見出し画像

Revenant Doll 第4話

第1部

4 事後における信光君の煩悶と、急展開する運命

・・・・・・・・・・・・・・

 
 「今夜電話する」と俺は確かに聞いたのだが、水際佳恵からは何の連絡もなかった。
 
 そのまま朝を迎え、雲の上を歩くような気分で家を出た。何食わぬ顔で学園正門を通り、校舎玄関で靴を履き替え、各学年の生徒がひしめき合う中、自分の教室を目指す。いつもの歩く距離が何倍にも感じられた。
 「混雑を避けて早めに登校するべきだったか?」とも思ったが、普段より早く着席しているのを不審がられれば藪蛇になる。教室に入り、周囲の視線(特に女子)が何一つ変わっていないのを確かめて、ようやく緊張は緩んだ。
 世に言う「秘め事のスリル」を堪能するような気分ではなかった。授業ごとの間、教室を出て階段や校庭を通る際には無意識のうちに足早になり、ゲームの定石に従って「危険地帯」での滞留はできるだけ短くしようとする。それでも三年生と避けがたくすれ違ってしまう場面はあったが、彼ら彼女らの眼差しに格別変化が生じたとも思えず、我ながら滑稽な自意識過剰ぶりに恥じ入ったりもした。
 こうして虎の尾を踏む気分の一日は無難に終わった。そして相変わらず水際からの連絡はない。
 
 こちらから電話してみるべきかとも考えた。しかし何を話せばいいか思いあぐねているうちに時間は過ぎ、深夜を迎えてしまう。そして宿題をやり残したような気分で朝を迎える。
 
 そんな地に足がつかない日常も四日目を迎えた。その日は、前の晩にエドが発した謎めいた訓戒を、折に触れて思い起こしながら過ごした。
 
『よろしいですか若君様。秘密を知った者は往々にして、そのおごりから発する不遜さを自分では気付かぬうちに周囲に撒き散らしているものです。かような無意識の慢心から身を滅ぼした者は古来数知れずと申します』
 
 六時間目の授業を終えて帰り支度をしている時、俺の席があるベランダ側の窓を外から叩く者がいた。開けてやると、外の蒸し暑い空気とともに財部豪介が首を突っ込んできた。
 サッシの上に両肘を置き、薄笑いしながら興味深げに教室内を見回している。俺にはその顔が、目だけ笑っていないように感じられた。
 
「元気か」
「別に、健康に問題はねえよ。お前は」
「まあまあだな」
 
 聖往学園の校舎ベランダには教室ごとに高さ二メートル弱のアクリル製の間仕切り壁が設けられ、避難時には突き破るようにという注意書きが貼ってある。俺が高等部に上がる前の年に設置された代物だ。
 果敢さを誇示したい者はこれを乗り越えて他クラスへの訪問を試みるが、仕損じて痛い思いをしても学校当局の責任は問えないので、教師も見て見ぬふりをしていた。隣のクラスの財部がこうやって訪れるのはこれが初めてではなく、多分に自身のキャラの構成要件として重視しているきらいがある。
俺とは腐れ縁の友人であるとはいえ、最近は彼女カノジョの江上さつきと熱々なので俺も遠慮して距離を置いていた。
 その財部の視線がこれ見よがしに泳いでいると感じたのは、果たして思い過ごしなのかどうか。ベランダから教室内の様子はチェックし終えたにもかかわらず、俺の言葉を急かすような不穏さを漂わせている。
 
「江上が待ってんだろ? 時間潰してていいのか」
「まあそう急かすなって。毎日べったりなのも正直うんざりしてくる」
「よく言うぜ」
「ところでだな」
 
 財部の不穏さが一段アップした。ことさら思わせぶりに語られたその内容は、やりきれないほどに俺の不安を裏書きした。
 
「ここ数日生徒会長が登校してない。お前何か知らないか」
「俺が知ってるわけねえだろ」
「本当にか?」
「おう」
 
 財部の目にどう映ったかはさておき、我ながら及第点のポーカーフェイスだと思った。そして不思議なくらい舌がよく回る。
 
「気になるなら生徒会に当たれよ。裏を確実に取らねえと噂に尾鰭が付くぜ」
「確かにそうだな。でも、俺のクラスにいる生徒会役員に聞いても『詳しいことは知らない』って」
「じゃあ、大したことないんじゃね?」
「いや実は、俺もそう思ってたところでさ。もう少し様子見た方がいいのかな」
 
 数日前のエドの仕草を思い出しつつ、頭を幾分反らし気味にして「気が済むようにしろよ」と俺は言った。刑事か予審判事にカマをかけられた犯人の振る舞いをなぞっている気がしないでもないが、とにかくこういう場面では冷静さを保つに限る。取調官は軽く溜息をついて、「お前この後どうすんの」と聞いてきた。
 
「帰るよ。そんなに江上が鬱陶しいか」
「バカちげえよ。空いた時間は有効に使えって言うだろ」
「なら有効に使えよ。江上のためにさ」
 
 財部が「分かったよ」と言って自分で窓を閉め、自分の教室へ戻って行くのを見届けた後、俺は机の上にスクールバッグを放り出したまましばし黙考した。
 今の自分の口調や表情一つ一つに不自然さがなかったかを自己チェックし終えて、ようやく俺は思い及んだ。財部は俺を慮って、「重大ニュース」をできるだけさりげなく伝えに来たのでは? あいつには多分にそういう回りくどいところがある。とはいえ奴の様子からして、今の時点で生徒会室での一件が外に漏れているわけでもなさそうだ。
 とにかく俺は、水際佳恵があの日から四日間登校していないことを今頃になって知った。これは少なくとも、「最悪の事態」ではない証左なのかもしれない。つまり学校を休んでいる理由が、せいぜい体調不良か何かだという可能性。
 彼女の不登校に俺が関係しているなら、当事者なのに丸四日も蚊帳の外に置かれているというのは不自然だ。ましてや「消息不明」レベルならとっくに大騒ぎになっているだろうと……いや、ちょっと待て。
 むしろ逆じゃないだろうか? 大ごとであればあるほど、分厚い秘密のベールで覆われるのが世の常ではなかったか?
 どっちにしろ俺はまだ、その理由を早急に知る権利を主張できる立場ではない。そもそも大っぴらに主張する覚悟もできていない。
 
 やはり、こちらから電話なりLINEなりで確認すべきなのか。丸一日煩悶した末、とうとう俺はスマートフォンのアドレス帳を開き、登録済みの水際の携帯番号をタップした。耳に押し当てて発信音を数える。
 七回目か八回目の発信音で留守録の案内が出て、俺は電話を切った。携帯が通じていることを確認できた以外成果はゼロだったのに、真実に直面するまでの猶予が伸びた気分で妙に安堵した。ただし、どれだけ待っても折り返しの電話はない。
 不吉な想像ばかりが抑えようもなく膨らむ。あの日俺が生徒会室を出てから、水際はまっすぐに帰宅したのだろうか。携帯が無事ということはすなわち本人も無事と考えていいのか。俺が鳴らした携帯は今、間違いなく彼女の手元にあるのか。とにかく、彼女は今どこにいて、何をしているのか? 元気なのか? もしも「元気でない」ならその理由は? まさか俺?
 いや待ってくれ俺には全然心当たりがない! 彼女を生徒会室に残して学校を出た記憶は絶対に確かだ! あの後の彼女の行動なんて知らない! 神仏に誓って俺は潔白だ!
 「最悪の事態」への想像はとめどもなく暴走し、ベッドに入っても自分の鼓動ばかりが耳について一向に寝付けない。そして不眠のまま朝を迎えることになる。

 
 さらにその翌日。放課後、一人で下校途中に水際からのLINEが着信した。文面はあきれるほど素っ気なかった。
 
『今から生徒会室に来れる? ちょっとお願いしたいことがあります』
 
 久しく主人の声を聞かなかった室内犬の作法にのっとり、俺は猛然と学校へUターンした。返信を打つことも忘れていた。
 
 
 校舎に飛び込んで階段を駆け上がり、ひと気の絶えた四階フロアに息を喘がせながら到達した時、我ながら絵に描いたような青春映画の主人公を演じているぞという自意識に襲われる。それはそれで悪い気はしないのだが、もともとそういうキャラではないし、「今はそれどころではない」のも確かだった。呼吸を整え、廊下奥の生徒会室へ向かう。
 入室する前に、エドから贈られた腕時計で時刻を確認した。午後四時三十二分。ノックしようと右手を上げてから思い直し、おもむろに入口の戸を開け、中に入って後ろ手にゆっくりと閉めた。
 
 西日の差し込む窓際で、俺に背を向けて立っていた女子生徒が振り返る。一瞬、誰なのか分からなかった。