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レズビアンと飲んだ夜、私は誰に会いたいのか考えた

とくべチュして(レズver.)
レズの好きなところ♪同性同士距離近いとこ♪
レズの嫌なとこ♪すぐ連絡つかなくなるとこ♪

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6月、バーのオーナーに紹介されたレズビアンの女性と飲んだ。特別な出会いというほどではなかった。二軒目のビアンバーでカラオケを歌い、歌声を褒められたくらいだ。

ただ、普段なら隠者みたいに引きこもる私が、
人と関わろうとしていたことだけは確かだった…

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人によって当たり前は違う。
わたしにとって大学に行くことは当たり前で、
家族がいて、お金に困っていないことも当たり前誰かにとってそれは手に入れたかったもので、
人は自分の当たり前に甘んじて生きている代わりその意味に気づかない。いや、失うまで気づくことはないだろう。愛も同じ。

愛を終わらせない方法は…手に入れないことだよ決して手に入らないものしか、永遠に愛することは出来ない。

四月になれば彼女は

YouTuberの都(みやこ)の新しい動画を今日見てた
「同じことの繰り返し、もうええわよ」
彼は数年前、進学校の中高一貫に通っていて、
家族は大学に行くのが当たり前の空気だった。
だから"やりたいこと"を絞り出して美大に入った
その先で、今、絵を描くことが大嫌いになった。
4年生、就活の時期になって、また絞り出して、
Youtubeの道を決めた、と。
そして、YouTubeで忙しくして気分が落ちて今。

都は感じたストレスを動画にできるからすごい

彼にとって話すことは、感情や考えを整理したり
気持ちを発散する部分があるのだろう、きっと。
なんだかカメラに向かって話していること自体が
人間の知能と時間と感情を同期させているようだ
何かを作ることに手応えを感じているか否かは、
どれだけ赤裸々に自分をdiscribeできるかという適性と手段が一致したときに、動きはじめる。
あんなに赤裸々、消したくならないのだろうか。
それとも芸(ゲイじゃなく)だから、それとこれは
別で作品として距離をとれているのだろうか、?
赤裸々超えて、ツイッター並みのリアルタイム。
私は、彼は喋るタイプのツイッターだと思ってる

私はどうやってモヤモヤを発散してるだろうか?
心理学的に言えば、問題焦点型コーピング、か。
Chat GPTに自分の頭に浮かんだことを投げてる
けどモヤモヤ私を悩ますものは、根深いからこそしんどいのであって、解決するタイプではない。
そういうときは、短くひとこと、独り言を呟く。

以前、といっても数年前、呼吸法に頼った時期もあった。『右脳さんと左脳さん』というスピ本に至って真面目に習って、書いてあったのがこれ。
どうしても繰り返すコントロール出来ない苦しみが、わたしを前に進ませてくれないことがあった

これは情動焦点型コーピングに分類されるらしい

人は無意識の中にそれぞれスキーマを持っていて
物事を冷静に理解することが難しいことがある。だから誰かの発言、言われたこと発端に、
ネガティブで自動的な思考の渦に溶けたりする。
それはあまりに自然に頭を駆け巡るから、
辛いことが起きてる時は考えること自体をやめ、情動焦点型コーピングに集中すること。

呼吸に集中し、「今ここに集中する」

ストレスのレベルが高い時や、頭で考えても
変えられないことに見舞われている時に有効。

情動焦点型コーピングとは、
ストレスの原因に直接アプローチするのではなくそれによって生じる不安や怒り、悲しみなどの「感情」や「捉え方」をコントロールして心の負担を和らげるストレス対処法です。ex. 呼吸法

GoogleのAI検索

対立する気持ちが自分の中にあると、
一つを叶えるために一つを犠牲にするから辛い。

人が好き、自分を受け入れてくれる人間が好きで特別でありたくてロマンチストな部分と同時に、目の前にあるものをシャットアウトし、誰からも距離をとって、1人で自分の考えに浸りたい部分

こういう人格に1番向いているのは夜の散歩だ。
誰にも話しかけられないけど、コンビニや飲食店の明かりは、人間の存在をしっかり感じられる。
コンビニで頼んだ焼き鳥を、コンビニの店員の、
最初で最後の笑顔で安らかに家に持ち帰る帰り道

私は私であるからして、普通になれないのだな。

昔から、自分はすごく頭が悪いと思っていたけど
自分に似た賢くない、妹よりは、マシだと思った
確かに妹は言語化能力とかはないけれど、ずっと社交的で、よく友達と電話してて、旅行に行った
それに対して私は、年を重ねるにつれて、病んだ

結局、妹よりも自分が優れていると思ってたのは
妹と比較して、昔は運動も勉強も得意だったから
それと、妹の場の空気を読んで感情を同期させる事を毛嫌いしていた。それは必須のスキルだった

社会に馴染めず、普通じゃないのは私の方だった

いや、「社会に馴染めない」なんて、大袈裟にも思える。確かに人は、衣食住も家族もあっても、尚、幸せになりたいと嘆くようなところがある。
都も、いつも恋人欲しいだの幸せになりたいだの
なんだかんだカメラの前で楽しそうにしてるって

けど、私に関しては大袈裟でも冗談でもない。
なぜなら私は、人と話すことが好きではないから
人と話すことが得意なわけでもないわたしが、
そもそも此の行為自体を好きではないのであれば
どうして、生きてるだけで、人と親しくなれるか
そんな自己防衛のような、笑えない考えが浮かぶ

でも、腑に落ちたんだ。様々な苦手が相まって、
普通のコミュニケーションを重視していないんだ
脆弱なコミュニケーション能力と内向的な価値観の最悪のタッグ。話すより歌う方がまだ楽なんだ

わたしは、好きな人しか友達になれない
正確に言うと好きな人間にしか心を開かないから
好きな人間としか友人になれず、その相手が恋愛対象の性別、つまり同性だから潜在的に好きで。
今まで、その"好き"でなんとか、食いついてきた
でも私はあるときから、双方の熱が必要になった
失恋をしたから。
7年近いあの時間は、わたしの妄想だったようで血の気が引き、悲しくもあっけなく夢から覚めた
「大切な友達だから」という言葉は、私を刺した
大切な想い人を失い友達の絆を固めたのではない
私にとってただの免罪符だった「ともだち」
本当は大切な人、お互いに向く矢印が欲しかった

ふとした視線の交差を、沈黙を過大解釈して
いい方向に勘違いしていた、空想家だったのだ。
恐ろしいのは、それがどんな現実よりも鮮烈で、
どんな嘘よりも、本物らしかった。
わたしは、「今ここにあるもの」よりも
言葉や表情の語る沈黙のなか、決して明らかにしようと覗くことすら出来ない緊張感のなかにしか
人の、生きている感情を捉えることができない。
そして、それが全くのフェイクだったというのだ

もういっそ初めから全てがフェイクのステージで愛は一瞬にして過ぎ去ることさえ、前提にして。

クラシックギターを買った。普通に、高かったわ
これがきっと、切なくて、鮮烈で、劇的な愛を感じる方法。多重録音して、3パートに分けて弾く

ギターは昔から触っていた。だけど、うまく歌が歌えないから弾き語りは興味がなかった。だからソロギターを始めた。ソロギターはメロディもコードも全部自分で弾くやつ。次に、アンサンブル
これが1番ハマった。これが1番、何かを感じた。
緊張感とか、一瞬の交錯に込める感じとか色々。
今度は其を部屋で1人でやってみるという試みだ

裏の裏の裏、シークレットスパイ(無敵)

無敵になって全てを据えた目で見て何が見える?
真正面から音に向き合うことしか、思いつかない

どうか、私が歳を重ねるごとに壁を乗り越えて、その度に、1から始めて無敵になるのではなく、
全ての上に、キチンとした物語を進めるような。
でも、
私ひとりのフェイクやフィクションじゃなくて、
現実にあるフェイクやフィクションを作ったら、
それが私にとって本物になっちゃうんだろうか。
私はいったい、誰に会ったらいいのだろうか。

写真に撮りたくなるような、心が動かされる体験

それは、映画とかじゃなくて、私の身に起こる事

そんな出会いを求めている。


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