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八方塞がり

強制終了のような、全てが動かなくなる、もしくは動けなくなる、
という経験をしたことはありますか?
体調、精神、金銭や生活、仕事、家族と自分を構築している要素が全て止まってしまう状況です。

大きな失敗をしたわけでも、思い当たる原因があるわけでもない。
ただ、突如として全てが止まってしまったのです。

 どうしてこうなったのか、どうしたらいいのか、どうなるのか。

全ての方向に考察も、アイデアも、閃きも、イマジネーションも一切なくなるので、当然ながら、何か行動に移すこともできない状態です。

誰でも、人生に立ち止まるときはあるのでしょう。
それは、自分で立ち止まる意思で止まったから、歩き出すことも出来ます。

しかし、私は八方塞がりに会ったような、何か見えない力に止められた感覚でした。


当時は自分の会社を立ち上げたばかりで、僅かな貯金を切り崩しながらなんとか生きていました。
始めたばかりの商売は軌道に乗らず、本当にこれが今やることなのかと自問自答をしながらも、これしかできない自分を受け入れざるを得ませんでした。

体調も崩し、心無い叱責を受けたボディーブローが精神を叩きのめしてしまい、全てが塞がれてしまいました。
お金もないから、心療内科にも行けず、栄養のあるものも食べられない。
うどんに付いて来る粉末のスープを何回かに分けて飲むような生活でした。
このとき、何故か心の底で

 私はもう何もできません、することが分かりません

と諦めのような宣言をしていました。
心が風邪をひいてしまった状態と言われましたが、ただそれが回復することを願うこともなく、そこに存在しているだけという状態のままでした。

一つだけ、私に残された財産は友人でした。
シャカリキになって無理と我慢をしている私の心を支えてくれたのです。
決して金銭を貸し付けることだけはしませんでしたし、私もそれを頼むことはしませんでした。

しかし、それ以外のことは二つ返事で引き受けてくれました。
友人の一人は、私が部屋の隅で泣いていても、横に黙って座ってくれるだけでした。
また別の友人は、鍋を持って来いと私を自宅まで呼び、その鍋に乾麺や缶詰を入れてくれました。
私は何も考えず、泣きたいときに泣いて、眠りたいときに眠るというような生活をしばらく続けていました。


こんなことをしていたある日、手掛けていた品物がメディアで紹介され、注文が殺到しました。
体調も思考もおぼろげな私をたくさんの友人が手助けしてくれ、商品発送ができました。
徐々に体調が整い始め、心も安定してくると、私は以前のように考察したり、アイデアが湧くようになったりしました。

こうして、八方塞がりからするりと抜け出したのです。


もうこんな思いはしたくない、ということは当時考える暇がありませんでした。
その状況を受け入れることで精一杯だったのでしょう、降参したから残るものもありませんでした。


その出来事から、四半世紀経って、新しいバージョンの八方塞がりが巡ってきました。
こんな目に何故合うのか、皆目見当もつきません。
今回も何の因果もないし、大きな失敗や傲慢による清算でもないのです。

ただ違っていたのは、自分を形付けていた要素の再定義でした。

私は、自社の商品販売以外に、外部でのシステム開発の仕事も持っていました。
自社の活動を始める前にやっていたIT業界の仕事も捨てがたかったからです。

資格を持って自分の自信を元にした仕事をしたいと、
PMP®という資格を取り、あちこちの大企業で仕事をもらっていました。
それなりに重宝されて、それなりに稼ぐことができました。

ただ、いつも付きまとう不安材料がありました。
それは、契約が終了するとまた新しい契約を取るためのセールスが必要になることと、どうしても開発への関りが断片的であることでした。
さらには、年々関わるプロジェクトの質が低下して、骨組みの陳腐なプロジェクトのお尻拭き担当になったり、プロジェクトが途中で解体したりする事態が続きました。

システム開発とはいえ、携わるのは生身の人間です。
相性などもあるし、いろんな観点で能力の差もありました。
私の思う、お互いの足りないところを補い合いながら、プロジェクトを成功させる、という思いはあまり伝わらなかったようでした。

それよりも、予算内で期間内に完了すれば、どんな質でどんな出来でも善しとする、という風潮でした。
プロジェクトの多くの人たちは、作ってしまえばそれで良く、私は使う人のことまで考えたい。
お互いに補い合いたいという私の純粋な願いは、いつしか『扱いづらい反抗的な人』というレッテルに変わっていきました。
このやりきれない思いが、とてつもなく嫌でした。


IT関連の仕事を始めたときの、あの楽しくてワクワクしたものは、すっかり色あせてしまっていたのです。
それでも、フリーランスから正社員になれば、また違うだろうと意を決し、50代後半で、まさかの再就職を叶えました。
ところが、やりきれない思いの延長線にあった仕事は、結果、長続きできず、鬱状態の一歩手前で終止符を打つことにしました。


さて話を戻します。

自分を形付けていた要素は、IT業界で働いていた自分、長年やってきているけど大きく利益はない自分だけの商売というものでした。
そこから、IT業界で働く自分という項目が削除されました。

以前のように、生活が困る経済状況ではありませんし、借金があるわけでもありません。
体調も年齢の割にかなり良いし、心の状態を脅かす対象もありません。
友人はさっぱりいなくなってしまいましたが、ちっとも寂しくない。
新しいことが出来るかもしれないという、僅かな期待と
これまでのように稼ぐことのできない不安だけが、ありました。

不安は四六時中、私に付きまとい始めました。
しかも、どういう訳かもっともらしい根拠の妄想付きで、不安をさらに掻き立てるのです。
あまりにも不安が付きまとうと、徐々に睡眠や食欲に影響が及んできます。

 『不安を消すには、何か解決をすればいいはずだって、
 今までもそうしてきたじゃない?』

この根拠のない公式をあれこれと理由を付けて正当化し、
無理やり信じることにしました。

 『経済的な不安を払拭するには、
 再度、出来る仕事をしていればいいんだ』

本当にそうだったのでしょうか。
こんなにうまく答えが出るならば、そのままIT業界で仕事していたのでは?と今なら思います。

私はこの正当化した無理な信念を握りしめて、手あたり次第、いろんな仕事に応募してみました。
これまでなら、面接に扱ぎつけば、9割がた合格して仕事を得ることができたからです。

しかし、履歴書すら通らず、面接が来ても変な条件を提示されて辞退するというようなことが続きました。

 ここで負けたら、負けを認めることになる

私は躍起になって、見つけた仕事に応募しました。
こんなことを数か月続けましたが、さっぱり事態は動きませんでした。

経歴書はこれまでとほぼ変わらないのに何故だったのか。
あらかた予測がついたのは、年齢でした。
ほぼ還暦という、世間一般のシステム開発の現場から見れば、

 『現役を退くべき年齢』の人間を好んでプロジェクトに入れたいか?
です。
経歴があろうが、どうであろうが、年齢だけを見て履歴書は捌かれるという事実を知らしめられました。

 「どうせIT業界なんて働きたくないところだもの、もう応募も止めたっ!」

悔し紛れで、捨て台詞。
しかし、これは本来の流れに戻るために必要な通過儀礼だったのです。

嫌なことを我慢して、お金を得るためにやる、
ということを30年近くやってきて、嫌気がさしてきたくせに、
また経済が不安になるから、我慢して再稼働させようとする自分。
とても矛盾しています。

心が病むほど、不愉快な想いをして、純粋な想いが通じない場所に居続けることは、本当にやるべきことなのでしょうか。

私はこの結論に至ったとき、やっと、自分が新たな八方塞がりに遭遇していることに気付きました。
以前とは違う、自分の再定義をするための、強制停止です。

前回のように、体力と若さが今よりもあった状況と違うのは、
残りの時間が当時よりも多くないということでした。
つまり、10年で何かを1つやり遂げられると仮定した場合、私にはあと2個か3個しか出来る時間しかないのです。
これは避けようのない事実、受け入れるしかない。


しかし、今は強みがあるのです。
それは、自分の内面を観ることができるようになったことです。
そして、自分のできることはたかが知れているという、紛れもない事実を分かっているということです。
むしろ、自分が何かを決めて努力したから今がある、というような高飛車な考えが消えてしまったお陰で、
何の抵抗もせずに、全面降参ができるのです。

 「前回とはまったく違うパターンですが、全面降伏します、降参です

こう唱えた私が、日々、
不安と同居することなく、事態の好転を祈ることなく、
ただ淡々と今生きていることだけに集中するのは、
180度方向を変えた成長なのかもしれません。

 何もできないのは、何もするなということ

もうこれしか結論がでないのです。
ぐうの音も出ないほど、残りの人生を後悔させまいとする
「見えない力の御業」ともいえる強制停止です。

きっと、この状況を未来の私は思い出しながら、少しほくそ笑みながら、
伏線回収に思いを馳せて、このときを「あのとき」と過去形にしながら、キーボードを打っているのかもしれません。

未だ状況は動きません。
不安がないわけではありません。
全部感じているものは、今ここにいる私と同居をしています。

ネガティブな想いも考えも、ポジティブな想像も閃きも、全部今強制停止している私といっしょに暮しています。

どうなるか分かりませんが、初めてではない状態ですから、この事象で学ぶことを収めることが、人生という大きな目線で見たときに「必須科目」なのかもしれません。

あとは、何故かへこたれていないという少し強くしなやかになった私でしょうか。


photo by photo-ac.com

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