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72歳、肩書きを新たに。「冷麺」の先に見つめる、「これからのキャリア」

72歳、肩書きを新たに。「冷麺」の先に見つめる、「これからのキャリア」

「これからのキャリア」を考えるとき、人はいくつまでの未来を思い描くのだろうか。
72歳になった今、僕は「冷麺ブランドディレクター / 冷麺商品プロデューサー」という唯一無二の肩書きを胸に、再び未知の領域へ踏み出します。


原点は、中学生のころに作った母への料理

僕が「食」に強いこだわりを持つようになった原点は、中学生のころに遡る。
当時、病弱だった母のために作った食事。「美味しいね」と笑顔で喜んでくれたあの瞬間の体験が、すべての始まりだった。
もっと母の喜ぶ顔が見たい、もっと「美味しい」と言ってほしい。
その一心で、僕は「美味しく、そして体に良い料理」を作ることばかりを考えるようになった。


なぜ「冷麺」だったのか? 1954年の運命的な縁

そしてもう一つ、中学生の僕の心に強烈な衝撃を与えた食との出会いがあった。
それが、初めて食べた「平壌冷麺(現在の盛岡冷麺)」だった。
一口食べた瞬間の驚き。あの独特の味、食感、そして旨みは、幼い僕にとって言葉にできないほどの衝撃だった。

のちに知ったのだが、盛岡冷麺の発祥は、地元・盛岡にある焼肉店「食道園」のご夫婦が開発し、世に出したものだ。その誕生の年が1954年
実は、1954年は僕が生まれた年でもある。

盛岡生まれの僕にとって、自分が生まれた年にこの町で誕生した最高の冷麺と出会ったことには、勝手ながら深い縁を感じずにはいられない。
「こんなに美味しい盛岡の冷麺を、もっと多くの人に知ってほしい、食べてほしい」
郷土への想いと冷麺への愛が、僕の心の中に深く根を張った瞬間だった。


本格的な食の修業と、土づくりからのバックボーン

その後、本業としては広告制作の世界に入り、映像、Web、グラフィックデザインなどモノづくりの現場でキャリアを重ねた。しかし、心の中にある「食への情熱」が消えることはなかった。

広告の仕事を続けながらも、僕は本格的に「食」の探求へ乗り出した。

  • 2001年〜(修行時代)

    1. 2年間、毎週土日に仙台のマクロビ教室兼レストランへ通い詰め、技術と知識を基礎から徹底的に学び修業を積んだ。

  • 2005年〜(農業への挑戦)

    1. 「食の安全は土から」と考え、除草剤を使用しないマルチ農法による無農薬米の生産を開始。

  • 2007年〜(実践とプロデュース)

    1. 岩手県花巻市にマクロビオティックレストラン「ソーベーズカフェ」を立ち上げ、プロデュースとブランディングを手掛けた。

デザインやクリエイティブの知見と、現場で培った本格的な調理技術、そして農業のリアル。これらが僕の中で力強く融合していった。


2011年、決断。麺とスープの常識を覆した「ヴィーガン盛岡冷麺」

大きな転機が訪れたのは、2011年。東日本大震災の年だった。
縁があって被災した食品工場を取得し、本格的な食品プロジェクトを立ち上げることになった。

何を作るか。迷いはなかった。僕には「冷麺」があった。

冷麺の命は「スープ」と「麺」だ。僕はその両方の開発に並々ならぬ情熱を注いだ。

【スープの革新】
本来、盛岡冷麺のスープは牛骨などの動物性出汁がベースだ。これを仙台での修業で得たマクロビの知識を活かし、昆布や野菜など植物性素材100%でありながら、深いコクとキレを持つ「植物性マクロビスープ」として完成させた。

【麺の追求:地産地消へのこだわり】
そして、麺。盛岡名物であるはずの冷麺なのに、当時、岩手県産の原料で作られた麺は存在しなかった。

「地元・岩手の最高の小麦で、理想の麺を作りたい」
当時は冷麺に適した県産強力粉が手に入りにくく、僕は県内を泥臭く走り回って粉を探し続けた。そんな中、ある自治体との出会いから素晴らしい小麦の紹介を受け、ついに心から納得できる「理想のモチモチつるつる食感を持つ麺」を作り上げることができた。

母へ作った料理から学んだ「体に良いものを」という想い。
岩手の地産原材料にこだわり抜いた麺。
そして、1954年生まれの僕が愛した盛岡冷麺への情熱。
すべてが結実し、2011年「世界初となるマクロビオティック」(ヴィーガン)盛岡冷麺が誕生した。


60歳、東京・渋谷への進出。「誰かがやらないなら、僕がやる」

開発した冷麺を抱え、首都圏の焼肉店へ営業に回った。

ちょうどインバウンドの波が話題になり始めた頃。「これからの時代、外国人観光客に向けてヴィーガンメニューが必要になる」と提案したのだ。
しかし、当時の焼肉店にとって「ヴィーガン」など無縁の世界。どこへ行っても相手にされなかった。

「なら、誰も見たことがない冷麺専門店を、自分でつくればいい」

目標はただ一つ、世界に届けること。世界に向けて発信するには、東京・渋谷しかない。
来る2020年の東京オリンピックを見据え、世界中の人々が集う文化の発信地・渋谷でブランディング勝負に出ることを決めた。

2017年、60歳。
東京・渋谷(明治通り沿い)に直営1号店となる「冷麺ダイニングつるしこ」をオープン。
「60歳からの東京進出なんて」と笑う人もいた。けれど僕にとっては、培ってきたクリエイティブの力と食の知見を結集させた、ごく自然な「世界に向けた挑戦」だった。

2020年には自由が丘(自由通り)に2号店を出店。
しかし、まさにその年、世界を襲ったのがコロナ禍だった。オリンピックは延期となり、街から人の姿が消えた。激浪のような逆風の中でも、僕たちは自慢の冷麺と「体に良い食を届ける」という信念を抱きしめ、泥臭く立ち向かい続けた。

広告制作会社(株式会社ドリームラボ)の代表としての業務をこなしながら、二足のわらじで駆け抜けたこの期間は、僕の人生で最も激しく、そして最高に刺激的な時間だった。


手放すことで見えた、次のステージ

時が流れ、2025年12月。
僕はひとつの区切りとして、食品の製造・販売事業を他社へ譲渡した(「つるしこ」の商標権およびブランド管理は継続している)。

手塩にかけて育てた事業を手放すことに、淋しさがなかったと言えば嘘になる。しかし、これは「終わり」ではなく、僕のキャリアを次の次元へ進めるための前向きな決断だった。

事業譲渡を経て、僕の手元に残ったもの。
それは、長年培った広告クリエイティブ力、現場で叩き込んだ食の技術と知識、時代の波を乗り越えゼロからブランドを育て上げた「リアルなノウハウ」だ。


72歳からの再チャレンジ:唯一無二の肩書きを携えて

2026年、72歳。
僕の「これからのキャリア」が、ここからまた始まる。
これからは「冷麺ブランドディレクター / 冷麺商品プロデューサー」という無二の肩書きを掲げ、プランナーとして新たな挑戦をスタートさせる。

メーカー、自治体、飲食店――。
ゼロからブランドを立ち上げた苦しみも、妥協なき商品開発の情熱も、時代の荒波に揉まれた現場のリアルも知っている僕だからこそ提案できる「血の通った企画」がある。

株式会社ドリームラボの代表として会社を牽引しながら、個人としても新たな肩書きとともに可能性を押し広げていく。
母の笑顔から始まり、1954年の冷麺との出会いから紡がれてきた僕のストーリー。

年齢を理由に限界を決める必要なんてない。72歳の僕が切り拓く「これからのキャリア」を、自分自身が一番楽しみにしている。


最後に:お仕事のご相談・企画持ち込みについて

現在、「冷麺ブランドディレクター / 冷麺商品プロデューサー」として、以下のようなご相談や協業(企画の持ち込み)をお受けしています。

  • 食品メーカー様: プラントベース(ヴィーガン)商品や無添加商品の企画・開発・ブランディング

  • 自治体・地域事業者様: 地元素材を活用した特産品・ご当地商品の開発および首都圏展開のアドバイス

  • 飲食店様: インバウンドに対応したヴィーガンメニューの導入や、冷麺を中心としたメニュー開発・店舗ブランディング

株式会社ドリームラボとしてのクリエイティブ支援はもちろん、個人としての企画プロデュースもお気軽にご相談ください。

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トマトバジル冷麺 盛り付け例
トマトバジル冷麺 やさい豆乳スープ

#これからのキャリア


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