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Revenant Doll 第3話

第1部

3 光と闇についてのレクチャー



 「めんどくさそうな年寄り」という印象から先行きを危ぶんでいたのだが、不安は程なく氷解した。基本的に彼は、家庭教師シフトに入る午後八時になると俺の部屋に現れ、一時間半の補習を終えるとさっさと退出した(俺の帰りが遅いと、帰宅途中に出迎えることもある)。ややこしい召喚呪法はいっさい省略する約束にしたのも結果的には正解だった。
 休日の補習は午前十時から二時間と決めていたが、シフトに入って最初の日曜日にエドは「今日は天気が良いので散歩でも」と俺を誘った。
 
 六月中旬の蒸し暑さをものともせず、いつものチェック柄ジャケット姿で外出した吸血鬼は、降り注ぐ日差しにご満悦だった。「良い季節になりましたな!」と同意を求められても、Tシャツ一枚で額の汗を拭う俺は黙って頷くしかなかった。
 
 「近くの公園でひと休みを」と言うので、家から二百メートルほど先の中央分離帯に設けられた公園に足を向けた。自販機で買ったスポーツドリンクを手に敷地に入ると、道路を二分割した公園が視界の先まで伸びている。エドが一番日当たりのよい場所を望んだので、内心は木陰が恋しかったのだが、やむなく彼の指定するベンチに並んで座った。
 
 正面の砂場で、幼児たちが歓声を上げている。父親は一緒に砂場に入って子らと戯れ、母親は日傘を差して見守っている。
 
「ねえエドさん。こうしてひなたぼっこをしている間、カンオケの中の自分について考えたりしますか?」
「全く」
「全然ですか」
「はい」
 
 照り付ける初夏の太陽は、次第に中天近くへ達しようとしていた。
 ベンチの背にもたれて足を組み、目を閉じて真正面から日差しを受け止めているエドの様子を見れば、太陽の恩寵に浴する幸福への羨望すら湧いてくる。
 彼にとっては、気の遠くなるような辛苦の歳月を経てようやく獲得した境地なのだろう。その至福に水を差す気はさらさらないのだが、冷房に慣れきった生身の人間には、お付き合いするのも限度というものがある。
 
「そうですか。俺は今、猛烈にカンオケに潜り込みたい気分ですよ」
「なるほど。棺の中の私と添い寝がなさりたいと」
「ええ? 美女の眷属とかいないんですか。俺はそっちの方が」
 
 結露して濡れ濡れになったペットボトルを、キャップを緩め口へ運ぶ。既に水道水に毛が生えた程度のぬるさで、量も残り半分くらいになっていた。
 
「そういうオプションは高くつきますですよ。確かにその種のことは暗い場所で行うものですが」
「『その種のこと』とまでは言いませんけど。あと一時間もすれば直射日光ですよ。熱中症ってご存じですよね?」
 
 そこでようやくエドは瞼を開き、頭をいくらか前に倒して、瞬きをしたり眉間に皺を寄せたりといった所作を繰り返した。霊体である如鬼神だから当然だが、肉体の動きをなぞっているに過ぎないだけに、余計に芝居じみた印象を受ける。
 
「……失礼しました。あまりに良い日差しなのでつい貪ってしまいました。もう少々で戻りましょう。ところで今の話ですが、私たちが今いるこの場所も棺の中も、本質としては変わりはないのですよ」
「どういうことです?」
「言うなれば『偏見の由来』に関することですが」
 
 暑さがこたえたのか、砂場の親子は帰り支度を始めていた。エドは話を続けた。
 
「『光のあるところには闇がある』とよく申しますね。聞いたことはありますでしょう」
「ええ。それが何か」
「それ自体は陳腐なレトリックに過ぎませんが、よく考えもせぬ者は、光と闇の二項対立があるかのような誤謬へと導かれます。実際には光の存在こそが揺るがぬ前提であり、『闇』とはその不足の表現でしかありません」
「真っ暗なカンオケの中にも光はある。今みたいな炎天下よりは少ないだけ。そういうことですね?」
「その通り。前にも申しましたが、光は神の恩寵そのものです。我ら取るに足らぬ被造物が恩寵の──つまり光の──足らざるを嘆いたとて、神の絶対が微動だにするはずもない」
 
 俺の反応を窺うかのように、吸血鬼はいったん言葉を切った。俺は「光が差せば暗い部分との違いが際立つ。その違いを無視できるのか」と思ったのだが、口には出さなかった。
 
「昔は、私どもの言葉尻を捉えて『お前たちは異端者であろう』などと申す輩もおりました。彼らにとって『光』とは何だったのでしょう? 動物の視覚で捉えられるものですか? あるいは宗教画に描かれる白い放射状の直線なのでしょうか? 偶像崇拝の罠は実に長きにわたって人をおとしいれてきました。同じように、『闇』も個々の者が恣意的に作り上げたイメージでしかないのです」
「そうですか。ところで俺たち滅霊師は『地水火風』に『空』を加えた五大を信奉しています。俺は『空』を『ゼロ』だと考えてる。0は否定されますか?」

 頓珍漢な問いのような気がしたが、エドは鼻歌でも歌うように「便宜的なものでしょう」と答えた。

「真の直線が概念でしかないのと同様に、ゼロも概念上の仮構です。その意味では、光がないという仮構も想定し得るでしょう。しかし現実には光はあらゆるところを照らしております。もちろん棺の中も」
「じゃあ、吸血鬼が強い光を避けるのは体質の問題なんですか?」
「厳密には違いますが、広い意味では体質と言えなくもないですな」
「長い年月をかけて少しずつ慣らしていけば、いつかは真夏の日差しも平気になる。そんなリハビリ的な方法もありかなと一瞬思いました」
 
 エドは肩をすくめて苦笑した。その表情に一瞬、守り役という立場を離れた個人としての彼のが見えた気がした。思春期の児童生徒が、鉄面皮な教師の顔色から躍起になって読み取ろうとするあれだ。教師の側が内心で「何とバカな小僧だ」とあきれているだけなのだとしても。
 
 そして俺は、「光と闇」からの連想で「善と悪」のことを考えていた。
 
 暑さに閉口していたのでそれ以上問いを重ねなかったが、あえて口に出して一笑に付されるのも嫌だった。むしろ彼はわが意を得たりとばかりに、滔々と持論を述べ続けたことだろう。その場で日が沈むまで如鬼神の説教を聞く羽目になったかもしれない。
 宇宙は、神の意志たる善に支配されている。神はすなわち善なのであり、絶対的な悪などというものは、人間が任意に設定した架空の概念に過ぎず、存在しない。だから人間の目に悪と映るものはすべて、神が善を成就するための過程である。人間には神が内在しているのだから、神の意志を実現すべく邁進しなければいけない、云々。
 キリスト教の悪魔が山羊の姿で描かれたりするのも、蒙昧な信徒の信心を深める上でやむを得ず採用された一種の偶像でしかなく、こうした手法の「小さな悪」もまた、善に至る一つの過程、あるいは手段と言える。突き詰めれば「悪」とは、主観による産物の域を出ない。そういうことになるだろう。
 このように「善と悪」についても、「光と闇」に対応する形での説明が成り立ってしまう。光に関することが科学、善悪に関することが倫理の領域に属するという違いは、エドから見れば単に便宜上の区別でしかない。

 エドは敬虔なカトリックの信徒として、「光は絶対である」と言った。だが──キリスト教徒でもなく、仏教やら周易やらの東洋思想を頭に詰め込まれて育った滅霊師見習いの俺はこう考える。本当に絶対なのは光ではなく、「明るい」「暗い」という尺度じゃないだろうか?
 光が実体であるという前提に立てば、闇を光の不足や欠如として捉えることに異論はない。だが実体の有無ではなく「尺度」で考えるなら、光と闇のどちらを基準にしても構わないことになる。
 仮に、光ではなく闇が絶対であるならば。エドの論理は逆転し、光とは闇の不足もしくは欠如だということになるだろう。いや、よく考えてみると、「恩寵」としての光こそ、恩寵であるがゆえに偶然の産物ではないのか。太陽のような恒星が宇宙に存在するのは偶然じゃないんだろうか? 神が「光あれ」と言い、宇宙が誕生したのは善の成就に向けてのことだとしても、それ以前は? 「時間そのものが存在しなかった」? そんなバカな!

 エドが断言したように「完全な闇」が存在しないとするなら、「完全な光」もあり得ないのではないか。「完全な光」が存在するとしても、俺はその中で恩寵を讃えつつ、甘んじて焼き滅ぼされていくことができるだろうか?
 
 俺はこう考えずにはいられない。「善と悪」にも同じような逆転──もちろん陳腐な悪魔崇拝の話なんかではない──があり得るとしたら、神の意志は善の成就ではなく、悪の成就ということになる。もしも「悪」と見なされているものが実は善であるならば、それはいわゆる「神意」の達成へ近づけば近づくほど、この宇宙においては追い詰められ、滅びに向かうことになるだろう。
 
 やはり俺やエドが人間あるいは吸血鬼という「偶然の存在」である限り、自分たちを基準に判断していることの限界は越えられない。だが、越えようとして何になるのか。──きっと、この一点に信仰の理由があるのだ。
 信じることにこそ意義がある。なんじ殺すなかれ、などの戒めは、それが絶対であると信じられなければ、たちどころに意味を失う。光を信じる。善を信じる。花が太陽を讃えるように。偶然の存在に過ぎぬ俺たちは、そこに救いを見いだす。だからこそ、光であれ善であれ、尺度の物差しを当てて相対化を試みることは信仰の放棄なのだ。それは悪魔の誘惑の肯定であるだけでなく、偶然の存在である本質とも矛盾する。
 
 ところで俺の頭の中には、この二カ月近くの間ずっと、ある「迷い」が重くのしかかっている。
 それをエドに打ち明けるなど考えられない。いかに胡散臭い吸血鬼紳士だろうと、彼は座光寺家に仕える如鬼神、すなわち身内だ。滅霊師の職務を支える立場の者に相談してどうなるものでもない。エドがどう反応するかは容易に想像できる。
 
『お忘れなきように』
 
 いつもの圧を全開にして俺を見据え、エドはこう言うだろう。
 
『あのお二方ふたかたは、若君様が必ずや次期当主として大成されると信じて入滅なされた。私であろうと他の誰であろうと、その志を受け継いでおるのに変わりはございません』