
「築三十年だとすると、建てられたのは事件発生前ですね。やはり最初の住人は関与してないってことでしょうか」
「分からん。そのあたりはもう、憶測以上のことはできない」
「警察はその、首から下の骨が津川さんだと断定したんですよね」
 
 桐谷警部補は目を閉じた顔を心持ち上に向けて、「うん」と頷いた。
 
「なら、遺骨は遺族のところに戻れたんですか」
「いや」
 
 閉じていた眼を開け、冷めきった残りのコーヒーを飲み干してから、刑事は話を続けた。
 
「家族はもちろん、当時の関係者は一人残らずいなくなってた。遺骨の受け取り先なんかありゃしない。まるで掃いて捨てたみたいに綺麗さっぱりだよ! 信じられんだろ? ……ああ、順を追って話そうか」
 
 まず、事件当時朝鮮に駐留していた津川の長男は、成立して間もないロシアの共産主義政権との戦争に送られて戦死。この戦争には、失踪当日に入営壮行会を開いてもらった新兵も真っ先に送られて戦没している。津川の妻は宗教にのめり込んだ。高価な仏壇を座敷に置いて日がな一日その前で経を上げ、人が訪ねて来ても碌に相手をしなくなった。こうして自然に、津川家から人の足は遠のいた。娘は隣村の裕福な自作農に嫁いだが、そこで五年のうちに病気で亡くなった。
 娘が病没して二年ほど経ってから、津川の妻は行方知れずになった。津川宅は空き家となって放置された。
 
「じゃあ、遺体の行き先は」
「確かめたことはないが、津川の菩提寺に引き取ってもらったわけではないようだ。思うに、科警研(科学警察研究所)のどこかに今も保管されてるんじゃないかな」
「せめて供養だけでもする必要があったのでは?」
「そう思うかい?」
 
 結局、今日こんにちまで津川俊助氏の供養は行われていない。彼が行方不明者であるという書類上の記録が変えられることはなかった。遺骨を津川氏と断定したのは、あくまで大正から戦後に至るまでの、連続性に乏しい警察の内部記録として完結し、その先の手続きには進んでいない。桐谷警部補はそう説明した。
 
「だが、そのことはいい。もっとはっきり言えば、どうでもいいんだ」
「よくはないでしょう」
 
 俺は少し語調を強めに言ったのだが、警部補は「拝んだり唸ったりを生業にする人間にはそう感じられるだろうな」と顔色一つ変えなかった。
 
「現実は感傷なんか置き去りにして進んでいくってことさ。先へ先へ……。どういうことかっていうと、当時の津川の同僚や在校生が、終戦の時点でことごとく消息を絶ってるんだ。『鬼の首』を見つけた用務員の石田勝蔵は当時五十九歳で、そのまま嬉野小で働き続けたが翌年二月に病気で亡くなった。女房と四人の子供はそれから十年以内に全員死亡。津川の部下だった教師たちはどういうわけか一人残らず満州や朝鮮に渡って、その後内地に戻った者はいない。在校生の男なんか徴兵年齢に達した順に激戦地に送られて、ほとんどが戦死して、生還したらしい者は例によって消息不明だ。女も同じで、満州や北支や南方に出て行ってそのまま行方不明になったり、死んだやつばっかりでな。まっとうに所帯を持って幸せな戦後を生きたのなんていやしない。ゼロだ! つまり結果的には、どう見ても『そういう連中は存在しちゃいけなかった』ってことになる。どうしてここまでしなきゃなんねえんだろうな?」
 
 刑事はそのまま押し黙った。
 聞けば聞くほど不気味で、底の見えない闇を覗き込んだような気分にさせられる。しかしこの事件が、嬉野小の校舎解体工事をめぐって起きている現在の異変と、何かかかわりがあるのか。事件から百年後になって、築五十数年の鉄筋校舎を建て替えることがどう関係してくるのだろう。
 
「実はね」
 
 腕組みをして目を瞑っていた桐谷警部補が口を開いた。
 
「あの事件に関しては、本筋じゃないが他にも幾つか周辺情報がある。よかったら後で資料を送ろうか」
「ありがとうございます。ところで桐谷さんは、迷宮入りした百年前のこの事件を何らかの形で解決したいと思っているんですか」
「どうだろうな。解決といったってホシは間違いなくこの世にいないし、そういう意味では永久積み残しが確定してるわけだよ。だけど、事件てのは生き物なんだ。分かるかい?」
 
 「生き物」という比喩の意味を解きあぐねているうちに、刑事は持論を述べ始めた。
 
「生き物っていうより、関係する人間同士が交わり合ってこの世に生み出す『化け物』かな。その化け物に名前を与えて封印し、看取って供養して、埋葬まで見届けるのが俺たち刑事や検事、裁判官の仕事だ。それなのにこれほどの事件が、まったく真相を解明されず、正しい手続きで処理されないまま放置されてきたんだ。俺はずっと思ってきた。これは時限爆弾みたいなものだ。いずれ必ずわざわいをもたらすと。違うかな」
 
 彼の視線を正視できず、思わずテーブルの皿に目を向けてしまう。絶対に違わない。座光寺家の者として、乏しい経験ながらもそれは確かだと思う。ただ、声を大にして言えないだけだ。