①古代日本には“消された境界(関)”がある?―― 地形が語る、もう一つの古代交通史
古代日本には“消された境界(関)”がある?
―― 地形が語る、もう一つの古代交通史**
古代日本には「関(せき)」と呼ばれる境界がありました。
鈴鹿関・不破関・愛発関の“三関”がよく知られていますが、
実はそれ以外にも 歴史の中で扱いが不自然に薄い境界 が存在します。
たとえば、大分の 佐賀関。
瀬戸内海と九州を結ぶ“咽喉部”のような場所なのに、
なぜか記紀(日本書紀・古事記)にはほとんど登場しません。
敦賀の 愛発関 も、
『続日本紀』に“廃止”の一文があるだけで、
実際の機能がほとんど分かっていません。
岐阜の 不破関 は政治史では重要なのに、
軍事・交通面の具体的な運用は明らかでない部分が多く残っています。

■ 史料には少ないのに、地形にははっきり現れる「境界」
古代の関は儀礼的な施設と考えられがちですが、
位置を地形的に見ると、明らかに
道が狭まる場所
海と陸が交わる転換点
“ここを越えないと行けない”地形の要点
に置かれています。
にもかかわらず、史料では
なぜかその機能が軽く扱われていることがあり、
ここに大きな謎が生まれています。
■「境界」は古代の交通・政治を理解する鍵かもしれない
私は、史料の扱いと地形の現実が合わない場所に注目し、
少しずつ比較を進めています。
すると、
“地形的には絶対に重要なのに、史料では薄い”
という地点がいくつか浮かび上がってきます。
古代国家は、境界をどう認識していたのか?
なぜ記録に残さなかったのか?
関がどのような役割を担っていたのか?
こうした問いは、
古代史を読み直す上でとても大きなヒントになると感じています。
■ 今後のテーマ(少しだけ)
これからは、
古代の海上交通・古道・地形の必然性などを軸に、
境界の意味を少しずつ整理しながら記事にしていく予定です。
これは“導入”の記事ですが、
古代の境界に興味のある方がいれば、
ぜひ一緒に考えていけたら嬉しいです。
