Revenant Doll 第12話
第2部
5 朝礼台の鬼
約束の朝八時半より十分ほど早く、ホテル一階の喫茶室へ入った。桐谷警部補は窓際の席にいてスマートフォンに見入っていたが、こちらに気付くとスマホから顔を上げ、試験で好成績を収めた生徒を讃える担任教師のような、食いつきそうな笑顔で俺を迎えた。テーブルには綺麗に平らげられたモーニングセットの食器が並んでいた。
「おはよう。よく眠れたかい」
「ええ、まあ」
店内に他に客の姿はなく、俺は刑事の向かい側に座った。「仕事で出張とか多いんですか」と尋ねると「結構あるよ。大概、泊まりは行った先の県警本部か署だな。ホテルなんて滅多にない」と言い、アクリル製スタンドに挟んだメニューをこちらに向ける。俺もモーニングセットを注文した。
ごく自然に、お互いが嬉野小に来るまでの経緯を話す流れになった。
桐谷警部補は「**県教委のしかるべき部署」から桐谷流陰陽師として除霊の依頼を受けたことを明かし、「本務の都合で、日程調整に丸二カ月かかった」とも付け加えた。つまり俺が六月に「霊を祓うなり鎮めるなりするのが先ではないか」と生徒会長に主張した段階では、彼は別ルートで依頼を受けて日程調整中だったことになる。少なくとも、俺のせいで彼に要らざる負担を掛けてしまったわけではないようだった。
俺の方も、**県教委の希望を受けた学園理事会の要請であることを隠す理由もなかったのだが、「生徒会長が『友人』として橋渡しをした」という建前で誤魔化せるほど刑事は甘くなかった。
「その生徒会長っていうのは、女の子だね?」
「……はい」
「美人なんだろうね」
「さあ、どうでしょう」
聞き飽きた成り行きだとでも言いたげに、桐谷警部補はにこりともしない。俺の動揺ぶりには関心がない様子でカウンターの方に手を上げ、コーヒーの追加を注文した。
「まあどうでもいい話だ。それより、今の時点では俺の方も何一つ手ごたえはないが、もし悪霊の仕業だとしたら、君自身はどうするつもり?」
「座光寺家への公式依頼としては既にお断りしてるので、僕にもそれ以上のことはできません。父からも『深入りはするな』と言われてます」
「じゃあ君がここへ来たのは、あくまで同じ学校の生徒同士の個人的事情ってわけか」
「はい」
「もしも彼女がそれ以上を望んだら? 実際はその、理事会や**県教委の意向があるんだろ?」
「それは切り離すことにしています。……彼女もその点は了解してるので」
射貫くように俺の目を見据えていた刑事の視線が下を向く。
二十歳前後に見える女性店員が近づいてきて、追加注文のコーヒーを彼の前に置き、モーニングセットの食器を下げて戻っていった。その背中にちらりと視線を投げてから「なるほど」と呟き、コーヒー茶碗に手を伸ばした。
「じゃあ一つ確認したいんだが、君はこの件に関して誰の意思にも左右されず、完全に自主的に行動できる。これは間違いないと思っていいんだね?」
「はい」
「なら、その前提で話をしよう。もし君が一般高校生レベルの『夏休みのちょっとした冒険』程度で切り上げるっていうなら、話は終わりだ。ここで俺たちは別れて二度と会わない。だが、俺も一晩考えた。せっかくこうしてお近づきになれたんだし、滅霊師の座光寺家とはいい関係を築いていきたい」
横にいるエドがすかさず口を挟んできた。目の前にいる男の職業を考えればそう疑うのも無理はない。俺は吸血鬼の注意喚起をそのまま伝えた。
「その『いい関係』というのは、警察としてですか? それとも桐谷流の陰陽師として?」
「もちろん陰陽師としてだ。でもこの際だから、現時点での警察としての見方も言っておこうか。どうせ大した話じゃない」
確かに、嬉野小の解体工事をめぐっては死者が出ている。ただし警察は、受注業者の現場代理人の自殺には事件性はなく、「過労による心神耗弱」と断定していた。その他の事故も作業上のミスや不運な偶然以上の話にはなっていない。「もちろん、あくまで公式の見解だ」と刑事は念を押した。
一方、失踪した設計事務所の代表取締役は既に所在がつかめているという。
「無事だったんですね」
「うん。それは何よりなんだが、別の事件を起こしてた。クライアントからの設計報酬三件分、合計八千万円を着服してフィリピンに高飛びしてる。しかも女連れだ。会社が被害届を出すのを待って逮捕状を請求するらしい。……おっと、これはまだご内聞に」
「もちろんです!」
「ここまで出血大サービスしたんだから、続きも聞いてもらえるかな? あ、執事さんもよかったら聞いてください」
エドが「よろしゅうございます」と言うのを確かめた上で、俺は「どうぞ」と刑事を促した。
「今から話すことは、神奈川県警としての正式な捜査ってわけじゃない。それは確かだが、非公式な活動の中で端緒を得るということを、俺たちは日常的にやってる。世間的に評判は良くないかもしれんが。……そういうレベルの話として、俺はぜひ君の協力を得たいと考えてる。その上で何度も念押しするが、聞いてもらって構わないか?」
「はい」
ルビコン川を渡ってしまう瞬間というのは、実は当人がほとんど自覚できないくらいあっけないものなのかもしれない。でもその時の「一瞬」は、実感が薄いなりに俺には自覚できた。捜査一課の警部補から続きを聞くというのはそういうことなのだ。守り役である吸血鬼はなぜか難しい顔をするでもなく、黙って瞑目していた。
「**県の嬉野小学校って言えば、ね」
桐谷警部補は少し考え込むような面持ちで間を挟んだ。
「ひと昔前まで、関東地方在勤で地道に仕事をしてる古手の刑事なら『またその話か』って顔をしたもんだよ。大昔に迷宮入りしたある事件が絡んでいてね」
警部補が「大昔」と表現した時代は、大正年間の中頃を指していた。
その年の八月初旬、一人の男が行方不明になった。当時四十七歳で嬉野尋常小学校の校長を務めていた津川俊助は、埼玉県の連隊に入営する同校出身者の壮行会に出席した後、帰宅の途に就いたはずだったが、妻子と老母の待つ旧一之瀬村内の自宅に戻ることはなかった。妻が心当たりの親戚や知人を当たっても消息はなく、三日経って警察へ届けが出された。
壮行会場となった村の有力者宅を中心に、捜索範囲は市街地から付近の山林、河川へと広げられていく。関係者の焦りが深まる中、事態は失踪八日目に急展開した。
津川が奉職していた嬉野小には、校舎正面から六メートルほど間を空けて作り付けの朝礼台が設置されていた。その上に一つの異物が置かれているのを用務員が発見したのは午前六時頃。幸い夏季休業中だったため、児童の目に触れることはなかった。
「蠅が一面にたかってて、遠目には真っ黒な丸い塊がもぞもぞ動いてるように見えたらしい。近寄ったらそれがわーっと飛び散って……男の頭部が出てきた。誰もいない校庭に顔を向けて、まるで朝礼でも始めるみたいに」
「……つまり、津川さんのだったと」
「そう簡単に済めばよかったんだがな。ところが、これがエンドレスな悪夢の始まりだった」
夏場とあって頭部はかなり傷みが進んでおり、一見での身元確認は困難な状態に達していたという。
「津川の頭部だとしたら、死亡が失踪後の早い段階なのは間違いないし、十中八九殺しってことになる。あとは身元の特定だが、ここで躓いた」
「どういうことです?」
「これだよ」
刑事は自分の頭の左右に両手を上げ、それぞれ人差し指を立てて見せた。
「角が生えてた」
「つの? 校長先生の頭に?」
「この時点ではまだ誰なのか確定したわけじゃない。確かなのは人間の頭部だって程度だ。……つまりこの、額の髪の生え際、ちょうど般若の面の位置だな。もちろん細工に決まってるが、これが実によくできた代物だった。頭蓋骨とほとんど一体化するくらいしっかり固定されてて、簡単に抜けそうもないんだ。無理に抜こうとしたら頭蓋骨ごと割れてしまいかねない。で、津川の家族にはそのまま見せることにしたんだと」
「なんてことを……」
「まったく何考えてたんだろうな。抜けねえんならせめて鋸か何かで切り落とすぐらいしろよと思うんだが、証拠保存を優先したんだろう。七十歳の母親はそのまんまのそれを見せられて気絶した。奥さんは『これは鬼だ。うちの人は鬼じゃない』と言い張って聞かない。そりゃ当たり前だっての。でも気丈な奥さんだったんだろう、ものすごい剣幕で刑事に怒鳴り散らしたらしい。『お前ら、人の亭主を鬼にしたのか』『亭主を隠して代わりに鬼の首持ってきやがったか』……。津川の子供は男女一人ずついたが、長男は徴兵されて朝鮮に駐在してるし、同居してた長女はまだ十二歳だ。角が生えてなくても、十二歳の女の子に腐乱しきって変わり果てた男の首なんか見せられるか? しかも『父親に間違いないか確認しろ』と? 親の気持ちとしちゃ、奥さんが頑強に否定したのも道理だわな。……結局その頭部は公式的には身元不明のままで、母親は気が変になって年の暮れに亡くなった」
「親戚とか職場の先生とか、そういう人たちには見せなかったんですか?」
刑事は首を横に振った。
「不吉にもほどがある形だったのはまあ確かだが、それとは別の事情があって、『鬼の首』はその後は封印されることになった。第一、知人に見せたところで『言われてみれば似てる』程度でしかないよ。二十何年も連れ添った奥さんが『別人だ』って言い張ってる限りどうにもならんわ」
頭部の身元確認が行き詰まる一方で、▽遺体の胴体部分の捜索▽朝礼台に頭部を遺棄した者の割り出し▽壮行会場を出て以降の津川の足取り──といった面での捜査は続けられた。
状況からみて、妻がどれだけ否定しようとも、角の生えた頭部が津川俊助のものであることは疑いようもなかった。さらに捜査当局は、単なる死体損壊・遺棄ではなく、殺人に間違いないとみていた。
「首の傷口に、今でいうところの生活反応があった。つまりホトケは生きた状態で首を切断されたってことだ」
「うわ……」
「ところが津川は身長百七十二センチ、体重六十八キロの当時としちゃ堂々たる体格で、しかも柔道三段だ。こういう男の生首を切り落としたとなると、単独犯というのはちょっと考えられない。屈強な男二人以上で押さえつけて、さらに凶器を扱う者が別にいたと推定される。首から下の部分を目立たないように始末するのだって大変だ。だから三人以上が関与しているって見方が有力になった」
「だとしても、胴体部分が見つからない限り話は進みませんね」
「そうなんだよ。ところが今じゃ信じられない話だが、頭部が見つかって数日経っても、所轄署に捜査本部も立ち上がらなかった。担当刑事の間じゃ『さっさと殺人に切り替えて帳場を立てろ』って声が強くなったのにだ。……俺も刑事を十五年やってきて、世の中滅茶苦茶だと思うようなことは随分見聞きしたけどさ。その当時の滅茶苦茶さ加減ときたらもう、別次元のレベルっていうか、底が抜けてんだよ。どうだろ? 日常生活が冗談抜きで地獄と隣り合わせって言ったら、君にも想像つくかな?」
「うーん……。どういうことでしょう」
桐谷警部補は窓の外に目を向けた。平日の地方都市の閑散とした路上に見入りながら「なかなか難しいよな」と呟いた。
「実は失踪当夜、津川は宴席を二つ掛け持ちしてた。入営者の壮行会が開かれてた村の有力者宅から、直線距離で百メートルも離れていない場所で、在郷軍人会の懇親会が開かれてたんだ。津川はそこを一時間ほどで中座した後、入営者の壮行会に途中参加した。前の方の懇親会の趣旨は何だったかというと、その日は在郷軍人会分会主催の講演会が開かれていて、管轄区の連隊長を務めている大佐が講師に招かれたから、その慰労ってわけだよ。しかも講師の連隊長は近くの旅館で一泊して帰ってる。その同じ晩に同じ場所で猟奇極まりない殺人事件が起きるなんて、昔の日本では『あってはならないこと』だったんだ。分かる?」
「昔話として、聞いたことはあります」
「聞いたことがあっても実感するのは無理だろうな。軍隊は天皇の軍隊で、天皇は神聖だから、軍隊も神聖でなきゃいけない。この大前提の前には、刑事司法の道理なんかあって無いようなもんで、まさに『見えない壁』『ガラスの天井』なわけだよ。結局、捜査は通常体制のまま秘密のうちに続けるしかなかった。殺人だか死体損壊だか容疑もはっきりしない状態でね。で、捜査線上に容疑者らしい人物は浮かばず、胴体部分も凶器も発見できずという状態のまま九月に入ると、学校の授業も始まる。児童には、津川は県庁所在地の学校へ転任したと説明したらしい」
「すぐバレるじゃないですか!」
「それがね」
肩を揺すって笑いながら、刑事は続けた。
「全然問題にならなかったんだ。もちろん児童の親たちは津川が失踪したことは知ってるよ。でもうっかり口にしたら碌なことにならんと承知してるから、誰一人として余計なことは言わない。信じられる? 昔の日本はそういうところだったってことさ。それで九月末ごろになると、所轄署の署長がしきりに捜査班の尻を叩くようになった。さっぱり成果が上がらんのはどういうわけだ? ってな。捜査方針にも口を挟んできて『お前ら複数犯と頭から信じてるようだが、ありゃ単独犯なんじゃないか?』とまで言い出した。おまけに……食わないの?」
「え?」
刑事に指摘されてようやく、先刻オーダーしたモーニングセットが目の前に並べられているのに気付いた。
アイスコーヒーのグラスは結露で覆われ、下に敷かれたナプキンが濡れ濡れ状態になっている。厚切りトーストにマーガリンを塗って口に運ぶと、湿気た焦げ目の内側に幾らか温かみが残っていた。
